55.リスタート
「それは俺だ」
「へぁっ……?!」
覚えず、自分でも何処から出たか分からない素っ頓狂な声が口から漏れる。
どういう流れだったか、新年度最初の部活動の日に、ひょんなことからユベールとの会話の中で去年開かれた王家主催の夜会が話題に上った。そこでラシェルのパートナーを勤めていたのが彼だったと告げられたのだ。
「覚えてなかったのか? お前、その頃から失礼なヤツだったんだな」
「あの日……、諸事情で体調が優れなかったもので……」
この男に失礼と言われては、返す言葉もない。
「言い訳するな。体調良くても、どうせダンスは滅茶苦茶だっただろうが」
「はい……」
体育会系よろしく、厳しいダメ出しを食らう。
へーへー。仰る通り、体が絶好調だったとしてもダンスはダメダメでしたよ。
「あとお前、貴族名鑑とか読まないタイプだろうから知らないと思うが、俺んちバロンだけど結構金持ちなんだよ」
「へ、へぇー……」
どーだ、参ったかと胸を張る。
確かに意外ではあったものの、やはりこの性格が残念であることに変わりはないと、密かに胸の内で嘆息を漏らした。どう見ても金持ちのボンボンというより、ボン●ン読んでる近所の小学生だ。
「所謂、地方豪族ってやつ。俺の場合、親父にデビューは学業が落ち着いた二年次にしろと言われてたから、周りより一年遅かったんだ。そんで、俺が一番背が低いって理由でお前と組まされたわけ。さらに部活に来てみれば、またお前とペアだろ? 何かもう、腐れ縁というか、因縁じみたものを感じたよ」
去年、ラシェルの担当を任された時に、なんで俺ばかりと溢していたのはそういうことだったかと今更のように納得する。
しかも社交界デビューの場で大恥かかせてしまったことを思えば、ジャ●プ片手に鼻くそ飛ばされても文句は言えないとラシェルは改める。心の内だけとはいえ、この一年間で彼に対してはついツッコミ体質になってしまっていたけれど、ユベールが根は優しくて力持ちなのを忘れてはならないと反省した。
「ところでダイエットも終えたことだし、そろそろやってみるか?」
「えっ? 何をです??」
「バカ。何を、じゃねーよ。馬術競技に決まってるだろ」
何、寝ぼけたこと言ってやがる。マジでお前、ここを何処だと思ってんだ、ダイエット道場かフィットネスとでも、勘違いしてんじゃねーだろうなと窘められる。うっかり忘れるところだったが、ここは馬術部の部室だった。
「い、いいんですか……? 私なんかが」
「そんだけ痩せたんだ。前部長も卒業したし、誰にも文句は言わせねぇよ」
いいから来いと、言われるがまま付いて行くと厩舎に案内された。適当に馬を選んで馬場へ連れて行き、障害馬術は分かるよなとラシェルに訊いてくる。
「何となくは……馬に乗って、障害物をクリアしていくんですよね」
そうだなとユベールが頷き返す。
「馬場は?」
ぶんぶんと首を横に振るラシェルを見て、そこで見てろと軽やかな身のこなしで騎乗した。
「これがパッサージュ…………これがピアッフェ、……」
器用に馬を操り、ユベールが次々と基本のステップを踏んで見せてくれる。
すると俄かに後ろの方から歓声が沸き起こり、黄色い声がラシェルの耳に入ってきた。
「ご覧になって。ユベール様が馬場にお出でですわ」
「まあ……! では他の皆さんも、お呼びしなくてはいけませんね」
わらわらと、部員以外の令嬢まで馬場に集まる。次第に増えていくギャラリーもお構いなしに、ユベールはそのまま規定演技の実演へと入った。
「こちらよ、やっぱり素敵ですわね……」
「相変わらず手綱さばきの美しいこと……馬も信頼して、彼に動きを委ねてますわね」
おうぅっ。せんぱいがモテていらっしゃる……。
集まってきた令嬢方が悉くユベールに羨望の眼差しを向ける様を見て、ラシェルはやや退き気味に心の中で独り言つ。
「けど、ユベール様といえばやはりエンデュランスでしょう。一昨年は初参加でベストコンディション賞を獲っていらしたわよね」
「あんな事件さえなければ、翌年は優勝とのW受賞も期待されてましたのに……」
「ところで受賞を逃した方の侍従がユベール様の愛馬を手に掛けたという、あの噂は本当ですの?」
「ええ。そのせいで甚く心をお痛めになって、一時は退部まで考えていらしたそうよ」
「それを、確か前年度の部長が説得にあたり、暫く競技の出場はもちろん騎乗も控えたいと仰るユベール様の要求を呑んでまで遺留されたとか……」
「馬に対する思いが、それだけ深くいらっしゃるのね」
「だからこそ、お若くして受賞も出来たのでしょうけれど……」
ご丁寧な全解説、ありがとうよファンの皆様。
と、再び心で謝辞を述べる。
ちなみに馬場馬術とは、簡単に言えば既定の競技場内で如何に美しく正確な歩き方やステップを馬に踏ませることが出来るかを競う競技。エンデュランスは、乗馬での長距離走みたいなもので、速さも競われるが、どちらかといえば騎手と馬が良いコンディションで走り抜くことの方が重要視される、ちょっと独特なルールの競技になる。ベストコンディション賞は、大会の中で最も良い状態で完走した馬に与えられる名誉賞だ。
去年、太っているラシェルに一切の乗馬を禁止したり、夏休みに乗ったと聞いては馬の心配ばかり過剰なほどしていた理由も、今の話を聞いて何となく繋がった。
「昨年度は出場を見送られたそうですが、こうして馬場に出ていらっしゃっているということは、今年こそ再び挑戦されるおつもりでしょうか……」
溜息交じりに、心配の色でユベールを見つめながら隣の令嬢が零す。
ああ見えて先輩も、辛い過去を抱えていたんだなと思った。結局、何の苦もなく生きている人間なんていないということか。
翻って前世も含め、自身を振り返ってみれば、努力だけでは到底太刀打ち出来ないような困難に見舞われることも、辛酸を舐めるような経験もなく、ヌクヌクと温室育ちでここまできたと、ラシェルはこれまでの人生に感謝すら覚えた。まぁ、生まれ持った鈍感さと、楽天的で喉元過ぎればの都合良い性格もあるとは思うけど。
それでも家族に恵まれ、環境に恵まれ、人との出会いに恵まれ、自分は本当に幸せ者だと思う。
馬から降りたところで再び観覧の声援を浴び、礼の代わりに片手を挙げて返したユベールが馬を引き連れラシェルの元へ戻って来た。
「ウチの部では障害と馬場、この二つからどちらかを選んで競技会に参加してるが、どうする?」
「えっと……」
「馬場なら俺も教えられるが、障害を選ぶならもっと上手い先輩にお願いしようと思ってる」
「じゃあ、馬場でお願いします」
即答だった。頭を下げてお願いする。
「いいのか? 教えるのは俺になるぞ」
「勿論です」
驚き、本当にいいのかと繰り返すユベールを真っ直ぐに見つめ、ラシェルは深く頷いた。
だって、他の先輩方怖いもん。
入部当初に向けられた、あの冷たい視線を忘れることは出来ない。
「スパルタだぞ?」
「知ってます」
競技との相性ももちろん大切だが、それ以前に指導してもらう人間との信頼関係が一番大切だとラシェルは思った。
プロ入りや大会に出て上位入賞を狙っているわけでもない自分にとって、自らが一番醜くみすぼらしい、貴族としては致命的な状況に於いて、それでも見捨てることなく支えてくれた彼以上に人の良い先輩はいないと判断する。
ユベールに対し、いつになく真剣な眼差しを向けるラシェルに、やれやれと肩を竦める彼の目は、けれど少し嬉しそうだった。
「じゃあ、まずは採寸のし直しからだな」
痩せてダボダボになったラシェルのジャージを指して、ユベールが苦笑する。
何の疑問もなく自然に着こなしていたが、周りはユニフォームを着用する中、そういえば自分だけがお下がりのジャージ姿だったと、今さらながらに気が付いた。
恥ずかしさで真っ赤になる顔を手で覆いつつ、穴があったら入りたいとはこのことかと、ラシェルは初めてその意味を実感した。




