46.過ぎゆく日常の風景
最近、胸のあたりがムズ痒い。
この感覚には覚えがある。
ほんの少しだけれど、まな板だった胸にもこのところ膨らみの兆しが見て取れるようになっていた。
「ラシェル、頼まれてたアレ、貰ってきたわよ」
日曜の午後、買い出しから戻ったニーナが買い物袋を持ってラシェルの部屋へ入る。
「いつも思うんだけど、アウローテ製って大概、品質はいいのにデザインは壊滅的よね」
「ていうか、寧ろデザインなんていう概念そのものが皆無なのよ……」
少し前に採寸し、専門店で頼んでいたランジェリーが出来上がったとのことでニーナにそれを取りに行ってもらっていた。
ブラジャーと、サニタリーショーツだ。
それらをベッドの上に並べながら、二人して溜め息を吐く。
ラシェルのサイズではカップはまだ早く、ファーストブラでお馴染みのスポーツタイプになるのだが、乳バンドと称するに相応しい、潔い形をしていた。レースすら、あしらわれていない。
サニタリーショーツに至っては時代背景もあるのか、もはやショーツの体すら為しておらず、寧ろ褌と言った方が正しいような代物だった。タンポンも存在はするけれど、男性経験さえないラシェルが扱うには少々勇気が必要で、前世から使い慣れているナプキンを今生も利用しようと決めていた。
実を言うと、ラシェルはまだ生理が来ていない。この世界は前世に比べて皆、成長が遅いだろうと勝手に思い込んでのんびり構えていたが、学院に入ってクラスメイトの殆どが大人になっていることを知り、さすがに焦りを覚えるようになった。もしかすると自分は子どもが望めない体かもしれないとまで思うようになった矢先に、漸く体の変調が現れ始めた。
生理が来たら来たでまた面倒なことも前世の記憶から理解しているので、いつ来ても慌てないように準備だけはしておきつつ、今はそっと静かにその時を待つことにしている。
そんなラシェルが愈々以て初潮を迎えたのは、冬休みに帰省して間もなくのことだった。
おずおずとデボラにそのことを告げたら目を潤ませて抱きしめられ、祝福の言葉を受けた。コゼット様にもご報告をと、デボラは直ぐさまその場を後にしたが、生まれた時からずっと成長を見守ってくれていた彼女に心から喜んでもらえて、ラシェルも胸の内に込みあがるものを感じた。
ニーナだが、ラシェルは冬休みに入る少し前、ディルクに彼女の仕事を王都でのサポートに留めるよう改めてお願いしていた。領に戻れば一応デボラがいるし、折角の婚約期間という甘い時期を、異国の地ではあるもののニーナに少しでも多く味わってもらえたらと考えたからだ。今頃、ランドルと一緒に王都で楽しく過ごしてくれていたらいいなと思う。
その日は夕食にディルクも本邸へ呼び、一家団欒を楽しんだ。いつもよりメニューも少し豪華で、ディルクには理由を伏せていたことから最初こそ戸惑いを見せていたが、順応性の高い彼は程無くという間もなく成り行きに身を任せ、両親とも話を合わせていた。
翌日、予てより日取りを組んでいたカイルラス大使との会合に、父とディルクはイネス港へと発った。当初はラシェルも付いて行く予定にしていたが、生理二日目ということもあり経血の量が多く痛みも伴ったため、やむなく諦めることにした。
ランドルに頼んで、カイルラスと交流のあるギルド仲間にヤーランドの食糧を輸入するよう手配してもらっていた件だが、話はラシェルの与り知らぬところで、いつの間にかフィリドールとカイルラスの交易話にまで発展していた。かなりディルクが強引に推し進めたところもあるようだが、カイルラスは鉄鋼やアルミの産出量が世界一位という鉱山資源大国で安くそれらを手に入れられることと、不凍港を持たないレオノキアとの貿易は何かと不便であることから、兼ねてより目を付けていたらしい。今回、ラシェルのことでギルド仲間に打診したところ、何と彼が今秋より父親の会社から独立してカイルラスに単身渡り、所謂M&A仲介事業を立ち上げているところであると判明した。一時期、好景気に沸いたカイルラスがその勢いに落ち着きを見せていることから、今が好機と乗り出したらしい。そもそもレオノキアで業務提携を副業に商ってきたノウハウと合わせて、自身の父親繋がりでカイルラスの政府高官ともコネクションを持つ彼が、直接根回しして交渉のテーブルを用意してくれた。この会合を以て定期便の就航が決まり、正式な交易が始まる手筈となっている。成功報酬は規模の大きさと今後の事業展開の土台となる案件ということから積み荷の3パーセントで折り合いもつき、領内の街道整備事業にまた一つ現実味が帯びてきた。
「嬉しい! 昆布に鰹節、醤油と米麹もある」
数日後、無事会合を終え、良い話し合いが持てたと顔を綻ばせる父とヤーランドのお土産がラシェルの元に届けられた。
「スゴい、お酒まで入ってるわ」
さすがに日本という国は存在しないため清酒とだけ書かれてあったが、原材料も見た目も匂いも、まさしく日本酒だった。他にもイリコや、ワカメに海苔といった海藻類まである。
「カイルラスの帝都にヤーランドがアンテナショップを設けているらしくて、そこから定期便に合わせて今後も送るよう手配して貰ったが、良かったか?」
「ありがとう! すごく嬉しい!!」テンションが上がりすぎて、心のままに跳び跳ね喜ぶ。「お相手の方にも、よろしく伝えておいてもらえる? 本当、夢みたいッ」
呑兵衛のように酒瓶をぎゅううと胸に抱いて、感極まる。
「新しい国との交流が始まるお祝いに、今夜はみんなでナイトキャップにこのお酒を楽しむのはどうかしら?」
両親とディルクに提案すると、二つ返事でOKを貰った。
就寝前、ナイトウェアにガウンを羽織った姿で両親とディルクが広間へ入ってきたのを見て、ラシェルは贈られてきた日本酒を開けるよう執事にお願いする。ジータに用意してもらった酒肴と合わせて各々飲み比べしては、好みの味を探した。ラシェルは今生でのアルコールは初体験になるが、前世と同じく辛口を少量頂くのが好みに合った。因みにアウローテでは十六歳から飲酒可能で、レオノキアに至っては十四歳から大丈夫らしい。
その夜は、カイルラス大使との交渉の様子を酒の友に、家族で日本酒を心ゆくまで堪能した。




