36.たんに、いつものイチャラブ
翌朝、いつもより少し早めの朝食を済ませたラシェルは厨房に立っていた。
使用人は全員住み込みで雇っているため、使用人たちの昼食準備でまだ忙しなく動いている厨房の面々を他所に、ラシェルはその一角で一人せっせと日課のお弁当作りに励む。この屋敷をリフォームする際、ラシェルが自由に使えるようにとディルクが専用のキッチンスペースを設けてくれたのだ。
コンロやシンク、カウンターにちょっとした棚まで備え付けられ、さらには身長の低いラシェルに合わせて別注で床全面にステップまで設えられている。もちろん、ステップなので今後、背が伸びた時には高さ調節や撤去も可能だ。今までは小さな踏み台を用意して、動くたびにそれも移動させなければ厨房を使うことが出来なかったため、実は地味に面倒臭かった。
ディルクからは、その代わり休日のブレイクタイムにお茶請けでいいので何か用意してほしいと頼まれたが、ラシェルとしてはその程度で専用のキッチンを持てるなんてと、嬉々として要求を受け入れた。今のところ週末の殆どを領地で過ごしているため専らラシェルのお弁当作りにばかり使っているが、今週末辺りは何かチョコレートを使った焼き菓子でも作ろうかと思案している。
「よし、こんなもんかな」
卵焼きが綺麗に焼けたところで、一息吐く。今日は二人分の用意をしたため、少し時間がかかってしまった。とはいえ本当に大したものは作れないので、いつも通りおにぎりと卵焼き、それから料理長から分けてもらったソーセージを一口サイズに切って軽く炒めたものの他には、人参とホウレン草のお浸しくらいだ。
デコなど一切ない、男らしい弁当だなと改めて思う。作る身としてはデコ弁のない世界、万歳。
ちなみにホウレン草のお浸し、味付けのメインは塩になるが、鰹の荒節も加えてちょっとした和食テイストにしてある。
実は稲刈りに領地へ戻った際、ジータが鰹を一本丸ごと買い付けたと耳にして、彼と荒節作りに挑戦してみたのだ。時間がないため一発勝負だったが、その後ジータが暇を見ては二週間以上かけて燻し、完成させてくれた。鰹節というより燻製擬きといった出来だが、これはこれで悪くないとラシェルは王都の屋敷へ持って帰っていた。
「おはよう、ラシェル」
欠伸を噛み殺しながら、ディルクが厨房へ入って来る。
主を目にした使用人たちが、次々と背筋を正して挨拶するのを横目に、ディルクは気だるげに手だけ挙げて返した。
執事や侍女のニーナなど、主たる使用人は屋敷に部屋を置いているが、他の者は屋敷とは別棟を建て、そこで寝起きしている。ラシェルも今朝、挨拶を交わして厨房に入ったものの、以前ディルクが言っていた通り、出入りが激しく顔を覚えた頃には本国に帰ってしまう者もいて、正直あまり把握できていない。
「ディルク、おはよう。ちょうど今、出来たところなの。卵焼き食べる?」
王都に来て、朝はコーヒーだけで済ますというディルクの食習慣に驚き、だったらお弁当の味見をしてくれると嬉しいわと厨房へ来るようお願いしたら、毎朝必ず顔を覗かせてくれるようになった。やっぱり、何か少しでも胃に入れておいた方が良い気がする。
「うん……」
彼には折り目正しいイメージしかなかったけれど、朝が弱いらしく今もまだ眠たそうに目を擦る姿は年齢相応というか、いっそ幼くさえ見える。制服のシャツの裾をズボンから出したまま、タイも首から下げたままの油断しきった出で立ちに、つい笑みが零れた。それからラシェルは徐にまな板へ目を落とすと、頃合いに冷めた卵焼きを一口サイズに切り分ける。一切れフォークで取り、制服のタイを結ぶのに両手が塞がっているディルクの口元へ運んであげた。
「何か、変わった触感」
まだ寝ぼけ眼に、口をもごもごさせて言う。
「煮豆を小さく刻んで、砂糖の代わりに入れてるの。ボリュームも出るし、食物繊維も取れて一石二鳥でしょ?」
ふふふ、とラシェルは笑って答えた。一応ダイエット食だが、この世界で卵は貴重なため、節約にもなるレシピだ。ジータが作ってくれるひよこ豆の甘露煮が幼い頃から好きだったことを思い出し、砂糖と煮るだけなので常備菜にと一昨日の夜、炊いておいた。昨日のお弁当にはこれをそのまま入れたから、今日はそのアレンジだ。
「詳しいことはよく分からんが、うまいのは確かだ」
言いながらディルクが、今度は俵おにぎりを手で掴んで口へ含む。サーモンの切り身をオリーブオイルでソテーして身を解した後、白ごまと和えたものを混ぜ込んで握った。
「これも旨い」
ディルクはラシェルの作るものなら何でも美味しいと食べてくれるので、つい料理上手になった気分にさせられてしまうが、最近この食べ方に見覚えがあるような気がして、ずっと引っ掛かっていた。そういえば前世で、戦後の食糧難を生き延びた祖父が、何を食べても美味しい美味しいと言っていた姿に重なると思い出した時、ちょこっと複雑な心境に陥ったのはラシェルの中だけの秘密だ。
具体的に、どんな生活を送っていたかまでは聞いてないけど、彼、孤児だって話だし。
粗食に慣れた舌が、砂糖や油を無条件に美味しいと感じても仕方ない。
気を取り直し、ホウレン草のお浸しも勧めてみる。
「……んっ!? 何これ、魚?」
「そう。鰹を何日も燻して、鉋で削ったものを入れてるの。初日はジータと二人で作ったんだけど、その後の焙乾って言って、燻し続ける作業はジータがしてくれたのよ」
「へぇー……」
「好き? それとも苦手……?」
「変わってるけど、俺は好きだな。風味がいい」
和のテイストを理解ってくれて、ラシェルも大いに満足する。
「また、ちょこちょこ色んな所に使ってみるね」
「楽しみにしてる」
つい話し込んでしまったが、時計を見ると出発の十五分前だった。
支度が済んだら先に馬車へ乗るようディルクに伝えて、ラシェルも急いでお弁当を詰めた。
***おまけ***
厨房の片隅にて。
「うちの主たち二人は、いつ見ても本当に仲睦まじいよなぁ」
「ああ。朝っぱらから、よくあんなイチャつけるぜ。目のやり場に困るったらありゃしない」
「こう離れてると、会話の全部は聞き取れないが……」
「あっ、お嬢さんが旦那に好きかって聞いてる」
「旦那も好きだって」
「妬けるねぇ」
「いっつも仏頂面の旦那も、お嬢様の前じゃあんな極甘の表情でトロけちゃって、まあ」
「骨抜きだな、ありゃ」
二人の仲は使用人たちの間では公認。




