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顔合わせ side 燈子




 私はいつまで臆病な自分を脱却できずに、流されるのか……。


 臆病な私はいつも、誰かが手を差し伸べてくれるのを待っている。自分から行動すれば、それに伴う責任もついてくる。

 流されておけば楽だから、その方が安心だから……。


「燈子さんは役場にお勤めじゃない? 結婚後はお仕事、どうされるの?」

「いえね、正規職員ならともかく、燈子は嘱託ですから。契約もちょうど三月までなんです。ですから契約更新せずに秋の挙式に臨ませますわ」


 答えたのは隣の母。

 母と、その向かいに座る瀬名のおば様はにこにこと会話を弾ませている。瀬名のおば様とは、私が小さい頃から家族ぐるみでお付き合いをしている。

 向かいに座る瀬名家の長男、私より二歳年長の恭介君には小さい頃、よく遊んでもらった。年長の甲斐甲斐しさで色々面倒を見てもらって、会えば楽しい時間を過ごした。

 長ずるにつれて、段々と会う機会は減り、今回実に十四年振りに顔を合わせている。

 こうして顔を合わせれば、胸に楽しかった当時の記憶が蘇る。

 だけどそれはあくまで、楽しかった思い出のひとかけら。結婚を決意するだけの、恋じゃない。


「まぁ! 女性はその方がいいわね! ねぇ恭介?」

「……俺はどっちでもいいよ」


 恭介君はあまり興味なさそうに、スマホを片手に持ったまま答えた。

 婚約内定のこの席で、恭介君はいまだに一度も顔を上げようとはしない。それでも色素の薄い端正な美貌は一目瞭然で、仕立てのいい背広に身を包んだスラリとした長身も相まって、恭介君は圧倒的な存在感があった。

 しかも恭介君は、お父様の会社で既に役職付きで働いている。将来の社長は恭介君だ。

 対外的に見ればこの縁談に、ケチの付けようなんてない。だけど心が、私の心が、警鐘を鳴らす。


「恭介、こんな時まで携帯をいじって。いい加減になさい」


 一生涯を共にする伴侶まで、親任せにしていいのだろうか? 

 それでいいの? 後悔しない? ……後悔しない訳がない。


「……ちょっとだけ待って。もうじき、動作確認が終わるから……」


 私に恭介君の無関心を責める資格なんてない。

 だって私もまた恭介君と同じ、無関心でいたんだから。


 だけどそれでいい、訳がない!

 後悔しない、訳がない!


 私は膝の上、正絹の着物をクシャリと握り締めた。


 ガタンッ!


 椅子を押し倒し、勢い勇んで立ち上がった。


「燈子!?」

「燈子さん?」


 母とおば様が困惑の篭った目で私を見上げた。恭介君は一瞬、スマホを操作する指を止めたけど、顔を上げる事はなかった。


「……瀬名のおば様、恭介君、申し訳ありません! この婚約のお話しは、無かった事にさせてください!」


 恭介君はここで、初めてスマホの画面から目線を上げた。十四年振りに見た恭介君は、驚くほど精悍だった。

 元々整った目鼻立ちをしていたけれど、十四年の月日が恭介君を一層凛々しく魅力的に変えていた。


「燈子!? あ、あなた一体何を言っているの!?」


 焦った母の声が、遠く聞こえていた。私の視線が、聴覚が、全ての感覚が恭介君に向いていた。

 私と恭介君の視線が絡む。恭介君はあまり表情を変えない。けれど間近に見る恭介君の目に、破談を告げた私への怒りはなかった。むしろ面白い物でも見るように、恭介君の目がキラリと輝く。

 恭介君は表情よりも、その瞳が雄弁に感情を映した。


「母さん、蓮井のおばさん、ちょっと燈子と二人だけにさせてもらえますか?」 


 っ! 気付いた時には、卓を回り込んだ恭介君に肩を抱かれていた。

 手のひらから感じる恭介君の体温と、清涼感のあるコロンの香りにドキリとした。


「実はこの席につく前に燈子と連絡を取ったんですが、そこで喧嘩をしてしまったんです。どうやら燈子はまだそれを引き摺っているようで」


 なに? どういう事? 私は混乱のただ中にあった。唐突な恭介君の言葉は、頭の中で全く意味を結ばない。


「まぁ! そうだったのね!? なによ恭介、貴方ってばちゃっかり連絡を取り合っていたんじゃないの!」


 え??


「そういう事なら私達は少しおもてを歩いてくるわ。行きましょうか、蓮井さん」


 瀬名のおば様が母を伴って、席を立つ。


「燈子、お母さんもちっとも知らなかったから、驚いちゃったわよ。でもそういう事ならちゃんと仲直りをしなさいね」


 個室を出がけに母が振り返り、満面の笑みで告げた。

 !!


「お、お母さっ……」


 ハッとして、慌てて母を呼び止めようとした。

 けれど無情にも、母は瀬名のおば様と共に扉の向こうに消えた。

 閉ざされた扉の内には、私と恭介君だけが残された。

 ……うそ、なんで……?

 釈明する機会を逸した私は、茫然と佇んでいた。


「燈子、座って話そう」


 頭上から、恭介君の声が聞こえた。肩に置かれたままの恭介君の手が、促すようにトンッと押す。

 伝わる恭介君の温もりが、どうにも落ち着かない思いにさせて、私は無意識に一歩下がった。


「っ!?」


 けれど同時に隣の恭介君も一歩後ろに下がり、二人の距離は開かない。

 バッと顔を上げれば、恭介君の瞳とぶつかった。恭介君は、どことなく楽しそうな目で私を見下ろしていた。


「……あの、どうしてあんな嘘を?」


 内心の動揺を押し隠し、努めて平静を装って問いかけた。

 すると肩に置かれた恭介君の手にグッと力が篭った。

 !!

 引き寄せられ、一層近くなった距離。立ち昇る恭介君の色香に、眩暈がしそうだった。

 震える足を叱咤して、必死で床を踏みしめた。


「どうしてだろうね?」


 読めない笑みを浮かべ、質問に質問で返す恭介君に心が波立つ。


「分からないから聞いてるんじゃないですか!」


 恭介君の余裕の態度が、私の余裕を奪う。


「燈子、そう牙を剥くな。だけどそうだな、今はまだ答えたくない」


 私には恭介君が嘘を吐いた理由がわからなかった。恭介君はこの縁談によくも悪くも無関心だった。だからこの縁談が破談になっても、恭介君は気にしないと思っていた。


「……もしかして、面目を潰した事を怒っていますか?」


 破談を申し出た行動は、私にとって一世一代の勇気を寄せ集めた行動だった。

 とはいえこれは、見方を変えれば、私の不義理だ。

 焦燥とやるせなさに、グッと唇を噛みしめた。


「そうじゃない。結婚とは双方の同意があってはじめて成り立つものだから、面目を潰されたなどと思うのはお門違いもいいところだ。だけどそうだな、もし燈子が、俺がこの縁談に乗り気じゃないと考えていたなら、それは正しくない」

「え?」


 恭介君からもたらされたあまりに予想外の台詞に首を傾げた。

 だってそれは、おかしくはないか? それではまるで、恭介君が私との縁談を望んでいたかのようではないか?

 放心して立ち尽くす私に、恭介君がおもむろに顔を寄せた。


「とにかく、燈子が俺と結婚する、これは決定事項だ」


 鼻先が触れ合いそうな距離で、恭介君が囁く。衝撃的な内容もさることながら、熱い吐息が私の鼻先を掠める。

 !

 反射的に目を瞑った。

 すると唇に、ほんの一瞬、微かな温もりが触れた。

 弾かれたように瞼を開ければ数センチ先、恭介君が表情の読めない笑みを浮かべて私を見つめていた。

 肩にずっと触れていた恭介君の手がゆっくりと離れていく。


「燈子、少し落ち着いてから、……そうだな、日を改めてもう一度話し合おう。こちらから連絡する」


 明確な答えをくれぬまま、恭介君はそれだけ告げると、颯爽と扉に向かってしまう。

 私は震える指先で口元を覆ったまま立ち尽くしていたけれど、恭介君が扉から消えると同時にその場に頽れた。





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