レックレスネス
★第44話目
帝宮の一番奥にある、裁きの間。
居並んだ査問官の中央には、厳しい顔付きの皇帝がいた。
「チェイム・ヴェリテ・エヴァヌイッスマン・ド・ディラージュ。汝を皇位継承者から外し、皇女の称号を剥奪す」
そして重く響き渡る声で厳かに言う。
しかしそれは、とても実の娘に向かって父が言う台詞では無い。
「……」
グッと拳を握り締め、俯いたままチェイムは下唇を噛んだ。
――何故に私がッ!?
そう叫びたかった。
領民の懇願に応え、わざわざ魔王退治に赴いた私が何故だッ!?
確かに、大魔王復活の要因を作ったのは自分にあるのかも知れない。
しかし、たかが一度の失敗でこれほどの罰を受けるとは……
仮にもし、この被告人席に立っているのが自分ではなく、兄や姉だったら……恐らく、叱責と僅かな謹慎処分だけで済んだに違いない。
チェイムはそれを考えると、言い知れぬ怒りが心の中に吹き荒ぶ感じがした。
しかも彼女を更に困惑させたのは、継承権剥奪を言い出したのはヴィンス伯爵だと知った事だ。
……どうして?
伯爵は、継承権が無くても婚約者に変りはないですよ、と言ったが……それほど私を愛しているのなら、どうして身を挺して庇ってくれないのだろうか?
まるで、皇帝に慮るような保身の影が透けて見えるようだ。
伯爵……
チェイムはチラリと、陪審席に座るヴィンスに視線を送った。
彼は痛ましげな表情で、ジッと彼女を見つめていた。
……信じていたのに……
最初に、婚約は破棄しないと聞いた時、チェイムの心は飛び上がらんばかりに騒いだ。
皇族でなくても、伯爵は私を守ってくれている。
そう思い、心は華やいだ。
だけど……何かが違う。
心の奥で、小さな警告音を聞いたような気がした。
婚約を破棄しないと言うのならば、最初に継承権剥奪なんて事を何故に言い出したのか?
帝国の法に照らし合わしても、私はそれほどの罪を犯したとは到底思えない。
好きな人を疑うなんて……なんて私は嫌な女なんだ。
そう自分を叱責するが、一度芽生えた不信感は、時が経つにつれ徐々に大きくなって行く。
何故……
答えは簡単だった。
チェイムは最初から、伯爵に恋愛感情を抱いていなかったのだ。
私は、誰でも良かったんだ……
この狭い社交界の中で、一人ぼっちの私を構ってくれる人が欲しかっただけなのだ。
だから私は、伯爵が自分に示してくれた好意に対し、ただ擬似的な恋愛感情を募らせただけだったんだ……
「……慎んでお受けします」
チェイムは恭しく皇帝に向かって頭を下げた。
「ですが父上。皇女の資格を無くしてまで、私はここに居ようとは思いません。何卒、帝都を出ることを御許し願いたい」
その言葉に、査問官達はざわめいた。
フンッ、どうせ独りに変りがないのなら、これからは気侭に独りで生きてやるんだ……
「チェ、チェイム皇女」
少しだけ顔色を変えながら、ヴィンスが慌てたように口を開いた。
「自暴自棄になってはいけませんぞ?帝都を出ると言う事は……貴方は貴族籍まで捨てるおつもりなのか?」
……貴族籍?
それがそんなに価値あるものなのか?
私にとって皇帝の娘という身分は、重い鉄球のついた足枷のようなものだ。
「ヴィンス伯爵。私は……貴族と言う身分を無くしても、独りで生きて行く自信があります」
「で、ですが貴方は、私の婚約者なのですよ?皇女という称号を失っても、まだ伯爵夫人という……」
「……すみません」
チェイムはヴィンスの言葉を遮るように口を開き、頭を下げた。
執事のナッシュ以外で、初めて私に好意を寄せてくれた素敵な殿方。
だけど……今の貴方は、私を縛ろうとしている。
貴族籍なんて、そんなものはいらない。
そもそも私を本気で愛してくれているのなら……そんな事は関係無い筈だ。
平民の娘でも良いではないか。
「婚約は…」
破棄させて頂きます、とチェイムが続けようとした時、不意に響くノックの音に続いて、慌てたように顔色を変えた宮廷侍従長が飛び込んでくるや、皇帝の耳元に何か囁いた。
「ま、まことか?」
眉根に皺を寄せ唸る皇帝。
「……諸卿よ。宮廷裁判は一時閉廷とする。チェイムは自室にして謹慎しているように」
★
帝都は華やかだった。
脇道から歌劇団が繰出して来てもおかしくないぐらいに、華やかだった。
うぅ~む、パインフィールドの街も充分賑やかだったが、レヴェルが違うなぁ……
例えて言うなら、パインフィールドが地方の街の商店街なら、帝都は歌舞伎町だ。
「や、まさか帝都まで経った一日で辿り着くとは……魔法とは凄いものですな」
「瞬間移動とかだったら、もっと早いと思うんじゃがな」
でも、さすがに初見だとねぇ……
それにそもそも、やり方とか知らんし。
今はせいぜい、馬の足を速める魔法ぐらいしか出来ないよ。
「さて、私はこれから皇城に向かいますが……守護天使殿は如何なされますかな?」
雑踏の中、隣を歩くピッケンズ男爵がそう尋ねてきた。
「う~ん、どうするかにゃあ」
「そうですなぁ……私がお世話になっている縁者の居館が直ぐそこにあります。そこに暫らく逗留なさっては?」
「……ふむ。しかし良いのか?万が一、この俺様の正体が明るみに出たら……色々と拙くないか?」
「まぁ、ここまで来た以上、私も覚悟を決めましたよ」
男爵は何だか吹っ切れたように笑った。
「それにもしもの時は……その……守護天使殿が守って下さるのでしょ?」
「まぁな。成り行きとは言え、男爵は協力的だからな。言わば仲間だ。仲間の命は、全力でこの俺が守ってやるわい」
★
「ハフン…」
マリオット侍従長が重い溜息を吐き、椅子の上にゆっくりと腰を下ろした。
ウィンウッドもパーソンズも、疲れた顔でぐったりとしている。
「陛下はお休み中だっぺか?」
中天に差し掛かろうとする日の光が零れる会議室で、ミトナットウが口を開いた。
「ええ。今は黒兵衛殿が見張りをしています」
と、マリオット侍従長。
「昨日は遅くまで、城を抜け出そうと暴れていましたから……」
「こ、困った陛下だっぺ」
ミトナットウが渋面を作る。
「……しかし、あれですな。さすが魔王と呼ばれていただけの陛下ではありますな。……実にお強い」
目に大きな青痣を作ったパーソンズが、折れた歯を見せながらガハハハと笑った。
「まったく……守護天使様がお帰りになったら、ちょっと怒ってもらうっぺよ」
「その守護天使様は、今頃は帝都にお着きになった頃でしょうなぁ」
そう言ったのはウィンウッドだ。
彼は焦げてチリチリになった髭を、何だか残念そうに撫でながら、
「1週間もすれば帰ってくると仰っていましたが、もう少し早く帰って来て欲しい所ですな。この街が破壊されない内にね」
そう言って溜息を吐いたのだった。
★
「……こら姉ちゃん。何処へ行く気やねん?」
部屋の窓を開け、そこから表へ飛び出そうとしているホリーホックに向かって、ベッドの下に潜り込んでいた黒兵衛は溜息混じりの声を掛けた。
「分かってると思うんやけど、ここは3階やで?」
「く、黒兵衛殿…」
「あんなぁ~……女王に即位した次の日から逃げ出そうとするなんて、尋常な考えやないで?」
「だ、だって大魔王様が……」
プゥ~と頬を膨らませ、ホリーホック。
「洸一の事を心配するのは構へんけど、姉ちゃんを女王にする為に頑張った皆や、死んでいった者達になんて言うんや?自由気侭に身勝手な事が出来る身分やないやろーがッ!!」
黒兵衛はサッと天蓋付きのベッドの上に飛び乗り、そう怒鳴りつけた。
関西弁なので迫力満点だ。
「で、でも……でもでも、大魔王様の事が心配なんです。だって大魔王様……お茶目だから……」
「……は?まぁ、お茶目っちゅうか、あれは単に笑いながら火事場へ飛び込むような馬鹿やで?」
「……」
「そない泣きそうな顔すんなや。ものごっつう不安になるのは分かるんやけど……それでもな、アイツにはアイツでやる事があるんや。姉ちゃんにも姉ちゃんのやるべき事があるやろ?そう言うのを放り出せるほど、果すべき義務っちゅうのは軽くないで」
「……」
「心配すんな、姉ちゃん。あの馬鹿は、1週間もすれば帰って来る筈や。馬鹿は馬鹿なりに責任感が強いからな。この国の事をほったらかしにする事はないんや」
★
男爵の奥さんが住んでいる居館というのは、やはり貴族だけあってか、それなりにゴージャスでエレガントでロココ調(意味不明)だった。
俺は男爵の命の恩人と言う事で、手厚く持て成された。
この居館の持ち主は、宮廷に努めているナッシュという老人らしい。
その老婦人は銀髪の優しい笑顔の持ち主で、聞けば男爵の父の妹、つまりは叔母と言うことらしかった。
「それでは守護天使殿。私は皇城に赴き、出来る限りの情報を集めてくるとしましょう」
小声で呟き、居館を後にする男爵。
「夜までには戻りますので……では」
「ああ、頼んだぞ。出来るだけ怪しまれないようにな」
俺はそう言って男爵を見送り、再び屋敷の中に戻ると
「……?」
玄関ホールの脇に、一人の女性が壁に手を添えながら立っているのに気が付いた。
淡い茶色の長い髪のその女性は、年の頃は30台半ばといった所だろうか。
物静かな笑みを湛え佇んでいる。
ほほぅ……中々に美人さんだね。年上の魅力って言うのか……うん、とても綺麗だ。
しかしながら、何だか妙な違和感があった。
壁に手をつき、ゆっくりとした覚束ない足取り。
ぬ?まさか……目が見えないのか?
そう思った瞬間、彼女は足を滑らせたのか、ゆっくりと前のめりになり、まるでスローモーションのように倒れて行った。
もちろん、この神代洸一、故船関係の偉大なる首領の御言付け通り「一日一善」が信条だ。
格闘技で鍛えたこの足は、咄嗟に応じて素早く反応する事が出来る。
俺は床を滑る様にその女性に向かって駆け出すや、スライディングしながら冷たく固い床とその女性の間に割って入った。
――ドサッ……
間一髪、彼女の頭を胸元でキャッチ。
「あ…」
彼女は何が起こったのか分からないまま、手足をばたつかせている。
「だ、大丈夫ですか?」
俺はお姉さんと言うにはちょいと無理があり、オバさんと言うには限りなく早過ぎる、微妙な年頃のその女性に声をかけつつ、手を取って立ち上がらせた。
「す、すみません」
目が見えないその人は、俺に背中を向けて丁寧にお辞儀した。
うぅ~む、面白い人だにゃあ……
苦笑しながらそっと彼女の前に周り込むと、
「あ~……怪我とかしなかったですか?」
「は、はい。お陰様で…」
「そりゃ何よりだ」
フゥ~と安堵の溜息。
すると彼女は小首を傾げ、
「あのぅ……もしかして、主人を助けてくれたダイクン殿ですか?」
「…は?」
俺はマジマジと彼女を見つめる。
主人って……ん?もしかして男爵の事?
って事は、彼女が奥さんか!?
「あ、私、アールの妻の、エバ・ピッケンズと言います」
その女性は優しげな笑顔で軽く会釈した。
「あ、貴方が男爵夫人……あ、俺……ダイクンです。キャスバル・ザ・シュウイチ・ダイクン。旅をしている者です」
ちなみにこの名前は道中、俺と男爵が相談して決めた偽名だ。
「気軽にシャアって呼んで下さい。もしくは国民的赤いヤツ」
「は、はい。ダイクン殿……この度は夫が危うい所を助けられたとかで、何とお礼を申し上げて良いのやら……」
彼女は畏まった様子で、何度も何度もお辞儀した。
壁に向かって。
う~ん……
平衡感覚とかも少し鈍っているのかな?
「あ、あのぅ……ひょっとして目が……」
「は、はい。数年前に、少し患いまして……」
彼女は何故か気恥ずかしそうにそう言った。
「お、夫にも、色々と迷惑のかけっぱなしで……ホホホ……」
「……」
なるほど。確か奥さんは、平民の出身とか言ってたが……
しかも病気がちで……今は目も見えず……か。
……
凄いな男爵。
身分制度が激しいこの世界で、病気持ちの平民の奥さんを労わる貴族……
なんちゅうか、『真実の愛』と言うヤツを、目の当たりにした気分ですよ。
俺は独り頷き、そっと背中の剣に指を掛ける。
まぁ……あまりこの世界の歴史や個人の運命に干渉するのは避けたい所だが、こうして知り合ったし……スルーは出来んわな。
それに男爵、中々気さくで面白いオッチャンだしね。
意識を集中し、心の中で念じてみる。
「あ、あれ…?」
男爵夫人は戸惑った声を上げ、手の平で顔を覆った。
「め、目が……あれれ?」
パチクリとした大きな瞳に、輝きが戻っている。
澄んだ綺麗な瞳だ。
「……改めて、初めまして男爵夫人」
俺は恭しくお辞儀した。