37.回廊
昼休み、いつもの丘へ行くとデュランにちょいちょい、と手招きされる。そちらに駆け寄り、デュランの後を付いて歩くと、森が見えてきた。その奥深くに分け入る。
「えっと……デュラン君、道に迷ってるわけじゃ、ないよね?」
「大丈夫」
よくよく考えてみたら、自宅へ招くのであれば通常、昼休みではなく放課後に誘うのが普通だ。そのことに気付いたラシェルは訝しく思いながらも、嘘を吐いたり騙しているようには見えない彼の後ろ姿を追って、取り敢えず付いて行くことにした。
途半ば、といった景色の中で、突然デュランがピタリと足を止める。ラシェルを振り向き、シィと人差し指を唇に当てて、これから彼のとる行動が内緒であることを強調して見せた。
タン、と足元の小石を踏みつけたかと思うと、ロックが解除されたのかガコンという音が森に響く。何事もなかったかのように、さらに歩を進めるデュランの後を付いて行くと小さな炭焼き小屋が建っていた。ドアを開けて入ると、地下へ続く階段が暗がりの中に伸びているのが目に入る。思わずデュランを振り向くと、またもやシィ、と指を立てられた。先に降りるよう、促されるままに恐る恐る暗闇の奥深くへ降りて行くと、一瞬の暗転の後、後ろから仄かにランプで照らされる。狭い通路を、身を躱してラシェルの前に躍り出て、デュランが再び先導する。
「ここは遠い昔、ウチのご先祖様が作った隠し通路の一つなんだ」
「隠し通路……?」
「そう。何でもスッゴク恥ずかしがり屋のご先祖様で、穴掘りが趣味だったから色んなところにチョコチョコこういうのを作ったらしい」
恥ずかしがり屋と趣味が穴掘りというのは彼なりのユーモアだろうが、ラシェルは一つ心当たりがあるところを訊いてみた。
「ねぇ……ひょっとして、チェイソフ橋の上にも通ってない?」
「よく気付いたね。装飾のフリして、あれもそうだよ」
やはり、と思う。
「橋の上からチェイソフ河の眺めを一望できるのは市民の特権みたいなことをみんな思っているようだけど、さらにその上から見る本当の眺望を手にできるのは自分たち一族だけだとか、気持ち悪いことを死んだおじいちゃんは言ってたけどね」
先から気になっていたが、あっけらかんと話す声のトーンと、自分のルーツをどこか卑下するような話の内容に乖離がある。今も明るく言ってのけながら、毒を吐き捨てるアンバランスさが気になった。
どう返せばいいかラシェルが躊躇っているうちに、目的の場所へ着いた。
「ここだよ」
高いドーム型の天井に、広い空間が一気に開ける。そこに、本がびっしり詰め込まれた書架が所狭しと聳え立つ。
「すごい……」
学院の図書室も広く、その蔵書数に驚いたが、この部屋の圧倒的な書籍の並びは壮観ですらあった。
「これ全部、本……?」
「うん。もはや変態だよね。何代か前のおじいちゃんが本の虫だったみたいで、世界中からありとあらゆる本を買い漁っては蔵書にしたんだって。で、昨日話した本だけど……」
言いながら、場所を案内する。といっても相当に広く、なかなか辿り着くまでに時間を要した。
デュランの背中を追いつつ好奇心の赴くまま、きょろきょろと棚に目を通すと、政治、経済、地理、歴史、宗教と様々なジャンルの物が年代順、国別に分類されていた。
「これ。この辺りがヤーランド自治領に関する書架だよ」
確かこの辺り……と件の本を棚から引き出し、手渡される。
生唾を飲み、昂りから震える指先で、やや緊張気味にラシェルは本を開いた。
「公用語はアウローテと同じ標準語だけど、国内に流通する書籍の半分、つまり文語だけは植民地化される前からある固有言語が強く残っててね。それでも今は標準語を基とした文字表記が一般的になってるから、辞書があればまだ解読できるんだけど、一昔前の書籍になると独特の表音文字と表意文字とを組み合わせた物になるから、学者でも読み解くのは難解と言われてる。表意文字を扱った辞書が植民地後、焚書に遭って現存しないんだよ。僕も読めて、初版がここ十年くらいの物までで限界だったな」
パラパラとページを捲りながら、ラシェルは確信する。
読める。
やっぱり、日本語がベースになった言語だった。
何の疑問も持たず十数年間この世界で過ごしてきたため気にしたこともなかったが、『世界標準語』と呼ばれる所謂英語のようなものが殆どの国で採用され、ラシェルもそれを使い読み書きも含めたコミュニケーションをとっている。とはいえ歴史的背景や国力も関係しており、ディルクの出身であるレオノキアは大国故に固有言語の方が主流で、世界標準語は第二言語という位置づけらしい。そういえばディルクがトリリンガルとかニーナは言っていたけれど、もう一つの言語とは一体何だろうとラシェルの頭を掠めた所で、デュランに再び声をかけられた。
「あまり沢山でなければ、持ち帰って読んでもいいよ」
「本当?!」
デュランのありがたい言葉に甘えて、ラシェルは気になるタイトルを三冊ほど書架から引き出す。ついでに、思い付きでデュランにこの国のことを訊いてみた。
「ところで、このヤーランド自治領とアウローテって、貿易か何かで交流はあるのかしら」
「国としてっていうのは今のところないけど、ヤーランドは鎖国をしてるわけでもないし、ほぼ独立国と言っていいほど高度な自治権を政府が獲得してるから本国による干渉も基本ないハズだよ」
「そっか……」
「何? フィリドールはレオノキアの次に、こことも交易する気なの?」
「まさか。そこまで考えてないわ」
極個人的な趣味で、味噌や醤油、麹、鰹節といった特殊な調味料を入手出来ないかと考えただけだった。でも……
「……案外、それもありかもね。もっとこの国のことを調べてからになるけど」
アウローテは地方分権国家で、それこそ先に出たヤーランドと同じく高度な自治権を各領主に与えている。外交に関しても一定の縛りはあるが、基本自由だ。とはいえ歴史的に保守的な国民性と豊かな所領が多いことから外国船を受け入れているのはフィリドールを除けば王都のみになる。そのフィリドールも、かつて王家が治めていた時代にイネス港が国際拠点港湾だった名残というだけで、今では隣国のレオノキアのみが燃料補給に利便性の面から寄港しているに過ぎない。
ラシェルは手に取った三冊を借りることに決めると、さらに奥のブースへ案内された。
「この人は、ウチの蔵書室お抱えの司書さん。管理が面倒だから、ここから本を持ち出す時は家族も必ず彼女を通して貸出記録を付けてもらってるんだ」
「なるほど」
「こう見えて彼女、本への執念は並大抵じゃないから。うっかり返却し忘れると、地獄の底まで取り立てに来るから気を付けてね」
相変わらず、デュランが笑顔でエグい単語を並べ立てる。にも拘わらず、ニコニコと口元を弓張り月に象って貸出処理を続ける司書のお姉さん。いや貴女、今、何気に年下の子から悪口言われてますよ……っていうか、事実なのか。事実だからいいのか。
借りた本を小脇に、学院裏の丘の上まで戻ると、二人でお弁当を広げてランチタイムにする。
「美味しい! この卵、甘いけどしょっぱいおかずとバランス取れていいね」
何かもっと女の子が作った感のある可愛らしいデコでもできればいいのだが、如何せん、そういった方面に於けるセンスも技量もなく地味な出来で申し訳ないと思いつつ、喜んでくれている姿にホッとする。
「青菜も美味しい。こんな味付け初めてだよ」
「ありがとう」
礼を述べつつ、ラシェルは先から気になっていたことを、遂に口にした。
「ねぇ、……今この時間は、貴方のプライベートだと思っていいのよね?」
「うん」
モシャモシャと咀嚼しながら、キョトンとした無垢な目を向けてくる。
「公式の場は別として、私はこれからもお友達として付き合いたいと思ってるんだけど……」
「僕もだよ。ラシェルちゃんとならそれができると思って、あの隠し通路も教えたんだけど」
口にあった物を飲み込んで、明け透けに答える。そんなデュランに、ラシェルは思わず目を瞠った。何を根拠に、どうして自分のことをそこまで信用してくれるのだろうと驚きを隠せずにいると、「だって、これからもお弁当作ってくれるんでしょう?」と身に覚えのない約束を持ち出された。
「えっ……」
今日だけだと思っていたラシェルは、つい聞き返す。
「違うの?」
末っ子パワー全開に詰め寄られて、断る言葉を探したが見つからなかった。諦めの境地で「食べられない食材はある?」と訊いたら、目を輝かせて「ない」とデュランが答える。
「魚とか貝とか、他の人が当たっても僕だけ大体ピンピンしてる。丈夫なんだよね、この体」
丸く膨らんだ腹を摩りながら、あっけらかんと話す。その点はラシェルにも覚えがあるので、やはり彼への同族意識が増した。こういうところが彼の信頼を勝ち得ることに繋がったのかもしれない、なんて自分でも安易な解釈だなと思いつつ、この点について深く追及することはやめた。
王都の街並みを思い返した時、壁や階段に見張り櫓、さらには美術館と宰相宅を結ぶ渡り廊下等、やたらと無駄な建築物が多いことに気付く。敵が攻め入った際、正面突破しにくくするためと授業で習ったが、ならば二階に繋げられた渡り廊下の意味は何だと密かにツッコんだ記憶もあった。
前世、金と権力を恣にしたメディチ家が、保身のためフィレンツェの街に隠し回廊を縦横無尽に敷いた話を聞いたことがある。
アウローテ国立貴族学院に通う子女は資産家で高名な家の出の者も多いが、日常的に身の危険に晒されるほどの身分で、しかも王都の都市計画にまで深く関われる家柄と言えば、一つしかない。
王家だ。
彼は、第三王位継承者のデュラン王子に違いなかった。
第二王子に婚約破棄された後、悪役令嬢のレイラが嫁がされる先、チビデブブスの三重苦を抱えた、あの第三王子。
少なくとも、彼は偽名を使ってすらいなかったのだから、名前を聞いた時点で気付けよ自分、と頭を抱えたくなる。
彼が後ろ頭を掻きながら、薄く笑みを浮かべてラシェルなら大丈夫と言って秘密を教えてくれた意味が、今ならよく分かる気がした。
つまり、私程度の知能では、何をしようと常に彼の掌の上ということだ。
本ッ当、バカ。バカだ、私。バカ過ぎる…………って、あれ? 何かわりと最近、どこかで誰かさんにもこんな風にバカバカ言われた気がするけど、誰だっけ。
そして多分、こんなバカな自分ごときがこれ以上アレコレ追求したとして、目の前のこの男は笑顔のまま、きっと何も話さない。
体質は自分と似ているが、性質まで含めれば父そっくりだと、ラシェルは彼の本質を見る。
「名前の呼び方も、これまで通りで大丈夫?」
「もちろんだよ、ラシェルちゃん」
にっこりと大輪の花が綻ぶような笑顔を向け、デュランは頷いた。
その姿に、思わずラシェルは苦笑する。
一体誰が、チビデブブスの三重苦だなんて表現したのだろう。
確かに攻略キャラのチート過ぎる見た目に比べたら、そう表現されても仕方ないのかもしれないが、ラシェルより学年が一つ下にも拘らず聡明で利発で、何より今、目の前にいる彼は人懐こくて可愛らしい、愛嬌の塊だ。
色々思うところはあるものの、難しいことは一先ず置いておくとして、新しい友人兼頼もしい弟が出来たとラシェルは思うことにした。




