レッツ旅立ち
★第29話目
「お、いよいよ出発するんか自分」
自室に戻った俺に、ベッドの上でブニャブニャとしていた駄猫の黒兵衛が、眠そうな目をしながらそう言った。
「……まぁな。今、転送装置の整備中とか言ってたから……追っ付け呼びに来るだろう」
俺は軽い溜息を吐いて出発の準備に取りかかる。
だけど、何を持ってけば良いのだろう?
「自分、何や仰々しい出で立ちやのぅ」
ポリポリと頭を掻いている俺に、黒兵衛はそう声をかけてきた。
「でっかい剣なんか担いでからに……関ヶ原にご出陣かい、おどれは」
「バ、バカもんッ。この刀は、例の鎧武者氏より借り受けた、至高の一品だぞ。確か九王の剣とか何とかグライアイが言ってたけど……取り敢えず、凄い武器なのだ」
「……三界の至宝やな。ワテも聞いた事がある。せやけど自分、使いこなせてないやないけ。鞘から抜けんとか愚痴を溢しとったんはオドレやぞ」
何だか投げやりに黒兵衛はそう言うと、ウ~と前足を踏ん張りながら伸びを一回。
そしてスタッと軽やかにベッドから飛び降りると、俺を見上げながら、
「ほな、ワテもボチボチ、出発の準備に取り掛るとするわ」
「ふへ?」
「何や自分。不っ細工な顔してからに」
「……黒兵衛。お前も付いて来てくれるのか?」
「ったり前やろが」
黒兵衛は、心底呆れるよう顔で俺をマジマジと見つめた。
「ワテがおらなんだら自分、迷子になってまうで」
「ぬぅ……もしかして俺、猫に馬鹿にされてる?」
と、俺が唸っていると、コンコンとどこか躊躇いがちなノックの音が響き、
「あのぅ……神代様?グライアイ様が、転送の準備が整ったのですぐに来るように、との仰せなんですが……」
ルサ―ルカさんが顔を覗かせそう言ってきた。
「あ、あぁ……分かりました。今、行きます」
俺は彼女にそう言いながら、黒兵衛を掴んで肩に乗せ、
「まぁ……何だか良く分かんねぇーけど、邪魔をしないんなら付いて来ても良いぞ。特別に許可する」
「ドアホッ!!おどれこそワシの足を引っ張ってみぃ……ポケットに石詰め込んで、道頓堀に沈めるど」
「くっ……」
相変わらず、口の悪い猫だ。
さすが野良育ち。
でもまぁ……退屈はしなくて済みそうだな。
★
「ふむ。どうやら出発の準備は整ったようじゃな」
転送装置とやらが置いてある小部屋に入ると、グライアイはどこか神妙な面持ちでそう言った。
「はは……ここまで来たら、もう俎板の上の鯛だよ」
「鯉や。このアホが」
「そうとも言う」
俺は黒兵衛の頭を掴みながら、
「状況が分からん状態だし……ま、全力を尽くして後はケセラセラだね」
……どうせ一度っきりの人生だ……
やれるだけの事はやって、後は野となれ山となれだ。
「……そうかえ。ある意味、達観しておるの。過度に緊張しているよりは余程良いが……」
グライアイは軽く溜息を吐くと、手招きしながら何やら複雑な魔方陣の描かれた場所へと俺を誘った。
頭上には、宙に浮かんだ四角錘の水晶が3つ、クルクルと弧を描きながら廻っている。
「古より伝わる転送魔法にて、そなたを別次元に送り込む。良いか、人の子よ。心を落ちつかせ、決して乱れる事勿れ」
「わ、分かった」
俺は魔方陣の中心に立ちながら大きく唾を飲み込み、コクコクと頷いた。
「若いの。そんなに緊張しなさんなって」
ク・ホリンさんが無邪気に笑いながらバンバンと肩を叩いてきた。
「ただボォーっと立ってれば、あっと言う間に別次元に行っちまうんだからな。何の心配もいらないって」
「お、おす。行くッス」
「それじゃ、まぁ……健闘を祈るぜ、お若いの」
「頑張って下さいね」
とバステトちゃんも△耳をピコピコさせながら、グッと拳を握って頑張れのポーズ。
グライアイは微笑を湛えながら、
「そなたなら、何とかなるであろう」
と言い、ルサ―ルカさんも4つの手を重ねながら俺を見つめてくれている。
……うむ。男なら、やってやれだ。
ここが根性の見せ所だ。
……
少しオシッコがしたくなってきたが……
「そ、そりではみなさん。神代洸一……行ってきますっ!!」
★
「転移先次元、同調確認」
「0328次元空域に異常無し」
「水晶球に魔法力注入」
「良いか人の子よ。探している二人の同調が得られ次第、こちらで転送を行なう。そなたはそれまで彼女達を守っておれ。行く先は別世界じゃ……何が起こるか分からんでな」
グライアイのその言葉を最後に、いきなり視界は真っ暗な闇と無数の光点に支配され、俺は地に落ちるが如く感覚を味わっていた。
各次元世界への入り口と言っていた光点が、凄まじい勢いで前から後へと流れて行く。
なんちゅうか、ジェットコースターに乗りつつプラネタリウムを鑑賞している感じと言うか……出来の悪いVRゲームをプレイしている感じで、ぶっちゃけ気持ち悪くなってきた。
くっ……
臍の辺りで両の手を組み、俺は必死になって恐怖感とある種の嫌悪感に耐えていると、体中の筋肉が緊張の為か妙に強張ってきた。
肩なんか既に凝り凝りだ。
頭まで痛くなってきた。
……ま、まだか。まだ着かないのか……
そっと着ているトレーナーに手を這わすと、胸元に潜り込んでいる黒兵衛が、まるで去勢されたばかりの猫に様に固まっていた。
使い魔だの何だの言いながらも、コイツも結構怖いらしい。
やがて流れて行く光点は次第に緩やかになり、俺は大きく弧を描くようにカーブしていった。
重力は感じないものの、精神だけが強引に引っ張られて行く感じがする。
あまりの未知な体験に、オシッコちびりそうと言うか既に少しだけ漏れているのは内緒だ。
「うへぇ……なんや、気持ち悪いのぅ」
トレーナーの中からくぐもった黒兵衛の声。
「お、おいおい。万が一ゲロでも吐いたら、今すぐ放り出してやるからな」
ま、かく言う俺も、物凄く気持ち悪いんだけどね。
「わ、分かってる。分かってるんやで、ホンマ……」
辛そうな声だ。
俺はポリポリと頭を掻きながら苦笑していると、やがて進行方向にある一つの光点が段々とその大きさを増して行き、それに比例するように辺りは真っ白な光りに覆われていった。
「くっ…」
目を開けているのが辛い。
ってゆーか、目を瞑っていても眩しい。
俺は両の手で頭を抱え、体を丸めるようにしてその殺人的な明るさに耐えていると、いきなり体に重力が戻り、次の瞬間、体は音を立てて冷たく硬い、石造りの床のような場所に投げ出されたのだった。
★
「どうやら、上手くいったようですなぁ」
洸一の消えた空間を見つめているグライアイに、ク・ホリンはいつもの陽気な声でそう言った。
「人間を次元転送させるなんて……最初聞いた時はちょっとビビりましたが、為せば成るもんですな」
「……ふ、かの者は普通の人間とは違うゆえな」
どこか自嘲めいた笑みをグライアイは浮かべた。
「今はまだ、ただの人間に過ぎぬが……魂の奥底に、何やら奇妙な力を感じるわえ」
「媒介者と聞きましたが……」
「只の媒介者ではないわえ。そもそも媒介者は、ただの観察者。造物主の目じゃ。故に大した力は持たぬ。じゃがあの人の子は……」
そこまで言いかけた時、ク・ホリンの何とも言えない表情が目に入った。
「ん?何じゃ?」
「い、いやぁ……別に。その……グライアイ様は、随分とあの若いのを買ってらっしゃるようで……」
「そうかえ?」
「えぇ。しかしまぁ……確かに気持ちの良い若者ではありますが……まさかグライアイ様、あの若いのの事を……」
そう言ってク・ホリンはニヤニヤとした笑みを浮かべ、独り鼻の下を伸ばした。
「……何を言いたいのか、良く分からんぞえ?」
「いや……まぁ、気にせんで下さい」
ガハハハとク・ホリンは相好を崩す。
が、直ぐに真面目な顔になると、
「しかしグライアイ様。あの若いのが首尾良く、転生した番人の魂を持つ者達を見つけた後、が気になりますなぁ」
「うむ、その通りじゃ」
グライアイは頷くと、それまでのどこか穏やかな笑みは消え去り、魔神という呼称が似合う冷徹な表情で、
「恐らくプロセルピナは……例の者達を妾が確保次第、軍を動かすつもりであろう」
「……でしょうね。しかし……そうとなればどうします?さすがに、プロセルピナと事を構えるには、些か……」
「些かどころではないわえ。あれが本気を出して攻めて来れば、妾の軍は瞬く間に壊滅じゃ」
そう言ってグライアイは細い指を優雅に顎に絡め、僅かの間を置き続ける。
「北のムールムールに、妾の元にかの者達がいることを流してみるかえ」
「は、はぁ?あの野心家の魔神にですか?そんな事をすれば、彼奴はただちに軍を起こし、我が方に攻め寄せて来ると思いますが……」
「それが狙いじゃ。ムールムールとプロセルピナが同時に動けばどうなるかえ?」
「……なるほど。例の者達を巡って、互いに争うのは必定。我らは……彼奴らが疲弊するのを待つ、と言う事で……」
「その通りじゃ」
「しかし、少しばかり危険過ぎやしませんか?プロセルピナの事だけで手一杯の状況で、新たに敵を作るのは……得策とは思えません」
「……確かにな。じゃが、妾の軍はあまりにも弱小じゃ。個々の力は秀でていても、圧倒的に数が少ない」
「まぁ……確かに、数の暴力で最後は負けますな」
「そうじゃ。故に、奇策を用いねば勝つことは出来ぬ。そして妾の負けは即ち、この魔界の平和が乱れると言うことじゃ」
「……」
「プロセルピナ……姉上には、決して負けてはならぬのじゃ」
★
「あ、痛痛ツ……」
俺は冷たい床に打ちつけた腰を擦りながら、よろよろと立ち上がった。
「つ、着いたのかにゃ?」
目を凝らし、辺りを確認。
どうやら周りを石の壁に被われた、小さな部屋の中のようだ。
かなり薄暗く、肌に纏わりつく湿った空気と、カビの匂いが猛烈に立ち込めている。
「……おい、黒兵衛」
着ているトレーナの膨らみを軽く揺すると、「ブニャ」とくぐもった鳴き声を上げながら黒兵衛が胸元から顔を覗かせた。
「ふぅ……良かった。潰れちまったか思ったぜ」
俺は苦笑しながらそう言うが、黒兵衛は「ブニャ~ン」と鳴くばかり。
「お、おいおい。まさか……魔界から出たら、また喋れなくなっちまったのか?いや、人界へ来たワケだから、喋れなくなるのは当然と言えば当然だが……」
「ブ、ブニャ~ン」
「ぐぬぅ……糞の役にも立たねぇ奴ですな。一体、何しに付いて来たんだか……」
そう言った瞬間だった。
いきなりザクッと頬に鋭い衝撃を受け、俺は咄嗟に顔を顰めると、黒兵衛は服の中から軽やかに脱出し、音も立てずに床に着地した。
火傷をしたような痛みが走る頬をに手を添えると、べっとりと暖かく真っ赤な鮮血が……
「こ、こんバカ猫がーーッ!!御主人様の美顔に傷をつけるとは……言語道断なりッ!!」
「じゃかましいわッ!!」
黒兵衛はキッと俺を睨みつけながら吼えた。
「自分、エエ性格しとるやないけ。ちょっと喋れんフリしたら、糞の役にも立たない奴、やとぅ…」
「ふ……喋れん猫に用は無い」
「……お前、ホンマにエエ根性しとんな」
「はっはっは……悪かった悪かった。ついつい本音が……ってか、何で喋れるんだ?俺達の住んでた世界とは違うけど、一応、ここは人界なんだろ?人界では、人間以外は言語を有しない……ってのが常識じゃね?」
俺がそう疑問を口にすると、黒兵衛も僅かに首を傾げた。
「……せやな。何でやろうか……」
「魔界に一度行った影響とかか?」
「分からへんな。ただ……この感覚からして、ここはえらい魔力が濃い世界や。ワテ等の住んでいた人界より、何倍も魔力の濃い人界や。それの所為かも知れへん」
「魔力?どういう事だ?」
「……人界でも、魔界に近い場所にある次元世界かもな。それで影響が……」
「そ、そう言うモンなのか?」
「知らん。テキトーに言うただけや」
「……ぬぅ」
「しかし、えらい息苦しいような場所やのぅ」
黒兵衛は辺りをキョロキョロと見渡す。
と、部屋の片隅をジッと見つめると、
「おい、洸一。ありゃ……なんや?」
「ん?」
俺も黒兵衛の見つめる薄暗い室内の片隅に視線を向ける。
段々と暗闇に目が慣れてくると、そこには一脚の古く煤焼けた椅子が置かれていた。
その上に、何やら木片のような物体がちょこんと腰掛けている。
「……オブジェ?いや……ミイラ……なのか?」
俺はゆっくりとそれに近付き、マジマジと見つめた。
そのミイラは、シャクティパット・グルもビックリな異形だった。
所々剥落し原型は定かではないが、どう見ても人間には見えない。
大英博物館やどこぞのお寺の秘宝として所蔵されている、人魚のミイラのようだ。
「な、なんやねん、これ。けったいな匂いがしよるで」
黒兵衛は近付き、ヒクヒクと鼻を動かした。
そして前足でチョンとその謎のミイラを突っ突くと、サー…と、まるで音も立てずにそれは崩れ落ちてしまった。
「あ…あ~あ……ぶっ壊しちまいやがんの」
俺はサラサラの砂状態になったそれを見ながら言う。
「ミイラっちゅうより、砂の彫刻みたいや」
「長い年月で風化したのかな?」
「……分からへん」
「それにしては、空気があまり乾燥してないな。むしろ湿気は多めだし……むぅ」
俺は軽く唸ると、もう一度、狭い室内をゆっくりと見渡した。
「取り敢えず……出口は無いなぁ」
周りは全て石の壁に囲まれ、出入り口の類は見当たらない。
「けったいな所やのぅ。そもそもどうやってあのミイラもどきを入れたねん」
黒兵衛はウロウロと動き回る。
「隠し部屋みたいやけど……どこから出たらエエもんか……」
「……むぅ」
俺は壁に近付き、トントンと叩いて音の反応を調べてみるが、どこも同じだった。
「取り敢えず、隠し扉とかは無いみたいだな」
「だったら、どうやって外へ出るっちゅーねん」
「……さぁ?」
俺は苦笑しながら途方に暮れた。
俺様の冒険、いきなり最初から挫折である。
チュートリアルすら無いとは……とんだクソゲーもあったもんだ。
「はてさて、どうしたモンかねぇ……」
と、その時だった。
微かにではあるが、石の壁の向うから何かの音が聞こえた。
キンッと甲高い、金属のぶつかり合うような音だ。
俺と黒兵衛は、慌てて壁に耳を近付ける。
「な、何じゃろう?何か音が……いや、声も聞こえるぞ」
「シッ!!黙っとれや。何や言うてるで」