1.覚醒前
乙女ゲームのモブ以下キャラに転生した設定ですが、まだ覚醒前です。
最初の三話はお決りの展開のため、読むのが面倒な方は後書きに各話の概要を纏めましたのでサクッと読み飛ばしていただけたらと思います。
あと、書く人間に常識がなく、割とモラルが低いところがありますのでR15とさせていただきましたが、本来のR15的な魅力は皆無と思われます……すみません。
フィリドール伯爵邸の一室に、衣擦れの音が響く。
それに続く少女の呻きは、聞く者にさながら拷問を想像させた。
「デボラ、……これ以上は、もう……」
「何を仰います、ラシェルお嬢様。これは旦那様が足を棒にし、お偉い様方に幾度となく頭を下げ、やっと手にしたチャンスですぞ。何より、フィリドール家存亡を左右する一大事。妥協は許されません」
「うぅっ……」
フィリドール家の最古参にして齢五十八のメイド長、デボラにそう言い切られては、一人娘の伯爵令嬢といえど、言い返すことはできない。
全ては、貧乏が悪い……。
ふくよかなバスト、細くくびれた腰、豊満なヒップという、流行の体型に少しでも近づけようと更にきつくコルセットを締め上げるデボラの皺まみれの手を恨めしそうに見つめながら、ラシェル・デュ・フィリドールは涙を呑んだ。
アウローテ王国の最北端に位置するフィリドール伯爵領。当主はラシェルの父、ブリアック・デュ・フィリドールであり、所謂、没落貴族である。
国内三番目の広大さを誇る所領ではあるものの、その七割以上が沼地に覆われ、資源も少なく、産業にしろ観光にしろ、特に取り立てて目立った収入源はない。いつかは没落が約束されたような斜陽の地で、先代も先々代も金策政策と、あらゆる手を尽くしたが敵わず、ブリアックの代で、いよいよ行き詰ったという、言ってみればそれだけのことだった。
「もちろん、それこそ方々から爵位を求めてラシェル様に政略結婚を望まれる声もあるのですぞ。先日、申し入れがあった隣国の成金商家など、莫大な結納金を提示する破格の縁談話を持ち掛けてきたとか」
アウローテ王国は、王族から庶民まで、死去や病気等、正当な理由がない限り男女問わず第一子が家督継承という、近隣諸国と比較しても珍しい効率主義かつ現実主義の国である。フィリドール家に政略結婚を持ちかけるのは、ラシェルの夫となっても爵位が直接自身に移るわけではないものの、男女問わず確実に自身の子どもが爵位を継承することから、外戚として領土での権力を恣にできる故である。特に今後の市場拡大を狙っている新興商家等にはメリットがあった。
「うっ……うぅっ……」
ぎゅっ、ぎゅうぅ、と、デボラは締め付けの手を緩めず続ける。
「なりふり構わず、お家の存続だけを優先させて政略結婚に踏み切れば楽だったものを、それでもたった一人のお子であるラシェル様には、出来れば恋愛結婚をさせてやりたいという親心で、こうして社交界デビューの場を旦那様は用意して下さったのです」
国内貴族の子女は十五歳になると次々に社交界デビューし、恋愛結婚の対象になったことをお披露目するのだが、その中でも唯一、現君主であるフローレンス女王からの祝福を受けることができるのが明日に控えた舞踏会だ。本来であれば上流貴族や資産家の中から更に選ばれた本物のセレブリティの子女のみが招かれる場で、伯爵といえど没落貴族であるフィリドール家のラシェルがおいそれと参加できるものではない。それを今回、ブリアックの伝手で、レイラ・デュ・モーリアック公爵令嬢の補佐役という名分でラシェルにも招待状が届けられた。
結果、ここに見事なボンレスハムが出来上がりつつある。
そう。正しくは、丸々と太った、この巨体が悪いのだ。
「あらぁ。ラシェルちゃん、また太ったぁ……?」
利き手でドレスの裾を摘み、反対の手で扇を口元に当て、ノックもなしにラシェルの私室に入って来たのはコゼット・デュ・フィリドール伯爵夫人。ラシェルの母である。
「お母様……この状況に、その言葉……。止めを刺しに来られたのですか?」
軽く殺意を覚えるストレートな母の言葉に、つい口調がきつくなる。そんな娘に、「えー???」と天然で返す母。もうじき御歳四十を迎える母だが、ラシェルとはうってかわって痩身で、くりくりっとした瞳が特徴の、愛らしい容姿をしている。彼女自身も含め、母の身内は痩身が多い。
瞬間、大広間に飾られた歴代伯爵の肖像画が、ちらりとラシェルの脳裏をよぎる。父もそうだが、ラシェルのこの体型は確実に父方の遺伝だった。
ティータイムはとるものの、たいした量を摂るわけでなく。普段の食事も、ごくごく平均的な量と内容で、要するに、何をどれだけ食べても太らない人間がいるのと同様、何をどれだけ食べなかろうと太ってしまう人間もいるということなのだろう。常日頃ラシェルには過保護なくらい優しい父が、この時ばかりは恨めしく思う。
「うぐっ……ぅぅ……」
ラシェルはぽっちゃり……を通り越して丸い球体のような体型、低い伸長、透き通るような色白の肌と言えば聴こえはいいが、実際は外見のコンプレックスから出不精となり、不健康なまでに青白い肌をしているに過ぎない。そこへさらに追い打ちをかけるのが、デブなのに貧乳という奇跡のボディ。バストに関してはコゼットも含め、母方の血筋が先祖代々貧乳の家系なので、これまたラシェルのせいではないのだけれど。
体型と同じく父譲りの、開いているのか閉じているのか分からないほど細く垂れた目。控えめな鼻に、ぽってりと腫れた唇。口元には、いやし黒子まである。繰り返しになるが、大食いとか過食といった言葉は、ラシェルには縁遠い食習慣だ。
両親の悪い所取り、紛うことなきデブスな彼女は、この年までまともな婚約話の一つもなく、今なおそれを更新中である。
そして、ラシェルは知っていた。
補佐役にと名指しされたレイラ・デュ・モーリアック公爵令嬢だが、その身分や勝気な気性とは裏腹に、彼女もまたあまり器量がよろしくないという噂を。
舞踏会で女子は、皆一様にシンプルな純白のロングドレスを身に纏い、主催者から招待状とともに届けられる小振りな装飾のティアラを冠してワルツを踊る。それは残酷なまでに、各令嬢の美醜とプロポーションを曝け出すことも意味していた。
今回の夜会は、紛うことなきデブスな彼女だからこそ、見事公爵令嬢の引き立て役として抜擢されたのだ。
「デボラ、それ以上締められたら私、本当にハムになっちゃ……ぐぉっ」
「ラシェル様、これもお家のため!」
フィリドール邸に、伯爵令嬢の断末魔とともに、コルセットが悲鳴を上げて弾け飛んだ音が響いた。
名前や設定が途中でするっと変わることがあるかもしれませんが、物語の辻褄が合わなくなる訂正は都度ご報告の上、変更したいと思っています。
*** 一話概要 ***
主人公はラシェル・デュ・フィリドールという十五歳の女の子。チビで糸目、タラコ唇のデブス。貧乳。貧乏伯爵令嬢。一人っ子。
侍女はメイド長も兼任する、フィリドール家の使用人の中でも最古参のデボラという老女。
この春に社交界デビューと、アウローテ国立貴族学院へ進学予定。
父の名はブリアック、母の名はコゼット。