私の父が不憫な理由Ⅱ
「このお金直接渡したほうが喜ぶんじゃない?」
家を出て早々、姉さんがみも蓋もない事を言い出す。
「元々は自分の金なのに、それが回りくどいやり方で戻ってきて嬉しいかな?」
「お金は嬉しいでしょ。どんな形であれ」
姉さんの横を歩くのは少し嫌だが、今日ばかりはそうも言っていられない。
大きめのデパートに到着した。安物ではなく、ブランド物が並ぶ一回婦人服フロアを抜ける。
ショーケーズの中の品物は安くて五桁。高くて七桁。
学生である私たちには、まだ縁のない場所であり、私たち姉妹は実に浮いていた。そんな場所を回遊魚のように回りながら、何かを探す。
「でもさ、考えてみてよ?私たち三人養うだけの財力があるんだよ?」
「確かに、生活に困ってるみたいな話は聞いたことないけど……」
そして、私たち姉妹は視線を合わせる。
「もしかして、私たちの父さんって凄い人?」
小夜姉さんの言葉に、私も頷く。
「そうなのかも。そんな人がさ、諭吉さん一枚や二枚の物を貰って嬉しいと思う?」
「……なんか、すごく嫌な成金の姿しか浮かばないんだけど」
それは姉さんの育ちが悪いからでしょ、と一蹴する。
「でも、どんなに安くても、『娘からのプレゼント』であれば、安くてもおかしくないじゃない?」
「確かに!じゃあ、無理にネクタイとか、実用的なものを選ぶ必要はないってことか!」
「そういうこと!記憶に残るようなものがいいかな……」
そうしてデパートや電気屋や雑貨などを見回って、最終的に選んだのが。
「これ。飾りとしてはいいんじゃない?」
そうして選んだのはデジタルフォトフレーム。なんと数百枚の写真データを保存できる機能付き。
これに決めて、あとはレジへ持っていくだけ。
「でもさ、実際どうなの?私たち、父さんと写ってる写真なんてないじゃない?」
姉さんが苦言を呈する。
確かにそうだ。私たち家族の集合写真というのは、存在するのかも怪しい。
「そうだけど、なら今日取ればいいし。それに、写真屋に行けば昔の写真もデジタル化出来るって。母さんは結構写メとか撮るし、丁度いいかなって」
私たちが父さんの思い出が希薄なのと同じで、父さんも私たちの思い出は希薄なはず。
母さんからの定期報告はあるだろうけれど、それはあくまで、「母さんから見た話」であり、真実とは異なる。やはり、実際に会って話さなければ、人の本質は理解できない。
諭吉さん一枚以内に収まり、真実を映し出すそれは、遠く離れて暮らす父にぴったりのアイテムのような気がした。
「この歳になって家族写真とか、笑えないんだけど」
少しだけ辟易とする姉さんに釘を指す。
「その気持ちもわかるけど。今日はいわば接待だから。学費出さないとか、生活費は自分で払えとか言われたら、姉さんどうするの?」
生活費はともかく、学費は大きな重荷だ。有名私立大の姉さんの学費は、かなり高い。
「モデルのバイトとか、戻ったら探すわ……。将来女優か、モデルってのも悪くないしね」
姉さんがその気になれば、モデルは余裕だろう。女優は、演技力を見なければどうにも言い難いが、それでも問題はないような気はする。
「とにかく!姉さんも父さんの機嫌を損ねないようにね!」
店員さんにラッピングをお願いしつつ、支払いを終える。
「父親かー、なんか緊張するな」
「訳あり家庭みたいに聞こえちゃうから、そういうこと大声で言わないでくれない?」
帰り道に、そうお小言を漏らしながら歩く。
姉さんはなんというか、物事を決めるときによく考えない、というか、根っからの直感派なのだろう。
不思議なことに、姉と並んで歩くことに抵抗がなくなっている自分に気づく。
以前なら、姉さんと一緒に出かけるなんてのは、ただの比較対象でしかなく、とても嫌だったのだけれど。
「いやいや、うちも十分訳ありでしょ。ほぼ母子家庭みたいなもんだし、姉と妹はこんなんだしさ――」
姉さんの言葉はしかし、私の耳を通り過ぎた。
私は足を止めていた。道路脇のショーウィンドウには、夏ならではの煌びやかな水着がマネキンに着せてある。
「明日音ぇ?」
姉さんが私の視線を追いかける。
「なに、水着?買うの?」
「え、いや……。そういうわけじゃないけど」
弁解に力はなかった。
「そーいやスク水以外持ってないんだっけ?それは女子としてはないわ。つーかあんた、胸あんの?」
私の胸囲は別段ないというわけではないが、あるというわけでもない微妙なライン。ビキニが着れないことはないが、似合うかどうかは別の話、という感じだ。
「いいって、また今度で。私に派手なのは似合わないし」
その点、姉さんはビキニタイプのイメージしかない。姉さんがワンピースだとかそういうタイプのものを着ると、逆にエロい。
「似合ってるかどうかなんて着てみなきゃわからないでしょ!」
「え、ちょっと!」
そうして、手を引かれて入ったその先には、女性の若者向けブランドがびっしり並ぶ空間。
正直、あまり縁のないお店ではある。つまり、『イケてる女子』向けの店であり、私のように普通の女子が訪れる店ではないのだ。
相手も商売だし、私にものを売らないということはないだろうが、店員が見下しているような気がする。
さらに、こういった所の店員はよく話しかけてくるが、事実はどうあれ、見下していると思っている相手と上手く喋れるはずがない。
いらっしゃいませー、何かお探しですか?
「ちょっと水着を」
あちらのコーナーになります。ごゆっくりー。
姉さんがテキパキと店員を躱す。
「店員のおススメとか、そういうのを買っちゃダメよ。あーゆーのは皆買ってるから、実際海で周りを見たら似たデザインが一杯なんて詰まらない展開もあるし」
それに、基本バカ高いのを売りつけるのよ、こういうとこは。姉さんはぶっきらぼうに言う。
「でも、それを言ったら水着なんて、どれも似たようなものじゃない?」
「甘いわねー。水着ってのは着てない部分を見せつけるためのものなの。足ならワンピ、お腹ならビキニ、そういった自信のあるところを出すのが水着よ。水着自体のデザインなんかはおまけなのよ。水着可愛いね、って言うのは、文字通り『水着が』可愛いってこと。着てる本人を見させなきゃダメよ」
なるほど、と思う。
確かに、可愛い服を選ぶのは、『自分が』可愛いと思われたいからである。
しかして水着というのは、大なり小なり形は同じ。しかし、人の身体というのは千差万別で、似てはいるが同じというものはない。
「同じビキニでも、どの程度露出するか、自分のイメージを損なわないか、水着の方が目立ってないか。そういうのを入念にチェックするの」
「でも、それだったら店員さんに頼っても良くない?」
意外なほどに、姉さんはショップの店員を敵視しているように思えた。
「絶対、値段高いほうに『こっちのほうがお似合いですよ』とか、『こっちが今年のトレンドで』とか言ってくるに決まってるじゃない。サイズさえ合ってれば誰でも着れんのよ。自分の印象に合わせなきゃいけないんだから、自分で選ぶのが一番!自分以上に、自分のことを知ってる人間なんていないんだから」
姉さんの言いたいことはわかる。
水着を選ぶ、というのは、手段を選ぶ、ということに似ている。
どれでもいいのならば、機能性を重視する。
しかし、今回は確実に、『魅せる』水着だから。
姉さんはそういうのが得意だ。自分を上手く魅せることができる。
「いや、でも、買うと決まったわけじゃないし」
嘘である。買う。その必要がある。申し訳ないが諭吉さんも一枚余っている。
「はいはい、怖気付かない。晴くんにプールか海にでも誘われたんでしょ?付き合ったげるから、選ぶ選ぶ」
背中を押してくれる小夜姉さんに、違和感を感じる。
「……なんか、晴彦のことで色々言い合ったけど、その問題はいいの?」
そう言うと、姉さんはあっけらかんとして言い放つ。
「いいわよ?私、人のものを盗るのは趣味じゃないし。まあ、晴くんがいい男、ってのは否定しない。晴くんが明日音に愛想つかしたり、明日音が晴くんを振ったりしたら私が美味しく頂くけどね」
適当な水着を手に、姉さんは笑う。
「それに、明日音が晴くんと結婚したらさ、私、晴くんの姉よね?つまり、晴くんが私を『姉さん』って呼ぶわけ。なんていうの?想像しただけで胸がキュンとなるわよね!」
どうやら姉は、少しおかしな方向性に目覚めてしまっていたらしい。
「妹は可愛くなかったけどさ。弟は可愛くなりそうだなって!」
私はどうあっても、この強欲な姉と縁を切ることができないらしい。
「……姉さん自身の結婚願望は?」
私が聞くと、まるでそんなものは無かったかのように答える。
「それは未定だけどー。晴くんに相手してもらえるなら、姉でもいいかなって。子どもとかできちゃうかもしれないけど、そこは許してね?」
結論として、姉、早川小夜は。
好きな人と一緒に入れるのなら、恋人とか旦那だとか、そういう類の立場を全く気にしないタイプらしい。
愛人でも、姉でもいいのだ。晴彦と居れるのなら。それはどこか、私と似ているような気がした。
そういうのを立場全く気にしていないのは私も同じだ。
「……さすがにそれは、私も許さないけど」
語調が本気にならざるを得ない。
将来がどうなるのかはわからない。けれど、小夜姉さんに一刻も早く運命の人が現れることを祈った。
「大丈夫だって!別に慰謝料請求したりとかはしないし!ただ、晴くんのと明日音がすれ違うちょっとした時間を貰うだけだから」
その言葉を、平然と吐く姉が、私には何より恐ろしい。
だって、多分、この人は本気だ。
本気で私が晴彦と別れたら、晴彦にアピールをかけるし、もし上手くことが運んで私が晴彦と結婚しても、接触してくるだろう。
「あ、でも、女優とかになったらどう説明しようかな。アイドルとかはちょっと柄じゃないしな――」
「……一応、晴彦にも釘指しとくからね」
私の水着を選ぶ姉さんに言うと、姉さんは普通に頷く。
「どうぞ?私は構わないわよ。あ、これなんてどう?」
私に似合いそうな淡い色合いのビキニを選ぶ姉さんの姿。
障害はなくなったのかもしれない。しかし、常に崖っぷちの道を走らされているような冷や汗が吹き出た。
女の恐ろしさを、私は今まさに垣間見ているような気がした。
結局、水着は買ったし、実に私に合っているのだけれど。
「さ、さっさと帰ろっか」
最早、父親のことなど、私の頭にはなく。
「……さっきの話、どのくらい本気?」
「そうだねぇ、晴くん以上に私の気を引ける人が出てこない限り、かなり本気」
姉が最大の恋敵というのは、一体どうなのだろう。
縮まった距離が開き、縮む。その距離感は三次元でも四次元でもなく、もっと複雑に絡み合っていた。
「明日音、父さんへのプレゼントは?」
「あ……」
その未知数の告白に、私は父のプレゼントをさっきの店に置き忘れてきていた。