22.サプライズ
途中で宿を利用したものの、このところ立て続けに遠出していたのが良い経験となったのか、翌日の正午前にはラピス村に着いた。
自分から食いついた話ではあるものの、お忍びとはいえこうして馬で従者二人きりという身軽な旅を許す父に、彼も漸く現実が見えてきたというか、娘に対し諦めがついてきたのかなと若干複雑ではあった。母のようにいつまでも過保護では困るが、親の期待を裏切って不細工に育ってしまった娘の自分に、どうしようもない部分はあるにせよ、子ども心ながら胸が詰まる。
「お嬢!」
宿の手配を任せていたピートが戻って来た。
「部屋の空きは十分あるそうで、いつでも入って良いそうです。あと、馬は向こうの厩舎に連れて行けば適当に見てくれるって。それから、ディルクの旦那ですが……」
「うん」
「予定通り昨日の午後こっちに着いたみたいで宿にも顔を覗かせたそうなんですが、馬と宿代だけ置いて、そのまま出て行ったきり戻って来てないそうです」
「戻ってないって……どういうこと?」
「それが、何でも沼地の調査がしたいたいとかで、畔にテント張ってそこで寝泊まりするからって出て行ったそうです」
「なるほど……」
じゃあ、ディルクを訪ねて沼地に行くのが良いかなと迷っていたら、
「どうします、お嬢? 僕としては、村に着いたらメイプルの森でも案内しようかと思っていたんですが……」
「是非、案内して頂戴」
即決だった。
フィリドール領北端の東西に聳えるイアサント嶺と、東部に位置して南北に連なりポーシャールとの領境にもなっているバティスタール連峰は、ちょうど領の北東部で垂直に交わる。その麓にサトウカエデが群生しているのだが、そこを村の人々はメイプルの森と呼んでいる。言わずもがな、寒冷地でもあるラピス村の貴重な財源の一つが、この木から採れるメイプルシロップだ。
「私、樹液は年中採れるものだとばかり思っていたわ」
メイプルシロップの元となる樹液だが、一年の内、冬から春に変わる、ほんの一ヶ月程度の期間しか採取出来ないとピートから説明を受け、ラシェルは驚きの声で返す。
さらに、この無数に生い茂る立派なメイプルの木々も自然に増えたのではなく村人が先祖代々、毎年植樹して長い年月守り続けた結果、ここまでの規模にまで発展させてきたそうだ。落葉樹で冷温帯に生息するサトウカエデだが、地形の関係か、この一帯にのみ生息できることを知ったフィリドールの古い領主が推し進めた政策の一つらしい。
「はい。なのでこの時期、あまり見映えのする物を紹介出来なくて申し訳ないのですが……」
「気にしないで。これだけの森を実際に見れただけでも嬉しいもの」
幹の直径が四十センチを越えるような楓が群生する森を目の当たりにしたラシェルは、やや興奮気味に応えた。
「ねえ、あれは?」
少し離れた場所に建つ山小屋を見つけ、ピートに尋ねる。
「シュガーハウスです。あそこで毎年、収穫した樹液を煮詰めてシロップにしているのですが……行ってみます?」
「ええ」
緩やかではあるものの足場の悪い下り斜面をピートに手を引いて貰いつつ降りたところに、彼の言うシュガーハウスはあった。
「あれ? あれれれ??」
扉の前で、ポケットを探るも鍵がないことに気付いたピートが
「すみません、お嬢。森の入口で、他の荷物と一緒に置いて来ちゃったみたいです。すぐ戻るので、ここで待っててもらえますか?」
慌てた様子で言う。分かったわと応えて、ラシェルは大人しく小屋の前で待つことにした。
来た道を駆け上がるピートの背中を見送ると、手持ち無沙汰にラシェルは建物の横へ回り込み、窓から中を覗いてみた。外観は、登山の際によく見る避難小屋と然程変わらない大きさと佇まいだったが、中は思ったより広さはなく、釜や濾過装置といったシロップの生成に使う道具類が所狭しと並んでいた。
「……で、……だろ。…………」
突然、後方から人の声がした気がしてラシェルは竦む。咄嗟に建物の裏に回り込み、身を潜めた。この辺りで賊が出るといった話は聞いてないため、多分狩りか何かで山に入った村人だろうが、用心に越したことはない。しばらく聞き耳をたてていたら、どこか聞き覚えのある男の声だった。
「……どうする、ディルク? もう選択肢も時間もないぞ」
えっ?!
この村を訪れた目的の人物の名を耳にして、思わず声が出そうになる。父の『サプライズ』という言葉を思い出し、寸でのところで口許を抑えた。
状況から考えるに、先の言葉はランドルのものであることが分かる。
「ああ……。だが厳しいな、ブリアック公の意向を無視する訳にもいかないし」
続く、聞き慣れた声。ディルクだ。
暫く沈黙があって、その空気を変えるようにランドルが明るい口調で言う。
「ところでブリアック公といえば、随分可愛い子だったじゃん、あのお姫さん」
「……嫌味か?」
「まさか。親父さんと瓜二つなくらいコロコロしてて、性格もまぁるい感じだし。あんなふんわりした子の旦那様になれたら、さぞ幸せだろうなぁって」
「そんなに欲しいなら、熨斗付けてくれてやろうか?」
「またまた~、心にも無いことを」
「それはこっちのセリフだ」
人の外見イジって場を和ませるなとツッコミたいところだが、逆に完全に出るタイミングを失ってしまった。そろそろピートが戻って来る頃だろうから、否が応にも自分が立ち聞きしているこの状況がバレてしまう。いや、このままそっと逃げてピートと合流し、何もなかったかのように再会するという手もあるかと、ラシェルは後退りした……途端、足を滑らせてしまった。
「きゃっ……!」
「お嬢!?」
ラシェルの悲鳴に、ちょうど戻って来たのか顔を青くするピートの姿が目の端に映った。体重と体型のせいか、思った以上にあれよあれよとそのまま斜面を転がり落ちる。前後不覚ながらもスピードを増す我が身に命の危険を感じつつ、しかし打つ手もなくひたすら斜面を下っていった。
覚えず、ふわりと体が宙を舞う感覚に包まれる。
「何でお前がこんなトコにいるんだ……?」
恐る恐る、ゆっくり瞳を開けると、呆れ顔のディルクと間近に目が合う。彼が抱き止めてくれたのだ。
「お、追いかけて来ちゃった……」
一応、サプライズ用にと考えていた少女漫画っぽい台詞に合わせ、テヘ☆とイタズラな表情で笑って見せたが、シャレになっていない。
真顔でその場に立たされた後、ディルクによる入念なボディチェックを受けている間に、ピートが青ざめた表情で慌てて駆けつけて来た。暫くあって、ランドルがのんびりと斜面を下りて来る。
軽い擦り傷以外、異常が無いことを確認すると解放された。脂肪の鎧はここまで優秀だったかと擦りながら、生まれて初めて三段腹に感謝する。痩せてたらバランス崩すこともなかったかもしんないけど。
「すみません、お嬢。僕が傍を離れたばかりに……」
「いいのよ、私が勝手に足を滑らせただけなんだから」
ラシェルの身に大事がなかったことを聞いて、余程ホッとしたのかピートは目に涙を滲ませて言った。何度も何度もディルクに頭を下げ、礼を述べる。ディルクもディルクで、「君も大変だな」とよく分からない労いの言葉をかけていた。
「ところで、ラシェル嬢」不意に、ランドルが尋ねた。「オレたちの話、どのへんから聞いてたの?」
「えーっと……」
やっぱりソコ気になりますかと思いつつ、誤魔化すことも考えたが、どことなくいつもの軽口の奥に神妙な響きを感じ取ったラシェルは、正直に「父の意向は無視できないって、ディルクが話していたあたり……だったかな?」と答えた。
「やっぱ、聞かれてたか……!」
突如、盛大に頭を下げてごめんと謝る彼に気圧される。
「ごめん! 本っ当に、ごめんなさい!」
そのまま土下座でもせんばかりの勢いに呑まれ、ラシェルは慌てた。
「ううん。こういうの慣れてるから、気にしないで」
「慣れてるって……」
実際、そうなのだから仕方ない。前世からブスだの三軍だの散々言われて育ってきた。変な気遣いは逆にちょっと鬱陶しいくらい、順応しまくって生きてきたのだ。
事も無げに言い放つラシェルに、ランドルが耳を疑うといった表情を見せる。それもスルーして明るく笑って返すと、ランドルは改めて向き合い、真剣な瞳で打ち明けるように話した。
「さっきの話は本心じゃない……って言っても、信じてもらえないよね。……正直に言うと、ディルクの奴、君に会ってからちょっと変わったなって思って」
「なっ?! おま、何言って……!」
突如、自分にお鉢を向けられたからか驚き、顔を紅くして声を上げるディルクを制し、ランドルは続けた。
「旅の序盤からずっとソワソワしてるっていうか、ホームシック拗らせたみたいに、やたらと早く仕事を切り上げて君の屋敷に帰ろうとしたり」
「いや、それはディルクの仕事が異様に早いから、ランドルが勘違いしてるだけじゃない?」
「あと、早く帰りたいのは単に休み中に片付けておきたい仕事が、まだ向こうに山ほど残っているからだ」
うんうん、と腕組みして珍しくラシェルに追従する。そんなディルクをウロンな目で一瞥した後、ランドルはさらに言い募った。
「だってお前、そもそも人や物に執着なんて今までこれっぽっちもしたこと無かったのに、……キャラメルっていうの? あれ、一個もオレにくれなかったじゃん」
ぶぅ、と頬を膨らませてディルクにジト目を送る。
「あれは俺が貰った物なんだから、お前にやる義理は無いだろ」
「ケチ」
「何とでも言え」
イネス港での別れ際、ラシェルは屋敷に戻ればいつでも作れるからと、残りのキャラメルを旅のお供にディルクへ渡していた。それを取り合いするように、子どもの喧嘩を始める二人の姿を見て、つい吹き出す。
「今回は時間が無かったからジータが作って持たせてくれたものだけど、宿に置いてきてるから、よければ後でランドルにもそれをお裾分けするわ」
「ほんと? ラッキー」
よっぽど食べてみたかったのか、弾んだ声で顔を綻ばせる。
キャラメルのこと、一人で抱えたくなるくらいディルクが気に入ってくれていたとはラシェルも意外だった。思えば初めて料理(?)を作った時から、ディルクは必ずラシェルの作った物を食べてくれていた。処女作は疑問が残る所ではあるものの、最近の物については思いがけず胃袋を掴めていたようで、ちょっと自分の女子力に自信がつく。
「まあ、とにかく今までのこいつからは全然想像出来ないような言動をしてるのは本当なんだ。だから、長い付き合いの身としては、やっかみの一つや二つ、してみたくなったわけで……」
だけど、そのせいで君を傷つけることになってしまって本当にごめんね、と肩を竦める。ちなみに、と今度は意味深にラシェルの耳許へ唇を寄せ、続けて囁いた。
「君にも聞こえてたと思うけど、ディルクの奴、口ではあんな風に悪びれながらも本音では君のこと、かなり気に入ってると思うんだ」
幼馴染みの勘だけどねと、一つウィンクしたところでディルクに首根っこ掴まれ引き剥がされる。近すぎだ、と今にも掴み懸かる勢いでディルクに睨みをきかされても全く意に介さない様子で笑っているあたり、本当に仲が良いのだろう。
かたやラシェルはといえば、今にも頭から湯気を噴き出しそうな勢いで顔を真っ赤に染めていた。ランドルが告げた話の内容以前に、男慣れどころか前世から喪女真っ盛りだったシェルにとって、この至近距離での擽るような耳打ちは刺激が強すぎた。思わず両手で熱い両頬を押さえる。出会った時からランドルが人たらしということは分かっていたのに、男性に対する免疫が無さすぎだと自分に嫌気が差した。
「ごめん、ごめん。幼馴染みの婚約者に手を出すような、無粋なことはしないから安心してくれ」
はっはっは、と笑うランドルにそういうコトを言ってるんじゃないとディルクがさらに締め上げる。
ところで、とラシェルは一つ咳払いして気を取り直し、まだ少し火照りを残す頬をペチペチと軽く叩いてから、今まで何となく気になっていたことを改めて二人に問い質した。
「二人は沼地に行くからって宿屋に馬を置いて出てたんじゃなかったの? どうしてこの森に?」
メイプルの森と沼地は、宿からだとまるで正反対の位置にある。何気にその事がずっと引っ掛かっていた。
「そうなんだよね~。さっきも言ったけどこいつ、早く仕事を終わらせたいからって焦ってロクに調べもせず突っ走っちゃって。だもんだから方向間違えた挙げ句、実は迷っちゃってたの」
ふと隣を見ると、額に手を当て、ばつの悪そうな顔で項垂れるディルクの姿が目に入った。そんな二人の遣り取りに、彼をやり込められる幼馴染ぱわーってスゴいとちょっぴり感動を覚える。
方位磁針をラシェルに見せながら、ランドルは続けた。
「引き返そうにもホラ、この通りだろ」
コンパスを渡されるが、何のこっちゃラシェルには、よく分からない。ピートが察して説明を引き継いだ。
「この村周辺は、何故か昔からコンパスが狂うため使えないんです。旅人が迷い混んで、村の住人が保護するケースが年に数回あるくらい、ここは初めて訪れる人には難しい地域なんですよ」
後半、意気消沈といった面持ちでラシェルに話す。誰だって自分の村を悪く言いたくはないだろう。
「だからオレたちも、君らに会えて本当助かったよ。食糧は多目に用意してたから、太陽を頼りに進めばそのうち何とかなるだろうとは思ってたけど、軽く遭難してた訳だからね」
いや、此処かなり森の奥深い所だから結構ヤバかったんじゃないかと思うが……知らぬが仏という言葉もある。早い段階でこうして道に明るいピートと引き合わせることが出来たのは良かったと、人知れずラシェルは胸を撫で下ろした。ただでさえ結婚適齢期間が普通の令嬢より短いだろう自分にとって、婚約者が行方不明で何年も放置とか嫌だ。
その後、持って来た鍵でピートにシュガーハウスを開けてもらい、ディルクも興味があるようだったので二人して中を見学させてもらった。実際の器具を使ってシロップ作りの行程を説明してもらい、塩作りと同様かなり濃縮させることでメイプルシロップが作られていることを知る。
「宿についたら荷物を整理して、今度こそ沼地へ行く予定だがラシェルはどうする?」
森を抜けて宿に向かう道中、ディルクに聞かれたラシェルはもちろん、と答えた。
「私も行きたい。湖畔に沈むサンセット、見てみたかったの」
本当は朝焼けも見てみたいんだけど……とピートを伺うと、さすがにジト目で首を横に振られる。二人のやり取りにクツクツと肩を震わせながら、ディルクが大丈夫だとピートに同情の目を向けた。
「日が暮れたら、頃合いを見て俺が宿まで彼女を送るから君もそれまで少し休むといい」
「ですが……」
「好奇心旺盛なお嬢さんに振り回されて、いざという時に倒れてもらったら俺も困るし」
「すみません」
先のラシェルが足を滑らせたことを思い出したのか、ピートは素直にディルクの好意に甘えることにした。ラシェルは旅の興奮からか疲れなどどこ吹く風だが、彼は昨日からずっと働き詰めなのだ。用心棒に雇ったもう一人の男は今、宿で自由にしてもらっているが、ピートは付き人も兼ねているため休む暇なくラシェルに付き添ってくれている。フィリドール邸の厨房に来た見習い君を見て、もう二度と使用人をブラックな環境で働かせないぞと誓ったはずなのに、その矢先からこれだ。父のことなど指摘している場合では全然なかった。考えてみれば、シュガーハウスの鍵を森の外に置いたままにするといった彼らしくない凡ミスも、そこからきていたのかもしれない。
盛大な自己嫌悪に襲われていると、ディルクに行くぞと促された。そのまま歩いて、小一時間程で四人は宿に帰り着いた。




