49.紺碧の瞳
三学期に入ると、そこから先は今まで苦しんできたのが嘘のように、自分でも驚くほどスルスルと縦に細長く伸びていった。
土曜の午後、ラシェルは自室で一人きり、姿見に自分の姿を映してはユベールの言葉を信じて諦めず、頑張ってきて良かったと涙を滲ませる。
とはいえ彼も、ああ啖呵を切ったものの特に勝算があったわけではなく、乗り掛かった舟という責任感から無責任に言っただけだということを後になってラシェルは知った。まぁ、結果オーライということでそれ以上の追及は止めておいたが、これでもし痩せてなかったらと思うと、正直その時の自分が正気でいられたか自信はない。
学年末には身長一五八センチ、体重五十キロまで到達し、ラシェルはユベールと相談して、そこで自らのダイエットに終止符を打つこととした。勿論、リバウンドしないようにこれからも運動は続けるが、緩やかなペースで進んでいると思っていたダイエットが途中、成長スパートも相俟ってか、結果的に僅か一年弱の間で身長、体重共に劇的な変化を齎したからだ。自分の成育歴を振り返るにつけ、これ以上望むのは贅沢というより、危険な気がした。バストも初潮を境にすくすくと育ち、今ではピッタリ掌に収まるくらいの大きさにまでは成長してくれている。もうちょっと胸が欲しいという野望もあって、理想としていたスレンダーなモデル体形は潔く諦め、健康美を目指そうと決めた。
何より、痩せたことでラシェルが最も衝撃を受けたのは、今まで肉に埋もれていた糸目が、トロンとした印象の垂れ目ながらも、きちんと表れ出たことだった。
「眼がある、だと……ッ!?」
初めてそれに気付いた朝は、暫く鏡台の前から動けなかったほどだ。揺らめくアジュールの双眸に、言葉を失う。これまた理想のぱっちり二重には程遠いものの、存在するだけ有り難い。これで漸くアイメイクも出来るというものだ。ランドルの店でコスメが充実していく度、基礎化粧品以外興味が無い振りをしつつ、本心は羨ましくて仕様がなかった。
「ラシェル様、洋裁師の方がお見えです」
ノックと共にニーナの声がして、扉の方を顧みる。通してちょうだい、と返して部屋へ招き入れるその後ろに、ひらひらと手を振るランドルの姿が垣間見えた。
「ランドル、来てくれたの? それにディルクも……」
ランドルの隣で恥ずかしそうに腕を組み、照れて視線を下にしながら「一応、パートナーだしな」と言うディルクの呟きが、微かにラシェルの耳に届く。来週から学院は春休みに入るが、その翌週に催される夜会用のドレスを新調するよう、予てよりディルクがランドルを通して洋裁師を紹介してくれていた。採寸は先月の内に済ませたので、今日は試着を予定している。着替え終わるまで男性二人には前室で待ってもらうことにして、まずはラシェルとニーナ、そして洋裁師の三人で実際の出来を見ることとなった。
社交界デビューするや否や、進学のため王都に上京したが、これまで学業専念や体調不良を理由にラシェルは夜会への参加を全力で避けてきた。仕事や諸事情で両親も不参加だったことに加えてマナーもダンスも自信がなく、とてもじゃないが一人で行く気に等なれなかったのだ。
もっと言えば、同じドレスやアクセサリーを何度も身に着けるわけにはいかないから服飾にお金がかかるし、乗っていく馬車も小っさいし、友達いないし。行ったところで、どーせ何のメリットもない。
精々、体形のことをネタに笑われるのが関の山で、そんな消極的な気持ちを抱えたままデボラを朝方まで引っ張り出すのは忍びなかった。王都で孤立を深めるデメリットは理解していたが、それ以上に抱えるストレスと比較してメリットが少なすぎた。
逃げられるだけ逃げ切っていたラシェルだが、今回は年に一度しかない王家主催の夜会で、少々の風邪くらいなら熱を圧してでも参加するのが暗黙のルールというほど参加必須のものだ。
あれからもう一年が経ったかと思うと感慨も一入だけれど、昨年に前世の記憶と邂逅を果たした、件の舞踏会である。
今年は第二王子の進学に合わせて、例年より少し遅めの日取りとなった。
新人は毎年、選ばれしエリートの子女のみ招かれるが、それは単純にダンスホールの収容人数を調整する為で、デビューを許された家は代わりに当主以下一族の参加を見送られる。そのため、舞踏会への不参加がハンデとなりにくい家格や、一人で舞台に登壇できるだけの教養を子どもに施せる資力を持つ家が結果的に選ばれているに過ぎない。今でこそステイタスの意味合いが強くなってしまっているものの、元々は合理主義を好むアウローテらしい慣習だ。
気が進まないのは今までと同じだけれど、何と言ってもラシェルには今年、婚約披露という役目もある。社交界デビュー後に新しく婚約の儀を結んだカップルはこの会でワルツを踊るのが義務とされており、今回のパーティにラシェルが出席しない選択肢はない。
実は冬休み明けに一度ディルクと手合わせしたら、運動神経が壊滅的かつリズム感ゼロであることを見抜かれてしまった。以来、ラシェルは毎週末、彼にダンスを一からスパルタで仕込まれている。
ちなみに日本の公立校よろしく学院の春休みも短い上、半ばにこの舞踏会が催されることから春は帰省せず、両親をこちらへ招く予定だ。
「すごく素敵ね……!」
一目見た瞬間からドレスを気に入ったラシェルは、袖を通してその思いを更に強くし、何度も裾を翻して姿見に映す。
「うーん……」
「なぁに、ニーナ?」
先から一人、腕を組んでは何やら難しい顔でいるニーナに、ラシェルが訊く。
「いや、ずっと思ってたんだけど……痩せてキレイになるってのは分かるんだけどさ、ラシェルの場合、ちょっと違くて。ねぇ、貴女もそう思わない?」
隣に侍る洋裁師の女史へ目を遣り、尋ねる。
四十代半ばくらいだろうか。細身で長身、眼鏡をかけた、如何にも仕事が出来る風体の女性だ。彼女とはレオノキアにいた頃からの付き合いらしく、ニーナもいくつか洋服を頼んだりしていた仲で、部屋に三人だけの時は気の置けない会話を交わしている。
とはいえ、普段から寡黙で口調が固い彼女は、あまり変わり映えしないのだけれど。
「と、言いますと……?」
「何て言うか、可愛いのにエロいって、最強だよねっていう……」
ニーナの言に、なるほどとコクコク頷く女史。
えっ、えろ…………ッ?!
思ってもみなかった言葉に、ラシェルは目を瞬かせた。
おっぱい全然小っさいのにエロいとは、これ如何に。まだ余ってるお腹とか太股の贅肉を指して、そう言ってるだけかなと首を捻る。
ラシェルとニーナの間柄で、そんなオブラートなんて要らないのにと思うけれど、親しき仲にもという言葉もある。キツいところはあるものの基本、繊細な彼女の気遣いを、今は無言で有り難く受け取ることにした。
一頻り三人で堪能した後に、頃合いを見計らってニーナが二人を部屋へ招き入れる。
「おっ、良い感じじゃん」
開口一番、ランドルは商売人らしくドレスの仕立て具合からまず確認し、全体のバランスを見て言う。
「ラシェルちゃん、スゴく似合ってるよ。なぁ、ディルク?」
何処となく気恥ずかしさに俯きがちでいたが、意見を求められたディルクがどんな反応をするのか見たくて、ラシェルは上目に彼の様子を窺う。
ディルクと目を合わせた瞬間、その瞳が大きく見開かれたのが分かった。
「かッ、かわ……」
「かわ?」
「……かわ……った、デザインだな」
「私もそう思った!」
ややテンション高めに、ディルクと二人、意気投合する。
それを見たニーナがチッと舌打ちして
「素直じゃないわね……」
と零せば、
「相変わらず、器用貧乏なんだよな……」
とランドルが肩を竦めるも、ラシェルとディルクはドレスのデザインがどうの、縫製がどうのと二人の世界に入ってしまって、全く気付く余地すらなかった。
「生地も上質で、着心地がとってもいいの。あとランドル、この刺繍はひょっとして……」
よくぞ分かっていただけたと言わんばかりに、ランドルが頷く。
ドレスは紺を基調にした上品なサテン地で、胸元と裾にラシェルが以前衝動買いしたポーチと同じ作家による刺繍があしらわれていた。
「その職人、ミセス・オリガとは個人的に懇意にさせてもらってるんだ。ドレス生地は初めてという話だったけど面白かったみたいで、また機会があったら是非って言ってたよ」
「嬉しい。ミセス・オリガと仰るのね。このステッチも、模様も大好きよ」
これからも是非よろしくということと、彼女のファンであることを伝えておいてと昂揚しながらお願いする。
スタンドカラーで、胸元から背中にかけてレースがあしらわれたデザインは大人っぽ過ぎず、かと言って少女趣味でもない、妙齢の塩梅が上手く表現されたものだった。ドレスそのものの仕立ても本当に上等で、身体のラインを上品に浮かび上がらせつつ、多少だがストレッチも利く縫製で動きやすい。紹介してもらった洋裁師の確かな腕には、感動すら覚える。
改めて、ラシェルはランドルとディルクの二人に向き合い、礼を述べた。
「こんな素敵なドレスを私のために……本当にありがとう。すごく嬉しい……」
覚えず、声のトーンを一つ高くして、はにかみながらラシェルは顔を綻ばす。
デザイン画からは想像できなかったけれど、こうして実際に袖を通してみて、とてもとても気に入った。嬉しさにもう一度、裾を翻しながら一回転して姿見を覗き込むラシェルの様子に、ニーナからも自然と笑みが零れる。
気に入ってもらえたなら何よりとランドルは満足げに微笑むと、商売上手な彼は更にディルクにアクセサリーを選ばせ始めた。
「ところでラシェル様」不意に洋裁師がラシェルに尋ねる。「少し背が伸びました?」
あっ、と声を上げ、そうかもしれませんと謝る。
「ごめんなさい、伝えておけばよかったですね」
「とんでもないことでございます。こちらの配慮不足で、申し訳ございません」
彼女に再度細かく数値を確認されながら、終息を迎えつつあるものの現在遅咲きの二次性徴中であることをラシェルは耳打ちする。
「ウェストは大丈夫そうですが、バストは少し窮屈そうですね」
言われてみれば、おっぱいが服の中でちょっと潰れている。レースから谷間が透けて見えるものの、これはこれでアリだと伝えたが、女史と何故かディルクにも却下された。
「二日、お時間をくださいませ。今度こそ完璧に仕上げてきます」
「いいのよ、別に。着心地も問題ないし」
このままで十分、と言いかけたところで「いいえ」とキッパリ断られる。
「ごめんね、ラシェルちゃん。彼女、良くも悪くも完璧主義だから。付き合ってあげて」
「私はしてもらう立場だから……手間を掛けてしまうけど、本当にいいのかしら?」
「もちろんです。このままでは、私のプライドが許しませんので」
毅然として応える姿に、父が以前、矜持という言葉を持ち出してラシェルに諭したのを思い出す。まだ少し申し訳ないという思いを胸に残しつつも、ラシェルは彼女に全て任せることにした。




