幼馴染が不機嫌な理由Ⅲ
「伊達にバスケ部に混ざって走ってないからな」
「でも、勉強をおろそかにするのはダメ」
「今だけだって。テストもだいぶ先だし」
勉強と部活の両立は難しい。腹筋しながら数学をやって、どれだけの数式が頭に入るだろうか。脳筋という言葉があるが、実際脳みそが筋肉のように反射的に答えを導き出すなら、脳筋はむしろ褒め言葉である。
「いや、しかしそれだと考えすぎて筋肉痛に……?」
「何の話?」
「もし脳みそが筋肉だったらって話」
「……なにそれ。心臓みたいに動くってこと?」
「それは少し気持ち悪いな」
相変わらずの俺。
何も変わってないように見える明日音。
しかし、変わらないものなど何もない。
「髪、どこまで伸ばすんだ?」
「うーん……、決めてはないけど。暫く伸ばすつもり」
今までロングにしたことのなかった明日音が、髪を伸ばし始めた。小夜さんに手入れの仕方を聞いたらしい。
「あー、それと。裕翔のお相手の教育実習生の人。どんな感じだ?」
「どんな感じ、って言われても……。なんていうのかな、普通の人だよ」
「普通の人って言われてもピンと来ないんだが……」
俺の困った顔を楽しげに見つめる明日音がいる。
「私だって言葉に困るよ。うちのクラスは先生に変な質問する男子もいないし、授業も淡々と進むよ?」
もし仮にこれが美人や何か特徴があるような人なら、自ずと話題になるだろう。それすらないということは、性の盛の高校一年の男子も、興味の範囲外ということだろうか。
「裕翔はあの人のどこを好きになったんだろうな」
正直な話、きっかけを作りに行って、ちら、と見かけた俺でさえも、その印象は薄く。スーツ姿など実際に見ないと想像もできない。
「一目惚れ、って言ってたよね。やっぱり、佐々木くんの特殊な感覚でしか感じ得ない何かがあったんだよ」
ヘタをすれば悪口にも捉えられるその言葉はまさしくその通りで。
容姿のいい裕翔の選ぶ相手が彼女だと、一概には信じられないのだ。
「佐々木くんの恋、手伝ってあげるの?」
明日音が裏のない瞳で俺を見る。
「出来るならな。あんなんでも友達だし。やれることはやってやりたいよな」
極力、陰ながら。
もう裕翔の好意は相手には知れているのだから、俺がひたすら裏工作をしても寒いだけだ。後はあいつの情熱と本気が試される。
「上手くいくといいよね」
「今上手くいっても、この先きついだろうけどな。遠距離恋愛はヤバイって言うし」
年齢差は五歳ほど。大人ならともかく、今の俺たちには天と地の差。いうなれば、教師と生徒のようなものだ。
「でも、佐々木くんならそういうのもなんとかしちゃいそうだけど」
「どうかな。あいつ今変に気張ってるからな」
今の裕翔は初めての恋を経験して戸惑い、浮かれているように俺は思う。
暴走することはないと思うが、どこか危ういと思う気持ちがあるのも確かだ。
今まで自分の好きなことを突き詰めてやってきた人間が、急に他人のために動けるか。
「今の裕翔と付き合ってると、なんか調子狂うんだよな」
誰かの為に動く裕翔を、俺が想像できないから。
「でも、それじゃあ佐々木くんに失礼だよ。佐々木くんだって恋をする権利はあるんだし」
「それはわかってるんだけどな。でもさ」
俺は抱いてた疑問を、絞り出すように口にする。
「好きな人に好かれるように頑張るっていうのは、正しいことなのかな?」
頑張るというのはつまり、無理をするということに等しくて。
裕翔は、『相手に好かれたい自分を演じる』ということをしているような気がして。そして、自分でも『この方向性ではたしていいのか?』と不安になるからこそ、裕翔を気にしているのだ。
「どういうこと?」
「俺は明日音を好きだけど、明日音が作る飯が上手いから明日音が好きなわけじゃない」
う、うん、と明日音は頷く。
「何と言うか、いいところだけを極端に見せるようなやり方は、いい方法なのかな、とも思うわけ」
付き合って長い時間を過ごせば、嫌な面も見えてくる。
その結果如何によっては、別れるという可能性も十分にある。それを踏まえた上で、その場凌ぎの好感度稼ぎは正しいのか。そんなことを思う自分がいた。
「うーん……。晴彦の言いたいことはわかるよ。けど、最初から好感が持てないと、その先もないと思う」
明日音の言うことも、これもまた事実で。
「全く、難しいな」
どうしたら友人とその思い人を近づけさせることができるのか。
「難しいことだけど、見守ってあげるだけでいいと思うよ」
明日音の言葉は、力強く俺に響いた。
「晴彦は佐々木くんに頼られてるけど、晴彦自身、してあげられることないって思ってるでしょ」
明日音は、本当に良く器用に俺の心情を見透かす。しっかりと俺を見ている。
そのとおりだ。俺が裕翔にしてやれることは、何もない。ない、というより、何もしない方がいいと、俺自身思っている。
しかし、何かをしてやりたい、と思う気持ちと相反する。ゆえに、変な手心を抱く。言ってしまえば、部活に付き合っているのもその一つだ。
「結局、佐々木くんとあの人の問題だし。無理に晴彦が関わっても、変な方向に拗れるだけだよ」
それはわかる。
裕翔の恋がうまくいくにしても、行かないにしても。その後の自分のために、重要なことは裕翔自身で決めるべきであるのだ。
俺の歩く力に迷いが生まれる。自分の進む道なら自己責任で進めるが、他人の進む道を指し示せるほど俺は全能ではない。
明日音の方を向く。今までは揺れなかった襟足が、楽しそうに揺れる。
「明日音も言うようになったじゃないか」
少しだけ長くなった髪を、犬をあやすように乱雑に撫でる。
「ちょ、ちょっとー」
迷惑そうだが、嫌そうではない明日音の声に、すぐ止める。明日音が少し整えると、すぐに髪型は元通り。元より、大したセットはしていない。
「ま、裕翔の為でもないけど、俺も少し頑張ってやるか」
「そうだね。キツーイ特訓してるし」
と、そこでまた明日音の瞳に不機嫌なものが宿る。といっても、今回は俺をからかっているような優しい光。
歩く音が悪戯めいた上機嫌なものに変わり、しかし顔つきは俺をどこか非難したまま。
「競技会、いいとこなかったら罰ゲームだから」
そう淡々と言い放った。
「……罰ゲームって?」
一瞬呆気にとられた俺だったが、すぐに明日音に聞きなおす。
「うーん……。トマト三昧とか」
俺の背筋に怖気が走る。夜はめっきり冷え込むようになっていた。
「それは横暴じゃないか?」
胃を完全に握られている俺にとって、その罰ゲームは何より重い。
「でもね、美味しそうなトマト料理もあるんだよ?トマトブームは終わったけど、そのお陰でいろんなレシピがあるの」
真剣な表情でトマト料理を語る明日音。確かに、トマトを使った料理はこの世に溢れている。俺がそれを敬遠しているだけだ。
「明日音、結構本気で怒ってる?」
「え?別に?」
明日音が不機嫌なのは、俺が部活で会える時間がないからなのか。それとも、俺がトマト嫌いで、世にあふれるトマト料理を作る機会がないからなのか。
「……わからん」
表情では、女心の機微を完全に読み取ることはできない。
「なに、急に……。わっ、降ってきたね」
晴れていたはずの青空はいつの間にか半分以上隠れていた。鮮やかな色を映し出す光も薄れ、雨粒が降りだしていた。
「女心と秋の空、ってか」
少しばかり濡れるのを気にせず、俺は明日音に手を引かれて早足で歩き出す。
俺が恋愛云々を胸を張って語れる日は、まだ遥か彼方にあるようだった