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第四章

 プランタール領主家の王都にある邸宅に着いてから、ティリスは休む暇もなく、招かれた人々との会話に勤しんでいた。今夜の会の主役であるユウリスとは、はじめの儀礼的な会話をした以外、ティリスはその姿すら見つけることもできずにいた。

 たった一日で、これほどの規模の催しを開くのはさすがだ、と感心しながら、人の波が切れた頃を見計らって、ティリスは会場の隅へと移動した。飲み物を手に、気配を殺して会場の様子をぼんやりと眺める。

 そういえば、ユウリスだけでなく、件の王子も見当たらない。そう思ったティリスは会場を見渡すが、やはり見つける事は出来なかった。来ていない、とは思えないので、ティリスと同じように、王族という事で人に囲まれているのかもしれないと、ティリスは詰めていた息をはいた

 喋る事になるだろう、とティリスは意気込んできたため、少々肩透かしを食らった気分ではある。あるが、会わないで済むなら、このまま会わないでいられないだろうか、と彼女は少し思っていた。

「おや、これはこれは、麗しの女王陛下ではありませんか。」

 だが、噂をすれば、というか。やはり、そのままではいかなかったらしい。

 ティリスは内心うんざりと、だが表面上はいっそ嬉しげにさえ見える笑顔を浮かべて、その声の方向へと振り返った。

「あら、ラッセル殿下。貴方もいらしてたのですね。」

「ええ、今来たところですよ。」

 なるほど、姿を見なかったのは、到着が遅れたから、ということかとティリスは内心嘆息する。その中で一番に話しかけてくるとは、よほどこちらの様子が気になるらしいと、彼女は思った。

「今回は災難でしたね、陛下。」

「災難? 何の事でしょう?」

 十中八九、ユウリスの事だろう。だがティリスは、私は別に災難にはあっていないぞ、と惚けて聞いてみる。ラッセルは予想通り、何を言っているんだと言うように、笑って、ユウリス殿の事ですよ、と返した。

「ユウリスの事? ええ、確かにそうですわね。彼、あんな状態なのに、仕事をする、と言って聞いてくれませんでしたの。休ませるのが大変でしたわ。」

 扇子を広げ口元を隠しながら、ほほほ、とティリスが笑うと、ラッセルも同じように笑った。だが、扇の影から、ティリスが彼を観察していると、口元がわずかに引き攣っている。彼の思っていた返しではなかったらしい。

「………、だが、思ったより元気そうな御様子。もうよろしいので?」

 明らかにこちらの様子を窺う視線を、少々不快に思いつつ、ティリスはにっこり微笑んだ。

「彼の事? ええ、休養を取らせたのも、念の為ですもの。」

 念の為、という言葉にラッセルの目が僅かに見開かれる。

「ほう……。それは、運がよろしいのですね。」

「そうですね。小さなものでも、甘く見ると怖いですもの。」

 ティリスの返答に、ラッセルが微かに眉根を寄せる。

「小さい? 大事だった……と、聞いておりますが?」

「私が大袈裟に騒いでしまいましたの。少し、反省しているところですわ。」

 ラッセルはティリスの言葉にふむと何かを考え、そして妙に納得するように頷いた。

「そうでしょうとも。大袈裟、という事もないのでは?」

「と、言うと?」

 ティリスは変わらず、扇子の向こうで笑ったまま、問い返した。

「もちろん、貴女の大事な聖魔導師殿が、賊の襲撃を受けたのです。大袈裟という事はないでしょう?」

 そんな言葉を堂々と言い放つラッセルに、ぎょっとしたのは、ティリス達の近くにいた人々だった。

 あの噂は、もしや本当だったのか、というひそひそとした話し声が、ティリスの耳にも届く。

 これは、さすがにまずい……。

 笑みを張り付けたままのティリスはだったが、あの噂に信憑性を与えてしまってはまずいと、内心かなり焦った。そして、ティリスは考えた末、周りの人々に聞こえるほどの声で、大笑いを始めた。

「へ、陛下……?」

 素で困惑しているらしいラッセルの声が聞こえる。ティリスは、扇で口元を押さえ、それでも堪えきれない、というようにクスクスと笑った。

「いやだわ、ラッセル殿下。ただの風邪の菌を、賊、だなんて仰るんだもの!」

 よほど風邪が怖いのね、とティリスが笑っていると、周りも明らかにほっとしたように、空気が和らぐ。

「風邪……?」

 ぽかんとしているのはラッセルだ。

 ティリスが笑う振りを続けていると、そのティリスの背後から声がかかった。

「陛下。」

 現れたユウリスの声に、ほっとしてティリスは振り返る。こうなってしまった以上、ラッセルが余計な事を言わぬうちに、この場を退散したい。そのため、その救いの声に、助かった、と思っていたティリスだったが、それを顔には出さず、優雅に微笑む。

「あら。どこへ行っていたの? 探したわ…、私の聖魔導師。」

 ユウリスの差し出す手に、ティリスも自身の手を重ねる。ユウリスは流れるような動作で、ティリスの手に口付けて微笑んだ。

「御待たせ致しまして、申し訳ありません、陛下。」

「いいのよ…。ふふ、それじゃあ、皆様。ごきげんよう。」

 それだけ言ったティリスは、ユウリスの手に引かれるまま、その場を後にしたのだった。




 ティリスの手を掴んだままユウリスは、彼女がただ付いてくるのをいい事に、彼女を帰りの馬車に乗せ、自分も当然のようにそれに乗り込んだ。父母にはティリスを連れて帰ると、ユウリスは事前に言ってあったので何の問題もない。

「本当に助かりました……、ユウリス様。」

 馬車の扉が閉まり、ようやく二人きりになったところで、ほっとしたのかティリスは大きく息を吐いてそう言った。かなり疲れた様子のティリスを見て、ユウリスは少し申し訳なくなった。

 ティリスは気付いていなかったが、実のところユウリスは、少し前からあの場にいた。

 父母にティリスを連れて帰る旨を伝えた後、当の彼女を探していたユウリスだったのだが、ユウリスがティリスを見つけた時には、既に彼女はラッセルに掴まった後だった。すぐに割って入ろうかと思ったユウリスだったが、彼女が中々に面白い腹の探り合いをしていた為、ついそのまま、じっと聞いていたのだった。

「私、やっぱり…、ああいうのは苦手です……。」

 はあ、と溜息を吐くティリスを宥めるように、繋いだままだった手をぎゅっと握った。ユウリスだって、好き好んで、彼女にああいった事をしてほしいわけではない。

「そうですね……。女王陛下をしている貴女は、いつまで経っても見慣れませんよ。」

 普段は控えめで大人しいティリスが、女王陛下たらんとして、悠然と振る舞う。それを見るのは、成長を嬉しく思う反面、いつまでも手の届く所にいてほしい、ともユウリスに思わせた。

 だが、それを差し置いても、今日の「私の聖魔導師」という言葉を、ユウリスが嬉しく思わなかった、と言えば嘘になるのだが。

「貴女には、そのままでいてほしいですよ。私の女王陛下。」

 ユウリスが彼女の真似をして言ってみると、ティリスもすぐにわかったのだろう、顔を真っ赤にさせて、抗議するように手をぶんぶんと振った。

「も、もう! からかわないで下さい!」

 耳まで赤くして拗ねるティリスを、愛らしく思いながら見つめていたユウリスだったが、いつまでも遊んでいるわけにはいかなかった。

「さて、ティリス……。冗談はこれくらいにしましょうか。」

 ティリスもそのユウリスの言葉に、ぐっと表情を引き締めて頷いた。

「ラッセル殿下の事、ですね。」

 ユウリスもそれに頷き返すが、二人ともラッセルとの会話を思い出して、顔が引き攣った。あそこまではっきりと証言が出るとは、どちらも考えてもいなかった。

「というか、あれはもう……。自分がやりました、って言ってるようなものでは……?」

 まったくだ。

 風邪という事にした療養理由を、何の不思議もなく「賊の襲撃」などと言い出す事が出来るのは、あの事件の関係者を除き、他にいない。

 本来なら、ラッセルも知っているはずがないのだ。それなのに、あの発言が出る、ということはだ。

 そもそもティリスが探りを入れようとした段階で、彼が関わっているという確証など少しもなかった。二人共、何か引き出せればいいなぁ、程度の心持ちだったのだ。

 ユウリスも思わず溜息を吐く。

 今回の襲撃について、お忍びだったのと、相手もそこまで簡単に尻尾を出さないだろうと思って、それをなかった事にした。だが、それは間違いだったのかもしれない、とユウリスは内心、頭を抱えそうになっていた。この調子では、あえて公にして、同じような風に誘導すれば、思わぬ証言が得られていたかもしれない。そんな栓の無い事を、ユウリスも思わず考えてしまう。

「とはいえ、あの程度では、噂を鵜呑みにしていた、と言われれば、それまでですからね。」

 最早言っても仕方のないことなので、どうしようもなかった。だが、今回の発言で彼が関わっている事は、ほぼ確定したので、調べやすくはなったのは確かだ。

 今までの手紙と違い、関わっているであろう人間が多い。どこか必ず糸口があるはずだ。

「……頑張りましたね、ティリス。」

 突然の労いの言葉に、ティリスはきょとんとする。が、ようやくその意味を飲み込んだのか彼女は、一拍遅れて、頬が赤くなった。

「い、いえ! ま、まあ、確かに…、顔が引き攣らないようにするのは、大変でしたけれど。」

 勿論ティリスが言うのは、先程のラッセルとの会話の事だ。全体的に話が噛み合っていない事は、当然ティリスとて気が付いていた。片や賊の襲撃、片や風邪として話しているのだから、合うはずもない。それを普通の会話に聞こえるように繋げたのだから、神経も使う。

 照れるティリスにユウリスは微笑んだ。

「もちろんそれも、ですけど。この三日間…大変だったでしょう?」

 この三日の間、ユウリスも決して遊んでいたわけではないが、突然抜けたユウリスの穴を埋めるのは、簡単ではなかっただろう。

「はい……、ユウリス様にどれだけ頼り切りだったのか、痛感しました。」

 そういう風に思ってほしかったわけではないのだけれど、とユウリスは苦笑する。だが、これがティリスらしいとも思った。

「明日からはまた、いつも通りですよ。」

「そうですね。」

 ティリスの心底安堵した笑顔を見てユウリスも、やっと彼女と離れていた三日が終わったのだと、実感したのだった。




 だがその、いつも通り、の生活は長くは続かない。

 ユウリスが仕事に復帰して数日。ゆったりとした時間が流れる昼下がりに、事件は起こった。

「―――陛下!!」

 執務室の扉がノックもなく開け放たれる。部屋でゆっくりお茶を飲みながら本や書類に目を通していたティリスとユウリスは、突然のそれに目を見開いて固まった。

「何事だ。」

 一足早く硬直から復帰したユウリスは、持っていた書類を机に置いて、駆け込んできた男を見た。ティリスも突然の事態にバクバクと音を立てる心臓をなんとか宥め、手に持っていたカップを置いた。

「も、申し訳、ありません……。陛下、た、大変なことが……!」

 あまり見慣れぬその男は、ここまで走って来たのだろう、肩で息をしながら、ぐったりと床に手をついた。

「お前は、魔法省の人間だな。何があった?」

 ユウリスの言葉に、ティリスも目の前の男を観察する。ユウリスの言う通り、男は魔法省の、魔導師の格好をしていた。

 普段直接ここまで何かを伝えに来る事が少ない部署の為、ティリスにはすぐには分からなかった。だが、ユウリスはきっと所属まで分かっているに違いないとティリスは思った。

 床に四つん這いになっていた彼は、息を整えるために一度大きく息を吐くと、ガバッと顔を上げた。その顔は青ざめている。

「申し上げます! リンデ地方にて、住民が蜂起、領主邸に押し寄せています!」




 意味が分からない。

 というのが、ティリスの正直な感想だった。

 そうして、ティリスが唖然としている間にも事態は進み、ユウリスはいち早く高官を集め、緊急議会を開くことを決めた。

 今は、その会議室の中だ。

 ティリスが震える手をぎゅっと握りしめた。その眼前には、集められた高官達がざわざわとしていたが、ティリスの耳には何も入っては来なかった。

 リンデ地方。王都から南西方向の山間にある、小さな町がある地域だ。普段は山間部で林業に従事する者が多い、穏やかな領主が治める慎ましやかな町。急峻な山と流れの速い谷川に挟まれている為、平らな土地が少なく農業は難しい。そういった点は外との交易に頼ってはいるものの、近くの街との関係も悪くはなく、これといった問題もないまま生活を送っていた地域だった。

 だが今年はそうではなかった。

 まず、春先に土砂災害が起こった。それだけでも、生活に及ぼす影響は少なくなかったが、その夏、また災害が起こったのだった。

 長雨による水害。

 そう、数ヶ月前、ティリス達がその対策に、と魔導師を送ったはずの場所こそ、件のリンデ地方だった。予定通りならば、とっくの昔に彼らが辿り着いているはず。それなのに何故、このような事態になっているのか、ティリスには全く分からなかった。

 はじめての事態に、ティリスは足の先から冷えていくような感覚に支配される。先程から手の震えが止まらなかった。

 どうしようもなく怖くて、つい逃げてしまいたいと、そうティリスは思った。そんな時だった。

 ティリスの肩に、そっと手が置かれる。

 その瞬間に、震えがピタリと止まった。

 知らぬうちに詰めていた息を吐いて、ティリスはおそるおそる、その手の主を見上げた。

「ユウリス、様……。」

 目が合うと、ユウリスはにっこりと微笑んだ。何故この状況下で、こうも笑う事が出来るのか、ティリスは心底不思議だった。

「大丈夫。落ち着いて、堂々としていれば…、意外とね、どうにかなるものですよ。」

「ほんとうに……?」

 そんな事、俄かには信じられなかった。ティリスは、十年以上この王宮を第一線で渡って来た彼とは違う。運命の悪戯で、こんな場所に座る羽目になってしまった、ただの小娘だ。ユウリスは、どうにか出来る自信があるから、そう思えるだけなのではないかと、ティリスは思った。

 だが、ティリスのそんな予想に反して、ユウリスは困ったように笑う。そして、机の上で組まれていたティリスの手に、その手を重ねる。

 その手は、ほんの、ほんの微かに、震えていた。

「私も不安ですよ。でも、私達が動揺すれば、周りも動揺する。だから、内心不安で平気じゃなくても、何にも不安なんてない、大丈夫だ、って顔をするんです。そうしたら不思議なもので、本当に大丈夫になるんですよ。」

 ユウリスは、そこで一度言葉を切って、周囲を見渡した。そして、もう一度ティリスと目を合わせて、それに、と続けた。

「ティリス、貴女は独りでは、ありませんから。」

 ね、と微笑むユウリスを見て、ティリスも不安が少しだけ、消えた気がした。

「そう…ですね。」

 大丈夫。

 ティリスは自分にそう言い聞かせるように、少し無理矢理に笑みを浮かべた。すると本当に、大丈夫なような気がしてくる。そして、ティリスはもう一度ユウリスに笑顔を向けた。今度は、引き攣るようなぎこちなさがなくなっていた。

 ユウリスと頷き合ったティリスは、人々の集まる方へ真っすぐに視線を向けた。

 ユウリスもそれを確認すると、手を一つ、パンッと叩く。すると、部屋はしんと静まり返った。

 彼らの視線がティリスに集まる。ティリスは怖気づきそうになる心を鼓舞して、正面を見据えた。

 俯かずに、堂々と。

 ティリスはじっと固唾を飲み様子を窺う人々を見渡し、口を開いた。

「皆、集まりましたね。今は時間が惜しい…。さっそく、報告を聞かせてもらえますか?」

 そうして聞かされた事の詳細は、ティリスが思っていたよりも大変な状況だった。

「―――魔導師が一人も到着していない、とはどういう事?」

 現地にいる魔導師から、通信魔法経由でもたらされた情報によると、現状はこうだ。

 民衆は現在、武器を手に領主邸を取り囲んでいる。今の所、領主邸を取り囲み、声を上げているのみで、怪我人などは出ていないが、聞くに時間の問題であるのは明白だった。

 だが、度重なる自然災害により、身も心も疲弊しているであろう人々が、何の理由もなく事を起こすわけもない。

 より問題だったのが、その蜂起の理由であった。

 それが、二月前に派遣したはずの魔導師が一人も到着しておらず、遅々として復興が進まないから、という理由だった。

 予定通りであれば、一月は前に到着しているはずの彼らが、何故いないのか。水害について伝えに来て、魔導師達とは別にリンデまで帰っていった伝令は、すでに戻っているというのに。

 その魔導師達と連絡をとっているはずの魔法省の長官を、ティリスは思わず睨みつけた。彼はビクッとして慌てて立ち上がると、大きく頭を下げた。

「申し訳ありません、陛下。定時連絡は問題なく行われており、リンデの町にも到着した、との言葉を鵜呑みにしておりまして……。」

 五日に一度の頻度で行われていた定時連絡は、毎回欠かすことなく、そして一月前には現地に到着した、との報告があった。だが、今回の連絡が来て以降、こちらからの接触を試みているのだが、何故か連絡が取れないという状況になっている。

「………。今、リンデに魔法省の魔導師はいないのね? なら、連絡してきたのは誰?」

「はい、それが…、たまたま町に訪れた、登録魔導師です。」

 登録魔導師とは、魔法省に在籍はしていないものの、魔導師としてその名前、身分、力量などを、魔法省に登録されている人々の総称である。

 元々、力のある魔導師の把握のためと、有事の際の人材不足の解消のためにはじまった制度だ。そのため何かあった場合の、協力要請を断れないという制約があるものの、登録されるためには、魔法省の任用試験を突破できる程度の実力が必要なため、その登録証は魔導師としての力量を分かりやすく示す、一種の身分証代わりにもなっている代物だ。

 そういった理由から、この制度を利用している魔導師も多く、今回その魔導師が魔法省との連絡が簡単に行えたのも、そういった背景があった。

 そう考えると、その魔導師がリンデにいたのは、本当に不幸中の幸い、と言わざるをえない。その魔導師がいなければ、情報がここまで辿り着いたのは、全て終わってしまってからだったかもしれない。

 ティリスは、わかった、と頷いて、魔法省の長官を座らせる。前代未聞の状況に、彼は泡を吹いて倒れそうな顔をしていた。彼が、ふらふらと座り込むのを見届けた後、ティリスは、後ろのユウリスを仰ぎ見る。

「いなくなった魔導師達は、見つかったの?」

「現在、捜索がはじまりましたが……。」

 まだ、足取りを追っている最中で、何も分かっていない。そう言ってユウリスは小さく首を振る。

 いないものは、どうしようもない。いなくなった彼らについては、捜索を続けさせるほかなかった。

 今は、リンデの方が早急に対処せねばならない。

 ティリスがどうしたものか、と思案していると、一人の男が声を上げた。

「陛下!」

「………何です。」

 彼は軍部の人間だった。少々血の気の多い性格で、国力増強のために、周辺国を攻めようと、普段から持論を展開してる人物だ。

 ティリスは、なんとなく彼の言い出すであろう事に予想がついて、嫌な予感を感じつつ、発言を許可する。

「領主に、武力制圧させるべきです!!」

 やっぱり、と口から出なかった事を褒めてほしい、とティリスは思いながら、首を振った。

「なりません。」

 男はしかし、と食い下がる。が、ティリスはきっぱりと首を振った。

 そんな事をすればどうなるか。相手が乗り込んできた場合、自衛するなとはさすがにティリスも言えないが、こちらから制圧させるなど、出来るはずがなかった。それに何より、制圧したところで、問題の解決にはならないのだ。

 とはいえ、どうするべきか、という問題は残っている。

 派遣したはずの魔導師がいない現状で、出来る事は少ない。もう一度派遣したところで、着くのは一月後。遅すぎる。

 だからと言って、領主にこれ以上、どうにかしろと丸投げすることもできなかった。リンデ領主が何もしていないとすれば、そもそも民衆はここまで我慢していないはずで、それでもどうにもならないから、この事態になっている。領主も手を尽くした後だろう。

 これといった決め手がないまま、時間だけがすぎる。

 その時、黙って議会の行方を見守っていたユウリスが口を開いた。

「陛下。このまま話していても埒があきません。」

「ええ…、そうね。けど……」

 だからといって、このまま放置するわけにもいかない。どうするのか、とティリスがユウリスを見上げると、彼の真剣な眼差しとぶつかった。

「私が参ります。」

 聖魔導師が何を言うのか、と見守っていた高官達も、目を丸くする。呆気にとられる一同を、ユウリスは見渡して、ですので、とティリスに続けた。

「転移魔法の使用許可を頂きたく思います、陛下。」

 議会がざわつく。

 転移魔法とは、その名の通り、物や人を一瞬で別の場所に移動させる魔法だ。

 難易度が高く、高位の魔導師がかなりの数必要で、おいそれと使える魔法ではない。過去にも使用された実績は少なく、戦時中などの緊急時を除けば、殆ど使われていない魔法だ。

 その上、物を運ぶだけでも難しいが、人間を含む生き物を運ぶのは、さらに難度が跳ねあがる。また、失敗した場合、不発で終わればまだ良い方で、中途半端に失敗すれば、異空間へ飛ばされる、と言われている。

 その為、国内で転移魔法を使用する際は、王に許可を取る必要があった。許可なく使用すれば、重罪となる。それだけ、難しいのだ。

 ティリスは悩んだ。転移魔法で複数人を運ぶのは、現状では無理だ。つまり、本当にユウリスただ一人で、リンデに行くことになる。

 だが、ここまで考えて、何も出ないのだから、こうする他ない。その事も、ティリスは分かっていた。

 ティリスは、葛藤を消し去ろうと、大きく息を吐いた。

「………、仕方ありません。」

 高官達が息を飲んだ。

 ティリスは意を決し、ユウリスの目を真っすぐ見つめ、言った。

「聖魔導師ユウリス。女王ティリスの名において、此度の混乱の収束を命じます。一滴の血も流す事無く、収めて見せなさい。」

「御意に、我が女王陛下。」




 魔法は個人の力量に左右される要素が大きい分、魔法の行使者の意思のみで発現するものが大半だ。だが、今回の転移魔法のように、複数人で発動するようなものの場合は、ある程度手順を踏む必要があった。

 ティリスは城内の少し開けた部分で行われる準備の様子を、少し離れた二階部分から、眺めていた。

 今、ティリスに出来る事は何もない。王宮から出来る事は全て終わり、後はユウリスが何とかしてくれるのを待つ、それだけ。

 何もできない口惜しさが、胸を埋め尽くす。

 眼下では、魔法陣と呼ばれる、円形の幾何学模様が砂地の上に描かれている。複数人で行う魔法は、こうした魔法陣や魔力を溜め込んだ魔法石などを媒介して、一つの魔法を組み上げるのだ。

「ティリス。」

 欄干に身体を預け、ぼんやりしているティリスの背後から、突然声がかかる。ティリスはびくっとして、慌てて背筋を伸ばし振り返る。

「ユ、ユウリス様。」

 びっくりした、と胸を押さえるティリスに苦笑しながら、ユウリスはティリスの近くまで歩み寄る。

「探しましたよ、こんなところにいたんですか?」

「あまり近くにいると、皆緊張してしまうみたいなので……」

 すっかり旅装のユウリスを見て、ティリスはぎゅっと胸が苦しくなる。

 自分は、こんな遠い王宮で、彼の無事と成功を祈る事しかできない。

 ティリスがきゅっと唇を噛んで俯くと、ユウリスは困ったように笑いながら、ティリスの頬にそっと触れた。触れたその指に驚いて、ティリスは思わず顔を上げる。

「そんな顔しないで。私が言い出した事ですよ?」

「でもきっと……、ユウリス様が言わなければ、私が言っていました。」

 あの場でユウリスが自ら言い出さなかったところで、結果は同じだった。ティリスも薄々は思っていたからだ。リンデの町に現状を変えられる誰かがいない以上、誰かが行かなければならない。その、現状を変えられる誰か、など、聖魔導師、ただ一人。

 そもそもの問題は、あの地に魔導師が来なかった事、それが原因だ。そして、王宮が彼らを見捨てたのではないという証明も必要だった。

 それをどちらも満たせるのは、魔導師として指折りの実力を有し、王の名代にもなりうる「聖魔導師」という名前。

 それを持つのは、この世で一人きりだ。

 だから、ユウリスが行かねばならない。

 私にも、もっと何か出来たらいいのに……。

 だが、ただ彼に全てを任せることしか出来ない。ティリスは、ユウリスの外套の端をぎゅっと握る。

 本当は、行ってほしくない。何が起こるかも分からない所になど、本当は。

 だが、それを口に出すことなど、ティリスには出来なかった。

 だからその代わりにティリスは、どこか懇願するように言った。

「ちゃんと、帰ってきて、ください。」

 ティリスがおそるおそるユウリスを見上げる。

 目が合った彼は、真剣な顔で頷いた。

「もちろんです。」

 いつもの笑顔と違う、真剣な表情。

 それには、何か、怖さのような、言葉に出来ないなにかがある。

 それに惹きつけられて、目が、離せない。

 落ち着かない。胸をざわつかせる。そんな感情が。

「ユウリス、さま……」

 は、と息を吐いて、瞬きをする。

 するとそこには、いつもの彼がいるだけだった。

「だから、私が戻るまで、ここを頼みますね。」

 いつもの、ユウリス様だ。

 ティリスはほっとして、はい、と頷く。ティリスの返答に、安心したように笑う彼を見て、ティリスも微笑んだ。

 ユウリスは、そろそろですね、と呟いて、転移魔法の準備がされている広場を見た。ティリスが振り返ると、ユウリスの言葉通りもう準備は終わって、魔法をかける魔導師以外、殆ど人がいなくなっていた。

 それじゃあ、行きますね。そう言って、くるりと踵を返すユウリスを、ティリスは思わず、引き留めていた。

「ユウリス様!」

「何ですか?」

 足を止め、振り返るユウリスに、ティリスは何も言葉が出ず、彼の顔を見つめたまま、固まってしまった。

 そんなティリスを見て、ユウリスは急かすでもなく微笑んで、どうしました、と言葉の続きを促す。

 ああ、そうだ。これを言わなくちゃ。

 ユウリスと離れるのは寂しかった。それでも、彼が心置きなくリンデへ行けるように、ティリスは精一杯の笑顔を浮かべて言った。

「お気をつけて。」

「ええ。」

 そうして、次は本当に行ってしまったユウリスの背中を、ティリスは見送る。

 暫くすると、魔法陣の所に彼が立って、転移魔法が発動する。

「ユウリス様……。」

 そして、次の瞬間には、キラキラとした魔法の残滓を残して、彼は消えた。

「いってらっしゃい。」

 今はもう、リンデの空の下にいるであろう彼に、ティリスは祈った。




 そうして転移魔法の使用があった日から十日。

 ユウリスは既に、リンデ地方を後にしていた。


 あの日、リンデ領主邸に着いたユウリスは、すぐに違和感を感じていた。

 まず、はじめに話をしたリンデの領主は、王宮から魔導師伝手に聞いていたほど、緊迫した様子がなかった。

「わざわざ転移魔法まで使っていただき、申し訳ありません。」

 領主はそう、恐縮した様子ではあったものの、のんびりとユウリスを部屋へ案内しようとした。何を悠長な、と思ったユウリスだったが、焦りのあまり気が動転しているのかもしれない、と考え直し、出来うる限り丁寧に領主へ尋ねた。

「部屋などは後でも結構です。それよりも、民達の様子はどうなのです? まだ、屋敷の傍にいるのですよね?」

 だが、そう聞いたユウリスを、領主はきょとんとして見返して、ぎこちなく頷いた。

「え、ええ……。いるのは、いますが……?」

 いるのがどうしたのだろう、という顔の領主を見て、ユウリスもさすがに違和感を無視できなくなった。

 この噛み合わない状況に、どうも嫌な予感がした。ユウリスは、領主邸の門前が見える所へと案内してもらい、そして愕然としたのだった。

 たしかに、そこにリンデの民と思しき人々はいた。

 いたのだが、武器を持って蜂起、どころか、誰もが一様に心配げな表情で、領主邸を見上げていた。その視線には攻撃性の欠片も感じられない。

「領主。王宮へ連絡を寄越した魔導師は?」

「え、ええ……、魔導師殿でしたら、王宮に連絡をしていただいた後、先を急ぐ、と仰ってもう立たれましたが……?」

 領主の答えを聞き、ユウリスはその嫌な予感が、確信に変わるのを感じた。

「領主、我々王宮の人間は、リンデで民衆が蜂起した、と聞きました。どういうことですか。」

 この領主も、一枚噛んでいるのだろうか。ユウリスは少なからずそれを疑って、隣の領主を見た。

「ほ、蜂起……?」

 だが彼は、目が転がり落ちんばかりに、それを見開き、あんぐりと口を開けている。そして、暫く放心状態で黙っていたが、次第にユウリスの言葉の意味が飲み込めてきたのか、顔が青ざめていった。

「一体、どういう事ですか……?」

 青、というより最早白い顔の領主は、眩暈を起こし、壁に手をついた。

「どうやら、あの魔導師にしてやられたらしい……。」

 領主が何も知らない事は、幸か不幸か。

 ユウリスは苦々しく、そう呟いた。


 その後詳しく領主に話を聞いたところ、民衆の蜂起は魔導師の完全なる狂言だった事が判明した。そしてそれについて、領主は一切聞かされていなかった。領主の方は、というとその魔導師には、リンデの現状を説明した、とだけ聞かされていたらしかった。

 だが、事の始まりである民衆の蜂起がなかったからといって、全ての問題がなかったわけではなかった。

 そもそもの魔導師の失踪。これは、本当の事だったのだ。

 そのため、復興が進んでいない、というのも事実で、蜂起というものこそ起こっていないなかったものの、不満が溜まっていた事については、疑いようのない真実だった。

 初日にユウリスが見た領主邸前の人々は、嘆願と話し合いに来た町の代表の帰りを待つ人々だった。

 ユウリスはそれを知った後、すぐにティリスに連絡を取り、魔導師の追加派遣を決めた。そしてここ数日をかけてユウリスは、一人ではあったものの、町の中でも被害の大きい場所を中心に、生活がある程度営めるようにしたあと、流された橋があったところに、簡易で橋を造るなどして、リンデを出たのはつい昨日の事だ。

 帰りは勿論、転移魔法は使えないが、橋を造ったことによって、さすがに一月はかからない。だが、せっかくこちらまで来たので、とユウリスは失踪した魔導師の足取りを聞きつつ、帰途につくことにしたのだった。

 だがユウリスは後で、一刻も早く帰るべきだった、と後悔することとなる。




 ユウリスがリンデから出立して、少し経った頃。

 ユウリスからのまさかの報告に王宮も騒ぎが無かったわけではないが、それも何とか落ち着いた。そして、ユウリスの魔導師としての仕事も順調との報告を聞き、ティリスはほっとしはじめていた時だった。

 時折一人になると、傍にユウリスがいない寂しさを思い出しはするティリスだったが、虚偽報告をした登録魔導師の割り出しなど、ティリスもやることが多く気の休まる暇はなかった。また、ティリスが一人になりそうな時には、ロゼルが顔を出していたり、と日々は飛ぶように過ぎていた。

 ティリスは書類に署名をしていた手を止め、うーんと身体を伸ばす。今はロゼルもおらず、ティリスは一人だった。

 それにしても仕事が多い。ユウリスがいないという状況は、風邪で、ユウリスが仕事を休むという事があったため、あの時よりは落ち着いているものの、それでも周りは常より慌ただしい。

 これは、早めに何とかしないと、かな……。

 他の人で出来る事は、はじめから回しておいた方がいいのかもしれない。ティリスは固まった肩を回しながら、ぼんやりと考えていた。

「………、のど、渇いたかも。」

 ティリスは少し休憩でもしようと、侍女を呼ぶ鐘を、チリンチリンと鳴らした。

「―――――あれ?」

 もう一度鳴らす。だが、誰も来ない。

 いつもなら、私達の出番、とばかりに我先にと誰かが来るのだが、一人も来なかった。もちろん、来ないから、といって怒る気など毛頭ないティリスだが、いつもとの違いに首を傾げる。

 ……そもそも、なんだか静かすぎる、ような?

 先程まで目の前のものに集中していたティリスは、辺りが異様なほど静かな事に今更ながら気が付いた。

 人の気配がなく、物音一つしない。

 何かあったのだろうか、と少々不安になり、ティリスは部屋の扉をそっと押し開けた。いつもならばそこに、二人の護衛が扉の脇を固めているはずだった。

 だが、どちらもいなかった。

 代わりにいたのは、普段ならいるはずもない男。

 ティリスは目を見開く。

「ラ、ラッセル殿下……。」

「ごきげんよう、陛下。」

 扉の前には、ユウリスの快気祝いの会以来の彼がいた。

 彼はにっこりと笑う。だが、目の奥が笑っていないそれに、ティリスはぞっとして、扉を閉めようと、一歩下がった。

 だが、それは間に合わなかった。

 ラッセルは、後ろ手に持っていた香水瓶のような物を、ティリスの鼻先に突き付ける。

「!」

 ティリスは嫌な予感に、顔を背けようとした。しかし、その抵抗は空しくも意味をなさなかった。

 ラッセルは躊躇なく、その香水瓶のようなものをを噴射した。

 霧状になったそれが、ティリスを襲う。

「な、にを………」

 嫌な甘さ。

 そう感じた次の瞬間には、ティリスはもう立ってはいられなかった。視界がぐにゃりと歪んで、天地が反転する。

 ティリスの視界の端に、口元を布のようなもので覆ったラッセルが、嫌らしく笑うのが見えた。

「呆気ないものですね、女王陛下。」

 その言葉を最後に、ティリスの記憶は途絶えた。

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