俺の親友が恋をする理由Ⅱ
「あの、本当に、すみませんでした!」
裕翔が頭を下げる。
「いえ、あの、大丈夫。気にしてないから」
傍から見るにとても気にしているようではあるが、彼女は笑顔でそう言ってくれる。悪い人ではなさそうだ。
髪はパーマでもかけているのかふわふわとうねっていて、泳ぎが得意ではないのかもう既に濡れた形跡はない。どうやら泳ぎに来たと言うよりは、付き合いで仕方なく来たというような感じ。
停滞しそうな話の流れを、動かさなければならない。面倒だが、俺の役目。
「お姉さん達は、大学生?」
「そーよ。坊や達は?」
坊や呼ばわりか。まあ仕方ない。
「高校一年。何処の大学?」
俺が目配せをする。話の種は山ほどある。大学の話、学部の話。受験の話。快活だと思われる二人を引きつけておく。
「何あの子、もしかして佐絵に気があんの?」
しかし、早くももくろみは崩れる。まあ、隠す気も無い。
「そんなところです。お騒がせしてすみません」
タネを明かすと、二人は呆れたように笑った。
「しかし、彼イケメンだね。歳の差はあるけど、将来有望って感じ?」
他人の恋路は大好物なのだろう。裕翔を見てそう評価する。
「容姿だけですけどね。頭空っぽのバスケ野郎ですよ」
「バスケやってるんだ。いいじゃん!」
「それにしても、なんで佐絵なわけ?」
「吊り橋効果とか、その類じゃないですかね。あいつ、ああ見えて女っけないんで。今日たまたま、ああいう事件が起きて、生まれて初めて女性を意識したんだと思いますよ」
邪推かもしれないが、八割型当っている自信はある。
「確かに、初心な感じ。それに比べ、君は年上に慣れてるね。もしかして彼女が年上とか?」
余裕なのは、他人事だからである。
「彼女は同学年です。まあ、年上の女性に縁があるのは否定しないですが」
考えてみれば、今まで俺の周囲は母さんを含めほぼ女性だ。
男とは学校に行かなければ会わない存在なのである。そんなこともあり、女性に慣れというか、悪く言えば適当な部分はある。
「そっかー、彼女居るか。残念」
「御世辞でも嬉しいですけどね。俺みたいな普通な奴、大学には一杯いるでしょう?」
大学の話はやはり俺も興味がある分、弾みがつく。
「ま、そりゃあ人は一杯いるよ。広げようと思えば友達百人なんかもできるしね」
「でもま、それが出会いになるかどうかは別問題」
「そんなもんですか」
それから、プールには相応しくない学部選びや、サークルの実情なんかを聞いたりしていた。幸運なことに、二人は俺が目指している国立大学の生徒だった。入試の時の話なんかで盛り上がることができた。
とは言え、傾向というよりは教授の愚痴に近いものだったが、そういう話が実は有用なのである。
なにせ小夜さんの大学生活が聞くに堪えない凄惨さだったから、まともな大学生活というイメージがまだないのだ。彼女らとの話は、実に楽しかった。
講義に徹夜にバイトにテスト、レポート。そして教授に頭を下げに行く話まで、すべてが新鮮だった。
そんな話に花を咲かせていると、裕翔が俺の肩をたたく。
「ん?終わったのか?」
俺が聞き返すと、妙にそわそわした二人が気まずそうな雰囲気でこっちをみていた。
どうも彼女も口が達者な方ではないらしく、話題に窮したのだろう。
「なーんだ、こっちはこれからいい感じだったのに」
「とても参考になりました。有難うございます」
頭を下げる。実に有意義な会話だった。
「いーって。来年入ってくるなら多少良くしてあげれたけど、一年じゃね」
「私らも就職だしねー。覚えときな、就職活動は受験よりも地獄だぜ……?」
就職氷河期というものは過ぎたようだが、相変わらず新卒の就職率は安定とは言えない。
「覚えておきます。お話、ありがとうございました」
俺が言うと、裕翔とその相手はようやく緊張から解放された可能に息を吐いた。
「で、首尾は?」
俺が小声で話す。
「一応、連絡先は一通り」
裕翔がにやける。少しイラッとくる表情だが、今日だけは許してやる。
「まあ、上出来だな」
そうして三人組から離れると、裕翔が落ち着きを取り戻す。
「っていうか、なんなんだよ。晴彦はあの二人と楽しそうに話してたろ」
反抗的な口調。俺がどれだけの苦労を負っているのか、裕翔にはわかるまい。まあ、実際はそんなに苦労はしなかったけれど。
「他の二人の注意を引いてやったんだから、感謝しろよ。それに、電話番号もアドレスを聞くのも俺に任せてたら、きっとそのあとお前失敗するぞ?」
裕翔にはその未来がたやすく予想できたのか、言葉につまる。自分がなぜ見た目はいいのに女子にモテないのか。それを短い時間で反芻したことだろう。なぜなら、あの彼女には『モテたい』から。
「その割には、晴彦も楽しそうだったけどな」
それは否定しない。大人と会話をするのは楽しい。しかし、歳を重ねていても大人らしくない人もいるのが現実。そう言う人はあまり話していて面白くない。接待でもないのにそんな雰囲気になるのは相手が大人ではないからだ。これは非常に疲れる。
その点、彼女らは大人だった。
夢と意思と、そして現実との妥協点を持ち。効率的に単位を取って、また現実的に就職活動を行う。
実力を発揮するのがセンター試験であれば、うまく相手を『騙す』のが就職活動のようだ。本心で面接に挑む馬鹿は今の世の中にいない、というのが彼女らの主張。
その答えに是非はないが、それは彼女たちの主義主張をはっきりと映し出していて、とても興味深いものだった。
「正直者が馬鹿を見る、ってね」
「何のことだよ?」
何でもない、と帰りの道を歩く。プールに来たのに、濡れている箇所がもう一つもない。
「お前も後後わかるさ」
そう言うと、裕翔は素に戻って首を傾げた。
やがてみな、社会に慣れて仮面を被る。自分を殺して仕事に付き、賃金を得、支払うときに支払い、生きていく。
父さんのように、自分の思い通りに生きていける人は少ない。明日音の父さんがいい例だ。
学校で習うことが社会で役に立たないと言う人もいるが、今学んでいる物事は、いずれ自分の役に立つ。
やりたいことをやるためじゃない。勉強なんてやりたくないことをやることに意味がある。それはつまり、『将来偽るべき仮面』を、無意識的に作るからだ。
『やりたくないことをやる自分』を、学校で身体に覚えさせることで、自分を偽ることに抵抗を無くすから。
歩く足取りは重い。
今のままの裕翔なら、まあ間違いなく告白しても振られる。うまくやりたいのならば、言葉通り、『うまくやる』しかないのだ。
それはつまり、相手の好みの自分に変化するということで。
「お、帰ってきた」
「案外時間かかったわね」
茉莉や風華、明日音の下に戻ったのは二時半過ぎ。まだまだこれからといった空気はもうない。疲労もあり、宴もたけなわといった風である。