城塞都市・カーレ
★第39話目
「……よし。ま、こんなモンだろ」
俺は気絶している兵士の装備を身に付けながら、ホリーホックに向かって呟いた。
「どうだ?何とか一般兵には見えるだろう?」
「そうですねぇ……もう少し兜を深く被った方が、気付かれ難いです」
顎に指を掛けながら眺めていたホリーホックが、そっと頭に装着している兜を整えてくれる。
「あ、でも大魔王様。その剣は、どうするんです?」
「これか…」
手にした羅洸剣を掲げる俺。
ふむ……確かに、目立つな。
大きいし、そもそもこの辺りでは流通していない日本刀だし……
「そうだな。取り敢えず、ホリーホックの持ち物と言う事にしよう」
「……そうですね」
コクンと頷き、ホリーホックはそっと両手を伸ばした。
「じゃ、じゃあ悪いけど……少しだけ縛るから」
言いながら俺は、彼女の両手首に捕縛用の紐を捲き付けていく。
彼女の白く細い手首に不釣合いな雑ロープ。
何だか知らんが、心も愚息も少しドキドキだ。
「見た目はきつく縛っている風に見えるけど、直ぐに外せるようにしてあるからな」
「はい」
「うむ。それじゃあ最後に確認しておくぞ。ホリーホックは怪しい行動をしていて俺に捕まったと言う設定だ。ふてぶてしい態度を取っていろよ」
「わ、分かりました」
コクンコクンと二度頷く彼女。
俺はそんな彼女の頭をそっと撫でながら言う。
「良いかホリーホック。万が一、何か緊急事態が起こったら、俺の事は放っておいて逃げろよ。自分の身の安全を第一に考えろ。……分かったな」
★
ヒュンヒュンヒュンヒュン……
風を切り裂きながら無数の矢が、元パインフィールド王国の王都、現在は帝国領・城塞都市カーレの南側城壁に向かって放たれている。
もちろん、城壁の上からの応戦も厳しいものがあるが、事前に洸一が唱えておいた【鉄壁】の呪文と、赤竜の鱗から作った鎧のお陰で、黒兵衛とミトナットウが率いる第2軍は殆ど無傷であった。
もっとも、余り近付けば結界により折角のバフは消えてしまう。
故に、中距離からの弓攻撃しか手が無いのだが。
「調子が良いっぺよ」
ミトナットウが腕を組み、矢を放っている同志達を見つめながら大声を放った。
「じゃんじゃん打つっぺよッ。敵の目を此方に引きつけるのが役目だっぺッ!!」
……ここまでは作戦通りやな。
黒兵衛はそんな彼等を、叢の上にチョコンと座りながら見つめ、考える。
せやけど、どうもなぁ……敵の攻撃が中途半端なんが、ちと気になるなぁ……
「どうしたっぺよ、黒兵衛殿?」
首を傾げ考え込んでいる黒兵衛が気になったのか、ミトナットウが腰を屈めながら尋ねた。
「何か気になる事でもあるっぺか?」
「ん?ん~……どうもなぁ……猫の勘ってヤツや。敵の出方はどないや?」
「数はそれなりに多いんやけど……全然、歯応えがないっぺよ。まるで亀のように引っ込んだままずら」
「……そか。ん~……少しばかり反応が鈍いと思わへんか?」
「う~ん、どうっぺかなぁ……」
腕を組み、ミトナットウが空を見上げながら小難しい顔をする。
「確かに、兵力は敵の方が多い筈なのに……飛んでくる矢の数は想定より少ないっぺよ」
「せやろ?どうも敵さんは、積極的攻勢に出るのを避けている……そんな感じがせぇへんか?」
「……確かに、黒兵衛殿の言う通りだっぺ。まるで突出するのを避けているようだっぺ。敵は何を考えて……」
そこまで言いかけ、ミトナットウの目が何かに気付いたかのように大きく見開いた。
「ま、まさか……罠、だっぺか?」
「その可能性は否定出来んへんな」
空を見上げながら黒兵衛は歎息した。
「せやけど、仮に罠だとして……それがどんな罠なんか、予想が出来んわ。考え付くとしたら……別働隊が後詰に出て来ると言う事もあるかも知れへんが……それだけの予備兵力が敵にあるかどうかや。ワテ等はこの南側城壁と西側城壁を攻めてる最中やしな。事前の情報やと、そこまでの余力は無いと思うんやが……」
「て、帝都からの援軍を待ってるかも知れないっぺ。で、援軍が到着次第、反攻に出て来る作戦かも知れないっぺよ」
「なるほど。つまり、敵の消極的な態度は、時間稼ぎって事やな」
黒兵衛は頷いた。
「なら、それはそれでエエやないか。敵の援軍が来る。んで、多分やが、敵は挟撃策を取って来る。城の中と外からワテ等を挟み撃ちや。せやけどな、それやったらワテ等は逃げ出せばエエだけの話や。それで、ワテ等の仕事は殆ど終了。なんてったってワテ等の任務は、如何に敵の目を引きつけるか、ちゅー事にあるんやからな」
「そ、そうだっぺが……そんなに簡単に逃してくれるかどうかだべ」
ミトナットウが心配気にそう口を開いた時、転がるように一匹のオークが黒兵衛達の元へ駆け付けて来た。
その顔面は蒼白だ。
「どないしたんや?」
「てて、敵ですッ!!」
オークは息を切らしながら叫んだ。
「こ、後方より、敵の大部隊が接近中とのことッ!!」
「予想通りやないけ」
黒兵衛が渋面を作って頷くと、今度はコボルドの兵士が駆けつけて来た。
「ぜ、前衛部隊より報告ッ!!敵守備部隊、城門に多数終結しつつありッ!!」
「黒兵衛殿の読み通り、挟撃してくる気だっぺよ」
ミトナットウが焦ったような声を上げる。
「せやな。敵の目的はワテらの殲滅や。挟み撃ちは常套手段やろ」
言って黒兵衛は、大きく背中を伸ばした。
やれやれ……ワテ等の仕事はここまでのようやな。
「全部隊に伝達や。攻撃を中止して時計周りに転進。西口の第1軍団と合流して、そのまま下がるんや」
★
縄をかけたホリーホックを引き連れ、俺は顔を見られないようにやや俯き加減で塔に侵入した。
幸い外で黒兵衛達が大騒ぎしているので、塔の守備部隊の幾人かは城壁方面に回されたのか少なく、また残った者の気もそぞろで、途中何度か声を掛けられたものの、
「怪しい者を見つけたので、連行している所でありますッ」
と俺が言い、
「あ?なに見てやがる……食っちまうぞコルァッ!!」
と、尋常でない物凄い演技でホリーホックが言うもんだから、大半の兵士は何も言わずに通してくれた。
もちろん中には、挙動不審な俺達に、
「貴様……ノノムラではないなっ!?」
等と剣を振り翳してくる者もいたが、そーゆー輩には強制的にお昼寝の時間に入ってもらったのは、言うまでも無かった。
……
ところでノノムラって誰だ?
「フゥ~…」
階段脇の小部屋に、誰も居ない事を確認して侵入すると、俺は軽い溜息を吐きながら石床の上にドカッと腰を下ろした。
お尻の辺りがひんやりして気持ち良い。
「いやぁ……ちょいと疲れたねぇ」
「は、はい」
ホリーホックも俺の横にチョコンと腰を下ろした。
「しかし……階段を上がるにつれ、段々と見張りの兵の数が増えてきたなぁ。ま、当たり前と言えば当たり前なんじゃが……さすがにこれ以上、誤魔化す事はできんぞ」
俺はもう一度溜息を吐いた。
「結界石は塔の最上階にありますから…」
「……ふむ。もう少しなのになぁ……はてさて、どうするか」
「あ、あのぅ……私に考えがあるんですが……」
俺が腕を組みながら思案していると、おずおずと言った具合にホリーホックが口を開いた。
「ん?どんな考え?」
「あ、あのですねぇ……ここで一旦別行動を取り、私が囮になって敵を引きつけて……」
「却下だ」
ホリーホックの提案を、俺は速攻、否定の言葉で遮った。
「そんな事は断じて許さんッ!!お父さんが許しても俺は許さんッ!!」
「な、何故ですか?」
唇を少しだけ突き出し、眉間に皺を寄せて彼女は「う゛~」と唸る。
「ややっ!?何故ってそりゃ……あぶないじゃないか」
「わ、私だって……魔王と呼ばれている身なんです。雑兵の10人ぐらいなら無傷で倒せますッ!!そ、それに……」
「……」
「それにみんなが命懸けで頑張っているのに、わ、私だけ……」
「……それでもダメだ」
関西弁で言うと「アカン」だった。
「せっかくみんながホリーホックの為に頑張ってるんだぞ?そのお前が怪我でもしたら……皆に申し訳無いと思うだろ?それに……その、なんだ、女の子を囮に使って作戦を遂行させようなんざ、例え神が許しても、このフェミニスト(エセ)神代洸一が断じて許さん」
「け、怪我なんかしませんッ!!そ、それに私は……女の子ではなく魔王ですッ!!非道な人間達を成敗する怪物大魔王なんですッ!!」
「ぬ、ぬぅ…」
何故にそんなムキになる?
しかも怪物大魔王って……ゲボハハハハハって笑うのか?
「み、皆が私の為に頑張ってるのに……何も出来ないのは……もう嫌なんです」
「し、しかしなぁ……」
「あ、あの時も……お城が帝国に攻められた時も……小さかった私を守る為に、何人もの人が……」
ホリーホックは俯き、キュッと握った拳を微かに振るわせながら、言葉を紡ぎ出していく。
俺はそれを黙って聞いていた。
「だ、だから……もう嫌なんです。誰かに守られるのは……こ、今度は私が、誰かを守らないと……」
「……それでもダメだ」
俺は首振りながら言った。
「今まではそれで良かったかも知れないが、今回は違う。この作戦の最終目的はこの城を落とし、ホリーホックを玉座に戻す事にあるんだ。そのお前さんが怪我とか……最悪、死んじゃったりしたら……それこそ水の泡、本末転倒じゃないか」
「わ、私は死にませんッ!!ま、魔王なんですよッ!!悪い人間達をバッタバッタと倒しちゃうんですっ!!」
ぬ、ぬぅ~ん……
ホリーホックは何だか意地になっているようだ。
それに彼女の気持ちも、分からんではない。
がしかし、俺様にも譲れない事はある。
「あ、あのなぁ……何度も言うけど、ホリーホックは女の子なんだから……」
俺は眉間を指で揉みながら言う。
「わ、私も何度も言うますけど、女の子ではなく魔王なんですッ!!」
「またそう言うこと言って……もし仮に敵に捕まって、エッチな事とかされちゃったらどーするんだ?」
お父さんは泣いちゃうぞ。
「へ、平気だもんッ!!」
彼女は強がった。
が、心なしか顔が少し蒼ざめた。
やれやれ、やっぱ女の子じゃないか……
「あ、あのなぁ」
俺は溜息を吐き、おもむろに手を伸ばして彼女のプニプニの頬をキュッと摘むと、それをモニョモニョとしてみた。
「ほっぺたを……こ、こんな事とかされちゃうんだぞ?」
「平気だもん…」
「ぬぅ……だ、だったら……」
今度は彼女の柔らかい、少しウェーブの掛った髪の毛に手をやり、それをサワサワと撫で付けてみる。
「こ、こんな風に……髪の毛を触られちゃうんだぞ?」
「へ、平気……だもん」
頬を赤らめホリーホック。
「……ぬ、ぬぅ」
何だか妙な展開になってきた。
俺は一体、敵地で何をしているのだろう?
「い、意地っ張りだなぁ」
俺はちょいと声を震わせながら、そっと彼女の肩を抱き寄せ、その細く白い首筋に唇を近付けた。
「こ、こんな風に……野蛮な男に、息を吹きかけられるんだぞ?」
「……あぅ」
俺の吐息がくすぐったいのか、彼女は肩を縮めて身を捩る。
「こ、このぐらいだったら……大丈夫だもん」
「……」
さて、どうしよう?
さすがに、これ以上はちとなぁ……
等と思いながらも、さすがにそこは花も恥らうどころか花にすら欲情する思春期ど真ん中の高校生。
理性なんてモノはヘリウムガスより軽い。
「だ、だったら……ここここここんな風に……」
ゴクリと唾を飲み込み、俺は震える手でそっと彼女の胸に触れた。
「ッ」
ビクンッとホリーホックの体が震える。
彼女は顔中を真赤に染め上げ、じっと俯いたままだ。
「こここ、こんな事されたら……へ、平気じゃないだろ?」
「……だ、大丈夫……だもん」
「……」
手の平に彼女の鼓動が伝わってきた。
32ビートを刻んでいる。
ノリノリだ。
お、おいおい洸一ちゃんよ……お前、こんな事をやってる場合か?
心の中の冷静な洸一クンがたしなめた。
もちろん今の僕には馬耳東風だ。
「だ、だったら……」
言いながら俺は少しだけ手の平に力を込め、まだ少し固さの残る彼女の幼い胸をキュと掴んではフニャッと離しキュッと掴んではフニャッと離し……モミモミ反復運動を繰り返してみた。
「こ、こんな事されたら……い、嫌だろ?気持ち悪いだろ?」
ちなみに俺は気持ち良い。
謎だ。
「…ン……へ、平気だもん」
キュッと固く閉じた彼女の口から、少しだけ甘い吐息が漏れる。
ア、アカンて洸一ッ!?ストーーープッや!!
心の中の冷静な洸一さんも、何故か関西弁で説得してくるが……
ここまで来てそれはないだろ?
だって俺、若いじゃん。
「ホ、ホリーホック……」
彼女の名前を優しく囁き、俺はそっと頬に口付けをした瞬間だった。
ドタタタターッ!!と、けたたましく廊下を蹴る軍靴の音。
さすがの俺も我に返ったが、
ち、ちくしょーーーーーーッ!!
誰かだか知らんが、こ、殺してやるッ!!
そんな事を誓ってみたりもした。
★
壁に体をピタッとくっ付け、俺とホリーホックは息を潜める。
やがてドタタタターと響く足音は、いきなり部屋の前で止まった。
「な、なんでしょう…」
俺の腕をキュッと掴むホリーホック。
ふむ……
俺はそっと聞き耳を立ててみると、若い男の話し声が微かに聞こえた。
『……総数は分かりませんが……およそ20人ぐらいが……』
『被害は……南東の塔が……』
『結界石を狙っているようで……はい……』
『すぐに増援を出して鎮圧を……首謀者は……』
『……旧パインフィールドの……パーソンズとか……』
「お、おいおいホリーホック。どうやらあの喫茶店のマスター、南の方の塔に攻め入ったみたいだぞ」
俺は彼女の耳元でそう囁いた。
「なかなかやるじゃねぇーか」
「そ、そうですね。事が成就した暁には、幾万の感謝を……」
『……よし……こちらの守備隊を少し割いて向かわせよう……』
「チャンスだぞ」
俺は頷いた。
「どうやら、こちらの人数が更に減るようだ」
「強行策に切り替えますか?」
ホリーホックが真面目な顔付きで尋ねてくる。
「私と大魔王様なら、例え魔法が使えなくても……一気に結界石の元まで行けると思います」
「……」
確かに、ホリーホックは剣の腕も素晴らしい。
何しろ、勇者と戦った魔王だし。
そして俺は、総合格闘技を習っているので接近戦には自信がある。
しかし……万が一、彼女が怪我でもしたら……
いや、かと言って、俺一人ではさすがにちょっと……そもそも武器を使った戦闘は不得手と言うか素人だし……
「お、お願いします。決して足手まといにはなりませんから……」
真摯な瞳で懇願するホリーホック。
「……ぜ、絶対に、無茶な事はするなよ?」
俺が不承不承頷くと同時に、何やら多数の足音が響き、そして消えて行った。
どうやら別塔へ援軍として向かったようだ。
「よし。だったら……行くか」
「はい」
★
「た、隊長。ちょいと無謀なんじゃ…」
クリーニング店の親父が、飛んでくる矢を盾で塞ぎながら泣きそうな声で言った。
「敵は階上でワシ等は階下やし……戦術的に圧倒的不利のような……」
「じゃ、じゃかましいッ!!そんなモンはパインフィールド根性で吹き飛ばせッ!!」
剣を振るいながら叫ぶ茶店のマスター、パーソンズ。
「結界石を破壊すれば、表の軍勢は俄然有利になるんだ。ここで怯むなッ!!」
「分かってますよ」
ヒュッと細身の剣を敵兵士の胸元に吸い込ませながら、花屋の大将が言った。
「7年間、帝国の言いなりになってきたんだ。例え死んでも、もう懲り懲りですよ」
「うぅ……母ちゃん……息子よ。父ちゃんを許してくれよ……」
クリーニング店の親父は半泣きしながら敵の中に突っ込み、我武者羅に剣を振るった。
そのあまりの迫力に、敵兵士の隊列が少し乱れる。
「い、今だーッ!!突貫せよーッ!!」
パーソンズはその隙を見逃さず、「ウォリャーッ」と雄叫びを上げて敵の只中に乱入。
残りの部下も玉砕覚悟で後に続いた。
剣振り、矢を引き絞り、敵の兵士目掛けての正確な攻撃。
既に死を覚悟した兵士は強く、数と地形に勝る結界石守備隊を徐々に押して行く。
「死ねぇーーーッ!!死ねぇーーーーーーッ!!」
パーソンズの鬼気迫る声が響く。
その度に敵の兵士は血の海に沈んで行った。
やがて圧倒的数に勝る敵兵士は算を乱して潰走し始めるがその時、
「チッ。後ろからか……」
花屋の大将の苦渋に満ちた声が響き、やがてドタタターッと階段を上ってくる敵の増援部隊。
剣を構えて突っ込んで来る。
「……思ったより早いじゃねぇーか」
パーソンズは呻いた。
彼の部隊は塔の中央部で、上下から挟み撃ちにされた。
もう、全滅か降伏しか選択肢は残されていない。
「デイヴ、支えられそうか?」
剣を振りながら花屋の大将に尋ねるパーソンズ。
「……えぇ。支えて見せますよ」
デイブは白い歯を覗かせ、自嘲気味な笑みで答えた。
「死ぬのは嫌なんですが、帝国にやられるのはもっと嫌なんですよ」
「……そうか。よしっ、デイブとあと5人程はここで敵の援軍を食い止めろッ!!残った者は階段を駆け上がり結界石を目指せッ!!」
★
「走るんだっぺーーーーッ!!」
ミトナットウが腕を振り、声を枯らしながら叫んでいた。
「ぐずぐずしていると後ろと前から挟み撃ちに遇うだっぺよッ!!第1軍団の所まで、駆けて駆けて駆け抜くんだっぺッ!!」
ゴブリンやオーク、その他後方に待機していたモンスター達は城の西側へ向かって時計回りに退却を始める。
もちろん黒兵衛の指揮の元、我先にと言った雑然とした潰走ではなく、状況に応じて反撃が出来るように、理路整然とした退却戦だ。
「エエかッ!!4列縦隊を保ったまま早足で前進や。弓戦兵は最後まで城壁に向かって矢を放つんやッ!!」
コボルド兵の頭の上にチョコンと座っている黒兵衛が、退却していく皆を見下ろしながら叫ぶ。
幸いにして、敵はまだ此方の退却に気付いた様子は無い。
彼方を見つめると、敵援軍の旗が南方で微かにはためいている程度だった。
距離は充分やが……退却がバレたら死に物狂いで襲い掛って来るんやろなぁ……
そうならない為にも、今の内に出来るだけ離しておかないと挟撃され、全滅の危険すらあった。
「ミトナットウ。敵の増援部隊はどのくらいまで来ているんや?時間的距離で言うてくれや」
「あ~……普通に駆けて、だいたい小一時間ぐらいの所だっぺ」
「……そか。んなら弓戦兵は残り20分間、城壁に向かって矢を放ち続けるんや。その後に全力で持ち場を離れ、先方隊と合流やッ!!」
★
「うおりゃーーーーーッ!!」
俺は剣を振り回し、雄叫びを上げながら螺旋階段を駆け上がっていた。
背後にはホリーホックが鬼気迫る表情でピタリとくっ付いてきている。
傍から見たらなんちゅうか……俺が危険な女の子に追われているように見える事だろう。
「どけどけどけーーーーいッ!!」
塔の中の大半の兵士を援軍に回したのか、残されている者の数は予想より遥かに少なかった。
これまで何度か兵士と遭遇したが、俺の持つ見慣れぬ鋭利な刃を持つ魔法剣と怒声に圧されてか、はたまたおっかない顔をしたホリーホックの気迫に圧されてか、反抗らしい反抗も見せず、剣を捨てて逃げて行く者達ばかりであった。
よ、良し。いいぞ……まだ俺、誰も殺してないよな?
さすがの俺様とて、例え別世界とは言え人を殺めるのはかなり躊躇するものがあった。
死ぬか生きるかの世界ではあるが、やはりその辺は平和な国で育った一介の高校生だからね。
も、もし他人を傷付けてみろ……
きっと母さんに、「ほ、本当は虫も殺せない子なんですよ」とか言われて泣かれちゃうんだぞぅ……
でもね母さん、これは戦争なんだよ。
「うぉーーーーーッ!!」
「だ、大魔王様ッ!!あっちですッ!!」
階段を上り切った後、ホリーホックがビッと回廊の突き当りを指差した。
見ると3人の兵士が剣を構えて向かって来る。
「くッ……さ、下がれッ!!この大魔王神代洸一の刃に掛って死にたくなければ、剣を捨てて消えろッ!!」
不気味に輝く羅洸剣を片手で構え、俺は叫んだ。
「こ、この俺様に殺されると……魂が成仏しないんだぞッ!!大魔王の呪いで、未来永劫、地獄の業火に焼かれ続けるんだぞッ!!」
「そそ、それがどーしたっ!!」
悲しいかな、俺のハッタリは兵士達に通用しなかった。
「むぅ…」
俺は剣を両手持ちの構えに変え、距離を取る。
どこか瞳に狂気を宿した3人の兵が、ジリジリと取り囲むように近付いてきた。
おおおおっかねぇなぁ……何かもう、やけっぱちって感じじゃん。
ど、どうしよう?
俺、本当にコイツらを殺してしまうかもしれんなぁ……
ま、3対1で敵は武器を構えている……うん、間違い無く、正当防衛が成立するね。
心の弁護士も無罪を主張できるね。
俺はゴクリと唾を飲み込む。
その瞬間だった。
背後に居たホリーホックが、いきなり放たれた矢の如く俺の脇をすり抜け飛び出したかと思うと、目にも止まらぬ早業で剣を振るい、呆気に取られた兵士達を切り付けた。
ドサッと鈍い音を立てて一人の兵士の腕が肘から落ちる。
悲痛な叫び声。
彼女は鮮血に染まった回廊に佇み、優雅な動作で尚も剣を振るった。
あ、あ~あ……ありゃりゃりゃ……こりゃまた、いきなり修羅場のようで……
金魚のように口をパクパクとする俺。
生きるか死ぬかの世界を体験していない平和ボケの僕チャンにとって、それは凄惨の一言に尽きる映像だった。
血飛沫とかガチで見るの初めてだしね。
「う、うおりゃーーーーーッ!!」
俺は戸惑っている兵士の一人に切りつけた。
ビビっている暇はない。
今はただ、目的の為に自我を殺すべきだ。
俺が躊躇している間にも、黒兵衛達は外で必死に戦ってる筈なんだ。
人を殺めて後悔するなら、後ですれば良い。
「ヒ、ヒィィーーーーーッ!?」
情け無い声を上げ、俺が攻撃していた兵士は、いきなり剣を捨てて遁走した。
「大魔王様ッ!!こっちですッ!!」
突き当りの扉の前でホリーホック。
「この向うに結界石がありますッ!!」
彼女がそう叫んで扉を開けた瞬間だった。
ヒュッと耳を劈く嫌な風切り音が俺に届いたかと思うと、いきなり目の前で彼女の体が斜めになり、そして……
「――ホリーホック!?」
ドサッと鈍い音を立てて床に崩れ落ちた。
見ると部屋の中では、兵士達が弓を番えて此方に狙いを定めている。
俺は身を低くしながら彼女の元へと駆け付けるや、素早く彼女を救出しつつ扉を締める。
トストストスと向こう側から扉に矢の刺さる音が響いてきた。
「ホ、ホリーホックッ!!」
彼女の細く小さな肩を抱き抱え俺は叫んだ。
一本の小さな矢が彼女の胸元を貫いている。
「ホリーホックッ!!目を開けろッ!!」
「……だ……大魔王様」
擦れ擦れの声が聞こえる。
「よよ良し、OK。生きてる。大丈夫。もう喋らなくても良い。ここここの俺様が、今すぐ治療してやるからなッ!!」
だがその間にも、扉の向うからは兵士達がジリジリと近付いてくる気配。
また階段の方からは、駆け上がって来る無数の足音が響いてきたのだった。