35.戦禍の痛み
「ジゼルさーん!」
初めてこの村を訪れ、おにぎりをご馳走になったおばあちゃんことジゼルには、その後も村長に引き合わせてもらったり収穫を手伝う段取りの相談に乗ってもらったりと、何かにつけお世話になっていた。本来なら今日が稲穂の様子見で、来週収穫の予定だったものを、風読みが嵐が近いと予想したとかで稲刈りが一週間早まりそうだという知らせをくれたのも彼女だ。
予定を繰り上げての刈り入れ作業に、村人総出で早朝から始めていたらしい。ジゼルに用意してもらっていた作業服に着替え、ラシェルが田圃に入る頃には既に半分以上作業は終わっていた。
「それにしても、ラシェルちゃんが領主様んトコの娘さんだったなんて、未だに信じられないよ」
稲株を一つずつ丁寧に刈りながら、ジゼルが溜息のように零す。少し前に村長を紹介してもらうまで、実は領主の娘であることは伏せたままラシェルはジゼルを頼っていた。
「ごめんなさい。騙すようなまねして」
刈り取った稲株が片手一杯になると、ジゼルはその束を地面に置き、また再び刈っていく。それを二束ごと藁で束ね上げて、畝に停めてある荷車まで運ぶのがラシェルの仕事だ。
ちなみにニーナには御者と護衛をお願いしているため、ラシェルの元を付かず離れず、今は荷車の傍で待機してもらっている。
頑張ってはいるものの短い手足では運べても一度に十把ほどが限界で、本当に村の手助けになっているかラシェル自身甚だ疑問ではあったけれど、両手いっぱいに抱えてチマチマと荷車に載せる領主の娘の姿を、人が良い村人たちは微笑ましく見守ってくれているようだった。
載せた稲が落ちないように荷台の上を均しつつ謝ると、そうじゃないよとジゼルは笑いながら返した。
「いやあ、領主様に対して、私のことだから何か余計な事でもボヤいてやしなかったかと思っただけさ」
「何もないですよ。寧ろ、何かあればずぐ教えてください。この村やジゼルさんの、少しでもお役に立てることがあれば何でも力になりたいので」
額に流れる汗を手で拭いながら、ジゼルに笑顔を向ける。優しくて、情に篤い彼女をラシェルはとても慕っていた。
「嬉しいこと言ってくれるね。けど正直な話、私らみたいな年寄りからしたら、戦争さえ起こしてくれなけりゃ後は何でもいいんだよ」
「ジゼルさん……」
年代からして、恐らくジゼルは戦争体験者だろう。詳しく聞いたこともなかったが、一瞬、表情を翳りのあるものに変えて零すジゼルの姿を目にして、ラシェルはそう悟った。
こんな時、ラシェルは為政者の背負うべき責務というものを考えるようになっていた。学院を卒業したらすぐに式を挙げ、その後は本格的に父の右腕として領政に携わることになる。前大戦は、今は亡き祖父の、丁度そんな時期に開戦と相成ったらしい。終戦を迎えた年に世代交代したと聞いているが、戦争のもたらす悲惨さを幾度となく幼いラシェルにも説いてくれたことを、彼女の言葉を耳にして不意に思い出した。
実務的なことはディルクが担ってくれるものの、当主の座に就けば、当然のことながら大事から些事まで領内の全てはラシェルの責で執り行われる。闇雲に王政に逆らえばいいというわけではないけれど、こんなにも優しくて温かい女性に、こんな顔をさせる政は許されるはずないと深く心に刻む。
「はい、湿っぽいのは終わりだよ。ここはもういいから、荷車を押して、稲をあっちにある稲架に掛けてきてくれないかい」
「あっ、えっと……」いつの間にか、いつもの明るい表情に戻った彼女に言われて我に返り、「分かりました!」ラシェルは慌てて畝の方へと戻った。
「その時、収穫したのがコレってこと?」
「そう」
翌週は予想通り嵐が来てディルクと王都で過ごす事となり、翌々週はフィリドール邸への米の貯蔵と、王都の屋敷への輸送手配をして今週に至る。
最近になるまでラシェルも気付かなかったけれど、王都にある屋敷の敷地内には人工の小川が流れていて、なんと水車小屋まであった。豪邸ってスゴい。これでいつでも精米したての米が食べられると、初めて目にした際は歓喜に沸いた。
というわけで、今週からお弁当がサンドイッチからおにぎりに替わった。
「稲作と言って、お米を作る地域がウチの領地にはあるの。麦と同じ穀物の一つで保存も効くけど、やっぱり新米が一番美味しいから、ぜひ食べてみて」
へぇ~と感嘆しながら、デュランがまじまじとお弁当の中身を見つめる。
「稲作っていうのがあるのは知ってたけど、見るのも食べるのも初めてだよ。なるほど、これが米ね………」
「正確にはお米を炊いたそれは、ご飯になるんだけど」
小さめの、俵状に握ったおにぎりを一つ摘まんでデュランが口へ運ぶ。途端、顔を綻ばせた。
「美味しい! 僕これ好きかも」
「そうでしょう、そうでしょう。いくらでも、どうぞ」
「わぁい、ありがとう! じゃ、お言葉に甘えて、もう一個」
至福の表情を浮かべモフモフ食べる姿を見て、ラシェルも作った甲斐があったと満面の笑みでデュランを見る。
「こんなに美味しいなんて、想像以上。確かこの植物って、酵母を足して調味料やアルコールにもできるんだよね」
「えっ?」
想いの他、造詣の深い言葉がデュランの口から出たことに驚きを隠せず、ラシェルは訊き返した。
「どうしてそれを……?」
「ウチにある本で、読んだことがあるんだ。外国語の原書で、なかなか読解が難しかったけど確か飲用のアルコールに醸造する過程まで載ってた気が……」
「外国語……って、どこの国?」
「えっと……確か、海を挟んでアウローテの西、第二大陸にある国の、元は植民地で陸の孤島とか呼ばれてる自治領じゃなかったかと思うんだけど」
「ねぇ、デュラン君。その本、私にも見せてもらえないかしら」
「いいけど……」
いい、という割にデュランは俯き、難しい顔をして言い淀む。何かまた地雷でも踏んでしまったかと、散々ディルクを傷つけてきた実績がラシェルの頭を過り、ヒヤリとする。
とはいえ、こんな興味深い話を聞いて、いまさらデュランとの交流を断ちたくはない。
「……うち、来る?」
「へっ?」
冷や汗ダラダラで、しくったぁぁあ、と理由も分からず後悔していたラシェルを他所に、デュランが屈託のない笑顔で誘ってきた。
「いっ、いいの……?」
半信半疑で尋ねると、デュランが頷く。
「今のラシェルちゃんの感じだと、周辺資料なんかにもきっと興味あるよね?」
デュランの問いに、今度はラシェルが頷き返す。
「ウチの家族、わりと厳しい方なんだけど、ラシェルちゃんならきっと大丈夫かなって」
後ろ頭を掻きながら、へへへと詳細は誤魔化すようにデュランが薄ら笑いを浮かべる。
うん? それってどういう意味かな?
若干失礼な気配を感じ取りはしたが、彼を傷つけたわけではなかったという安堵感の方が勝り、ラシェルはこれ以上深く考えることを放棄した。
「今日はもう時間ないし、明日の昼休みなんて、どう?」
「ありがとう。ぜひ」
「あと一つ、条件があります」
デュランが畏まった調子で、コホンと咳払いする。
「えっ」
その、いきなり改まった様子に一体何を吹っ掛けられるのだろうとラシェルは一瞬身構える。お金ないし、カラダで払おうにも向こうから願い下げだろうし、あとは肉体労働くらいしか思い付かないけど、女だから大して力もないので役に立つかな。えーと、えーと。
ぐるぐると無い知恵絞って考えていたら、人好きする全開の笑顔をラシェルに向けてデュランが言った。
「僕にもおにぎりが入ったお弁当、作ってもらえないかな?」
「なっ……?!」
なんだ、そんなことかと胸を撫で下ろしたら、僕のこと何だと思ってるのーと、のんびりした口調で笑われた。目の奥は笑ってなかったけど。
「簡単なものしかできないけど、じゃあ明日、作って持って来るわね」
「やったー!」
諸手を挙げて喜ぶデュランに、ラシェルは肩を竦めて苦笑を漏らす。
午後の予鈴にはまだ時間があるため、デュランと並んで座ってもう少し話すことにした。
「ねぇ、女の子にこんな話、失礼かもしれないけど」
これから続く不躾な質問に、一応の前置きをしてデュランが訊く。
「ラシェルちゃん、ちょっと痩せた?」
「……うーん、…………」
その問いには思わず目を閉じ、歯切れの悪い調子でラシェルは言葉を濁した。
休み明けに『縮んだ』と先輩に揶揄されたものの、実際のところ、殆ど痩せてはいない。先にも記した通り、夏休み中の変化といえば体重が微減し、身長も一センチ伸びたくらいだが、元々の体重を考えると誤差の範囲だ。
さらに言うと、身長に関しては九月の一か月間で何と二センチも伸びた。遅咲きの二次性徴かとラシェル自身は浮かれたが、元の体重が体重なだけに、やはり旧態依然として球体(以下略)
痩せたというよりは、ほんのちょっと縦に伸びたと言った方が正解な気がする。それでもパッと見、殆ど体形が変わらないため、こうして気付いてもらえたのは偏に似た者同士の間柄故かもしれないと、ラシェルは勝手にデュランに対する連帯感を強めた。
「思うんだけど、僕たちって実際の体重より膨らんで見える体質だよね」
「うん。ウチの父もそう。もう遺伝だって諦めてるわ……」
秋風に吹かれながら鱗雲を眺める丘の上に並んだ二つの丸い物体に、るるーと物悲しいメロディが、聞こえたり聞こえなかったり。




