幼馴染が不機嫌なわけ
話は二学期が始まって直ぐまで遡る。
言ってしまえば明日音にキスをして、尚且小夜さんがアパートに帰る前であり、明日音の機嫌が文句なしの絶好調だったときだ。
始業式を終え、明日音の上機嫌さに茉莉も風華も気色悪さを覚えながらも別れ、『少し浮かれすぎだぞ』と明日音に釘を刺した次の日。
「えー、暫くの間教育実習生として、このクラスを担当する――」
教育実習。
大学で教員免許を取るために必要な課外授業のことである。
『教師の卵』だとか、『もう教師一歩手前』だと中学の時は思っていた。が、その実、『ただの大学生』であり、『教育実習を受けたからといって教師になれるわけではない』という現実を聞けるのは、小夜さんがいるからである。
大学生というのは、なんとも大人に映るものである。しかし、『そんなに変わんないわよ。強いて言うなら、授業をサボるかサボらないか自分で選ぶようになるくらいね』と小夜さんは言う。
俺たちが大学で学ぶべきものは、実はそんなことなのかもしれない。効率良く、つまりは最小の労力で必要な単位を取得すること。これはある意味評価すべきだとも思える。それはつまり要点がよく、交友関係も広く。多少後暗いところはあるが最小の手間で目的を達成する人間だから。
真っ白な人間より、少し汚れている人間のほうが生き方は上手いのかもしれない。俺には見習えと言われてもまだ難しいが。
話がずれたが、つまりは教育実習生が来たということである。
「なあ、これって運命じゃね?」
昼食時、珍しく食の進まない裕翔が惚気る。
「運命ね……」
うちの学校には三人ほど実習生が来たようだ。そのうちの一人が、なんとプールで会い、裕翔が惚れたあの女性なのだ。
「連絡とか取ってるのか?」
「ああ。バスケの写真送ったりとか、テレビの話題とか。大学生活のこと聞いたりとか。邪魔にならない範囲でな」
どうやら、それなりに努力はしているようであった。
「それでうちに教育実習だろ?これはもう運命だって」
紙パックのジュースの中身が少し飛び出るほど強く握る。
正直な話、かなり運命的だと、思えなくもないのだ。
「いや、マジな話、運命なら内のクラス担当になるだろ」
確かに、彼女はこの学校に教育実習に来ている。しかし、受け持っているのは隣の、つまり明日音のクラスで。
「それくらい誤差の範囲内だろ!?好きな奴と隣のクラスでも、体育は一緒みたいなもんだろ!?」
それを運命と思いたい裕翔が、俺を説得しているような形になる。
正直な話、これが結構ウザイ。ウザいからこそ、少し否定したくなる。
ひどい話だと思われるかもしれないが、この『運命であるかないか』という会話、授業合間の休憩の度にしているのだ。
会うにはどうしたらいいかとか、教育実習生はどの教科を担当するとか、そんなことを俺に尋ねる。
そんなこと俺も知るはずがないし、本人に聞けばいいんじゃないか、と言っても、
『だって今は教師と生徒だろ……?やばいって、何かあったら。邪魔しちゃ悪いだろ』
と、変に気を使って接触しようとしないのだ。
その上で、俺にどうしたらいいか、何かいい考えはないか逐一聞いてくる。
会いたいのに、会えないんだ。でも会いたいんだ。どうしたらいい?
知るか、と一蹴したい気分である。世界は秋を迎えたのに、春のように妙に暖かい気がした。今日も秋晴れのいい日和である。現実逃避のために空を見上げた。
俺は明日音と長いこと付き合っていて、恋の熟練者みたいな印象が裕翔にはあるのかもしれない。
が、別に俺は禁断の愛を育んでいるわけでもなく、ドラマチックで波乱な恋愛をしているわけでもないのだ。
俺は明日音と会いたいときに会えるし、話したい時に話すし、別に用事がないときでも一緒にいる。一緒にいるための努力は必要がなかった。そんな俺が、他人の恋のアドバイスなどできるはずもないのだ。
「結果的に、何がしたいんだよ」
弁当をついばむ。
明日音の弁当は相変わらず丁寧である。手料理には夏休み中お世話になったが、弁当は少し味が違うような気がした。
「佐絵さんと仲良くなりたい」
「連絡も取ってるんだし、仲が悪いってわけじゃないだろ」
「そうだよ。だから、『仲が良い』感じになりたいんだよ」
これは珍しく、俺は閉口した。なるほど、最もな話である。
確かにその二つは似ているようで違う。はっきりとは言えないが、なんだか納得する答えだった。
「で、どうしたらいいかなって」
「休み時間にあったりすればいいんじゃないか?折角会える機会なんだし」
「学内ではダメ、だってさ。放課後は俺も部活あるし、佐絵さんも次の日の準備とかで忙しいらしいし」
「それもそうか」
ただの大学生が高校の授業を受けもつのだから、重圧もなおさらだろう。恋愛にうつつを抜かしている場合ではないのかもしれない。
「んー、じゃあ師匠に相談するか」
「師匠?」
そして場所は変わって、隣のクラスに食べかけの弁当を持って殴りこみ。
「で?なんであたしが師匠なわけ?」
師匠こと小野風華が見慣れた不機嫌そうな顔で俺たちを出迎える。
俺たちがここに来るのも慣れたもので、クラスの連中は気軽に声をかけてくれる。
「風華は物知りだから何かアドバイスあるかなと思って」
「そんな安直な発想でくるのやめてくれない?それに、恋愛だったら晴彦の方が上級者でしょ」
風華が俺を睨む。
「いやぁ、それが。俺がアドバイスできることといえば、『とにかく一緒の時間を過ごせ』位なもんだから」
俺と明日音の不自然な関係は、親同士が結託して二十四時間のほとんどを一緒に過ごしていた結果であり。
つまることろ、俺たちは互いに互いを振り向かせようだとか、好きになってもらおうだとか、そんなことをしたことはあまりないのだ。
「でも、裕翔の場合はそうはいかないだろ?だからいい案はないかと思って」
風華は見せつけるようにため息を吐く。
「そんな方法知ってたら、その情報売って金でも稼ぐわよ」
「まあ、そうだよな」
俺も薄い笑いが漏れる。
「あとそこ。旦那が来たからってご機嫌にならない」
風華が容赦なく明日音を睨む。
「ご、ご機嫌になんてなってないよ!?」
明日音は否定するが、正直説得力はない。
「いや、晴彦が来たときの明日音は滅茶苦茶嬉しそうだったぞ」
茉莉にまで指摘をされる。
今まではそういうことを顔に出さなかった明日音が、無意識に顔に表情を出すようになっているのだ。
「そ、そんなことない、と思うけどなぁ」
否定するのもどうか、という俺を伺う視線を送りながら、言葉を選ぶ明日音。
「まあ、それはともかく」
「そ、そうだよ、ともかくだよ風華。佐々木くんのことだよ」
話題を逸らすすべも、何げに長けてきていた。
「頼むよー、風華、いや、風華様!知恵の女王、ミセスクイーン!」
最後の方はもう意味も気持ちもこもっていない賞賛の言葉が並べられた。案の定、語彙は余り多くはなかったが。
「うざい」
しかし一方的に拒絶される裕翔。哀れなその姿は恋に悩む若人ゆえか。
落ち込む裕翔を見てかどうかはわからない。見捨てる気はなかったのだろうが、風華大先生は落としてから持ち上げるのが得意だ。というか、不器用ゆえにそのやり方しか知らないのだろう。
「……教育実習の最終日って、陸上競技会なのよね」
「そーいえばそうだな。担任が『リレーは頑張ってくれ』とか言ってた」
俺が明日音を見ると、その内容を明日音が補足する。
「教育実習の最後に、学校行事に参加して終わり、ってのがルールらしくてね。で、担任の代わりにリレーを走るんだって。で、全員で集合写真取って実習終わり。毎年そういう流れみたい」
粋な計らいと言っていいのかどうか。まあ、このルールの存在で我が校の教師は教育実習生に寛大であるようだ。体育教師ならまだしも、数十年運動をしていない教師にいきなり百メートル走れというのは酷な話だろう。
「つまり、そこでアクシデントを!?」
裕翔が勢い勇む。
「脳みそにもっとパスタ詰め込んでから出直してきなさい。教師陣が走る順番は決まってるし、リレーでなんかやらかしたらバッシング間違いないよ?あんただけならともかく、相手も巻き込まれるの」
そう言いながら、風華は一口大のパスタを口に入れる。なぜパスタなのか。そこに深い意味があるのか、ついつい考えてしまう。が、風華も意味のないこと意味深に言って、俺たちの反応を楽しんでいるようでもある。
「そうだなー、リレーで悪ふざけは盛り下がるな。団体競技だし」
陸上部員である茉莉も賛同する。これには俺も同意である。
「じゃあどうすんだよ?」
相変わらず、考えを放棄するのが早い。
「いいところ見せれば、話も弾むだろ。それに、目立てば二人で写真を撮るのだってまあ違和感はない。最終日で次の日からは会えなくなるが、逆に考えれば余裕ができるってことだ」
大学生は時間の融通が利く、と小夜さんは言う。
「そういうこと。相手は大人なんだし、会うにしてもなんにしても、相手に甘えてもいいんじゃない?そこまでの土俵を作れるかどうかは知らないけど」
この実習が終われば、ただの大学生と高校生。教師になったとしても、教え子と教師みたいな関係にはならないだろう。
「つまり、陸上競技大会で優勝すればいい?」
だいぶ違うが、かなり似ている。最善を尽くせば結果的にそうなる、という方が正しいか。
「……そうだな!」
否定するのが面倒だったので、強く頷く。