女心が秋の空な理由Ⅱ
「ちなみに晴彦君は何に出るのかな?」
先輩の一人が訪ねてくる。俺も無論、競技大会には参加せざるを得ない。
「真面目なやつは二百メートルとリレー、他にも色々ですね」
一、二、三年の各クラス対抗で、自分のクラスメイト以外は敵同士。
早さを競うガチな種目もあれば、料理研究部が関わるような参加を楽しむ競技もある。走ることが苦手な人も十分に楽しめる仕組みだ。
これは噂ではあるが、各種目の到着順に関係なく、目立った人、また良い応援をするクラスには内緒で追加点が与えられるらしい。そう言った意味では、ただ早く走れば勝てるという大会ではないのだそうだ。
クラス全体の一体感。個々の能力。カリスマ。時の運と笑いの神。まあ、そんなものが勝敗を決するわけだ。
運動部だけが取り分け目立つわけでもなく、運動部が他の部を足で纏いにするわけでもない。故に、この陸上競技大会の総合優勝は一年でも可能だ。
「おー、ガチ競技じゃん。流石バスケ部に出入りしてるだけはあるね」
「精々頑張ります」
俺は足が速いわけではないので、正直余り向いてないとは思うのだが。
「リレーは盛り上がるからね。頑張りなよ」
リレーは陸上の花。その言葉に漏れず、クラス対抗リレーは競技会の最終種目。一人百メートルを男四人、女三人、そして担任の八人で走る。これは学年ごとで走り、学年内順位、そして全クラスと比較しての総合順位と、二倍の得点が獲れる。
「裏方は結構大変だって聞くけどね。盛り上がりや雰囲気での追加点吟味に忙しいんだって」
決まりのない点を与えることに関しては、裏方は随分話し合いを重ねているようである。
「ま、そういうのにぴったりの奴がうちのクラスには居るんで。一年での総合優勝、うちのクラス狙ってますよ」
正直な話。
一年で上級生に対抗できるのは我がクラスだけだと思っている。故に、うちのクラスの士気は高い。
それもこれも、運動もでき、トラブルメーカーでもある裕翔の存在が大きい。
「お、いーねー。二年も負けるわけにはいかないし、男子も女子も運動部は意気揚々って感じ」
「文芸部はそうでもないけどね」
「そそ。私たちはまずいパンやドリンクで悶えるやつを見れれば満足ってね」
チョコが溶ける匂いと、笑いが木霊する。
こういった行事では、クラスの一員として参加する人と、部員の立場で参加する人間の二種類に分けられる。ここに居る皆は、後者のようだ。
「はいはい、本番の話はさて置き、その準備の話をするぞ」
彩瀬副部長が話を戻す。
どうやら、ドリンクはともかく。パンはそんなに日持ちするわけではないらしい。
「市販ならともかく、手作りですからね。不味いのはともかく、食中毒は以ての外。ですから、作るのは協議会前日ですね」
会議が進む中、俺はなんとなくその話を聞き流していた。
おもしろおかしく進んでいると思うが、ちゃんと決めるべきところは決め、保留のところは保留にする。
五十嵐春風という人物は、周囲に愛されるだけの愛玩具ではなくなっていた。それを支えたのが、言葉数の少ない綾瀬萌々果副部長なのだろう。
いいコンビだ。そう思う。見ていて飽きない何かが彼女らにはある。
物音がして横を振り向くと、恐ろしい形相で、エプロン姿の明日音がチョコをかき混ぜていた。
「……楽しそうだね」
この頃、というかここ最近。明日音の不機嫌を表すスキルが上昇してきているように思う。昔はどんなことがあっても無表情だったのが、今ではこんなに不機嫌だとわかる。
「まあ、それなりにな。教室で一人待つよりはいいさ」
今日はバスケ部も休みだ。放課後は図書室くらいにしか行くあてはなかった。
ボウルをかき混ぜる音が耳の横で響く。
「ふーん」
チョコ組を見ると、俺に手を合わせて何かを懇願している。明日音の機嫌があまりに悪いので、俺に投げたというところだろうか。
「機嫌悪そうだな」
「そうでもないけど」
チョコをかき混ぜる腕が乱雑な音を奏でる。明らかにイエスだ、とボウルの中のチョコが悲鳴を上げる。
「明日音は陸上競技、何出るんだ?」
「何だったかな。障害物競走と、借り物競争と、騎馬戦だったかな」
騎馬戦は女子オンリーで行われる競技。ちなみに男子オンリーの競技は綱引きだ。
「余裕があったら、明日音のことも応援してやるよ」
「余裕って?」
「そりゃあ、俺のクラスは総合優勝目指してるからな」
勝負の世界は非常なのだ。
「つーか、俺が居る必要ってあるのか?」
番犬とは言われたが、流石に部活中に乱入してくる人間はいない。いたとしても、俺には力になれるかどうかわからない。
「文化祭近いから。この時期になると、春風先輩にアプローチかける男子が急増するんだって」
「……そういうことか」
文化祭を彼女と回るのは、学生生活の夢でもある。
文化祭が終わればクリスマスもある。まあ、夏からの王道な流れといえば違いないだろう。つまるところ、今が恋のセール期間といったところだだろうか。
「確かに……。クラスでは出し物出せないからな」
文化祭は文芸部は出し物を出す決まりだが、運動部はそうではない。
詰まるところ、一年運動部員にとって、この陸上競技大会はまたとないアピールチャンスなのである。これを逃せば男同士で。上手くチャンスを手にすれば女子と回る事ができるという訳だ。そう言う意味でも、一年の士気は高い。偶然かもしれないが、よくできたものである。
「ここは文化祭、何か出すのか?」
「ん?んー、普通に食べ物を出すよ。春風部長の料理を完食できたら商品とかのイベントもある」
「そか。じゃあ、文化祭は普通に回れるな」
言葉を返せば。
文化祭を安穏と回れるのは一年の時だけである。何をするかはともかく、一日ゆっくりと祭りを回る時間がないことは確かだ。
「え?」
「え、って。文化祭は俺暇だし。一緒に回ろうぜ?」
クラス行事もなく、部活にも参加していない俺は二日間フリー。
「う、うん!約束ね!」
チョコをかき混ぜる腕があからさまにご機嫌になり、やはりチョコが悲鳴を上げる。チョコも納豆と同じように、混ぜれば混ぜるだけ味が変わるのだろうか。
「約束って……。破るとすれば明日音だろ」
俺が明日音の約束を破ったことはない。
「私だって晴彦との約束、破ったことないよ」
「でも、今の明日音は料理研の大黒柱だし?」
「大黒柱?何それ」
どうやら、明日音は自分の家事スキルの高さを認める気はないようで。
「ま、愛想つかされないようにしておくわ」
俺が笑っていうことにも、明日音は一喜一憂して。
「じゃ、じゃあ……」
「何だよ。何かあるのか?」
明日音は俺が知らないうちに、結構欲張りになっていて。
「……また、その……。キス、して欲しいな」
「お安い御用だ。ここでするか?」
それを真面目に受け取りつつも、つい茶化してしまう俺がいて。
「い、いいよ!人目がないとこでいいよ!」
相変わらず俺たちの関係ははっきりとしないけれど。
「ちょーっとそこの二人!会議中にラブラブオーラ出さないで下さい!」
「お熱いのは結構なことだが、時と場をわきまえることを覚えたほうが良さそうだな」
先輩たちの指摘に、明日音は顔を真っ赤にする。
「べ、別にラブラブとか……!」
自分で言葉にしてさらに顔を真っ赤にする明日音は、本当にこういうからかいに弱い。だからこそ、皆は遠慮なしにそれをする。
「私も彼氏作ろうかなー」
一年の西村さんが呟く。
「やめときなって。この時期に付き合っても長続きしないってのはうちのジンクスみたいなもんだから」
「適当なカップルが増えるのよね、この時期」
気温が徐々に下がり、人肌恋しくなる季節、らしい。俺はそう思ったことはないが。
「恋の季節、ねぇ」
俺の友人もその例に漏れず。柄にもない恋煩いというものをしている、
「なに?」
俺の視線を受ける明日音が何を思っているのか、俺には知ることはできない。
「女心と秋の空、ってやつ?」
「……なにそれ」
「俺にもわからん」
今年の秋は、特に穏やかな気候になる。そうニュースでは言っていたような気がした。