夏が人を変える理由Ⅲ
「ここに来てまだ十分だけど、もう三回、ほかの男のグループに声かけられたわ」
風華がため息を吐く。
「あー、まあ、声をかけたくなる気持ちは分からないでもない」
いつもなら躊躇いもあるだろうが、今の茉莉は完全に黒ギャルである。
男を誘っているように見えても仕方ないのだろう。
「何だお前、焼けすぎじゃね?」
裕翔が茉莉の肌を覗き込むように見る。
「陸上部だしな、毎日外走ってれば日焼けもするぞ。裕翔は白すぎじゃないか?夏なのに。外で遊んだほうがいいんじゃないか?軟弱者みたいだ」
久しぶりの二人の煽り合いに、まんまと裕翔が乗る。
「おぉん?軟弱?お前この筋肉見て何言ってんの?メンタル面まで筋肉に包まれた俺はもう無敵超人だぞ?」
「メンタルまで包まれたら脳筋だろ……」
見事な筋肉を惜しげもなく披露する裕翔にツッコミを入れる。
「で?明日音はなんでびくついてんの?」
明日音は俺の隣にいるが、服がないためなにか掴むものもなく、精神的安寧を求めてオロオロとしていた。
「そりゃ、見知らぬ男から散々言い寄られたからね。慣れない体験してパニクってるの」
「ふむ」
こういう時はいつも俺の服の裾を掴んでいたのだ。が、まさか海パンの紐を掴ませるには行くまい。
「ほれ、明日音」
ならばと、手を握ってやる。
「へ?あ、うん……」
するとまあ、これが効果覿面。明日音は周囲の様子を伺いつつも、その手に力を込めた。
「……あんたらもこの夏でいっそうお熱くなった訳ね」
「ふ、風華!何言ってるの!」
とはいいつつも、明日音は繋いだ手を話そうとしない。
「お、いいなー。私も手繋ぐ!」
そしてもう一方の手に、茉莉が飛びつく。何と言うか、相変わらず大型犬のような勢いだ。
「両手に花とはこのことね。さ、こんなとこで遊んでないで、さっさと遊びましょ」
「日本語がおかしいような気もしないが、それは賛成」
「おー、折角プールに来たんだしな!でも、私泳げないけど大丈夫かな?」
「「……は?」」
そこで皆、思い出す。
北川茉莉は、陸上部に所属しているが決して足は早くなく。運動も勉強もできないのだ。
「ふふふ、その年で泳げないとか、ダサイにも程があるぜ!」
裕翔が勝ち誇った雄叫びを上げる。
「仕方ないだろ!息継ぎとかよくわからないんだから!」
茉莉が反論する。
そして、そのままぎゃあぎゃあ言い合う二人を背景に、風華が威勢よく手のひらを打つ。
視線が集まった後、風華が口を開いた。
「誰が一番泳ぎを上手く教えられるか決定戦ー!」
ここ最近、こんなノリが増えたな、と思う。俺はおー、と適当に声を上げて、拍手をした。
明日音もよくはわかっていないらしいが、取り敢えず拍手をしていた。
「ルールは簡単。一人持ち時間四十分!茉莉が泳げた暁には、茉莉もその教師もお昼代無料!それ以外の時間は自由時間!」
「えー、私あの飛び込み台とかウォータースライダーとかやりたいんだけど」
「泳げないのに飛び込み台は無謀だろう。あっちのプールは水深も深いぞ」
俺が諭すと、茉莉はそうかな、と少ししゅんとして答える。
「でも、このルールなら後に教える人の方が有利じゃない?」
この頃勝負事に慣れてきた明日音が答える。
「だから最初は私が行く」
風華が名乗りを上げる。教え方はともかく、風華の知識は確かだ。
「えー、いいじゃん別に。泳がなくても遊べるの一杯あるしー。普通に遊ぼうよー」
「いやでもほら、茉莉、考えてみなさいよ。泳げなきゃプールの楽しみなんて半分以下よ?走らないマラソンみたいなものよ?」
「それはマラソンって言わなくないか?」
茉莉が至極真っ当な答えを返す。
「そう。つまり、泳げなければプールで遊ぶとも言えないのよ」
無論、そんなことはない。だが、茉莉はショックを受けたようにのけぞる。
茉莉の専門は短距離走とハードル、あと走り高跳びなんかもやるのだとか。
全力で走り、飛んだり跳ねたりする。茉莉が望んでいるのはそういうものだ。
「ま、泳げるようになれば楽しさが増すのは確かだな」
水の中で遊び回ることができるのが、プールの醍醐味である。泳げないとなると、ちょっと気も使う。
「それに、来年は海ー、とかいう話にもなるかもしれないし」
泳げる泳げないは、俺には正直どうでもいいが、可能性は確かに広がる、
「んー、じゃ、ちょっとだけやろうかな」
来年は皆で海、の言葉に、少し興味を示す茉莉。
「あ、でも午前中だけだからね!」
「心配するなよ、茉莉ならすぐ泳げるようになる」
水にトラウマがあるのならばともかく、そうでないなら泳ぐくらいは覚えることができるだろう。
「そっか。んじゃ、風華、早くやろ!」
「はいはい。ほんと、子守が上手なことで」
風華はそうして茉莉を連れて行った。
茉莉は確かに、身体は大人なのに子どものように振舞う。しかし、俺にはわざとそう振舞っているように思えるのだ。一言で言えば、誰かにやれると、肯定的な意見を言って欲しいのかもしれない。
「よっし!じゃ、俺らは遊ぼうぜ!やっぱあのウォータースライダーだよな!」
豪勢なことに、この施設には二つのスライダーがある。
室内のスライダーは長くくねって揺れるタイプ。外のスライダーはジェットコースターのようにスピードを楽しむもの。どちらも専用の大きな浮き輪に乗る。通常は二人乗れる浮き輪だが、若い男子向けに小さくスピードの乗る小さい浮き輪もある。
「俺はどっちかというと、サウナが気になるかな」
室内の施設には様々なサウナがあり、スタイル維持や脂肪燃焼を目的とした人がよく使う。無論、水着着用なので男女関係なく入れる。
「確かに、いかにも晴彦が好きそうな奴だな」
高湿度のサウナから岩盤浴までお手の物。まあ、別料金がかかるところはあるが。
「でもまあ、最初は普通に楽しみますか」
そう言って歩き出すが、手が動かない。明日音が俺の腕を引っ張るように掴んでいた。その瞳には、不服と失望が映っていた。
「……水着、選んだのに。茉莉ばっかり」
純粋に嫉妬する声。こういうことは、今まではなかった。さて、良かったのか悪かったのか。それはわからないが、中々に可愛らしい反応でもある。
改めて、明日音を見る。茉莉のインパクトに勝てるものは中々にいないだろうが、明日音も綺麗だといえば綺麗だ。
さて困った。こういう時は、どう言えばいいのだ。
普通に似合っているといえばいいのかもしれないが、特別な女の子にそれはすこしさみしいような気がする。
だが、水着を褒めるというのは一歩間違えれば下品に思われかねないだろうか。長年の付き合いでもあまりない懸念が俺の中によぎる。
「似合ってるよ。十分可愛い」
それもどこか、子どもをあやすようなニュアンスになってしまう。伝えたい気持ちは、こんな言葉ではないのだ。
「そっか」
それでも満足そうな笑顔を見せる明日音に、なんとも申し訳ない気持ちになった。俺は明日音の努力にきちんと報いているのだろうか。そんなことを考えた。
「行こう」
明日音に引かれて、俺は冷たい水の中に身を投じる。そんな後ろめたさなどまるで知らないように、世界は騒がしかった。
それでも、遊べばその場の雰囲気に流されてしまう。そんな自分が恨めしい。俺は自己中心的には決してなれない、周囲を伺いその場に合わせるタイプの人間であった。
四十分後に、風華がこちらに顔を出した。
「次、誰が行く?」
その疲弊した表情を隠すように、プールに入ってくる。
「ダメだったのか?」
風華は両手を軽く上げる。
「泳ぎ方は教えたんだけど……。あれじゃ犬かきね」
風化は何故泳げないのか理解できないという表情だった。
「なんでなのかしら?不器用にも程があるわ」
「じゃあ次誰行く?」
「晴彦行ってこいよ。俺はパス。降りる。なんであいつに泳ぎを教えるのに時間を使わなきゃならないんだ」
「あ、じゃあ先に行っていいかな?」
明日音が手をあげる。
「何だか自信ありげじゃないか」
明日音の表情は見たことがないほど溌剌としていた。
「うん、本格的じゃなくていいならなんとかなるかなって」
「そっか。じゃ、次は明日音な」
「じゃ、行ってくるね」
そうして、明日音はぱたぱと水滴を落としながら茉莉のところへと向かった。