第三章
彼の存在を認識したのは、一体いつの事だったか。
ティリスはその日、王のご機嫌取りに王宮へと向かう父について、城門をくぐった。まだ十になったかどうかの歳。それ以外にやることもなかったため、同じ年頃の娘よりは礼儀作法は身についていたが、まだそれがたどたどしく、それが可愛らしく映るくらいの年頃の事だ。
いつもならば家で軟禁生活を送っているティリスを憐れに思った王妃が、何かと気にかけて彼女を構っている。だが、今日はその王妃も不在で、ティリスはただひたすらに暇を持て余していた。
だが幼い彼女は、自分が暇をしている、という事にも気が付かぬまま、父の言いつけをただただ守って、庭の片隅に座り父の戻りを待っていた。
だがいつまで経っても現れる様子のない父に、少女は待ちくたびれ、少しだけうたた寝をしてしまった。
肩に何かふわりと暖かいものが被せられる。
お父さまが戻ってきたのかな。
そうぼんやり考えて、また目を閉じようとする。だが、その直前にティリスは王宮にいる事を思い出した。
こんな所で眠ったら怒られてしまう!
その事にティリスは思い至り、目を開いた。
「あ、起こしてしまいましたか……」
申し訳なさそうな声がティリスの頭上から降ってくる。
お父さまの声、じゃない。
ティリスはおそるおそる、上を見た。そこには優しそうな男性がいる。
だれだろう……?
ぼんやりとティリスが彼を見上げていると、その青年は困ったように笑った。
「よく眠っていらっしゃったので、起こすのもどうかと思ったのですが、逆に起こしてしまいましたね。」
すみません、と謝る彼の視線の先には、ティリスの肩にかけられた薄い毛布があった。
ティリスがよくよく考えて周りを見てみると、彼女はこの青年にもたれかかるようにして、眠っていた。ティリスははっとして、慌てて身を起こす。
「ご、ごめんなさい!」
その反動で肩にかかっていた毛布がずり落ち、地面へと落ちてしまう。それに気付いたティリスはさらに恐縮してしまった。あわあわと慌てるティリスに青年は苦笑して、その毛布を拾い上げる。
「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。」
青年の声音は優しいままで、怒っているようには聞こえなかった。だが、いつも周りを怒らせ、失望させてばかりのティリスは、今に彼が機嫌を損ねさせてしまうのではないか、とびくびくとしながら、青年の動きを窺っていた。
「でも、そうですね……」
ティリスはびくりと肩を震わせて、何を言われるのだろうと、じっと待った。
「もう夕刻ですからね。早くおうちに帰らないといけませんよ?」
ティリスは、こちらを責める言葉でなかった事に少し安心して、だがすぐに表情を曇らせた。
「わ、わたし…、お父さまをここで、おまちしなければ、なりません。だから……、かえれ、ません……。」
青年の言う通り、空はすっかり茜色、もう遠くの空が黒くなりはじめている。だが、父が来るまでここで待っていないと、どうなるか分からない。
ティリスは、胸の前でぎゅっと手を握りこむ。
こんな聞き分けのないことを言って、この優しい男の人は怒ってしまわないだろうか。呆れてどこかへ行ってしまうかもしれない。
はじめて会う、名前も知らない人のはずなのに、彼に見放されたら、きっと泣いてしまう。ティリスはそう思った。
だがら、彼が本当に困ったような声で、困りましたね、と言った時、ティリスは怖くて、ぎゅっと目を瞑って俯いた。
だが、青年は労わるように彼女の頭を撫でる。ティリスはびっくりして、思わず目を開けた。
人に頭を撫でられたのは、初めてだった。
「王弟殿下…、貴女のお父さまは、かなり前に、ここを出られたはずなのですよ……。」
それを聞いたティリスは、さぁと血の気が引いた。
恐怖で握っていた手が震える。
お父さまは帰ってしまった。なら、早く帰らなくちゃ。でも、帰ってもきっと怒られる。帰りたくない、でも帰らなくちゃ。どうしたら、どうしたら。
ティリスの身体は、かたかたと音をたてて、止まってくれない。
「姫。」
青年の手が、ティリスの小さな手を包み込んだ。
すると、震えが不思議と止まった。
「あ………」
ティリスは青年を見上げた。真っすぐにティリスを見る彼の視線とぶつかった。
他の人なら、きっとティリスは怖くてすぐに目を逸らした。だが何故かそう思えず、ティリスも彼の目を見つめ返した。
「落ち着いて。私は貴女の味方ですから―――」
それ以降の事を、ティリスはよく覚えていない。恐らく真っ暗になった頃屋敷に戻って、父に怒られたか無視されたか、そんなところだったのだろうと思う。
だが、不思議とその日の彼、後にユウリスという名前を知る男との出会いは、ティリスの中で強く残り続けていた。
きっと、ユウリスは覚えていないだろう。泣いている子供を慰める事なんて、優しい彼にとって、きっとそれは特別な事ではないから。
それでも、ティリスにとって、それは大切な思い出だった。
「ん………?」
ティリスはもぞりと身動ぎをし、目を開ける。ぼんやりとした視界ではよく分からなかったが、どうやら自分は眠っていたらしいと、ティリスは頭の片隅で思った。
とても懐かしい夢を見た。ティリスはふふと口元を緩めた。
その時、ぼんやりとした視界に誰かが現れる。
「………ゆうりす、さま?」
呟いてから、ティリスは何故自分は眠っているのだろう、と不思議に思う。そして急に眠気が吹き飛んで、視界が開ける。
ユウリス様じゃない。彼は―――
「ロ、ロゼル様?!」
ガバッと身を起こし、だがぐらりと眩暈がして、ぱたと倒れてしまう。
「だめだよ、急に起きちゃ。……ユウリスじゃなくて、ごめんね?」
「………。」
先程の眩暈とは違う意味で、くらりとした。
「そ、それで…。ここは、どこですか?」
ユウリスと二人で戦乙女と聖魔導師の像の前にいたところまでは覚えているティリスだったが、その後の記憶がすっぽり抜け落ちている。
それに、この眩暈は何だろう。今度は倒れてしまわないように、ティリスはゆっくりと上体を起こす。
「やっぱり、覚えてないか…。ここは、父上のお屋敷だよ。」
ティリスは、目を瞬かせる。一瞬、意味が分からなかった。
「え、まさか、先王陛下の……?」
そうだよ、と事もなげに頷くロゼルに、ティリスはぽかんと口を開ける。
い、一体何が……。
あの後予定では、ティリス達はすぐにロゼルと落ち合って、王宮に戻る手筈だった。
だが何故、王都内にあるはずの先王の屋敷にいるのか。その上、カーテンによってしっかりと確認できるわけではないものの、窓越しに外から入ってくる光はなく、どう見ても夜だ。
ティリスは混乱する頭を落ち着けようと、深呼吸する。だが、次のロゼルの一言で、その混乱は拍車がかかった。
「君達、狙撃されたんだよ。」
「そ、げき?」
狙撃、弓矢などで遠隔から狙われる、あれの事だろうか。
ティリスは止まってしまった思考で、ぼんやりと考える。
だが、ティリスの身体には、怪我をした時のような痛みはない。倦怠感のようなものはあるものの、それ以外の異常はない。しかしロゼルは、君達は狙撃された、とそう言った。
ならば、怪我をしたのは、まさか。
ティリスは巡らせた想像にぞっとして、掴みかかるような勢いで、ロゼルに迫った。
「ユウリス様は?! ユウリス様は、いま、どちらに……!!」
ロゼルの服を掴んだ手が、力を込め過ぎて震える。
彼にもし、何かあったら、私は―――
ティリスの思考は悪い方へ悪い方へと回りだす。だがそれに歯止めをかけるように、ロゼルはティリスの肩に手を置いた。
「落ち着いて。……大丈夫、彼も君と状況は然程変わらないよ。別の部屋で休んでいるだけだから。」
それを聞いて、身体の力が抜ける。ロゼルの服から手が離れて、その手は重力に従ってぽすりとベッドの上に落ちた。その時ティリスは、その右手の甲に変わらず、印があるのを見つけた。
ああ、彼は本当にまだ、生きている。
それをようやく実感して、その印を抱くように、右手を握りしめた。
「だから安心して、少し眠った方がいいよ。」
「………はい。」
ロゼルがティリスの目元に手をかざす。すると、心地の良い睡魔がティリスを夢の世界へと誘ってゆく。ぽすんと頭が枕に落ちると、毛布が肩まで掛けられる。そしてロゼルのおやすみ、という声を遠くに聞きながら、ティリスは再び意識を手放したのだった。
ティリスが目を覚ます少し前、意識を取り戻していたユウリスだったが、彼もティリスと同じく、ベッドの上で大人しくすることを余儀なくされていた。
「やぁ、具合の方はどうだい、ユウリス?」
そう言って部屋に入ってきたのは、この屋敷の主人であり、かつてのユウリスの主でもあった先王、アルノールである。
「おかげ様で。………ところで、何をされているので?」
うきうきと入ってきたアルノールを、ユウリスは半眼で迎える。
だが彼は、そんなユウリスを気にすることもなく、にこにこしている。
「何、って?」
「その、白衣ですが。」
呆れ顔のユウリスは、アルノールの来ている白衣を指差して言う。だがアルノールは、決まってるじゃないか、と自信満々に胸を張り、見せびらかすようにくるりと一回転した後、高らかに宣言した。
「君の看病をしようと思ってね!」
「……………。」
できないくせに。
ユウリスは溜息を吐いて、視線を逸らす。この五年間、ユウリスとあまり顔を合わせる機会のなかった彼だが、相変わらずの様子であるらしかった。
「まあ、冗談はさておき……」
アルノールは来ていた白衣をばっさぁ、と豪快に脱ぎ、それを部屋の隅へと投げ捨てながら、部屋の椅子に座る。
「びっくりしたよ。ぐったりした君達を、ロゼルが連れてきた時は。」
ユウリス自身、それほど記憶が確かなわけではないが、首筋になにかぴりと痛みを感じ、その次の瞬間には、意識が朦朧としはじめた。ティリスも同じような状態だったため、ふらつく彼女を抱きとめたユウリスは、何とか彼女が地面に激突するのを回避して、その場に転がった。
ユウリスもその後は殆ど覚えてはいない。断片的に覚えている事がないわけではないが、次に記憶がはっきりとするのは、目を覚ましたつい先程からだ。
「ティリ…、陛下は?」
「まだ眠っているけれど。…もう心配ないよ。」
今はロゼルが様子を見に行っている、とアルノールは言った。心配ない、という言葉にユウリスはほっと胸を撫で下ろす。が、そんなユウリスに何を思ったのか、アルノールはぷっと笑いをもらした。
「まったく、すました顔して……。君、かなり取り乱してた、ってロゼルから聞いたよ?」
ユウリスはアルノールの指摘に、ぐっと詰まった。
言われてみれば、朦朧とする意識の中、ロゼル、らしき人物に、「ティリスを助けてくれ」と詰め寄ったような。
ふいと居心地悪げに視線を逸らしたユウリスを見て、アルノールはさらに笑った。
暫くして笑いを収めると、アルノールは急に表情を引き締め、真面目な口調で口を開いた。
「しかし…、こうして笑えるのは、敵の目的が君達の殺害ではなかったから、だろうね。」
「ええ………。」
今回の襲撃は、魔法と毒針を用いて行われた。ユウリスの感じた首筋の痛みは、その毒針によるもの。それを遠くから魔法で飛ばしたのだ。
この毒が、もし、もっと致死性の高いものだとしたら、今頃二人ともあの世にいるに違いなかった。
また、ティリスとユウリスが使った辻馬車は、敵方に買収されていたらしく、護衛が悉く撒かれていた。そしてその護衛達が二人の居場所を突き止め、駆けつけた時には一歩遅く、二人は毒の効果で意識が殆どなかった。
幸い、二人を連れ去ろうとしていた賊を捕らえ、何事もなく、とはいかなかったものの、最悪の事態は防げた。
「今回の事件は、私の落ち度です。」
ユウリスは唇を噛みしめる。
護衛が付いてきていない、という事に気が付いていれば。ティリスが一緒であるにも関わらず、辻馬車を拾うという愚を犯さなければ。
浮かれていたのだ。彼女と二人で町を散策するという状況に。
全て、自分のせいだ。
手をきつく握る。自分が情けなかった。
「ユウリス。今は自分を責めている場合ではないだろう。」
アルノールの落ち着いた声に、ユウリスはのろのろと顔を上げた。
「反省は必要だが……。今、考えるべきは、他にあるだろう?」
そう言われて、はっとする。
敵は何故、二人を殺さなかった。何故、どこかへ連れて行こうとした。一体、誰がこの事件を―――
「この事件を起こした誰か、は、……我々に死なれては困るんですね。」
アルノールは大きく頷いた。
「君達の場合、殺して代替わりさせるより、生かした方が使い勝手がいいから、ね……。」
アルノールの言わんとするのは、ティリスとユウリスの異例さだ。
ユウリスは貴族出身。王族でない、という点だけでも問題だが、大貴族の出ではあるが、三男坊の彼は、家の力をそれほど使えるわけではなかった。ティリスにしても、今まで父親や母親が先王であった歴代の王たちとは違い、先王であるアルノールは、ティリスと公の場では殆ど関わりがない。もっとも、アルノールがティリスを個人的に気にかけている事をユウリスは知っていたが、この場合それは関係がない。その上、彼女は実家と折り合いが悪かった。
このように、何かあった時守ってくれる、例えば実家のような存在が二人共、満足に揃ってなかったのだ。その為これまでもその、後ろ盾、という立場に立って、ティリス達を懐柔し、国を意のままにしようとしてきた者は、後がたたなかった。
「今回の誘拐が成功していた場合……、一方を人質に、もう一方に言う事を聞かせる、という事も可能ですね。」
だから、どちらにも死なれては困るのだ。
もしどちらかが命を落とせば、印は別の人間へ引き継がれ、この計画はご破算となる。その上、アルノールから姪のティリスへと王位が移ったことを考えると、次に王権がアルノールの息子の内の誰かに行くとも限らない。それならば、王印をティリスに留めたまま、裏から実権を握る方が確かだ。
そうだね、とユウリスの言葉に同意したアルノールは、難しい顔で続けた。
「けど、捕らえた賊は下っ端だったらしくて、何も知らないし……。君達に毒針を飛ばした魔導師は捕まってない。」
二人を誘拐せんとして捕まった賊は、上から二人を連れてくるように、としか言われていなかった。その上彼等自身、何人もの人間を経由して依頼されたらしく、依頼元への足取りは途中で途絶えていた。
そして何より、二人に毒針を飛ばすという魔法を使ったはずの魔導師は、ようとして行方知れず。二人の首筋に細い針を当てる、という芸当が出来るならば、中位、いや高位の魔導師であるはず。だというのに、雲隠れ出来ているのは奇妙だった。
というのも、魔法省に入省できる程度に実力のある魔導師の中でも、百人に一人いるか、いないか、なのが高位魔導師である。
そのため、それだけ魔法に才があれば職には困るということはない。そういった理由から、このような裏家業をする者は少ない。
故に、すぐにでも見つかるだろうと思われたのだが、それらしい情報すら掴むことはできずにいた。
だが、きっともうこれ以上分かる事は、それほどないだろう。ユウリスはそう思っている。
事件があってからユウリスが目覚めるまでに数時間。
今回はお忍び中の事の為、この件は公にしない事となった。それゆえ、アルノールの私兵がここまで調査をしていたのだが、彼の私兵は有能な人材が多く、彼らがこれ以上は難しいというなら、そうなのだろうとユウリスは思ったのだ。
「陛下。今回の事、真に御礼申し上げます。」
ユウリスは居住まいを正し、頭を下げる。ロゼルは頼る先として父、アルノールの元を選んだ。そのために、彼は乗りかかった船、と手を尽くしてくれた。そう思うと、ユウリスは申し訳ない気持ちになった。
だが、アルノールは難しい顔をしたまま、小さく首を振った。
「いや…。もしかすると、もう知らぬ振りは出来ないのでは、と思っただけだよ。」
ユウリスは思わず顔を上げ、少しだけ眉間に皺を寄せる。
「まさか―――」
彼、を疑っている?
ユウリスがそう問いただそうとしたとき、突然扉がコンコンと叩かれる。そして、返事を待たずにその扉は開いた。
「父上、ティリスが目を覚ましましたよー。」
部屋に入って来たロゼルの言葉に、ユウリスの頭からそれまでの会話は、全て吹き飛んでいった。
「彼女は、今?」
間髪入れずに問い返したユウリスに、ロゼルは驚くこともなく、言葉を返す。
「今、魔法でもう一度眠らせてきたから、眠ってるよ。」
「見に行ってきます。」
ユウリスはそう言い終わらぬうちに、ベッドを飛び降りて、裸足のまま走って行ってしまった。
「あらら……。まだ、寝てなきゃダメなのに。」
「まったくだね。」
父子は顔を見合わせて苦笑すると、暫く二人にしてあげようか、と言って、また笑った。
目的の部屋の扉を見つけたユウリスは、ノックをしようとしてから、直前のロゼルの言葉を思い出して、それを止めた。
ティリスは眠っているのだった。
そして、眠っているらしい彼女を起こしてしまわぬように、そっと扉を押し開いた。身体を滑り込ませるだけの隙間を開けて部屋へと入ると、開けた同じように、静かに扉を閉めた。枕元に細やかな明かりとして、魔法石が置かれている以外は真っ暗な部屋を、そろりと進む。彼女が寝ている寝台の脇まで辿り着き、そっと彼女の様子を窺った。よく眠っているようで、規則正しい呼吸音が微かに聞こえた。
苦しそうにしていたらどうしようか、と思っていたユウリスは、気持ちよさげに眠っているティリスにほっとして小さく息を吐いた。
傍にあった椅子を引き寄せて、彼女の寝顔が見られる位置で腰を下ろす。
眠っている所を見るのは初めてだ。
いや。二度目、か……。
庭の隅で小さく丸くなって眠っていた少女の事を、ユウリスは昨日の事のように思い出した。
あの時には既に、アルノールに仕え、忙しい日々を送っていたユウリスが、何故、彼女に目が留まったのか、それは未だに分からない。
だが何故か、小さくうずくまった彼女を見つけ、そしてそのまま放っておくでも、他人に任せるでもなく、彼女の傍に寄って行った。そして、隣に座って毛布を掛け、あのまま彼女が目覚めなければ、きっとその眠りが覚めるまで、隣にいたのではないかとユウリスは思う。
決して、そんな暇はなかったはずなのに。
あの時、どうしてあれほど彼女が家に帰る事に恐怖していたのか、あの時のユウリスには分からなかった。彼女の父親はアルノールの弟、ユウリスも面識はあった。だが、どうという印象もない男のように思っていたからだ。
だが気になって少し調べれば、彼女の家が普通の仲の良い家族ではない事など、すぐに分かった。どういうわけか彼女は、父や年の離れた兄達から、邪険に扱われている。
いや、憎まれている、と言った方がいいか。
ティリスの父が彼女を見る目は、どうしたって、娘を見る目ではなかった。それはまるで、憎い敵を見るような、そんな目だ。
それでもティリスが、その父に連れられ王宮へと来ることがあったのは、外聞を気にし、さも可愛がっているかのように見せる為だろうと、いつだったか、ユウリスはアルノールが言っていたのを思い出した。
そういった事情から、彼女が王となるまで王宮を除けば、外、どころか屋敷からさえ、殆ど出る事が出来なかったのだ。
ユウリスは眠るティリスの髪を梳くように、一房手に取った。
彼女の家庭状況を断片的ながら知ったユウリスだったが、結局彼はどうすることもできなかった。姪の状況をアルノールや王妃達も知らぬわけはなく、彼らがどうしようもない事を、ユウリスがどうにか出来るわけがなかったのだ。
結果、アルノール達から近況をそれとなく聞き、遠巻きに見守る以外、ユウリスには何も出来はしなかった。
だが五年前、その全ての状況が変わった。
初めて、王も聖魔導師も存命のまま、印が次代へと引き継がれた。そんな前例の無い事が起き、王宮がてんやわんやしていた中、ユウリスは自身の左手に印が現れている事に気が付いた。俄かには信じがたかったが、何かの間違いだとも思わなかった。
そして、未だに名乗りを上げない右手に印を宿す人物を思った時、ユウリスは何故か何の疑いもなく思ったのだ。
私の王は、彼女だ、と。
ユウリスは黒髪を梳いていた手を止めて、彼女の頭をやわく撫でる。
五年前、再会した貴女の事を、私は確かに妹のように、娘のように思っていたのに。
ユウリスが彼女の実家から、半ば攫うようにして、ティリスを王宮へと連れていき、もう五年。途中、彼女の父親面をするあの男が王宮へと乗り込んできたり、と種々面倒事もあったが、彼女は全て、それを乗り越えた。
もう、彼女は一人でも立てるのに、ユウリスはその手を離せない。
「貴女は、いずれきっと……、この手を離れていくのでしょうね。」
彼女の誓いの言葉を信じていないわけではない。ただユウリスが本心から彼女に望むのは、彼女が思っている以上の意味だろう。
聖魔導師、というだけではなく……。
だが若い彼女は、そんな事を望むことは、きっとない。
だから、彼女がユウリスの手の届かぬ場所へ行ってしまう、その前に。今の地位を使って、契約という鎖で貴女を縛り付けてしまおうかとも思う、けど。
「ユウリスさま……?」
小さな声に、ユウリスはぴくりと反応して、苦笑した。
「また、起こしてしまいましたね。」
夢うつつで、焦点の定まりきらぬ目をしたティリスは、ふわと微笑んで、ふるふると首を振った。
「ユウリスさま、痛いところはありませんか?」
ティリスはいたわし気な顔で、ユウリスの腕にそっと触れる。
「ないですよ。」
「ほんとう……?」
まだ半分眠っているのだろう、おぼつかない口調でティリスは言った。
「ええ。」
ユウリスがしっかりと頷くのを確認すると、ほっとしたようにティリスは笑った。
「なら、よかった。……ねぇ、ゆうりすさま。」
なんですか、とユウリスが尋ねると、ティリスは嬉しそうに笑って、腕をユウリスの方へと伸ばした。ユウリスがそれに驚ているうちに、ティリスは身を起こしてぎゅうとユウリスに抱きついて、身体を預けるように力を抜いた。
「さっき、ゆめをみてたんです。」
はじめは、常ならぬティリスの行動に、固まっていたユウリスだったが、まだ寝惚けているらしいと悟り、彼女をあやすようにその背を撫でる。
「ゆうりすさまと、はじめてあった日のゆめ……。」
おぼえてますか、というティリスの問いに、ユウリスは頷く。彼女と正式にあったのは、五年前の事だ。きっとその五年前の事だろうとユウリスは思った。
だが、ティリスはころころとおかしそうに笑う。
「うそ。ふふ、ぜったいおぼえてないです。」
笑いながら、ティリスは一層ぴったりとくっつくように、腕に力を込める。
「おぼえてなくていいんです。わたし、うれしかったから。」
「ティリス……。」
甘えるように頬をユウリスの胸に擦り付ける。
もしかすると、あの日の事を彼女も覚えているのかもしれない、そう期待するような声が、ユウリスの内から聞こえる。
でも、ティリスの言う通りだ。
覚えていなくてもいい。たとえ彼女が忘れていても、自分が覚えているから。
ティリスはユウリスに擦り寄り、ふふふと笑っている。だが、その声はかなり眠たそうだった。もうすぐティリスはまた、眠ってしまうだろう。
だから。
「だいすき、ゆうりすさま。」
「ええ。私も…愛していますよ。」
願わくは、この夜を彼女が覚えていないようにと、祈りながら。
次の日の朝。
「昨晩はお世話になりました、陛下。」
一晩ぐっすりと眠ったティリスは、次の日には毒の後遺症もなく、すっかり元気になっていた。
「それじゃあ、ユウリス様をお願いいたしますね。」
そう、この場にユウリスはいない。今ここにいるのは、王宮へと帰るティリスとロゼル、その二人を見送りに出たアルノールだけだ。
「まったく…、自分も無傷じゃないのに、無理するから……。」
アルノールはこの場にいない彼に肩を竦める。だが、今彼がここにいない原因の一端を担ってしまったと、内心しょんぼりしているティリスは、慌ててそれを否定した。
「へ、陛下……。ユウリス様は私を心配して、一晩中ついてて下さっていたのです、だから……。」
ユウリスが一度ティリスの顔を見に行き、少し会話を、そしてその後再度ティリスが眠ってしまった。
その後が問題だった。
ユウリスもティリスと同じく毒針を打たれており、決して健康体ではなかった。だというのに、ティリスがもう一度眠ってしまってからも一晩中、彼女の傍で座っていたのだった。ティリスが目覚める前の、休んでいた時の薄着の格好のまま。
そして朝、目が覚めたティリスが、枕元で熱を出して苦しげなユウリスを発見し、吃驚仰天して人を呼んだのだった。
ティリスの叫びに驚いて部屋を訪れたアルノールは、ユウリスに「君は馬鹿か」と言い放ち、ロゼルは部屋の隅でぷるぷると震えて、笑っていた。
昨晩の事を何も覚えてはいなかったティリスは、治癒魔法を使って彼の熱を下げながら、そうした事情を聞いた。もちろんそれにティリスは驚いた。そして、至極悲し気に眉を下げ、自分を大事にしてほしいとティリスが懇願し、それに折れたユウリスは、しばらくこの屋敷で療養、となったのだった。
もっとも、せめて見送りを、と門前どころか、王宮まで付いて行こうと言って聞かなかったユウリスを、ロゼルが強制的に魔法で眠らせたのは、つい先程の事だ。
「これを許したら、ここまで来たから、とか言って、仕事するでしょ、彼。」
魔法をかけ終わった後ロゼルが言った言葉に、一同は黙るほかなかった。
そんなこんなで、アルノールの屋敷を後にしたティリスとロゼルは、王宮まで馬車で二人きりとなっていた。
馬車が走りはじめてから少し経った頃、ロゼルがところで、口を開いた。
「君、昨夜の事覚えてない、って……、嘘でしょ。」
「な、なんの、こ、ことでしょう。」
平静を装って微笑んだつもりのティリスだったが、声におもいっきり動揺が出てしまい、ロゼルに笑われる。すました顔を維持するつもりだったティリスだったのだが、顔も熱くなってきたため、諦めてわっと顔を覆った。
「な、なんで知ってるんですか! ま、まさか、ユウリス様も……!」
くすくすと笑うロゼルを、ティリスは少し恨めし気に見る。
「ユウリスは多分、知らないよ。」
熱い頬を押さえたままではあったが、ティリスはその言葉に、ほっと安堵する。
「どのくらい覚えてるの?」
「そ、そんなには覚えてないですよ。」
それほど覚えていない、というのは本当だ。ただ、内容までは詳しく思い出せないが、なんだか恥ずかしい事を言って、ユウリスにすりすりと擦り寄っていたような、そんなおぼろげな記憶があるだけだ。
あるだけなのだが、ティリスにとっては恥ずかしい記憶である事には変わりない。なので、夢であれば、という期待込めて、覚えていない振りをしていたのだった。
「……ユウリス様、なんて思われたでしょうか。」
しょぼんと肩を落とすティリスに、ロゼルは眉を上げる。
「そんなこと気にしてたの?」
「そんなこと、ではないです……。」
寝惚けていたとはいえ、いきない男性に抱きついたりなどして、はしたない子だと思われなかったか、ティリスは気が気でない。
「でも、そうですよね……。きっと、ユウリス様も、どうとも思ってらっしゃいませんよね。」
ティリスは小さく溜息を吐く。
ユウリスはティリスの事を、妹か娘のようにしか思っていない。そんな子から抱きつかれたところで、精々かわいいなぁ、程度の感想しか抱かれないに違いなかった。
ロゼルは、そんなことないと思うけど、と小さく呟くが、ティリスには聞こえない。
「ともかく、数日はユウリス様がいませんから……、頑張らないと、ですね。」
何も起こらなければ、すぐに過ぎるはずの数日が、ひどく長いものに感じた。
馬車の中でティリスが打ちひしがれていた頃、すぐに目覚めたユウリスは、アルノールの戻りを待っていた。
「ユウリス。少しは頭、冷えたかい?」
「そうですね……。」
アルノールの言葉に頷きつつも、ユウリスには冷静さを欠いていた自覚が全くなかった。
「君は本当に、ティリスの事となると、見境がないね。」
五年前もそうだった、とアルノールが茶化すように言うと、ユウリスはむっと眉をひそめる。
だが反論が出来ないのも事実で、五年前ユウリスは、ティリスを彼女の実家から王宮へと連れて行ったとき、比喩ではなく攫うようにして連れて行ったのだ。
当時の王弟の屋敷にティリスを連れ出しに行ったユウリスだったが、当然あちらも、はいそうですか、と入れてくれるわけもない。困ったユウリスはアルノールの名前を使い、彼女を無理矢理、連れ出していた。
何故かティリスが大人しくユウリスに従ったため、大きな混乱もなく、二人はそのまま王宮へと行くことができた。だが後から事後報告をされたアルノールは、ユウリスの稀に見る暴挙に、怒りを通り越して呆れかえったのだった。
「いつからそんなに好きだったの?」
五年前のユウリスを見て以降、アルノールは何度かこの質問をぶつけている。だが、ユウリスは肩を竦めるだけで、それに答えた事はなかった。
いや、そもそもユウリス自身、その答えが分からなかった。
初めて会った時から、放っておけない、とは思っていたユウリスだが、五年前の一件については、自分自身でも不思議に思っていたのだ。
どうして、もう少し手順を踏むことを考えなかったのかと。
今回も答えが返ってこない事を悟ったアルノールは、まあいいや、と話題を変える。
「ティリスから登朝禁止命令まで出されてたけど、休む気なさそうだね、ユウリス。」
ユウリスは、当然と頷く。むしろ城に行かぬ分、外で出来る事が山ほどある。
「久々の纏まった休み、ですから。実家に戻るのも吝かではないですよ。」
これだけ聞けば、実家で羽を伸ばしてくる、というように聞こえるのだが。もちろん、ユウリスにそんなつもりはない。アルノールは呆れ顔だ。
「そこまでして?」
ティリスのように実家と確執があるわけではないユウリスだったが、彼はここ数年実家へは帰っていなかった。というのも、時の王であったアルノールの覚えがめでたかった彼を僻んだ兄達の当たりが強く、ユウリスが彼等への対応を面倒に思っていたためだ。だが、そこまで、と言われるほどの労力でもない。
「まあ、面倒なのは否定しませんけど。」
今一つアルノールと仲良くなれなかったユウリスの兄達は、ならば次こそは、と息子達を幼少期からアルノールの王子達の傍に侍らせていた。そのため、何か分かる事がないか、とユウリスは探りを入れに行くつもりだった。
「そういえば、何故兄達とあまり仲良くないんです?」
元々、アルノールと交流があったのは、ユウリスではなく、その兄達の方だ。年回りの近い彼らが話している場に、ユウリスが同席していた形だった。だが、気が付くと付き添いをしているのが兄達になり、その内にその付き添いさえもなくなった。アルノールがユウリスと二人で会うのが当たり前になり、ユウリスが大人になるころには、兄達を置いて王の傍近くで仕えるようになっていた。
改めて考えると、不思議な話だった。
「何故って、単純な話だよ。」
ユウリスがきょとんとして、目で問いかえすと、にやっと笑ったアルノールは言った。
「彼ら、権力欲剥き出しで、怖かったんだよね。」
ははは、と笑うアルノールを見て、ユウリスも噴き出した。
「―――違いない。」
一方、王宮へと戻ったティリスは、ユウリスが今まで捌いていた仕事量に戦慄する事、三日。何とか、これといった問題を起こすことも、起きることもなく、日々を過ごしていた。
強制的にユウリスを休ませた次の日、突然、実家に顔を出してくると手紙を寄越した彼から、再び連絡が来たのは、昨日の事だ。高位の魔導師ならば使える通信魔法。ユウリスもティリスも使う事が出来る為、それを通した連絡だった。
昨日の夜半、寝室の鏡台に嵌められた鏡を通して、二日ぶりにティリスはユウリスの姿を見た。
「体調はいかがですか?」
『問題ないですよ。』
魔法を通した声は、少しくぐもって聞こえるが、普段と変わらぬ様子のユウリスに、ティリスはほっとしていた。だがその彼は、どこか浮かない顔をしているような、ティリスはそんな気がした。
「あの、何か…ありましたか?」
『いえ…、久しぶりの実家で、はしゃぎ過ぎただけですよ。』
嘘ばっかり。
ティリスも、彼が兄達を苦手にしている事を知らぬわけではない。ティリスは眉根を寄せたが、ユウリスがティリスを気遣って吐いている嘘を否定することも出来ず、ユウリス様がそういうなら、と言葉を切った。
ティリスは鏡にそっと触れる。まるですぐ側にいるように見えるのに、二人の間にはこの硝子一枚以上の距離がある。
傍にいられたら、いいのに。
埋められない距離を、ティリスはもどかしく思った。
『ティリス?』
その声にはっとしてティリスが顔を上げると、ユウリスは心配そうにこちらを覗き込み、ティリスが触れた指と同じ所に、その手を重ねるように置いた。
体温が伝わらない事が寂しかった。
「何でもないです。……それよりも、何か報告があると聞いたのですけれど。」
『ええ、実は―――』
「それで、快気祝い、だなんて。プランタールの御領主夫妻も暇ですね。」
「リア。」
彼女の言い方を咎めるようにティリスが名を呼ぶと、ティリスの顔に化粧を施していた侍女、リアはごめんなさいと小さく舌を出した。
全く反省した様子のない彼女だが、ティリスもそれ以上咎める事はなく、肩を竦めた。ティリスも、リアとまったく同じ事を思っていたのだから、仕方がない。
というのも、件の襲撃事件を公にしないことにしたティリス達は、ユウリスの突然の休養を誤魔化すため、こういう筋書きを用意した。
それは、風邪をひいていたユウリスだったが、それを過度に心配したティリスが、彼を休ませることにした。それを珍しく聞き入れたユウリスは、せっかくならゆっくり休みたいと実家に戻った。そうして、実家療養の予定だったユウリスだったが、思いの外早く病気が治ってしまった。というものだ。
昨夜、ユウリスから伝えられたのは、その「風邪がようやく治った」ユウリスの快気祝いの会が開かれる事。そしてその会にティリスも出席してほしい、という旨の内容だった。
だがそもそも、今回の風邪というのは、ティリスが大袈裟に振る舞ったために大事となったが、それほど大した重病ではなかった、という設定の風邪だ。
プランタール領主夫妻、ユウリスの両親の事だが、彼らがこの風邪を信じているならなおの事、快気祝いなど大袈裟。リアに言わせれば、暇、という事だ。
とはいえここ数日王宮で、ユウリスが休養しているのは賊の凶刃に倒れたからだ、というティリスにとっては笑えない噂が流れはじめていた。そのため、風邪という事に信憑性を持たせる意味でも良い機会なのかもしれないと、ティリスは出席を了承したのだった。
それに……。
ティリスは昨夜の事を、再び思い出した。
「開催は明日、って……、そんなにすぐに開けるものなんですか?」
『まあ、内々のものですし……。』
内々のものに時の女王を呼ぶのか、とユウリスも顔に書いているが、最早諦め半分でもあるらしく、溜息を吐いた。
『それに、母は言い出すと聞きませんから。』
プランタール領主家の夫人が末息子、ユウリスをとても可愛がっているというのは、有名な話だ。ユウリスによると、それも相まって兄達の僻みが加速しているらしいのだが。
ティリスはふむと考えこみ、まあ出来るのだろうな、と納得する。
思えば相手はあの、プランタール領主家だ。
というのも、彼の家は大貴族も大貴族。国の半分程を、等分で治める四つの家の内の一つ。国の東の防衛を担い、初代王と共に戦地を駆けた名将の子孫の家柄だ。
そんな家が王家から蔑ろにされているはずもなく、それだけの土地を任されている家の当主は、当然王家にも発言権がある。
ゆえに、先王の時代からユウリスが個人として王宮に仕え、かつ重用されていたのは、三男であったこと。そのために、貴族としての地位を受け継ぐ可能性がほぼ無かったから、という点が大きい。
いくら王といえど、個人的感情だけで、力関係が同等のはずの大貴族の四家のうち一つだけを、贔屓することはできないからだ。
よって、ユウリスの兄達の嫉妬は、見当違いもいいところ。なのだが未だに気が付く様子はないと、ユウリスはうんざりしている。
「なんだか、大変ですね……。」
『いえ。…私としては、それより問題なのは、これに父が何も言わない事ですよ。』
母の事を話す苦笑するような表情とは一転し、ユウリスは難しい顔をした。
「お父様、ですか?」
『ええ。もしかすると、本当の所に気が付いているのかもしれません。』
本当の所、もちろんあの襲撃についてだろう。あり得ない話、ではない。
ティリスも表情を曇らせる。
普段は領地の方に住んでいる夫妻だが、今は王都の屋敷へと移ってきている。この冬に行われる、ティリスの即位五周年の祝賀に出席するために、早めに王都に入る貴族は多かった。彼らもそのうちの一つだ。その為、王宮で流れ出した噂と、息子の様子から、何かに勘付いていても不思議はない。
『ですが、まあ……、この際、父の事はいいです。』
ティリスは首を傾げる。
『その会の出席者に気になる名前があったんです。……偶然、とはとても。』
ユウリスは、父が全て分かっていて、彼、を招待したのではないかと言った。
「―――陛下! そろそろ、お時間ですよ。」
ティリスがその声にはっとして、辺りを見渡すと、出掛けるための準備は全て終了していた。美しいドレスに施された化粧、高く結い上げられた髪はキラキラとしていて、ティリスは見慣れぬものを鏡の中に見ていた。決して似合っていないわけではないのだが、普段しない格好に、どうしてもティリスは違和感を覚えてしまう。
でも、このくらいで丁度で良いのかもしれない。
ティリスは、鏡の中の自分に微笑んだ。勝負服としては上等だった。
ティリスは昨夜のユウリスとの会話の続きを思い出す。その名前は、と聞いたティリスにユウリスはこう言ったのだった。
―――ラッセル。……先王が第一王子、ラッセル殿下です。