表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/57

17.Good luck.


 ある日の午後、ラシェルが目を覚ますと、そこはディルクの部屋にあるソファの上だった。

 ラシェルがいつも通りティーブレイクにと訪れて早々、「悪いがそこで、少し待っていてくれ」とディルクが部屋を後にした。月半ばの小計に問題があったらしく、父の執務室へ向かうと言うのだ。

 一人部屋に残されたラシェルは午後の陽気に誘われ、そのままソファで寝込んでしまったようだった。このところ読み進めているディルクのレポートが興味深く、つい夜更かしが続いていた。

 瞳を開けると、まず飛び込んできたのは向かいに座る男性の長い脚だった。寝惚け眼に上半身だけ起こすと、ディルクが腕を組み、深くソファに腰掛けて寝息を立てていた。いつもきつい印象しか与えない三白眼も、こうして閉じていると年齢相応の幼さが見て取れる。珍しく無防備な姿を晒す彼の姿を見るにつけ、普段はかなり気を張って過ごしているのだということが伺い知れた。ラシェルにとって、この世で一番の安心、安寧の地がこの家であることは間違いないが、彼にとっては戦場であるという事もまた事実である。思えば、彼はまだ十五歳。ラシェルも同じ十五だが、前世の記憶二十二年分が上乗せである。それを考えるにつけ、十五歳の少年に背負わせて良い仕事でないことは、質・量ともに感じられた。

 不意に、黒曜石の瞳が開かれる。

「ん、……悪い。寝てた」

 ディルクはまるで黒猫のように欠伸と背伸びを一つして、コーヒー淹れるよ、と席を立つ。これまでも何度かラシェルが用意すると申し出たことはあったけれど、その度に「これは俺の趣味だから」とやんわり断られていた。コーヒーは淹れ方に好みが出るとも言われているため、今では素直に彼に任せている。実際、彼が淹れるコーヒーは渋みが少なく、苦みと酸味のバランスがラシェルの好みと合い、美味しかった。最近では、隣国の女性に人気というバニラオイルを少量垂らしたものをくれるのだが、ラシェルもこれがお気に入りになった。

「美味しい……」

 淹れてもらったお礼ではないが、至福の笑みで返す。ダイエットのため、基本的にはティータイムのお茶請けを遠慮しているラシェルへの、彼なりの気遣いなのかもしれない。

「今日は、ジータと一緒にブラウニーを焼いてみたの。結構、自信作に仕上がったから食べてみて」

 他の家族とは別に、ディルクにはなるべくコーヒーに合うものを、いつもジータと相談しながら作っている。料理もお菓子作りもコツさえ掴めば割と応用がきくし、創造的な作業で楽しい。何よりジータの教え方が上手いからだとは思うけど。

「うまい」

 そう言って、ディルクが手掴みに口へ頬張る。

 どんな相手であろうと、自分が作った物を美味しいと言って食べてもらえる、そんな幸せなことはないとラシェルは思う。穏やかな気持ちに包まれながら、ラシェルもまたコーヒーに口を付けた。


「よし、今日はここまでだな……」

 ディルクが背伸びをして、仕事の終わりを告げる。そのまま欠伸をする姿に、やっぱり黒猫のようだと隣でそっと笑みを漏らした。ラシェルもデスク周りの整理を終え、これが最後の本とばかりに脚立の用意を省いて、書架に直接戻そうと爪先立ちに手を伸ばす。それを見て、ディルクが手を貸そうと椅子から立ち上がった。

「いいよ、それ。俺が仕舞って……」

 瞬間、ラシェルは足元のバランスを欠いて、よろける。

 危ない、とディルクが咄嗟にラシェルの体に手を回すが、間に合わず二人して転んでしまった。

 ――――――そこからは、何がどうしてこうなったか。

 気付けばラシェルとディルクは、所謂ラッキースケベの定番、男が女に覆い被さる態勢で床に崩れ落ちていた。ただ違うのは、本来なら掴むはずの胸がぺたんこで、ディルクの右手は思いきり空を掻いてラシェルの肩口辺りの床に着けたということ。代わりに、一応ラシェルを庇うつもりだったのか腰に回そうとした左手が、しかしウエストの肉に邪魔されて脇腹をむんずと掴んでいた。

 ラッキースケベで婚約者の脇腹ハミ肉を揉んでしまう男って、どうよ。

 何か色々ショックだったのか、ディルクは手を離した途端、暗転がかったようにサァーと顔を蒼褪めさせて「すまない」と告げる。大丈夫、とラシェルも取り敢えず返しておいた。

 うん。これもうラッキーじゃなくて、ただの事故だよね。確実にアンラッキーだよね。

 自分の怠慢が招いた婚約者殿の不幸に心の中で深くお悔やみを申し上げつつ、ラシェルは起き上がるとドレスの裾を払う。だが次第に居たたまれなくなって、ごめんあそばせと冷や汗を滲ませた笑顔でその場を退散した。もう何度目の恥ずか死ぬ……っていうか、いっそ死にたい。今度こそ。女子失格だ。


 その夜、入浴後にベッドの上で柔軟体操をしていたラシェルは、自分の体の変化に突如として気が付いた。

 体重を量っても、鏡に体型を映しても一向に変わりばえしないため気付かなかったが、二の腕や太ももの奥に、確かに固いものを感じたのだ。

 どうやっても今まで付かなかった筋肉が、付いてる――――!

 力士と同じく太った印象を維持したままの体格で、見た目への貢献は一切ないのだが、それでも努力がちっとも実らないと嘆いていた頃とは明らかにモチベーションが違ってくる。

 やってて良かった、ダイエット!

 何かどっかのCMキャッチコピーみたくなってしまったなと思いつつも、兎に角、嬉しかった。

 喜びを噛みしめながら、その夜はぐっすりと眠りに就いた。


閲覧及びブックマーク、誠に誠にありがとうございます。

さらには評価まで頂き、昨日は一人「ふおぉぉ……っ」してました。

本当にありがとうございます。


遅筆ではありますが、頑張ってなるべく早く更新することでお返しできたらと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ