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デブスの没落貴族に転生したら、やっぱり成金ブサメンと政略結婚する流れになった  作者: o槻i
開闢編

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23.天蓋の虹


 水際に添って、砂利混じりの硬い砂浜をラシェルは歩いていた。海とはまた違った穏やかな波に、沼から吹く風が時折強くなるのを肌で感じながら水面を眺める。

 人口が少ないこともあり、北部の水源は総じて透明度が高い。小川のせせらぎは勿論、湧水にしろ滝にしろ、場所柄大きな河川はないものの豊富な水量と高い水質で井戸の必要性がない集落も多く存在する。

 中でもここ、北東部はイアサント嶺とバティスタール連峰の雪解け水が春から夏にかけ、地下のあちこちから湧き出して大量に沼地へと流れ込むため、この時期に水嵩は最大となる。

 かなりの水深にもかかわらず、この辺り一帯の沼は圧倒的な透明度と景観の美しさを誇り佇んでいた。

 碧く澄み渡る水はどこまでも沼底を顕にし、また遠方より望めば蒼天と緑の渓谷を映し出す鏡のようで、見る者全てを魅了する。

「あっ……」

 トンボが一匹、鳥に襲われニアミスで交わしたものの、羽が湖面に触れた。途端、バランスを崩して水面に捕らわる。もがく度に姿を小さくしては、程なくして絶命した。そのまま沼池に、溶け入るように消えていく。本当に、消えていく。

 惜しむらくは、この巨大な沼の水が、透明度に比例して生物の棲めない仕組みになっているということだった。

 詳しい原因は分かっていないが、以前ラシェルが離れで読んだディルクのレポートによると、沼地に入る直前の用水や小川の段階までは何てことない飲用も可能な至って普通の水であるにもかかわらず、一度沼地へ流入してしまえば途端に水質を変え、生物を瞬時に浄化するものへと変容してしまうのだという。その性質を利用して、北部では沼葬と称し亡骸を沼に沈めて水に還す独特の土着信仰まである。

 仕組みとしては、植物も含め有機物は沼に入った瞬間から浄化が始まり、鮒や鯉等の魚で一時間、鹿や猪で半日、人や熊でも一日あれば全てが浄化され、きれいさっぱり消え失せてしまうという。広大なまでの水辺はあっても水産資源となり得ないことから、歴史的に北部の民を困窮させる大きな要因として挙げられてきた。

 気候の違いがあるとはいえ、一方で干拓事業により稲作まで成功している南部との落差に、ラシェルは最初、本当に同じ沼のことを指しているのかと理解に苦しんだ。しかしその後、そもそもの成り立ちが南部と北部とでは違うことを父から教わり納得した経緯がある。

 アウローテ国王一族の起源とも言われるほど古い所領の一つであったこの地を、フィリドール家が賜った頃には既に一つの沼地として存在していたため、詳しいことは父でも地域の伝承程度にしか判っていないそうだが、古くは活火山であったアストリア岳の噴火で出来た南部の火山湖と、比較的近い昔に北部で起きた大規模な地盤沈下が原因で窪地となった場所に水が流れ込み、溜め池のような形で沼と化した北部のものとは本来、そもそものルーツを異にした別個の存在だったらしい。それが、少しずつではあるものの未だに続く地盤沈下で北部の水辺が拡大し、一つの巨大な沼地を形成して今に至るというわけだ。

 ディルクが前回した南部での水質調査に続き、今回ほぼ沼地の全周で水を採取しているのはそのためで、南部において水田への流用が可能だったように、他にも使える水源がないか調査し選別することが主な旅の目的らしい。

 さらに農業用水に向かないと判断されたスポットも、水の詳しい成分分析をすることで、他の活用方法が見出せるかもしれないと父に進言する内容が書かれたディルクのレポートを、以前彼の部屋で読んだ記憶がラシェルの中で蘇る。

「ラシェルちゃーん! ホットミルクできたよー!」

 テントを張り終え、火を起こしていた二人だったが漸くそれも済んだのだろう。聞こえた声を顧みると、こちらに手を振るランドルの姿が見えた。

「ありがとう、すぐ戻るわ」

 叫んで、ラシェルも手を振る。随分と二人から離れた所まで歩いていた。

 気付けば風が冷気を孕み、陽も傾きかけている。

「美味しい。温まる……」

 二人の元に戻ると、ランドルからマグカップを手渡された。一口含んで、ホッと息を吐く。仄かにバニラの香りが鼻腔を擽るのを感じ、ディルクが用意してくれたのだとラシェルは察した。パチパチと爆ぜる薪の炎越しにコーヒーを淹れている彼の姿を一瞥して、クスリと微笑む。それに気付いたランドルが、ラシェルに声をかけた。

「どうかした?」

「ううん。火があると暖かいなって、思っただけ」

 この辺りは、領内でも特に秋の訪れが早い。八月に入ってまだ上旬だが、日が暮れ始めると急に夏の気配が遠ざかる。

 ランドルがスマートな動きでストールを羽織らせてくれた。炎の反対側は寒いだろうとの気遣いだ。

「ありがとう」

 やっぱ、この人たらしだわと思いつつも、慣れた仕草のランドルに居心地の良さを感じる。ラシェルの男性に対する免疫が極端に少ないだけで、彼にとって女性との距離感は常にこんな感じなのだろうと割り切れば、彼の好意も素直に受け取れた。

 ラシェルがそのままシートに腰を落ち着けると、ランドルもごく自然にその隣を陣取る。

「散歩はどうだった? 水がすっごくキレイだよね」

「うん。話には聞いてたけど、ここまで澄んでるとは想像してなくて。驚いちゃった」

 ふと、向き合うランドルの頬が次第に茜色へ変わりゆくのを見て、沼地の方を振り向く。

 朱く、大きな太陽が、揺らめきながら水平線へとゆっくり飲み込まれていく様を目にして、息を呑んだ。さざ波が夕陽を乱反射し、目に映る世界全てがオレンジ色に包まれる。

「すごいね。一面、夕陽に染まっていくみたい」

「本当、綺麗……」

 水面に沈みゆく荘厳な姿に思わず言葉を失い、ただただ見惚れる。

 完全に陽が沈み、あたりが闇に覆われるまで各々余韻に浸っていたが、その沈黙を破ったのはランドルだった。

「やっぱりここは、観光の要になり得ると思うよ」

 彼にしては珍しく、やや興奮気味に語気を強めて零す。

「私も……そう思うわ」

 対してラシェルはやや放心気味に、まだ半分夢心地で頷きディルクを仰ぎ見た。

「水辺と恋人たちは、古今東西、相性がいいと相場が決まってるから、それを利用出来ないかしら」

「へえ……そうなんだ」

 押し黙ったまま見向きもしないディルクの代わりにランドルが相槌を打つ。けれど耳だけはしっかりこちらに向けているのを普段の仕事ぶりで知っているラシェルは、気にせず続けた。

「ええ。昔から歌い継がれている詩歌や歌集には、川や湖、水生生物を引き合いに恋愛を歌っているものが数多く見受けられるの」

 さも自分が見つけたかのように言っているが、実は前世で通っていた大学の文系講師が講義で話していたコトそのまんまの受け売りだったりする。この世界に大学なんてないから、まぁ、説明省いてもいいよね。

「それに、ディルクも覚えてない? 南部の沼地ではカップルがボートに乗ってデートしてたでしょう」

「ああ……」

「だから北部でも……例えば恋人たちの聖地として、この夕陽を売りにできないかしら」

 しかしディルクは眉間に皺を寄せ、渋い表情のままそうだなとだけ返す。多分、投資に見合う採算ラインを必死に弾き出しているのだろうが、僅かに届かないといったところか。

 とっぷりと日も暮れ、心配性のピートにこれ以上気苦労をかけては申し訳ないと、名残惜しいがラシェルはこれで切り上げることにした。

 ディルクがランドルに火の番を頼み、二人で宿への帰途に着く。先からとぼとぼと足取りが重いのは、やはりこれだけの観光資源をもってしても生業として手を出すまでには至らないという厳しい現実からだ。

「……送るのは、ランドルの方が良かったか?」

 ランプを右手で翳し、道が悪いことから左手でラシェルの手を引くディルクが不意に足を止め、ラシェルを顧みる。

「へ?」

 考え事に集中していたラシェルは、突然のディルクの言葉に意味が分からず……というより半分くらい聞き取れず、頓狂な声で返してしまった。

「ごめんなさい、聞いてなかった。今、何て言ったの?」

 ディルクがゴフゴフと盛大に咳き込みながら俯き、いや、何でもないと返す。噎せたせいで顔を赤くした彼が、コホンと一つ咳払いして気を取り直し、真剣な表情でラシェルに向き合うと「一つ、君に伝えておかなければならないことがある」と、少し声を硬くして続けた。

「ランドルには、それはそれは嫉妬深いフィアンセがいる」

「…………」

 何故そんな話を今、と穴が開くほどディルクを見てしまったが、次の瞬間、ラシェルの中の出歯亀根性がムクムクと頭を擡げた。

「フィアンセ……ってことは、恋愛? それともお見合いで?」

 瞳を輝かせ、身を乗り出して聞く。実際、身近な人間の恋愛話ほど興味深くて面白いものはない。

「れ、恋愛……と彼女は豪語するが、周りから見れば押しかけに近い、かな……」

「ランドル、意外と押しに弱いんだ。でも大変よね、婚約者があんなタラシじゃ、気が気じゃないでしょう?」

「タラ……ああ、まあ。けど彼女の嫉妬は、どちらかというと生まれつきの性格みたいなものだから」

「どんな感じの子? 可愛い? 歳はいくつ? 私と近いといいな~」

 興味津々で矢継ぎ早に聞いてくるラシェルに気圧され、やや引き気味に仰け反りつつもディルクは律儀に答える。

「可愛いというより猫目の美少女……というのは親父の口癖だが、面食いのランドルが最終的に折れただけの見た目ではあると思う。歳は俺と同じで、ランドルより二つ下だな」

 ランドル、2コ上だったんだ! と、ラシェルはさらなる興奮に沸く。

「もしかしてディルクと三人、幼馴染だったりする?」

「何故、それを……?」

「やっぱり! きゃー、幼馴染と三角関係、恋愛結婚! 何て王道なの!」

「いや、三角だった例は一度もないが……あいつは初めからランドルしか見えてなかったからな」

「じゃあ、一途に純愛を貫き、幼馴染からいつしか婚約者へ……って、これまた王道じゃないの!」

 今度ぜひ紹介してねと彼の左手を両手で握ってお強請ねだりしたら、分かった分かったと疲れを滲ませた表情で返された。

 ついでに聞くが、と呆れ顔半分、何故か強張った表情半分でディルクが改めてラシェルに念押しする。

「ランドルに婚約者がいたと分かって、嫌じゃないのか?」

「どうして? 恋愛だっていうし、素敵じゃない」

 質問の意図が掴めず、首を傾げると盛大な溜息でそうかと呆れられた。

 途端、真っ暗だった辺りが淡い光に包まれる。

 驚き、空を仰ぐと、そこには突如現れた巨大なオーロラが揺らめき輝いていた。

「な……?! んだ、これは……?」

「ウソ!? 信じられない、オーロラだわ……!」

 二人同時に声に出す。ディルクはオーロラの存在自体を知らなかったようで、慄きの表情で見上げていた。ラシェルは咄嗟に、繋ぎっぱなしだった彼の左手に指を絡ませ、所謂恋人繋ぎの形にしてからきゅっと力を込め、ディルクに大丈夫よと微笑む。

「あ、ああ……」

 自分のとった小心な対応を恥じてか、ディルクが照れ隠しに頷きながら俯く。それから一呼吸おいて、ラシェルに倣い再びオーロラを見上げた。

 シルクのように艶やかで繊細な揺らめきは、幻想世界さながらに辺り一帯を柔らかく包み込む。

 前世、写真や映像で見たことはあったものの、本物のオーロラを見るのはラシェルも初めてだった。七色に瞬く光のカーテンに、ただただうっとりと心奪われる。不思議と胸が締め付けられ、心の奥まで震えた。

「きれい……だな」

 繋いでいた手に、今度はディルクがぎゅっと力を込めて呟く。彼もまた、荘厳な景色を目の当たりに感極まっているようだった。

「うん」

 感動的な光景に、いつしか二人、どちらからともなく寄り添う。

 程無くしてオーロラは消えたが、ラシェルはこのまま宿に帰るのが何だか勿体無い気がした。

「少し回り道になるけど、水路沿いを歩いて帰ろうか」

 まるでラシェルの気持ちを汲んだようなタイミングで、ディルクが提案する。ラシェルがはにかんで頷くと、ディルクは堰を切ったように話し始めた。

 イネス港で別れてからこの村に着くまでの旅の話、それから沼地の水の採取方法を話そうとしたところで宿の前まで辿り着く。

 もうちょっと、とお願いしたら、先ほど通った石畳の階段まで戻ってそこに腰掛け、話の続きを聞かせてくれた。

「ラシェルの方は、屋敷に戻った後、どんな風に過ごしてた?」

 一通り自分の話が終わると、ディルクが尋ねた。よくぞ聞いてくれたという気持ちで、ラシェルは持ち帰った海水からにがりを取り出し、豆乳と合わせて豆腐という食べ物を作った話をする。新学期が始まっても暫く週末は領に戻り、ペリドール村へ行って米の収穫を手伝う計画まで立てていることを、気付けば口にしていた。相変わらず精力的だな、とディルクが苦笑する。

「けど、俺も九月中は週末を領で過ごして残務整理しようと思ってたから、丁度いいかも。一緒に帰れそうだな」

「嬉しい。一人だと、私の我儘に態々馬車を出してもらうのは申し訳ないと思ってたから」

 仄かな月明かりを頼りに、会話が弾む。仕事中は集中していて殆ど喋らないディルクだが、意外と聞き上手で話好きな所があるように思う。前にイネス港へ向かう馬車の中でも、色々な話をしてくれた。

 話題は尽きなかったけれど、これ以上ランドル一人に沼地の観察を任せるわけにもいかず、ディルクが頃合いを見て話を打ち切る。

 宿に戻ると、ピートに「遅い」と小言の一つや二つ言われる覚悟でいたが、意外にもぐっすりとまだ眠っている彼にホッと息を吐き、このまま朝まで眠ってもらおうとディルクも言う。もう一人の用心棒にピートが明朝起きるまでの間、ラシェルの警護を任せる話をつけると、ディルクはそのまま沼地へと戻って行った。


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