43.ガックリ、しょんぼり
翌早朝。
目覚めたラシェルは、ぼやける視界に見慣れない天井を仰ぎながら、ここが自分の部屋でないことに気付く。上半身を起こし、周りを見渡して、ディルクの部屋だと認識した。
次にソファでブランケットにくるまり横になっているディルクの姿を目にして、きっとこの巨体がキングサイズの彼のベッドを一人、大の字で占拠してしまったに違いないと蒼褪める。直ぐさまベッドから下り、彼のもとへと駆け寄った。
「ディルク、ディルクごめんなさい。私ったら昨日、いつの間にか眠って、貴方の寝所まで占領しちゃったのね」
「ん……、ぅん?」
「もう出ていくから。あまりゆっくりもしていられないと思うけど、後はベッドで寛いで。本当にごめんなさい」
気恥ずかしさと申し訳なさで、ラシェルは半分取り乱しそうになりながらもそう告げると、一目散に自室へ戻った。
足早に廊下を急ぎつつ、これも一応、端から見れば朝帰りということになるのだろうかと額に冷や汗を滲ませる。
文字通り朝に自室へ帰っているだけという色っぽい世界とはあまりにもかけ離れた現実なだけに、変な誤解を招いては恥をかくだけだとラシェルは更に歩幅も大きくさせた。
無事、誰にも気付かれず部屋の前まで辿り着いたと胸を撫で下ろした所で、後ろから声を掛けられる。
「おかえりなさいませ、ラシェルお嬢様」
「きゃっ……て、何だ。ニーナか……」
びっくりして損したと零して、ラシェルはニーナと部屋に入った。
顔を洗い、クローゼットから制服を取り出してナイトウェアを脱ぐ間ずっと、何か言いたげな表情でニーナがこちらを窺う。その状況に、ラシェルの方が痺れを切らした。
「なぁに? ニーナ、さっきからずっと変だよ……」
ラシェルの言葉に、待ってましたと言わんばかりの表情で「私は口の堅い侍女ですから」とニーナが返す。
「は?」
「ご両親には内緒にしとくから、安心してくださいね」
「いや、よく分かんない。あと、中途半端な敬語、気持ち悪いよ……」
これだけ言っても全くノッてこないラシェルに、まだはぐらかす気かとニーナが今度は直球できた。
「昨夜はさぞ、お愉しみだったんじゃないかなーと思って」
がん、とラシェルはクローゼットに頭をめり込ませる。
「何、ソレ? 私とディルクに限って、そんなことあるわけないってば」
「またまた、恥ずかしがっちゃって。仲の良い婚約者同士が一つ屋根の下、あまつさえ同じ部屋で一夜を共にして、何もないわけないじゃない」
「何もないわけありますよ。確かに昨夜は油断して、彼の部屋で居眠りしちゃった私が悪いんだけど……寧ろ心配の必要なんて微塵もないから油断したっていうか」
「だーかーら、私にまで隠さなくていいんだってば。誰にも話さないから……」
「いやいやいや、そういうことじゃなくてね。言ってなかったっけ? 婚約は結んでるけど、彼と私は紙の上だけの契約だって」
「聞いたけど……」
「それに仲が良いって……そりゃあ、私は家族としてディルクのことを信頼してるけど、彼は私のこと嫌ってるから」
「へっ?!」
何それ、どういうこととニーナが猫目を更に丸く大きくして訊き返す。
ラシェルは溜息を一つ零して続けた。
「前に直接、言われたことがあるの。私みたいなバカ、大嫌いだって。私のこの体形を指して、タイプじゃないってキッパリ告げられたこともあったわね」
平然とそう口にしながらも、内心は古傷を抉ってしまった後悔に打ちのめされる。制服のリボンタイを結ぼうと目を下に落とせば、その先に聳える三段腹がラシェルを責め立てた。昨日も昨日とて、クラスメイトに傷つけられたからと言ってスイーツに興じている場合ではなかったと心から反省する。
「ねぇ、ラシェル……」
再びダイエットに向けての意欲を燃やすラシェルの横で、ニーナが渋い顔をして聞いてきた。
「何?」
「一つ確認なんだけど。聞いていい……?」
神妙な顔つきで訊くニーナに気圧されつつも、うん、と頷き返す。
「ディルクのこと、ラシェルはどう思ってるの?」
「どうって……」
正直、こう改めて聞かれると答えに窮す。話の流れから、恋愛対象としてどう思っているのか聞きたいのだろうけど、正直そんな風に考えたことなど一度もない。
「うーん、年の離れた友人の弟って思ってた時期もあるけど、今は親戚っていうか、さっきも言ったけど信頼できる家族かな……。以前みたいに撥ねつけられることはなくなったから、嫌われてはないと思いたいけど、彼に好かれてない自信はあるわね」
ラシェルの回答に、はあぁぁぁぁあ、とニーナが深い溜息を吐く。
「うーん……、そう。そうなのね。そうだったのね。アイツが今、苦戦してるのは自業自得……」
ニーナが暗い顔でブツブツと何かしら独り言を呟き「取り敢えず、やっぱディルクの奴、いっぺんシバいとくか」すっくと立ち上がるや物騒な事を口にするので、それはヤメテと彼女に縋りついた。
「今はどうであれ、ヤツの過去の言動は、同じ女として許せない」
「いやいや待って待って。私も初対面で彼の顔を見るなり死神呼ばわりしたり泣いたり、散々なことをしちゃってるから。自分の立場も弁えず、政略結婚なのに浮気禁止令とか言いつけちゃうし」
「形はどうあれ、結婚するなら浮気は当然駄目でしょう」
「それはまぁ、そうなんだけど。でもどちらかというと、それは女の理屈っていうか……」
「そんなことないわ。ランドルには浮気したら殺すって言ってあるし」
うん、そうだよね。と、この言に関しては、顔を半分青くしつつも頷く他ない。
「それにディルクの見た目だけど、フィリドールに行く少し前からかなり体調崩してて、めちゃくちゃ窶れてたんでしょう? 後でウチの父から聞いたんだけど、まるでアンデッドみたいだったって笑いながら話してたから」
「うん。ありがとう。その言葉を聞けただけで私は本望よ」
体調不良で死相さえ浮かべている人間に笑いながらそんなことを言える神経は甚だ疑問だが、そのまま死んでくれと心の底から願っていた自分に、彼女の父親を批判する権利はない。そんなことより、やっぱりあの時のディルクの状態は、誰が見ても常軌を逸していたようだ。
ずっと引き摺っていた、彼の見た目に恐怖した自分への罪悪感が多少和らいだところで時間切れとなり、ラシェルはお弁当を作るため厨房へと急いだ。




