夏が人を変える理由Ⅴ
「えーいっ!」
「おはっ!?」
茉莉が俺の足を水中に引きずり込む。鼻に水は入らなかったが、視界が水泡でふさがる。
「なにすんだよー……」
まあ、こういう悪ふざけも水遊びの醍醐味ではある。
「ねね、来年は海いこ、海!」
すると、あまりに近い茉莉の距離に、少しどきりとする自分がいた。
綺麗に焼けた肌。そして水着の端から見える日焼けしていない肌。
なるほど、男たちがナンパするわけだ。
「んー、そうだな。茉莉や裕翔が部活で忙しくなかったらな」
俺が両手を握り、水を圧力で飛ばして茉莉の顔に発射する。
わぷ、と可愛い声がした。なんでこいつに恋人がいないのか、今は全くわからない。
「そーだねー、来年は二年だし、全国まで行くと流石にこの時期も練習あるだろうしなぁ」
「茉莉は全国行くつもりなのか?」
正直に言って、裕翔はともかく茉莉は全国区ではない。
「いや、私はいけないだろうけど、先輩方は行くかもじゃん?だったら、応援とか、私たちだけ遊ぶわけにもいかないし」
容姿が今は黒ギャルだから想像は難しいが、茉莉もなかなかに義理堅いタイプだ。
「そか。ま、適当に休み見繕って行こうぜ」
「でもさー……」
茉莉はそこで何故か顔を落とし、水に身体を委ねる。
「なんだよ?」
この頃、こんな役回りが多い気がする。まあ、嫌いではない。
「いや、二年になったらクラス替えもあるじゃん?文理選択とか、受験とかさ。私バカだし、同じレベルって裕翔しかいないし。かと言って、あのバカは運動できるでしょ?私ってただ顔がいいだけじゃん?」
「お前、ことかいて一番恵まれてる奴が言うか?」
俺の言葉に、茉莉は反撃する。
「私なんてどう頑張っても大学とか行けないしさー。なんか、私ってみんなと比べて良いとこ少なくない?」
風華には運動能力と勉学の才が。
裕翔には、容姿と運動神経が。
そして、茉莉には容姿がある。
まあ、羅列してしまえば、茉莉が長所で劣っている、ように見えなくもない。
「俺は?」
「晴彦はそこそこ頭良いし、人気者だし、明日音いるじゃん?」
俺には明日音がいて、明日音には俺がいる。
「なんか私だけ仲間はずれ、ってわけじゃないけどさー。違う道歩いてるみたいで、ちょっと寂しくなる時もあったり」
まあ、気持ちはわからなくもない。
人間、どうしても他人と比べて生きる生物だ。そりゃあ、知能があって、比較対象が世界にごまんといれば。いつだって上には上がいて。
同じように下には下がいるのだけれど、それは慰めにもならなくて。
「だったら、勉強もう少し頑張ればいいだろ?」
「でもなぁ……。私がやってもたかが知れてるっていうか」
以前聞いたが、茉莉は家に帰ってから弟妹の世話に追われているらしい。それが学力が低い原因の一つでもある。
「俺は普通に茉莉が羨ましいけどな。勉強は努力である程度はどうとでもなるけど、見た目はどうにもならんだろ?」
俺が路傍の石とまで言うつもりはないが、ルビーはルビーであるし、ダイヤはダイヤにしかなれない。
結局、人間というものはそんなものだ。光り輝くかどうかは別にして、輝き方は生まれた時からある程度決まっているのだ。
「そうかもだけどー。どれだけ見た目が良くても、結婚できるのは一人だし。そう考えると、容姿が良いっていうのはそんな得でもないよ」
「茉莉なら二股三股は簡単そうだが?」
「そんな尻軽じゃないですー。普通でいいんだって。普通で」
宝の持ち腐れ、というわけでもないが。
自分が思ったように輝ける鉱石は、あまりないのかもしれない。
「普通に付き合って、普通に結婚して。子どもとペット飼って、平和に、幸せに暮らせればいいんだ」
そう言うと、瞬間茉莉は赤くなって水に潜り、俺を蹴り出した。
「痛いっつーの!」
俺が茉莉を捕まえると、人懐っこい茉莉が珍しく俺を睨む。
「今のは内緒だからね!誰にも言わないで!」
「言わない言わない……。だからその脚で蹴るのは止めなさい」
運動音痴とは言え、陸上部。蹴りの威力は水中でも強力だ。
「全く、油断も隙もない……」
「茉莉が勝手に油断しただけだろ……」
モデルでも女優でもアイドルにでもなれそうだが、そういうのは望まないらしい。そのことに、勿体無い、というのは野暮な言葉だった。
「ほら、泳げるようになったし、皆んとこもどるぞ」
「え?あ、うん……」
それでも何か、言葉を待つかのように茉莉は俺を見上げた。
「まあ、大学とか行けば自由な時間も増える訳だし。悲観しないでやれることはやっとこうぜ。普通にな」
確かにいつまでも五人で遊べるわけではない。しかし、何もそこまで悲観しなくてもいいのに。
「……うん、そうだね」
いつもの笑顔が戻る。確かに不安はあるが、それは避けえぬことで仕方のないこと。なら、普通でいられる今を楽しむだけ。
そうして、俺と茉莉は三人の元へと戻る。
「で、あれはどうした?」
戻ると、裕翔の様子がおかしかった。
瞳は現実を直視していないかのような虚ろで、空を見上げている。
「え、えーと……」
明日音が言い淀む。
「恋に落ちたのよ」
「はぁ?」
俺が素っ頓狂な声を上げると、裕翔が俺の肩を鷲掴みにする。
「晴彦!女にもてる方法を教えてくれ!」
真剣な瞳を受けて、俺は風華に首を向ける。
「これは何の嫌がらせだ?」
俺より数倍容姿がいい男が、もてる秘訣を俺に尋ねる。どう考えても嫌がらせだった。
「っていうことがあったのよ」
裕翔の奢りで、昼食を食べる。
事の顛末は、ウォータースライダーで裕翔が遊んだとき。
速さのみを追い求めた裕翔は、出口付近で前の人と衝突した。
「その人に一目惚れよ」
「へぇ」
俺は感心して、裕翔に瞳を向ける。
裕翔らしい恋の落ち方ではある。今のその人が気になっているのか、素直に俺たちの飯代を出した。
「美人だったのか?」
茉莉が尋ねると、明日音が答える。
「綺麗な人ではあったよ」
つまりは、そこそこ美人だが小夜さんには適わない位ということだろうか。明日音の言葉に抑揚がない。あまり興味がない証拠だ。
「裕翔、なんか喋ったのか?」
「……いや、なんも。すみませんしか言えなかった」
その表情は惚けているようにも、後悔しているようにも見えた。
「んー、まあまだこの施設にいるだろうし。気になるんなら探してみるか?」
「探してどうするのよ」
風華がもっともな答えを出す。ここにひとりで来る女性などいないだろう。
男連れか、女性のグループか。可能性は半々。
「……それもそうか」
友人の恋なら応援してやろうとも思ったが、それがどこのだれかもわからないのであれば手のだしようがない。
「おい、裕翔。せめて携帯の番号くらい今日手に入れないと、どうしようもないぞ」
「あ、ああ……そうだな」
驚くほど動揺した裕翔の姿があった。
「まあ、別に忘れられるんならいいんだが……」
一目惚れの感覚など、俺には分かりはしない。しかし、接点のない人間と繋がりをつなぐ難しさはわかる。それができない場合、やはり忘れるしかないのだ。
「やる、やるって……」
実は、好きな人には奥手になるタイプなのだろうか。
「どうすんのよ」
風華が俺に決断を迫る。裕翔は今は使い物にならない。
「……ちょっと二人で行ってくる」
「ナンパってやつか?」
「ま、そうなるかな……」
明日音が少し嫌そうな顔をするが、宥めるような視線を送るも、効果は薄かったようだ。
「ま、行ってくれば?この先こんな感じなのはウザイし」
風華が裕翔を珍獣を見るような瞳で見つめていた。
「この頃、こんなことばっかりやってる気がするな」
決して望んではいないのだが。
この夏、俺の初めてのナンパ体験が始まる。