第一話 『異世界』 /焼き直し済み
瞼の上から温かみを感じる。そして光を感じた。目を瞑ったまま穏やかな風と日の温かみを感じ、背中からは石の硬さを感じる。俺は勝ったのだろうか?そもそも生きているのだろうか。
「―――――――――――――――!!」
周りが騒がしいな。人か天使か…どっちでもいいか、体中の痛みが未だに応える。疲れもあるしこのまま寝かせて欲しいものだ。痛みがあるという事は生きてるのだろうか?だとするなら騒がしさは俺を賞賛する声か?何にせよ今は疲れているんだ、このまま寝かせて貰おう。
うっ!誰かが俺の腹を蹴り始めたな。賞賛の声では無いようだ、なぜ蹴られているのかが不思議だ。だがそんなへなちょこキック利きはしないのだ。袋叩きにされているが痛くも痒くもないのだ。このまま寝かせて貰おうか。
「どけ、私がやる。」
なにやら美少女の声が聞こえるなぁ。ん?…この声どこかで聞いたことが…。
何かが首の辺りに触れた、その瞬間。
「アババババババババババ!!!!」
普通の人間なら気絶していたであろう電流が体に流れた。痛みに悶え苦しむ。こんな目覚めがあっていいものか。おのれぇ、誰だ俺の眠りを邪魔する者はっ!!処するぞ畜生め!
俺は起き上がって怒りをぶつける。
「だっはぁっ!!!やっと戦いが終わって疲れて休んでる所をっ!!………ん?」
周囲を見渡すと西洋の甲冑を着込んだ男たち、背後に並ぶ建物はどう見ても日本の家屋ではない、古さというか歴史を感じるというか、その見た目からヨーロッパ辺りの家屋だと感じた。野次馬だろうか?それにしては道を開ける様に兵士たちを挟むように二手に分かれて並んでいる。訝しげに俺を見るその人たちの服装、ファンタジー系のRPGでよく見る服装だ。人種…というより種族と言った方が正しいか耳や尻尾が生えていたり、爬虫類の様な見た目の者もいる。ここは一体…。
「そこの無礼者、訳のわからん事を口走りおって…早々に道を開けよ!」
声の主の方へと目線を向ける。その姿を見て俺の思考は一瞬停止した。あまりにも見知った顔がそこにあったから。
「―――――――――雪奈…。」
ライオンハートによって命を落とした愛する者、江藤 雪奈。金色の髪と瞳では無かったが声やその姿はまさに雪奈であった。服装もドレスの上に鎧を着たような格好だったが、俺は雪奈とまた会えたことに我を失っていた。失った者は戻ってこない、いや俺の魂と共に歩み続けているんだ。そう思っていた筈なのに。
「な、なんだよ雪奈…その格好…あれか!コスプレか?!」
歩み寄るが雪奈は後退り距離を離す。彼女の顔は恐怖と警戒心を示していた。彼女は雪奈ではない、そんな事は分かっていた。でもこの心地よい幻想に浸りたかった。皆、実は生きていた…そんなハッピーエンドを望んでいたんだ。
「なんだこの者は!物狂いか?!」
甲冑を纏った者たちが槍の柄を使い俺を抑えてくる、しかし俺はその者たちを裏拳、肘打ち、回し蹴りと武術を使い意図も簡単に気絶させる。他の甲冑を纏った者たちが彼女を守る様に立ち塞がり槍を向ける。槍の穂の部分には刃が無く先も丸い、電流が流れておりバチバチと音を鳴らしていた。その槍による突きが一斉に襲い掛かってきた。右太もも、左腕、胸、頭と別々の箇所に迫ってくる槍、複雑に交差するにも関わらずお互い邪魔になる事も無く真直ぐ狙ってきている。なるほどよく訓練されている。だが。
俺は片手で襲い掛かる多数の槍の太刀打を狙い分断させた。穂を無くした槍はただの棒と化す、一瞬の動揺を見せた槍を破壊された者たちを気絶させる。一般人には何が起こったか分からないであろうスピードで顎の先に打ち込み脳を揺さぶったのだ。気絶した者たちは膝から崩れ落ち地に伏す。
ミラーナへと手を伸ばす。しかし甲冑を纏うものによって塞がれてしまう、甲冑のデザインが違う、さっきまでの者たちとは別格だと言う事を物語っていた。四十代ほどの男性、その顔にも見覚えが合った。唖然として固まった俺にその男は一言。
「失礼。」
掌を俺の方へ向けた。すると急激に眠気が俺を襲い体の力が入らなくなってくる。「おやっさん…。」そう呟き俺は眠りにつき意識を失った。
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男が倒れこみホッと一安心する一同。兵士たちは倒れた兵士たちの介抱へ回った。沈黙していた周囲の住民たちは一斉にざわつき始める。「急に現れたぞ?」「魔術師か?」「一体何者なんだ?」と疑念が住人たちを包み込んでいた。兵士たちは男を警戒していた。殺傷こそしなかったものの仲間に危害を加えた人物である。「暗殺者か?」「もしかしてミラーナ皇女様を…。」「捕まえて尋問にかけるか?」と兵士たちから不穏な言葉も行き交う。
「静まれっ!!!」
雪奈と呼ばれた少女が声を張り上げ静けさを生んだ。電流の流れる剣を鞘に納め気を失っている男の下へと歩み寄る。完全に眠っている事を確認すると老兵に指令を下す。「拘束して牢へと連れて行け。目が覚めたら後に審問会を行う。クルシュにもそう伝えよ」老兵は命令を聞き届け「御意。」と言葉を返し、眠る男を担ぎ上げる。周囲を見渡し一息つく少女。「今年の謁見巡回は中止だな。」と苦笑を漏らす。兵士たち全員に聞かせる様、大音声にて命令を下す。「陽動かもしれん!帝都の周囲を厳重に警戒せよ!」兵士たちは一斉に雄叫びを上げ編隊を組み水滴から生まれた波紋の様に綺麗に素早く散って行った。残りの兵士たちを連れ少女は踵を返し山の様に盛り上がった街の頂点に立つ大きな城へと歩み始めた。
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(要ー!)
雪菜が俺を呼んでいる。振り向くと雪菜は笑顔で俺に手を振っていた。俺は手を振り返そうとした。
「―――…。」
…どうやら夢を見ていた様だ。
先程とは違い肌寒くジメジメと湿気が多い感じがする。ゆっくりと目を開き周囲を見渡す。石壁に囲まれた部屋、大きな鉄格子が見える。高い位置にある小さな窓にも鉄格子が張られていた。窓から日差しが入り込んでいる事からまだ朝か昼間である事を知らせてくれる。しかし大きな鉄格子の向こう側にあるの通路には窓が無い為か松明が壁に備え付けられていた。松明は廊下と俺を見張る甲冑の人を照らしていた。「牢屋…か。」監禁の経験はあるが、周囲の大きな変化は初めてでかなり戸惑っている。未だに状況が掴めない。
起き上がろうとすると手や足に違和感を感じた。見てみると両手両足に枷が嵌められており俺の動きを制限していた。試しにちょっとだけ力を込めてみると金属が軋む音が聞こえた、簡単に壊す事が出来る様だ。だが俺は力を緩め体の反動を使って起き上がる。脱獄は簡単だがこれ以上、混乱を起こすのは望むところではない。あの時に俺はどうかしていた、ただのそっくりさんに雪菜を重ねるなんて。
「雪菜は…ここにいる…。」
拘束された拳で胸を軽く叩く。フッと笑い天井を見上げると乾いた靴の音が聞こえてきた。靴の音は近づいてきて音の主が姿を見せる。端整な顔立ちの成年、青い髪に緑色の眼、鎧は着ておらず白で統一された軍服の様な服装が際立っていた。恐らく年上だろう。
白い男は甲冑の人に話しかけている。
「彼を牢から出して下さい。審問会の準備が出来ました。」
白い男に敬礼する甲冑の人。甲冑の人は鉄格子の前に立ち、腰に当たりから小さな金属がぶつかり合う音を鳴らし何かを取り出した。手元を見てみると大きめの輪っかに沢山の鍵が繋げられた鍵の束だ。鍵の束からここの牢屋の鍵を探り見つけ出す、鍵を使い鉄格子の出入り口のドアを高音の金属音を鳴らしつつ開けた。甲冑の人が出入り口から道を開けると白い男がそこに立ち丁寧な口調で語りかけてきた。
「グランズヘイム近衛騎士団副長クルシュ=フランジュ=レオノーラと申します。現在、あなたは罪人として処理されています。体裁を保つ為の借りの処置ですのでくれぐれも抵抗はなさらぬ様にお願いします。」
その事を聞き俺は肩を竦めてため息を漏らしつつ答えた。
「わかったよ。もとより抵抗する気は無い。だけど、これから歩くんだったら足枷くらいは外して貰えないかな?流石にこの短い鎖じゃチョコチョコっとしか歩けないからさ。」
「それもそうですね。」
あっさり了承してくれたクルシュと名乗った人物は隣の甲冑の人に足かせを外すように指示をする。少しだけ躊躇った様子を見せたが甲冑の人は鍵を使い足枷を外してくれた。
「ありがとさん。っじゃあんたに付いて行けばいいのかな、クルシュさん。」
笑顔で頷くクルシュ。「ではこちらへ。」そういうと先導して案内を始めた。長い廊下を歩き鉄扉に突き当たる。クルシュは鉄扉から鍵を開ける様な音を鳴らし重厚な音を響かせて鉄扉を開けた。通り抜けた後に鉄扉を再び甲冑の人が重厚な音を響かせガチャンと閉め周囲が一気に暗くなる。前には上へと上る階段があった。「足元にお気をつけ下さい。」そういって掌から小さな光の球を生み出し周囲を照らす。ぐるぐると螺旋状に上って行く。長い螺旋階段を上っているとクルシュが足を止め手元から鍵を覗かせる。ガチャンと音をたてて重厚な音と共に鉄扉を開く。日の光が差し込み目を細める、扉を通り抜け大きく豪勢な廊下に出た。大きな支柱に大きなガラス窓が無数に並ぶ長い廊下、見るからに高級そうな絵画や骨董品が飾られている。廊下の中央には縁を金糸で装飾した赤絨毯が敷かれていた。
「ほへぇ~。すっげぇな。お城みたいだ。」
不意に出た俺の言葉にクルシュがクスッと笑い語りかけた。
「”みたい”ではなく、ここはお城ですよ。さぁ、こちらへ。」
そう言うとクルシュは案内を再開した、再び俺はその後ろを付いて行く。周囲を見渡すと甲冑を纏った人たちが点在しており俺を見つけるや否や睨みつけるように俺を見る。俺は状況を把握する為に前を歩くクルシュに質問を投げかけてみた。
「さっきから甲冑を着た人たちがいるけどさ。もしかして兵隊さんかい?」
クルシュは不思議そうにしたが快く答えてくれた。
「そうですよ。城内を警護する彼らは騎士と言う方が正しいですが。それがなにか?」
「いや、俺の知ってるのとは随分、世代が違うからさ…。」
疑問に思うクルシュであったが先導を続けた。長い廊下を抜け巨大なホールにたどり着く。「でっかい玄関だな。サッカーが出来そうだ。」と呟く、クルシュは「さっかー?ここは中継の広間ですよ。このグランズヘイム城は広大ですから、中継地点が設けられているのですよ玄関広間はここの倍はありますよ。「…野球が出来そうだな。」そう俺が言うとクルシュは困った顔をする。サッカーや野球を知らないようだ、珍しい人がいたもんだな。「ここでお待ちを。」そう言ってクルシュは出入り口と思われる広場で一番大きな扉の方へ行き両端で見張りをしている兵隊さんがクルシュに近付き話をしている。兵隊さんは敬礼をし扉を開ける、クルシュがこちらへ戻ってきた。
「お待たせしました、行きましょう。」
クルシュと共に扉を通り抜けると心地いい風を感じた。上を見上げると眩しい太陽と青空、白い雲が見えた。大きく息を吸うと澄んだ空気が肺を満たす。
「ふぅ、外…か。」
城壁だろうか多きな壁があるせいで外は見えないが外である。近くには見たことの無い馬の様な生き物が牽引する大き目の客車があった。クルシュは客車の方へ近付いていく、兵隊さんが客車の扉を開きクルシュが入るよう招いてきた。
「どうぞ、ご乗車下さい。目的地までは離れておりますので。」
俺はクルシュの後ろにいる生き物を覗き見る、生き物は俺の方を見て「グルルルルッ!」と唸り声を鳴らした。怖い。恐る恐るクルシュに聞いてみた。
「後ろの車に繋がれた生き物は何?」
クルシュは後ろを振り返って生き物の方へ顔を向けた。向きなおし微笑して答えてくれた。
「あれはバリオスという馬ですよ。それが何か?」
「――――…っじゃ乗ります。」
俺はそそくさと客車に乗り座席に座り込む。どう見ても馬じゃないっ!!。っと叫びそうになったが満員電車の客を押し込める駅員の如く言葉を心に押し籠めた。クルシュも乗り込み扉を閉め座席に座る。それを外にいる運転手が小窓から確認し走り始める馬車(?)…馬車の内装は豪華で座席もふかふか、視認性が高く客車からでも前方以外は外の様子を窺う事が出来る。隣に座るクルシュにさり気無く話しかける。
「なぁ、ここって何て国なんだ?さっきから見たこと無い物しか見てないんだけど。」
「?あなたは異国の方なのでしょうか?」
クルシュの顔は変わらぬ微笑を浮かべているが、空気が曇り始めている。俺、なんか変な事言ったか?
「言葉が同じだからそうじゃないと思ってたんだけど。」
「先程も聞いたと思いますが、私たちのいるこの国はグランズヘイム帝国…ここはその帝都グランズヘイムですが。」
聞いた事が無い国だ。とりあえず日本ではない。じゃあなんで日本語で話しているんだ?日本人なのか?いや道中で聞いた他の人たちも日本語で話していた。それに客車を牽く動物…明らかに見たことの無いものだ。まるで”世界そのものが変わってしまった”ように。いや、そんな事はないだろう。そうあって欲しい。
「着きましたよ。降りましょう。」
客車から降りると目の前には城ほどではないが大きな建物が聳え立っていた。大きな観音開きの扉を通り抜けると幾つもの扉が備えられられた大きな玄関が、幾つかの扉の内の一つを開いて通る。やっぱり長い廊下が…どこへ行ってもでかいホールに長い廊下、無数の扉だな。
長い廊下の突き当たりの扉を開く、すると一般的な広さの廊下が現れる、兵隊さんが厳重に警護している、二つ目の扉を通り過ぎた後に大きな扉の前で立ち止まる。両脇の兵隊さんとクルシュと共に中に入るとさながら裁判所の様な場所だった。両脇の傍聴席の様な場所には大勢の人たちが、そして証言台らしきものに裁判官の席らしきもの…裁判所みたい…じゃなく裁判所なんじゃないか?
俺は証言台に立たされ裁判官席側からは偉そうな人たちと雪菜に似た金髪少女が裁判官の席に座る、そしておやっさんに似た甲冑の男とクルシュが護衛するように裁判官側に立つ。
老人が大音声で宣言をする。
「これより審問会を始めるっ!!」
その声が轟いた後、雪菜のそっくりさんが俺に向けて問いを投げかける。
「お前の名前と年齢、所属国。そしてなぜあのような場所で寝ていたのか。答えてもらうぞ。」
答えてもらうぞっと言われても、恐らく言ったところで理解されるような気がしない…けどこのまま黙っていても状況は好転しない。仕様が無く俺は答えた。
「名前は遠野 要、十七歳だ。国は…日本…の東京だけど。」
周囲が静まり返る。聞いた事の無い国を聞いてキョトンとしている様だ。これだけの人数がいて日本や東京の名前を知るものが一人もいないという事は”やはりそうなのか”?
「にほん…?とうきょう?どこだそれは。」
やっぱりね☆ここ異世界じゃねーか。ちょっとはそうじゃないかとは思っていたさ。だけどそうじゃないって心のどこかで願っていたんだろうな。クルシュが大きな筒状の物を持ち出してきた、筒状の物を広げるとそれは大きな地図だった。雪菜のそっくりさんが再び問う。
「”にほん”とはどこの事だ。地図で指し示せ。」
見たことも無い地図。こんなの見せられても困るって、日本なんてどこにもないしそもそも世界自体が違う。どうするべきか、どう乗り切る…。
「どこか、早く答えろ!」
「待ってくれよ雪菜。」
そっくりさんに急かされてついつい”雪菜”と呼んでしまった。
「私は雪菜などという名前ではない!私はこの国グランズヘイムの十六皇女!!ミラーナ=レベリオ=フィム=シュバーンシュタイン!!二度と間違えるな!!」
すっごい怒られた。泣きそうだよ。クルシュは顔背けて笑いを堪えている。笑うなコラッ!おやっさん似の人はそんなクルシュを注意するかの様に咳払いをする。
「えっと…グランズヘイムは…どこですか?」
呆れ顔をして息をつくミラーナちゃん。頭を抱えて机に肘を付く。力のない声でおやっさん似の人に指示を出す。
「マルス。教えてやれ。」
マルスと呼ばれたおやっさん似の人が地図の前に立ち地図上の南東にある島を指した。
「ここがグランズヘイムだ。」
「ふぅーん。地図の一番上に書いてあるのは何て読むんだ?」
俺は地図の上のほうに書いてある文字を指して聞いた。そこにはLowenherzと記入されていた。渋い顔をしたミラーナが答える。
「お前は赤子か?我々の住まう世界の名、レーベンヘルツを知らんとはな。」
周囲の人たちも俺を哀れな目で見る。やめろやめろ!俺をそんな目で見るんじゃない!世界が違うから仕方がない。その事を伝えたら俺は完全に異常者として見られるだろう。
ミラーナはため息を吐きながら問いを投げた。
「もうよい…単刀直入に聞こう、お前は密偵者か?それとも陽動か?」
帰り支度を始める周囲の人々。俺への興味が完全になくなったご様子で。まぁいい、問いには答えよう。どうせこれで審問会なるこの俺の辱める会は終わるだろうし。
「俺は密偵でも陽動でもない!正義の味方…さ!」
木々の音も小鳥のさえずりも聞こえないよ?痛々しい静けさだけがこの場を支配した。
「そいつをつまみ出せ。」
ミラーナは重い口を開いた。クルシュは俺を立たせた。病人をいたわる様に。俺はこの場で大切な物を失った様な気がする。あっ涙が。
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クルシュの案内で城壁を抜け城外へとやって来た。綺麗な水の流れる堀を端を渡って越えるとそこには電線のないヨーロッパ風の街並みと帝都の外にある山々や平原が俺の眼に鮮やかに映った。この帝都は山形になっており中心の城に向って高くなっている様だ。絶景と呼べる風景を見ているとクルシュが話しかけてきた。
「トーノ=カナメ様。」
「要でいいよ。あと様付けは勘弁してくれ。」
「ではカナメさん。この後はどうするおつもりで?」
そうか、寝るところもままならない状況になってしまっているのか。つても金も無い、あるのは着ているこの学生服のみ。どうしたもんか。
「もし当てが無いのでしたら、ご紹介しましょうか?」
「本当か?!」
クルシュからの救いの手。願っても無い申し出だ、断る理由は無いだろう。
「えぇ、私がお世話になった方が営んでいる宿屋なのですが丁度人手が足りないと困っていた様なんですよ。従業員っという形にはなると思いますが宿泊費も食事代もついて来ます。」
「至れり尽くせりじゃないか!期待を膨らませるねぇ。」
「えっと…クルシュ…某さんだっけか?」
「クルシュ=フランジュ=レオノーラ。クルシュで結構ですよカナメさん。」
「ありがとな、クルシュ!」
先導するクルシュ。城から緩やかな坂道や階段を下って行き、市街地へと入っていった。大変賑やかな街だな。トカゲ男や猫娘、ゴリラ男、普通の人間を含め様々な人種が行き交っている。怪人と間違えて倒しかねないぞぅ。住宅街から商業区域に入って行き、クルシュは一つの大きな宿屋の前に止まった。「ここです。」クルシュは扉を開け中に入っていった。見上げると看板がありそこには"Sanatio Hospitium"と書かれていた。俺も後を続き中へ入る。
「おぉ。」
内装は素朴であるが綺麗で安らぎを感じる。パタパタとスリッパで歩く足音を立てて犬の様な見た目をした女性が受付の奥からやって来た。
「いらっしゃい、あらクルシュ君、久しぶりね。」
親しそうに会話するクルシュと店主らしき人物。クリーム色のローブに白いエプロン、長い藍色のスカートを着た店主、スタイルは抜群でボンキュッボン、獣の見た目をしているが母性溢れた雰囲気を醸し出す。思わず「月が綺麗ですね。」と言ってしまいたくなる。クルシュが店主を紹介する。
「この方はマリーンさん。この宿屋の店主です。」
「始めましてマリーン=ブルックリンです。えっと…あなたは。」
俺はマリーンさんのふわっふわの柔らかい両手を握り自分の名を答える。
「どうも、遠野 要です。あなたの下で働かせて頂きたい。」
戸惑うマリーンさんもお美しいなぁ。ドタドタと廊下を走る音が聞こえる、まるで猪のような足音だな。そう思っていると怒声が耳に届く。
「マリーンにちょっかい出すなぁぁぁぁぁぁぁ!!」
声の主を見ようと体を向けると少女からの飛び蹴りが股間を襲う。度し難い激痛が股間を支配し声にもならない悲鳴が声から零れ、内股で膝から地に伏す。栗色のポニーテール少女が俺の前に立つ。
「プフッ、大丈夫ですかカナメさん。」
笑うなクルシュ。人が股間蹴られて苦しんでいるというのに、さっきの感謝の言葉を返せ。
「大丈夫ですかカナメさん。コラッ、ファリオ!今日から家族になる人に失礼でしょう!!」
「ホントか?!悪いことをしたな兄ちゃん。メンゴメンゴ。あたしファリオ=ノーベレーナってんだ宜しくなー。」
謝る気があんのか小娘ってそんな事より。か、家族?!気が早いですよマリーンさん!まずは挙式を上げてから。っともじもじしながら思っているとクルシュが半笑いで耳打ちする。
「違いますよカナメさん。マリーンさんは仕事仲間を家族として扱ってくれるんですよ。」
もう少し夢を見ていたかった!しかし家族…か…久々にその言葉を聞いたな。俺の家族やおやっさんたち、雪菜はライオンハートとの戦いで…いや、止そう…もう戦いは終わったんだからな。これからは生き続けるあいつらの想いを背負って生き続けるんだ。
これから、この世界で。
「っじゃ従業員の服に着替えてもらうわね。カナメくんの部屋は仕事が終わった後に案内するわ。」
「沢山コキ使ってやるからな!覚悟しろよ兄ちゃん!」
ファリオに手を引っ張られマリーンさんに案内される。その前に一言クルシュに挨拶をしておかなくちゃな。
「またなクルシュ。機会があればまた会おうぜ。」
「はい、カナメさん。またの機会に。」
クルシュと別れマリーンさんとファリオにこの宿での仕事を教え込まれる。部屋の掃除に廊下の掃除、受付の仕事や入室後、退室後の対応、食堂でのお客さんへの食事の提供などなど。戦いをしないで迎えた今日の夜。仕事が終わり、マリーンさんに部屋を案内してもらう。
マリーンさんが部屋の扉を開け、中を見渡す。布団やタンスなどの家具があるさっぱりとした部屋だ。
「広い部屋っすね。本当にいいですか?こんな立派な部屋。」
「良いんですよ。亡くなった主人の書庫だった部屋ですから。主人も使ってもらったほうが喜ぶと思いますし。」
亡くなった主人…か。深入りせず、ありがたく使わせてもらおう。
「着替えはタンスの中にあるものを自由に使ってくださいね。それと夕飯の準備が出来てるから、着替え終わったら食堂にいらっしゃいね。」
そういってマリーンさんは部屋を出る。俺は布団に腰掛け窓越しの空を見上げる。綺麗な星が空には広がっていた。
「なぁ、雪菜。お前と一緒にこんなのんびりとした日常が迎えられたら良かったのにな。」
俺は自分の拳を見つめる。「もう、必要ないんだな。こんなものは。」俺は握り締めた拳を緩め、手を開く。
「さ、腹減ったし。食堂に行くか!」
食堂でのマリーンさんとファリオの賑やかな食事。久々の暖かみを俺は大切に噛み締めた。
街が寝静まった頃、戦いの無い一日になれない俺は寝る事が出来ずにいた。ベッドから起き上がり暗い廊下を歩き食堂へ向う。食堂にはマグカップで飲み物を飲んでいるマリーンの姿があった。
「マリーンさん。起きてたんですか?」
「あら、カナメさんも眠れないんですか?もし良ければカナメさんも飲みますか?」
そういってマリーンさんは立ち上がりコップを持ってきてポットからコップに注ぐ。俺はマリーンさんの向い側に座りコップを手にして一口飲んだ。ホットミルクだ、甘くて暖かい。心が安らいでくる。
「…旦那さんを亡くしたんですか?」
唐突にそんな言葉が出た。聞くまいと思っていたが、マリーンさんが寂しそうにコップを見つめるものだからつい聞いてしまった。
「えぇ、五年前の戦争で。」
「…戦争?」
そんな事が起きていたのか。俺はこの世界の事について何も知らない。思い切ってマリーンさんに色々と聞いてみるか。
「戦争が起きてたんですか?」
「そうよ、二年前までは。…あなたも知ってるでしょう?可笑しな人ね。」
「私の夫はその戦争で戦死してしまったの。ファリオも戦争のせいで両親を亡くしたの。ファリオの母親とは旧友だったから私が引き取ったのよ。」
「戦災孤児って奴か…。」
「でも、ミラーナ様やトラヴィタール様のお陰で人同士の戦争も終わったわ。完全にとはいかなかったけれど。」
俺はホットミルクを一口飲んだ。そうか、少し前までは戦争をしていたのか。それもまだ完全に終わったわけではないと。だからピリピリしていたのか。それにしてもミラーナ…か、凄い奴だな…戦争を止めるなんて。俺にも出来なかった事だな。
「このカリダマテルもあの人が好きだったものなの。こうして飲んでいるとあの人を感じる事が出来る。だから私も好きよ。」
ホットミルクの事をこっちではカリダマテルっていうのか。俺はカリダマテルを飲み干す。
「ご馳走様、すんません旦那さんの事話してもらっちゃって。」
「いいのよ。お陰で私も少しだけスッキリしたから。もう寝ましょう、明日も忙しくなるでしょうか。」
「はい。」
こうして平穏な一日が終わった。
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けたたましい鐘の音で起こされる。ビックリして飛び起きると外も何だか騒々しい人の声が聞こえる。俺は身支度をと整えマリーンさんたちの下へと向う。店の中には誰もいない。外へと出ると大勢の人々とマリーンさんたちがいた。皆揃って不安そうな面持ちで同じ方角を見ている。
「どうしたんですかマリーンさん。一体何が?」
「始まってしまうのよ。」
「一体何が?」俺はそう聞き返す。マリーンさんやファリオの顔色から一体何が起こるのか予想出来てはいた。
「戦争よ。」