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13.プレゼント


 三人で市場を巡り、昼過ぎには帰宅の途に着く。盛大な母の出迎えに合った後、ラシェルは簡単に汗を流すと手早に着替えを済ませ、両親を誘って今日は少し早目の夕食を摂ることにした。

 食事が終わると、ラシェルは早速厨房へと向かう。

「お嬢、困りますよ……」

 中へ入ろうとするラシェルに、困惑の目でジータが訴える。

 ラシェルに厨房で好き勝手させたことで、咎こそなかったものの厳重注意を受けていたジータは、必死で侵入を拒んだ。

「以前の件は、本当にごめんなさい。私の配慮不足だったわ。けど、もう大丈夫なの。さっきお母様にもお許しを貰ったから」

 先の夕食の席で、ラシェルは母に交渉を持ち掛けていた。

「お母様、やっぱり、私が厨房に入ることは許してもらえないでしょうか」

「あら、どうかしたの?」

 コゼットは口にしかけたテリーヌを離し、ナイフとフォークを置いて、ナプキンで口許を丁寧に拭いながら改めてラシェルと向き合う。

「素人の私が勝手に厨房を荒らすことは、よくないと分かっていますが……私、料理を作るのが楽しくなってしまって」

 少し切なげに首を傾げ、困り笑顔で母を見る。勿論、彼女がこの表情に弱いことを知っての計算だ。

「そうなの……?」

 ラシェルの読み通り、娘に弱い母の心が早くも傾き始めたところを、捲し立てるように畳み掛けた。

「学園の令嬢たちの間でも今お菓子作りが流行っていて、手作りのそれを殿方に送ることで、逞しくも恋愛のきっかけを掴んでいる方が多くいらっしゃるの。私自身、この見た目で後れを取ってきましたが、男を掴むならまず胃袋からと申しますし、是非この休みを利用して、新学期までに料理の腕を磨きたいのです」

 途中、前世の地が出て下品な表現が入ったが、ご愛嬌という事で流してもらおう。

 しかも貴族の令嬢が手作りお菓子だなんて、全て嘘っぱちの口から出任せだが、必死の瞳でラシェルは懇願した。

「でも、ラシェルちゃんにはディルクがいるから必要ないでしょう」

 きょとん、とした目で冷静にツッコまれる。

 しまった。忘れてた……。

 つい習慣で、自分に婚約者が出来ていたことを失念していた。

 婚約者がいる身で他の殿方に色目を使うのは、お母様賛成しかねるわと、ちょっと本気のお説教モードで母の口調が変わるのを制し、ラシェルは先の言を訂正した。

「ちっ、違います、お母様。勿論、私にはディルクという立派な婚約者がおりますが……そうではなく、学院に戻った後、他の令嬢たちと会話が合わないと辛い……と、申し上げたいのです」

 目線を落とし、肩を窄めて同情を誘う。

 もう既に、挨拶を交わすことすら怪しいほどクラスメイトとは話ができていない状況だったが、他に良い言い訳も見当たらず、嘘に嘘を重ねる罪悪感だけが募った。とはいえ、ここまで来て引き下がるわけにもいかない。ただただ目元に涙を滲ませ、上目遣いに許しを請うた。

 社交界でも話の輪の中に入って行けない時の辛さを知っている母は、不承不承、ラシェルちゃんがそうしたいならと折れてくれた。兎に角、怪我には気を付けてねと念を押しつつ。


 ディルクに死んでくれと心から願った罪悪感の埋め合わせに丸二週間、厨房に通い詰めた甲斐あってか、もしくは前世の勘も多少取り戻したか、火や包丁の取り扱いには大分、手馴れてきた。

 厨房に入ったラシェルは、布と紐とを組み合わせた簡単な前掛けを腰に巻いた後、市で仕入れた乾燥大豆の袋を「よっこいせ」と台に乗せる。

「その大豆、お嬢が買って来た物だったんですね」

「そうよ。しばらくここに置いてもらっていいかしら?」

「そりゃ、構いませんけど……」

 こんな大量の乾燥大豆なんて一体どうするつもりだという表情を向けるジータに構わず、少し大きめのボールを出すよう頼む。

 昼間、隣町の市場に着いた三人は、そこの出店で簡単に昼食を済ませると、様々に立ち並ぶ店を練り歩いた。

 市には見たこともない野菜や果物、切り花に反物、アクセサリーから子どもの玩具まで、ありとあらゆるものが並んでいた。初めて目にする光景に、ラシェルが興奮を覚えながらキョロキョロしていると、不意に肩を叩かれた。

「なぁに?」

 やや上擦った声で振り向くと、気恥ずかしそうな表情を浮かべたディルクと目が合う。

「この間の、詫びがしたい……」

「えっ?」

「何でも好きな物、言ってくれ。プレゼントしたい」

 ぶっきらぼうに、けれど視線を下へ落として言う彼の、反省が滲む声につい怯んでしまう。

 気にしなくていいって言ったのに……。

 ラシェルは思ったが、市に誘われた時、こうなる予感はあった。旅の誘惑に負けた自分が悪いのだけれど……。

 一応、ここは彼の気が済むようにした方が後腐れなさそうだなと、その提案に乗ることにした。とはいえ事が事だけに形が残るものは正直、気持ち悪い。かといってダイエット中に買い食いも気が引けたので、たまたま袋で叩き売りしていたコレに目を付け、買ってもらうことにした。

 流石に想像の斜め上を行く要求だったようで、ディルクが顔色を失っていたけどスルーする。彼の気が変わらないうちに、とっとと会計を済ませてもらった。

 レイプ紛いのキスをした罰に、乾燥大豆を袋買いさせられる婚約者とは如何なものかと躊躇いがなかったわけではないが、まぁ、今一番欲しいのはコレに違いないし、別にいいやと一人納得する。

 帰り際、本当にあんなもので良かったのかと繰り返すディルクに、しつこいとだけ返しておいた。

 ラシェルは適当なカップに乾燥大豆を二杯ほど取り、ボールに入れて洗った後、水に浸す。

「これで、明日の朝まで放置ね」

 ふぅ、と一仕事終えたかのような物言いで息を付く。勿論、この作業自体は大したことないのだが、早朝から馬で隣町へ行き、帰って早々、母との交渉もあったことで少し疲れが出ていた。

 だがもう一つ、ラシェルはジータに確認しておきたいことがあった。

「ねぇ、ジータ。隣町から大量にお米を買い上げてるって聞いたんだけど、どこに保存してあるか知ってる?」

「コメ、ですか……?」

 ジータがその聞き慣れない食べ物の名前に、目線を上にしながら記憶を辿る。暫くして、あれか、と思い出した。

「それなら、何度か食卓に出してみたんですが、どうにも皆さん不評で。何年か前、旦那様にお願いして家畜の餌に回してもらうよう頼んだんです」

「ええ――――っっ!?」

 あんな美味しいものを、家畜の餌とは……!

 ラシェルは愕然として項垂れる。

 食事に出した、って……いつの話? ダメだ、全然覚えてない……。

 印象にも残らないメニューだったのか、見た目だけで食わず嫌いしていたのか。過去の自分が恨めしい。

「ちなみに、どんな風にして使っていたの?」

「えーっと、最初は茹でてサラダに混ぜたり……」

「……」

「雑穀や豆類、あと黒オリーブと一緒にマリネにしたり。それからニョッキにも練り込んだりしたんだったかな?」

 うん、あんま美味しくはなさそうだねと、心の中で独り言つ。

 やっぱり食文化も輸入しとこうよ、ご先祖様――――!

 落胆する心は一旦隠し、去年までの米が飼料用の倉庫に保管してあるとのことで、一応見ておきたいと頼んだら、ジータが案内してくれた。

 行くと、飼葉や鳥の飼料とごっちゃにして置いてあり、とても食用には使えそうもなかったが、何故か全体の一割程の米が脱穀もされず、稲のまま放置されていた。稲の生育状況の確認とも言われていたことを思い出し、調査用なのだろうと勝手に当たりを付ける。こちらは割と綺麗な状態で残っていたため、一度厨房に持ち帰ることにした。秋には収穫期を迎え、新米も届くという事なので、それが来たら今度は食糧庫に保存しておくようジータに頼み、倉庫を後にした。


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