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14.醗酵か腐敗か


 翌朝、ラシェルは朝食の後、やはり厨房にいた。

 一晩でたっぷりと水を含んだ大豆をザルに揚げ、豆が浸る程度の水を入れたら鍋に火をかけて弱火でコトコト煮る。

 その間に、昨日倉庫から持って帰った稲を、同じく倉庫で眠っていた千歯扱きで脱穀した。藁と籾に分けたら、藁の方は水で洗い、沸騰する湯の中で暫く煮た後、天日で乾かす。籾はジータに頼み、水車小屋で実が白く透き通るまでいて精米するようお願いした。

 次に、大豆を煮込んだ鍋に目を落とした途端、……ラシェルの顔に暗い影が落ちる。

「ジータさん、お嬢様は一体、何をされるつもりなのでしょう……?」

 不穏な空気を気取った見習の男の子が、当然と言えば当然の疑問を呈す。

「さぁ。最近のお嬢の考えることは突飛すぎて、俺にも分からん」

 対するジータも、肩を竦めて苦笑いすることしかできなかった。

「ふふ……ふふふふ」

 しっかりと煮込んだ大豆を一粒、ティースプーンで小皿に掬い上げる。ぐにゅり、とその腹で豆を押し潰したかと思うと、ラシェルは不敵にもクツクツと肩を震わせて笑い出した。ひぃっ、と男の子の悲鳴が後ろで上がった気がするも、無視だ。

 元々は、茹でた後で磨り潰して絞る豆乳でも作ってみようかと思い買ってもらった大豆だったが、昨夜、この藁を見つけた瞬間にピンときた。

 そう、藁苞で作る手作り納豆ができるではないかッ、と!!

 炊き立てのご飯があれば何も要らないと前に記したが、納豆だけは特別だった。多分、この世にご飯と納豆があれば、それだけで生きていける。そのくらい、前世で好物だった。

 こんな何ちゃって中世ヨーロッパの世界に於いて、よもや納豆ご飯にありつけるとは……!

 想像だにしなかった幸せ展開に、ラシェルは感極まる。

「ぐふ……ぐふふふふふふ」

 考えれば考えるほど、涎とニヨニヨが止まらない。不気味な笑いも止められない。

「ジ、ジータさん……お嬢様が怖いです……!」

 涙目で見習の少年がジータに縋る。

 今のラシェルは傍から見て、なかなかに鬼気迫るものがあった。少なくとも、花も恥じらう乙女な十五歳のいたいけな少女が浮かべる表情では全くない。

「な、何かヤバい物でも拾い食いしたか、お嬢……?」

 流石のジータも許容範囲を超えたラシェルの奇行に、やや退き気味で事態を静観する。

「あ――――ッ!!!」

 突然、ラシェルは大声を上げた。その声に、びくんっとジータと見習が揃って肩を震わせる。

 そのままヘナヘナとラシェルは地面にへたり込むと、今度は蒼褪めた顔で頭を抱えた。

「しまった、温度管理のこと忘れてた……」

 前世、実は納豆好きが高じて、地元の公民館で行われた無料の藁苞納豆作り体験に一人、参加したことがある。そこで作り方を覚えたわけだが、藁苞に熱々の大豆を入れた後、約四十度の環境で二十四時間寝かせる必要があるのだ。その時は発泡スチロールの中にお湯を入れたペットボトルで発酵させたが、この世界には発泡スチロールもペットボトルも当然存在しない。冬場なら炬燵でもOKと言われたが、そんなものなどまして、あるわけがない。

 あまり働きの良くない頭を、それでもフル回転させ、何か代わりになるものはないかと考える。当然ながら、何一つ浮かばない。でも納豆も、諦めたくない。

 しゃがみ込んで、一人うんうん唸るラシェルを見かねたジータが声をかけてきた。

「大丈夫か、お嬢。さっきから一人忙しないけど……困り事なら相談に乗るから、何でも言ってくれ。な?」

 意味不明の言動を取り続けるラシェルを、それでも情に篤い彼は気遣おうと、恐々ながらも声をかける。近付くと、弾かれたように顔を上げたラシェルと目が合った。

「納豆を作りたいんだけど、そのためには四十度の環境を丸一日保てる発酵器が必要なの」

「なっと……? はっこうき??」

「でも、この世界じゃ温度を測るのも大変なのに、温度管理できる機械なんてあるはずないよね……」

「う、うーん……」

 闇落ち寸前なほど絶望の色を濃くしながら少女が呟く内容の主旨を、何とか汲み取ろうと努力する恰幅のいい四十代男性。

 俯瞰で見るとなかなかシュールだが、ラシェルの我が儘にジータが付き合わされるのは、わりといつものことだ。

「その機械ってのが、どういうモンなのかは知らないが、外気温より少し高い温度で発酵を促したいってんなら、俺がヨーグルト作ってる洞穴が使えるかもしれない」

 途端、ラシェルはきょとんとした表情で目を瞬かせる。次の瞬間、ぱあぁという音と共に花を飛ばすかのような笑顔で「本当?」と聞いた。

「ああ。ここから三十分ほど馬車を走らせたところにある洞穴なんだが」

 そこまで言ったところで身を乗り出してくるラシェルに半分押し倒されつつ、これから一緒に行ってみるかとジータが提案する。

 ますます花を飛ばしまくるかのような笑顔でラシェルはコクコク頷くと、出かける準備に取り掛かった。まだ生乾きだったが手早に藁苞を作ると中に大豆を仕込んで清潔な布巾で包み、更に毛布でぐるぐる巻きにする。それを小脇に抱え、身支度を整えてからジータの荷馬車に乗り込んだ。


 屋敷を出て、馬車に揺られること約三十分程でアストリア岳の麓に着いた。その裾野から、一筋の小川が流れているのが目に入る。これがロマーヌ河の源流だと、ジータは教えてくれた。この後、何度か南北に流れを変えていくつかの支流と合流し、この領地最大の河川となって西の海へと注がれると言う。

「足元には、くれぐれも気を付けてくださいよ」

 ジータに案内され、沢伝いに小川を登って行くと洞穴が見えた。

「あそこです、お嬢」

 ジータが指し示す。入り口は2メートル程の竪穴になっているが、中に入ってしまえば広くなだらかな下りの傾斜が続き、奥に進むにつれ温度、湿度共に高くなっていくらしい。微かに、硫黄の匂いが鼻につく。所謂、洞窟温泉みたいなもので、少し掘れば湯が湧き出てくるかもしれないなとラシェルは思った。

「このあたりで、いつもヨーグルトを作ってるんですよ」

 見ると、幾つか見覚えのあるミルク缶が置かれていた。

 ジータがデザートやティータイムに用意してくれるヨーグルトは、少し匂いと酸味が強く、癖が強い。けれどそれが何とも言えず、病みつきになる。こんなところで作ってたんだと感動するラシェルを余所に、ジータは淡々とした様子で蓋を開け、中の具合を確認してからよし、と頷いた。缶を背負い、ジータが帰り支度をする間にラシェルは持って来ていた藁づとを適当に並べ置く。一回で上手く出来るとは思わないが、この洞穴は使えると、ラシェルは期待に胸が膨らんだ。ヨーグルトを置いている辺りは比較的穏やかな温度と湿度を保っているが、ジータの言う通り、奥からは更に高温で湿度の高い風が時折、入り口に向けて流れてきていた。取り敢えずは実験とばかりに、ラシェルは心踊らせて洞穴を後にした。

 翌日、再びジータと洞穴を訪れたラシェルだったが、結論からいえば納豆は失敗だった。温度が足りなかったか、この世界に納豆菌自体がそもそも存在してない可能性もある。何回か試してダメなら諦めようと思っていた矢先、出来上がった。

 実験して、四日目のことだった。

 その日は昼過ぎから、今度は炊飯にチャレンジしようとラシェルは腕捲りし、張り切っていた。

 まずは精米してもらった米を研ぎ、1.2倍の水に浸す。暫く置いたら、それを鍋に移し入れた後コンロにかけ、始めちょろちょろ中ぱっぱで火加減を調整して炊き上げた。前世、母が土鍋で炊くご飯に一時期ハマって炊飯器を断捨離していた際、部活帰りの空腹に耐えかね何度か作った経験が活かされる。あの時は死ぬほど面倒くさいと母を恨みに思っていたが、人間、無駄なことってないんだなぁ。

 あと、何もないと思っていたこの世界だが、ガスが通っていることには正直、驚いた。勿論、地域差はあるけれど、王都では街灯も含め一般家庭にまで普及している。ウチの領では僅かにフィリドール邸と、その周辺くらいにしか引けていないが、薪で鍋釜使うことに比べたら雲泥の手軽さだ。これが領地全体に引けたら、領民の生活も随分変わるだろうと思うけれど、ガスを引くにはコストも高く、もっと他に整備すべきインフラがこの領内には山ほどある。ガスに割く予算の優先順位が、かなり下であろうことはラシェルにも容易に想像がついた。

 鍋の火を止めた後、十五分ほど蒸らし、折角だから父とディルクにおにぎりでも差し入れに行こうと思いつく。本当は次期当主として、もっと現実的な領政の手助けなり提案なりが出来ればいいのだが、如何せん無能な娘で申し訳ない。

 午後のティータイム、海苔も梅干しも何もない、ただのシンプルな塩むすびとなってしまったが、父はいたく感動し、喜んでくれた。



Dang Dang グルメタグに寄っていってます…

一応、恋愛小説のはずなのですが…

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