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負けではない。勝たなかっただけだ。


★第36話目


ギラギラと鋭い歯を照からせ、ドラゴンがズシンズシンと地面を震わせながら近付いてきた。

鮮血を思わせるような真っ赤な口腔からは時折、黒煙が噴き出したりしている。


……くそったれが……

色々と啖呵を切ったものの、実は俺は剣を支えにしながら立っているのがやっとの状態だった。

このドラゴンは、捕食者としての勘からか、それを見越して悠然と近付いて来ているのだ。

さて……どうする、洸一?

魔法は殆ど通じない。

かと言って片腕で瀕死のこの状況では、物理攻撃はおろか逃げ出す事も不可能。

何の事は無い、意識が戻って立ち上がっても、それは単に少しだけ寿命が延びただけの話なのだ。


むぅぅ……困った。コイツは実に困ったチャンだぜ……

だが、片腕をもがれようが片目を潰されようが、俺はやる。

やらねばならん。

理由は分からないけど、これも行方不明の皆と出会う為に必要な試練の一つなのだ。

良く分からんけど、多分そうなのだ。


「むんッ!!」

両足に力込めて踏ん張り、俺は右手で剣を構えた。

立っているのが辛い。

右手もブルブルと震えている。

何とか攻撃出来ても……一回が限度か。


「洸一、エエか?」

足元の黒兵衛がそっと小声で話し掛けてくる。

「1、2の3で、左右に分かれてYライン攻撃や。狙いは、アイツの目や」


「目?」


「せや。他の場所は頑丈そうな鱗で覆われてるさかい、剥き出しの眼球を狙うしかあらへんやろ?出来るか、自分?」


「……やるしかない。……だろ?」


「その通りや」

黒兵衛はクククと笑うと、正面のドラゴンを見据えた。

「チャンスは一回や。……いくでッ!!」


「お、おう」


「1……・2の……3やッ!!」

黒兵衛の合図と共に、俺達は左右にバッと飛び退った。

ドラゴンは、目の前で獲物がいきなり分かれたもので暫し右往左往。

だが当然、オヤツにすらならない猫如きではなく俺に定めると、ゆっくりと長い首を此方に向けてきた。

その瞬間、ドラゴンの死角から黒兵衛が飛掛かり、

――ブシュッ!!

彼奴の巨大な目玉に、野良特有の雑菌だらけの爪を突き立てた。


――でかしたッ!!


首を振り、苦痛に悶える狂獣。

俺はチャンスとばかりにもう片方の目玉も潰してやろうと剣を持った腕を伸ばすが、その時、

「――フギャッン!?」

暴れるドラゴンの尻尾が、まるで狙ったかのように黒兵衛に直撃。

鋭利な鱗に覆われた尻尾は、意図も容易く相棒の体を引き裂いた。


「く、黒兵衛ッ!?」

鮮血がほとばしる。

まるで襤褸切れのように黒兵衛は宙を舞い、そして地面に叩きつけられた。

見ると体がピクピクと痙攣を起こしている。

瀕死の重症だ。


――黒兵衛ッ!!

どど、どうする洸一ンッ!!

今ならまだ治療魔法で治せそうだ。

しかし、ドラゴンを屠るチャンスも今しかない。

どうする……

どう行動するよ洸一チンッ!?


――つづく


……って、続かねぇーよッ!?

俺は瞬時に、究極の選択肢を心に描いた。

1・これぞ漢の生き様。黒兵衛を助ける。

2・お前の事は忘れない。ドラゴンを攻撃。

3・今度遭ったらぶっ倒す。尻捲って遁走。

4・新の力を目覚めよ。目から洸一ビームを照射。

5・今週のスーパードッキリビックリメカ発進。口からゾロメカを出す。


「か、考える間もねぇーだろッ!!」

そう叫びながら、俺は黒兵衛の元へ駆け寄った。

薄汚くて臭い猫だけど……

こいつは俺の友達なんだ。

戦友なんだよ。

「く、黒兵衛、しっかりしろッ!!傷は浅いぞ。……大嘘だけどなッ!!」

剣を掲げ、治療魔法を使う俺。


「バ、バカ洸一が……」

黒兵衛は息も途切れ途切れに悪態を吐いた。

「ワテの事より……あの気狂いドラゴンを攻撃するチャンスやないけ……」


「だ、黙ってろッ。傷に響くぞッ!!」

くそッ!!

傷が大きい分、治癒魔法が中々追いつかねぇ……


「ワて……死んでも構へんのや。それが……使命やさかい」


「は?使命?」


「……せや。ワテ……前から言われとったんや。のどかの姉ちゃんにな、洸一がピンチの時は助けるようにって……つ、使い魔やからなぁ……ワテは」


「黒兵衛……」

――ドクンッ!!といきなり心臓が跳ねた。

心の奥底から、冷たい怒りが湧き起こってくる。


……この感じ……なんだろう……

それは前にも感じた事があった、まるで精神の一番奥に封印されていたモノが甦るような感覚だった。

……そうだ。あの時も……プルーデンスがあの女暗殺者に殺されそうになって……


――ドクンドクン……


俺はスッと立ち上がり、そしてゆっくりと振り向いた。

片目から血を流したドラゴンが、首を振りながら此方を睨んでいる。


「……何ヘラヘラしてやがる」

感情が死んだような声で、俺は言った。

「お前……調子に乗り過ぎだぞ」

俺はゆっくりと剣を掲げた。

謎の鎧武者氏より借り受けた羅洸剣が、何故か黄金色に輝いている。

「……少し、死ね」

そして俺は悠然とドラゴンの元へ歩いていき、その剣を振り下ろそうと……

――バシュッ!!!

いきなりだった。

ドラゴンの無事なもう片方の目に、どこからか飛んできた矢が深々と突き刺さった。


「あ、当っただ……当ったずらよッ!!」

ミトナットウの歓喜の声。

そしてドラゴンは激しく身を震わせ嘶くと、そのままズシンッと地響きを立てて崩れ落ち、そのまま動かなくなってしまった。


「……」

さて、このアクションをどう収めたら良いものか……

何だかピュウ~と木枯らしが俺の足元を舞っている。


「だ、大魔王様。ワ、ワシ……ドラゴンを仕留めただよ。すんげぇ快挙だっぺ。これで今日からドランゴキラーだっぺよ」

ニッコニッコと超笑顔のミトナットウ。


「……」

取り敢えず、コイツを一発ぶん殴ろう。



「あ~う~…」

――夕刻

総司令部(村長の家)の一室で、俺はベッドに転がり呻いていた。


「大丈夫だっぺか?大魔王様」

ミトナットウと黒兵衛が、枕元から心配そうに声を掛けてくる。


「だ、だる~い……体が重~い。頭も痛いし眩暈も……血が……血が足りねぇよぅ」

俺は辛うじて繋がった左腕をワキワキと動かしながらそう言った。

幸いにしてあのバカトカゲは俺の腕を丸呑みしてくれたので、腹を割ったら無傷に確保できた。

それを魔法で繋げたのだが……いささか血を流し過ぎたのか、回復魔法でも未だ体力の全回復には至っていないのだ。


それにしても……ホント、治って良かったにゃあ。

よもや片腕と言う事になったら、戦傷軍人と言う事で恩給が貰えるのかしらん?

でも、腕に大砲くっ付けて、デカイ剣を振り回しても良かったかにゃあ……


そんな馬鹿以外の何者でも無い事を考えている間にも、台所方面から良い匂いが漂い、腹の虫はグゥグゥと不満の声を上げていた。

「あ~……しっかし、今回ばかりはさすがの俺様ちゃんも、『おやおや、これは死ぬかな?』なーんて思っちまったよ」


「大魔王様は行き当たりバッタリなんだっぺ」

ミトナットウが渋面を作りながらそう言う。

「もう少し計画を立てて行動した方が良かっぺよ」


「……やだモン。何故なら面倒臭いから」

俺は可愛くそう言って、ゴロンと寝返りを打った。

だいたいこの俺様、夏休みの計画だって3日も経たずに頓挫する男だぞ。

舐めてもらっちゃあ困るのよ(謎


「や、やれやれな大魔王様だっぺ」


「まぁ、コイツに頭を使えって言う方が、土台無理な話やな」

黒兵衛が軽く溜息を吐いた。

「ところで、ホリーホックの姉ちゃんの姿が見えへんけど……夕食でも作ってるんか?」


「ん…」

そう言えば、村を出てから一度も見てないにゃあ。

『瀕死の重症なんだよぅ』とか言って甘えたら……良い子良い子って頭を撫でてくれるかな?


「夕食を作ってるのはウチのカミさんだっぺよ。魔王様は……その……少し具合が悪いって話だっぺ」


「具合が悪い?」

俺はムックリと起き上がって聞き返した。

おおぅ……やっぱり頭がクラクラするぅ……

「ホリーホックのヤツ……風邪でも引いたのか?それとももしかして、今日は女の子の日?」


「うんにゃ。良く分からないんだども……丘の上で蹲ってった聞いたっぺよ。カミさんの話だと、何でも疲労が重なってとか……」


「そ、そっか。ホリーホック……頑張り屋さんって感じだモンな」


「ワシ等、今まで魔王様に頼り切ってたっぺよ……」


「あ~……まぁ過ぎた事は良い。それで、具体的にはどうなんだ?症状とかは?」


「暫らく安静に、と言う事だっぺ」


「……そっかぁ」

ふむ。ならば後で、見舞いに行ってやらねばな。



ようやく辿り着いた王城は、予想外の出迎えをしてくれた。

「これは何の真似だッ!!」

門兵に囲まれたチェイムが怒鳴る。


「……申し訳ありません、皇女殿下」

警備隊長を示す肩掛けのサッシュを身に着けた男が一歩前出ると、今にも噛み付きそうなチェイムに向かって、あからさまに冷淡な態度でそう言った。


「……ほぅ。私を皇女と知りながら何故に武器を向ける?」

取り囲む兵達を一瞥しながらチェイム。

その場に緊張が走る。

勇者にして戦姫の異名を奉られる彼女なら、武器は無くともこの程度の人数、一瞬の内に屠る事が出来るのだ。

「……答えよ隊長ッ!!」


「皇帝陛下の勅命です。宮廷裁判が始まるまで自室にて謹慎するように、との仰せです」


「は?宮廷裁判だと……」

その言葉は、チェイムを奈落の底に落とすのに、それほど時間を必要としなかったのだった。



「……ここか」

ホリーホックは、村の宿屋【ニュー越谷】を陣屋にしていると聞いた。

俺はちょっとふらつく足取りで宿屋の門をくぐると、

「あ、これは大魔王様」

見た目では決して判別不可能なオーク(♀)が、ニッコニッコとこれまた判別不可能な笑顔で出迎えてくれた。

「大怪我なされたとウチの亭主に聞いたんですが……出歩いてて宜しいのですか?」


「まぁな。まだちょいと頭とかクラクラするが……俺は大魔王じゃからのぅ。片腕がもがれようが、屁のツッパリはいらんですよ」


「は、はぁ?」


「そんな事より、ホリーホックはどうしている?彼女に会いに来たんじゃが……」


「魔王様でしたら……あ、ご案内します」

オーク(♀)はそう言って慇懃に頭を下げると、俺に気遣ってか、ゆったりとした足取りで歩き始めた。

俺はその後をフラフラと付いて行く。


しかしホリーホックのやつ、大丈夫かなぁ……

過労が原因だと聞いたが、無理もない。

俺は渋面を作った。

あの小さな体で頑張ってきたんだ。

彼女は……普通の人間なんだぞ。

……

いや、ちょっと普通とは違うし、ちょっぴり痛い所もあるけど、それでも年頃の女の子なのだ。

青春ど真ん中ガールなのだ。

なのに、今まで皆の為に戦だ何だの頑張ってきたんだ。

倒れるのも無理はなかろう……


「こちらです、大魔様」

そう言って木製のドアを開けるオーク(♀)。

そして更に狭い通路を暫し歩いた後、

「魔王様。大魔王様がお見えです」


俺はオークの横合いから顔を出し、気さくな挨拶をした。

「よっ、大丈夫か?」


「――ッ!?」


「ゲッ!?」

そこは何故か浴室だった……



「……ただいま戻りました」

謁見の間で跪くチェイム。


「……」

巨大な玉座に腰掛けた初老の男性は、豊かな白い髭を玩びながら冷やかな目で彼女を凝視していた。


「……」

いつもの事だ、とチェイムは思う。

その瞳からは愛情の一片すらも覗えない。

思えば物心ついた時から、兄や二人の姉と違って私にだけは冷淡だった。


――チェイムは妾腹であった。

しかも母は平民の娘だったと聞く。

二人の姉はもちろん貴族の出で、兄は正妻から生まれた。

自分だけが平民の血を分けた子供だった。

貴族的な言い方をすれば、汚れた血の持ち主というのだろうか?

もちろんチェイムは、そんな差別的な事を考えた事は一度として無い。

同じ人間なのに……才ではなく生まれだけで区別するとは、何と愚かな。

何時もそう思う。

だから戦陣ではいつでも先頭に立ち、モンスターとの闘いでも勇者の称号を帯びる程の戦士となった。

それは貴族達の言う「薄汚い血」の力を見せつけてやりたかったからだ。

もっともチェイムが活躍すれば、貴族達はそれは「皇帝の血」のお陰と言い、何か失敗すれば「やはり平民か」と蔑んだ。

その度に彼女は孤独を募らせて行く。

……何が貴族だ……

そう思っても、自分にもその貴族の血が半分は流れている。

何と言う中途半端な境遇だろう。

いっそどちらかの生まれであったならば、悩みもせずに暮らして行けただろうに……


「……とんでもない事をしてくれたな」

皇帝がその言葉に怒気を含ませて言った。

「よもや大魔王なる者を甦らせてしまうとは……」


「……」


「勇者だ戦姫などと呼ばれ、少しばかり図に乗っていたようじゃな」


「……」

チェイムは歯軋りした。

どう聞いても、命からがら戻って来た実の娘に父が掛ける言葉では無い。

それに元はと言えば、領民の嘆願を無視し続けた貴方のせいではないのか!!

「わ、私は……」


「……口を聞く事を許可した憶えは無い。それに如何なる理由があれ、結果を変える事は出来ぬ」


「……ハッ」

チェイムは再び頭を下げた。


「大魔王とやらは既に、南の村の殆どを落としたそうだ。しかもピッケンズ男爵の居城に向かっているとの報告もある。あそこが落ちれば、帝都までの道を遮る城や砦は殆ど無い。貴様のしでかした事は、この帝都を危険にさらしたと言うことじゃッ!!」


「……」

大魔王……

あの男が……あの情け無い顔をした男が、進軍してくるだと……


「例え皇族と言えど、それなりの罰を与えねばならぬ。宮廷裁判が終るまで自室にて謹慎しておれ」


「……ハッ」



輝くような裸体と言うのだろうか?

ホリーホックは浴槽の中で立っていた。

窓から零れる日の光が、肌に着いた雫に反射して夕焼け色に輝いている。

もっと端的且つ直線的に言うと、膝から上がオールオープンご開帳の状態。

はい、何も着てないですよ旦那さん、と言った具合だった。


「……」


「……」

き、綺麗な裸だにゃあ。

思わず見惚れてしまった。

濡れて紺碧色に染まった長い髪が、胸の辺りに掛かる姿なんざ……非常にエロチックだ。

「え、え~と……」

もちろん、こう言った不可抗力な場面に嫌と言うほど遭遇してきた俺様は、かような事態に対しどう対処して良いかを本能で悟っていた。

即ち、

回れ右で視線を外す。

「ごめんちゃい」と言う。

ダッシュで逃げる。

ここまで案内してきたオーク(♀)に鉄槌を食らわす。

思い出してベッドの中で余韻に浸る(男の隠密行動)。

以上だ。


「あ、あっと…」

俺は慌てて回れ右。

「そ、その……ゴメンッ!!」

言うや走り出そうとしたが、

――クラァ~

いきなり急な眩暈に襲われた。

それもその筈だ。

ただでさえ大量出血で少なくなっている血が、一気に下腹部に集中した日には、頭もクラクラとするってもんだ。


――い、いかーーーーんッ!?

風呂場で欲情して倒れたとあっては、神代家末代までの恥ッ!!

俺は残された気力とやらを振り絞ってみるが、

「……」

既に目の前がブラックアウト状態なのだった。



「……チェイム姫」

自室に戻る途中で声を掛けて来たのは、短く刈り込んだ黄金の髪を持つ、アラン・クラーク・フォン・ヴィンス伯爵だった。

精悍さの中にもまだ少し幼さが残るその顔は、ありありと彼女を心配している風でもあった。


「ヴィンス伯爵」

年若い伯爵に笑顔を返すチェイム。

無論年若いと言っても、彼女より10歳は年上だ。


「お気を落とさないで下さい、皇女殿下。陛下も、他の貴族や領民の手前、敢えて言った事ですよ」


「……そうだと良いが」

チェイムはそう呟き、そっとヴィンス伯爵の胸元へ頭を預けた。


「……殿下」

優しくその肩を抱く伯爵。

彼はチェイムの婚約者であった。

この陰謀渦巻く宮廷の中で、チェイムが心許せるのは、この伯爵と彼女付きの老いた執事だけだった。


「大丈夫ですよ、殿下。この私が付いていますから……」

彼女の耳元で甘く囁く。


……そうだ。私にはヴィンスが居る……

チェイムはそれだけで安心だった。


ヴィンスは帝国の中でもそれと知れた門閥貴族だ。

帝室の娘とて、妾腹のチャイムがおいそれと婚約できる相手では無かった。

だが若くし家督を継いだ彼は、「私は、そう言った事には疎いので」と笑いながら婚約を申し入れ、父や兄、姉達を驚かせたものだ。


婚約してから1ヶ月……伯爵が居れば私は……


「殿下…」

そっと伯爵の手がチェイムの頬に触れた。

その瞬間、彼女は軽く伯爵の胸を押し退けた。

「……まだ、口付けも許してくれないのですか?」

少しだけ悲しそうに笑う伯爵。

「私は貴方の婚約者なのですよ?」


「……」

チェイムは何も言えなかった。

心から伯爵を愛しているのに、何故かこう言った事になると体が勝手に拒むのだ。


「……分かってますよ殿下。式を挙げるまでは綺麗な体で……それが帝室の躾ですからね」


「……」

チェイムは無言で俯いた。

伯爵の好意に何も返せないと言う負い目が、彼女を苦しめる。


自分でも……心から彼の胸に飛び込んで行きたいと思うのに……

手を振りながら去って行く伯爵の後ろ姿を見ながら、そっと自分の頬に手を触れた。

……伯爵が触れたら嬉しい筈なのに……

だけどあの時、体はまるで拒否反応を起こすように無意識に彼を突き放してしまった。

もちろん、今まで何度も同じような事を繰り返していた。

心から伯爵を愛している。

それは間違いない。

だが、体の方が拒絶してしまう。


……どうしてだろう……

薄暗い回廊を自室に向かって歩きながら考える。

ひょっとして……私は生理的に男を受け付けない身体なのだろうか……


フゥ~と重い溜息を吐き、チェイムはもう一度自分の頬に手を当てた。

私は……

その時だった。

不意に彼女は一つの疑問に思い当たり、そして愕然とした。

……あの大魔王に触れられた時、どうして私は嫌がらなかったのだ?



何だか……懐かしい夢を見ていた。

誰だか分からないが、俺の髪を優しく撫で付けてくれている。

何度も、何度も優しく……

「……」

あぁ、この感じだ……


一つの情景が甦る。

木々から零れる陽光に、目を細めながら横たわる俺の頭を膝に乗せ、彼女は頭を撫でてくれた。

「大丈夫ですか、先輩?」


……弱っちくて悪いねぇ……

俺は苦笑しながらそう言ったもんだ。

優ちゃん……もう一度、君に会いたいにゃあ……

「―――ッ!?」

ガバッと起き上がると、目の前にはホリーホックが、驚いた表情で俺を見つめていた。

「こ、ここは……どこ?」

まだ少しクラクラする頭を押さえながら、俺は呟くように尋ねた。

窓の外にはでっかいお月さんが見える。

どうやら、かなりの時間眠っていたようだ。


「え、え~と……宿屋です」

何故か頬を赤らめホリーホック。


「……そ、そっか」

俺はコクンと頷きながら、倒れる前の事を鮮明に思い出していた。

うぬぅ……これは気まずいッ!!

よもや、彼女の裸を見てそのまま気絶しようとは……

大魔王は、実にお茶目ちゃんじゃのぅ。

「え、え~とだな……ホリーホック」


「は、はい」


「そ、そのぅ……アレは悪気があってやったワケじゃないんだぞ?もちろん、ワザとでもない。アレは純然たる事故だ。あのオークが勝手に案内してだな……」


「あ、いえ……その……き、気にしてないですよ」

彼女はそう言ってニッコリと笑顔を作ろうとするが、その強張った表情はありありと、めっちゃ気にしてますですぅ、と言うのを如実に物語っていた。

「あ、あのですね、オーク達はその……だ、男女の事についてとか、あまり感心がない種族でして……その……べ、別に考えがあってやったワケじゃないんですよ。だ、だからあれは……その、不幸な事故と言うか……あ、別に……ふ、不幸じゃないんですけど……」


「そ、そうなんだ」

な、なんちゅうか……気まずさ更に倍!!篠沢教授は16倍!!と言うような……

「で、でも……なんだ、その……ごめん」

俺はペコリンと頭を下げながら、ポリポリと頭を掻いた。


「あ……い、いいえ!!私……ぜ、全然気にしてませんから。ホント、気にしてないんだモン……」

頬を赤らめモジモジと照れに照れるホリーホック。

何だか俺、猛烈に背中が痒くなってきた。


「そ、そうか。気にしてないんなら別に良いが……そ、それより、ずっと俺の看病を?聞けばホリーホックも体調が思わしくないと……」


「え?わ、私は……別に……ちょ、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ疲れが出たぐらいですから……」


「……そうか?」

見ると彼女は、心なしかやつれているように見えた。

どうやら栄養が足りないようだ。

うむ。肉を食わなくてはなッ!!

もちろん野菜も。

「あまり無理すんなよ?ま、ぶっ倒れた俺が言うのもアレだけどな」

俺はそう言って、優しく彼女の頭を手の平でポンポンと叩いた。

肩まで伸びた柔らかい髪が気持ち良い。


……初めて出会った時は、おっかねぇサイコな女の子と思ったけど……こうして見ると、やっぱり年相応の可愛い女の子じゃないか……


「む、無理なんか……してません」

少しだけ唇を尖らせるホリーホック。

「私が頑張らないと、みんなが……」


「うぅ~ん……それが無理してるって言う事なんじゃが……」

俺は苦笑した。

「ホリーホックは……人間の女の子なんだからさ。自分に科した使命みたいなモンに忠実なのは分かるけどさ、それでもやっぱり歳相応に、普通の女の子らしい時間を楽しまないとね」


「で、でも……」


「……俺の知っている女の子でさ、ホリーホックぐらいの歳かな?その娘、格闘技に夢中でさぁ……頑張り過ぎると言うか、思い込んだら試練の道を驀進中と言うかさぁ……もちろん、それはそれで良い事なんだけど、頑張り過ぎて怪我をした事もあったんだよ。つまり、根を詰めるとマイナスにしかならいないって事なのさ。結果的に見ても。常に張り詰めた気と言うのは、なんちゅうか、いつ場破裂してもおかしくないんだよ。だから偶にはガス抜きしてやらないと、肉体的にも精神的にも悪影響を及ぼしちゃうぞよ」


「……」


「だからさ、ホリーホックも少しは楽をしろ。何でも自分で背負い込むな。その為にさ、この俺様が居るんだからな」


「……大魔王様」

彼女はコテンと頷いた。

「私……大魔王様に出会えて……本当に良かった」


「そ、そう?」

な、何だか照れるにゃあ……頬が赤くなっちゃうよ。

「まぁ、この俺様が居る間は、ホリーホックも肩の力を抜いてさ、もっと気楽に……」


「えっ!?」


「な、なんだ?」

何か僕、おかしなこと言いましたか?


「だ、大魔王様……今、居る間はって……ま、まさか、ずっと一緒には……」


「あ…」

うぬぅ、口が滑ってしもうたわい。



「だ、大魔王様……ずっと……居てくれないのですか?」

ホリーホックは双眸に悲しみと、何かしらの怯えにも似た色を浮かべ、ベッドに半身を起こしている俺にズズイッと詰め寄って来た。

「私達を見捨てる気なのですか?」


「あ、いや……その……見捨てるなんて事は……」

さて、困ったにゃあ。

なまじ変な事を言えば……

なんちゅうか、このまま監禁されるような気がする。

大魔王様は逃がしません、みたいな感じで。

「あ~……なんだ、正直に言って……ずっと一緒と言うワケには行かないな。上手く説明できないけど、この世界以外にも、俺の助けが必要な世界がたくさんあるんだよ。だから俺は、一箇所に留まってるワケにはいかないんだ」


「そ、そんな……」


ま、またそんな絶望的な顔で……

「し、心配するなホリーホック」

俺はガックリと項垂れている彼女の髪を、もう一度ポンポンと優しく撫で付けた。

「例え何時の日か去って行くにしろ、お前さん達の戦いには最後まで付き合うって」


「……」


「ほ、本当だぞ?洸一、嘘つかない」

それが彼女達に関わった、俺なりのけじめだと思う。

それに、例え途中でグライアイに強制召還とかされても、何とか頼み込んでもう一度戻ってきてやる。

この戦いの行く末を、最後まで見守ってやる。

「ホリーホックの夢が叶うまで、俺はこの世界に居るよ」


「……夢……」


「そうだ。ゴブリンとかオークとか……モンスター達の楽園を作るのが夢なんだろ?」


「は、はいっ。でも……まだあるんですが……」


「ん、なんだい?目でピーナッツを噛む事かい?」

言っとくが、それは不可能だぞ。


「え、えっと……その……王家の復興……」


「……」

そう言えば、ホリーホックはこの地方にあった王国の出だったと聞いたな。

「……そっか。ふふ、お安い御用だ。他には無いのか?」


「あ、後は……い、今は言えません」

ホリーホックは何故かモジモジとし出した。


「……」

な、何だろうにゃあ?



ベッドの上で女が横たわっていた。

淡い栗色の長い髪が、まるで蜘蛛の巣のようにシーツの上に広がっている。

「……あの女も、いい気味だわ。ね、アラン」

乱れた髪をそのままに、優雅な動作で半身を起こしながら、その女は暖炉の前に腰掛けている男に言った。


「……実の姉の台詞とは思えませんねぇ」

「あら?私なんかより、婚約者の貴方の方が酷くってよ?アラン・クラーク・フォン・ヴィンス伯爵」

媚びた瞳を向けながら、女はクスクスと嫌な笑みを浮かべる。

「それに……私は一度も、あの下賎な血を引いた黒髪の女を、妹なんて目で見た事はありませんわ」

「……それはそれは」

ヴィンスは苦笑した。

「その件に関しましては、私も同意見ですな」

「フフ……相変わらず悪党ね」

「そうですか?一時とは言え、比類無い帝国貴族の私の婚約者になれたのだし……あの小娘も、さぞ楽しい夢を見たでしょう」

「フフフ……貴方は単に、皇族になりたかっただけのクセに」

「当たり前ですよ。出なければ、何故に私があの下賎な小娘に?もっとも……今回の件で、少しばかり修正しないといけませんがね、私の計画は」

フゥ~と大きく溜息を吐くヴィンス。

「聞く所によると、宮廷裁判では、何でも継承権剥奪の気配もあるとか……そうなれば、私の野望は一からやり直しですからね」

「そうね。私の計画も同じよ」

女はベッドから優雅に立つと、全裸のまま、後ろからヴィンスの頭を抱き抱え、愛しげに髪を撫でた。

「あの老いぼれ……この私を他国へ嫁がそうとしているわ」

「……仕方ありませんよ。貴方は帝国の第二皇女なんですから」

振り返り、女の乳房に顔を埋めるヴィンス。

「……ねぇヴィンス。早くあの女を始末して、私と一緒になりましょうよ。もちろん、始末するのは兄上も姉上もですけど」

「ふふ……怖い怖い。しかし……そうですね、もう少し何か決定的なモノが欲しいですね」

「決定的?」

「せめてあの大魔王とやらが、ピッケンズ男爵の城でも攻め落としてくれれば……充分、あの女を極刑にまで追い込む事が出来るんですがね」



俺的体内時間で……約23時頃。

俺は幹部連中を旧村長宅に集め、夜更けの大本営幕僚会議を開いていた。

ちなみに本日のテーマは、『今日の反省と明日の晩御飯について』だ。


「あ~……夜分遅く、ご苦労さん」

居並んだ最高幹部達。

と言っても、年下の女の子にボケ始めたオークに田舎風味丸出しのゴブリンに野良猫が一匹の、ささやかと言うかみすぼらしさ漂う幹部連中だが……それらを前にして咳払いを一つし、俺は着席を勧めた。


「大魔王様。体の具合は良かっぺか?それに魔王様も……」

ミトナットウが、俺とホリーホックを交互に眺めそう口を開いた。

「聞けば大魔王様は……何でも魔王様と一緒に入浴していて倒れたとか……だ、大丈夫だっぺか?ってゆーか、大怪我した後なのに、お盛んが過ぎるだよ」


「ド、ドアホッ!!」

俺は慌てて話しを遮った。

見るとホリーホックが、顔中を真赤に染め上げ俯いてしまっている。

ぬぅ……

「ど、どこで話しを聞いたらそんな事になるんだ?しかもお盛んって……な、何が盛んなんだッ!?」


「違うんだっぺか?」


「ち、違わいでかッ。あ、あれは……そのぅ……ちょいとした行き違いがあったんだ。な、ホリーホック」


「そ、そうですよ。わ、私と大魔王様が、そんな……」


「ほぇ~……そうだっぺか。でも大魔王様と魔王様はお似合いだべ。だからてっきり、そう言う関係かと思ったっぺよ」

ミトナットウは、恐らくなんの考えも無しにそう言うが……

「ばばば、馬鹿な事を。だ、だいたい、そーゆー関係ってどーゆー関係なのか、わわ、私には……」

ホリーホックは見ていて気の毒になるほど、見事に慌てふためいていた。


や、やれやれ…

俺は頭を掻きながら深い溜息を一つ。

すると黒兵衛が、

「……」

何だか意味深な表情で俺を見つめていた。

その瞳は、『あれほど深く関わるなって言うたのに……このドアホがッ!!』と言っているように思えた。


そんなこと、俺だって分かってるよぅ……

「あ~……そろそろ良いかな?」

俺はもう一度咳払いをし、「御飯は…」と言い出した長老に、「さっき食べただろ」と突っ込みをしつつ、みんなを見渡した。

「取り敢えず、今日はご苦労さん。ドラゴンの出現によって一時はどうなるかと思ったが……幸い、怪我人は俺様と黒兵衛だけで済んだ。目出度し目出度しだ」


「そ、それに貴重な武具も手に入りましたしね」

ホリーホックが微笑みながら頷いた。

「赤竜の鱗で最強の防具は作れるし、それに尻尾の骨からはドラゴンスレイヤー等が作れますから……」

「装備だけは一級品だべ」

と三級品のミトナットウ。


「うむ。残る問題は、あの城砦を囲む魔法結界をどうにかする事だな。結界を張られている限り、この偉大な俺様ちゃんの魔法が通じないのは、かなり痛手だぞ」

俺は腕を組みながら皆を見渡した。

するとホリーホックがおずおずと手を挙げ、

「あ、あの……私、結界の破り方を知っていますが……」

そう言って、妙に神妙な顔付きで俺を見つめた。


「ほほぅ。で、破り方って?」


「は、はい。あ、あのですね、城壁の四隅にある塔の最上階に、結界石と言う物がありまして……4つあるそれらの内、どれか1つでも破壊できれば結界は破れる筈です」


「ほぅ……良く知ってんな。さすがホリーホックだ」


「あ、いえ、そのぅ……実は昔、住んでいたもので……」


「……は?」


「7年ぐらい前まで、あの城はパインフィールド王国……ルイユピエース王家の居城だったぺよ」

ミトナットウが言葉を継ぎ足した。


「ん?ルイユピエース……それってホリーホックの……」


「魔王様の生家だっぺよ。帝国が南部に侵攻してくるまでは、あそこは平和な王国だったっぺ。ワシ等も人間も、当たり前のように楽しく暮らしていたっぺよ」


「……ぬぅ」

7年ほど前と言うと……ホリーホックは10歳になるかならないかの歳なのか。

彼女はそんな年端もいかぬ時に戦争に巻き込まれて……

俺なんて10歳の頃はと言うと、『どうしてチン○ンは固くなるのかにゃあ?ひょっとして僕だけ特別なのかにゃあ?』等と、今にして思えば『貴様はバカかッ!!』と怒鳴りつけるほどの事を真剣に悩んでいた年頃なのに……

「良し分かったッ!!」

俺はパンッと大きく手を打った。

「ならばあの城を落とし、そのパインフィールド王国とやらを復興させようじゃないか」


――こうして、俺様率いる強盗集団【大魔王独立愚連隊】は、旧王国復興軍【パインフィールド独立開放部隊】にレベアップしたのだった……








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