30.漢気
「お前、ちょっと縮んでねーか?」
夏休み明けに、「ちょっと痩せた?」みたいなノリで女子がする社交辞令は知っていたが、よもや縮んだという表現が休み明けの部活初日に先輩の口から飛び出てこようとは、想像もしていなかった。
「……にしても、体形全然変わってないな。本当に、夏休み中も部長が出してたダイエットメニューこなしてたか?」
まさかサボったりしてねぇだろーな、と頭の天辺から爪先まで舐めるように見回すと、ラシェルの二の腕を断りもなく摘み上げながらユベールが疑いの目を向ける。
ええ、ええ。ちゃんとやってましたよ。やっててこれですよ。
ラシェルは無我の境地で、尚もたぷたぷの二の腕を揉みしだく先輩の無礼な行為を甘んじて受け入れていた。
体重は、確かにちょっとだけ減った。それが『縮んだ』要因でもあると思う。だが、体型は一向に旧態依然として球体(以下略)
しかも休み中、一度は筋肉が付いたかも、という瞬間に出会ったはずなのに、あの日以降、あれよあれよと硬かった肉は消え去り、気付けば全身、元の緩み切ったタプタプに戻っていた。
筋肉が付いてきたからといって、油断してトレーニングを休んだ日はない。それどころかモチベーションが上がったことで、メニューを増やしたくらいだ。
にも拘らず、この体たらく。
実は筋肉が付いたと思ったことの方が間違いで、単なる勘違いか、もしくは幻覚でも見ていたのだろうかと最近は思うほどだ。ホラーだ。
「先輩、僕、手相分かるんで良かったら見て差し上げましょうか」
偶々、馬術部の見学がしたいとラシェルの後を付いて来ていたディルクが、二の腕を揉む先輩の手を掴んで掌を上に捻り上げる。
「いでっ……痛ててっ!」
「わー。先輩、生命線フツーっすね」
領地でもよくラシェルの両親相手に向けていた猫かぶり全開に、満面の笑みを浮かべてディルクが二人の間に割って入る。よく見ると口許を少し引き攣らせ、何故か額には青筋が立っているようにも見えるけど。
「おまっ……骨が折れるだろ!」
この馬鹿力、とディルクの手を振り払い、ふぅー、ふぅーと赤く変色した自分の手首にユベールが息を吹きかける。
「いやぁ、先輩の顔見てたら、急に占ってみたくなって」
他にも根性焼占いとか、ロシアンルーレット占いとか知ってますけど、試してみませんかとサラリと提案するディルクが、それ本当に占いかよ、と先輩から正当なツッコミを受ける。
「まぁいい。取り敢えずラシェル、お前は一学期に引き続きトレーニングだな。まずは軽くランニングから……」
「あのー」
先ほどから爽やかに暴力的なディルクが再び口を挟む。今度は何だ、と噛みつくようにユベールが返した。
「このトレーニングって、何か意味あるんスかねぇ?」
「どういうことだ?」
「だって彼女、もう馬に乗れますよ」
「はぁ?!」
なあ、と同意を求めるディルクに、まあねと曖昧にラシェルは答える。
「まさか殺処分の代わりにお前が馬を乗り潰したとかいう話じゃないだろうな?」
割と真面目なトーンで、冷や汗までかいてユベールが問う。
「違いますよ。夏休み中、彼にお願いしてうちの馬で練習に付き合ってもらったんです。その子も、ちゃんと生きてますから」
はぁー、と盛大に溜息を吐いて答えるラシェルに、そうか、と安心した様子で返すユベール。本気で馬の生死を心配していたようだ。この先輩、ヒトのこと何だと思ってるんだろう。漬物石か何かと勘違いしているんじゃなかろうか。
「なぁラシェル、お前もうこんな部辞めて、放課後は俺のところでまた仕事に付き合ってくれよ」
「えっ……」
突然のディルクの誘いに驚き、彼を顧みる。
こんな部とは何だ、こんな部とは、とディルクの失礼に対し憤る先輩を無視して、彼はラシェルに向き合った。
「お前がいると、正直仕事が捗るんだ。色々勉強して、最近は俺の相談相手にもなってくれてるし」
後ろ頭を掻きながら、ディルクがぶっきらぼうに言う。けれど目線を横に向けるその顔の、耳朶と頬が少し赤い。
「私も一応、次期当主として領政を父と貴方に任せっきりはよくないと思ってるから、そう言ってもらえるなら貴方の力になるべきなんだろうけど……」
ラシェルの心は揺れていた。殆ど効果が出ていないとはいえ、実は先日、六十キロの大台を切った。自分の性格を考えると、このまま部を辞めてしまえば済し崩し的に運動もやめてしまう気がする。
「や、辞めるのか……?」
散々イジリ倒してきた後輩が、いざ本当に辞めてしまうとなると多少の抵抗はあるようで、ちょっと及び腰に窺ってきた。
「…………辞めません」
考えた末、ラシェルはキッパリと言い放つ。
ユベールは身勝手で、ラシェルに対し思いやりも何もない先輩だが、ダイエットの環境を整えるという意味では最適の人材かもしれない、と思った。コイツをいつかぎゃふんと言わせてやるという反骨精神でもない限り、きっと自分は続かないだろう。
「ごめんね」ディルクを振り返り、ラシェルは言った。「もう少し、貴方とお父様に甘えさせてもらえないかしら。ダイエットは自分で決めたことだから、納得できるところまで頑張ってみたいの」
「そうか……」
俯き加減にそう零し、分かったとディルクが納得の声で返す。
「仕事のことは口にするべきじゃなかったな、気にしないでくれ。本当に手伝って欲しい時は声を掛けるし。じゃあ先輩、そういうことらしいんで。彼女のこと、よろしく頼みますね」
翻ってユベールに明るい顔を向け、ディルクは失礼しましたー、と笑顔でその場を立ち去った。
「……なぁ、ラシェル」
ディルクの背中を見送りながら、不意にユベールが訊いてきた。
「今のあの、ディルクとかいう男とは確か……見合いだったよな?」
政略結婚と口にしなかっただけ、この先輩にもデリカシーの残滓はあったかと後輩ながら感心する。
「そうですけど……何か?」
「いや。お前って金輪際、恋愛できないんだなーと思って」
「ちょ、決めつけないでください。結婚するって言ったって、彼とは紙の上だけの関係で、恋愛は別です!」
「えっ……」
「お互い政略結婚なんだから、縛られずに自由に生きようって彼とも合意済みですし」
「はぁ?!」
「そりゃ、私はデブスで恋愛には縁遠いと思いますけど、女に生まれたからには恋の一つや二つ、経験したいと思って何が悪いんですか」
「い、いや……それはまぁ、個人の自由だと思うが……」
「ですよね! 私、女としてまだ諦めたわけじゃありませんから!」
ラシェルの勢いに気圧されながらも、そうか、とユベールが返す。
「お前、結構その……逞しいんだな」
もちろんですと鼻息荒くして、さらに前のめりにユベールに詰め寄る。
「初恋もまだなのに、このまま誰とも恋しないなんて辛すぎるじゃないですか。だから将来、本当に好きになった人に見初めてもらうため、こうして先輩のシゴキにも耐えてるんですからね!」
「そ、そうだったのか……。いやぁ、俺、責任重大……?」
「そうですよ!」
「は、はは、ははは……」
いつか殺されそうだなと、ユベールは独り言つ。
「まぁラシェル、お前がそれでいいなら、俺も乗り掛かった舟だ。男らしく最後まで付き合うよ」
「よろしくお願いします!」
ガバッと頭を下げるラシェルに、ユベールが溜息交じりで肩を竦める。
あの会話の流れでも部を辞めなかった後輩の仁義を、代々騎士の血を継ぐ家系の長男として汲み取ってくれたのだろうか。最後は腹を括った様子で、任せろとまで言ってくれた。




