俺たちがテストを受ける理由
五月も半ばを過ぎ、もう月末。二ヶ月近く経てば流石に学校生活にも慣れてくる。
そんなやさか、全く嬉しくない学年行事が近づいてきている。
「なんでテストは期末と中間に別れてるんだろうなぁ?」
部活動も禁止期間になり、学校全体がどこか熱を失ったよう。皆、談笑をしながらも心のどこかでテストのことを考えている。
「お前みたいに一夜漬けする奴のことを考えてるんだよ。学期末に一回だと範囲も広くて大変だろ?」
相変わらず、俺の昼食相手は裕翔だけ。稀に女子を交えたり、男子の団体で卓を囲むこともあるが、毎日一緒なのはコイツだ。
「そいつはありがてーことで。できれば赤点で補習ってのも無くして欲しかったぜ」
「それなくしたら一夜漬けすらしないだろうが」
俺はブロッコリーを渋々齧る。
青臭い味が舌の上に広がる。思わず顔を顰めた。
「先輩がさー、念押してくるわよ。『補習とかマジありえないから』とかさ。言っちゃなんだけどさ、これ顧問同士の確執だと思うわけ。バスケ部は何人、サッカー部は何人ってな。それが上級生にも伝わってんのかね」
「そうだろうが、普通にやってれば赤点とか取らないだろ?」
少なくとも、部活をやっていた中学時代も赤点は取ったことがない。
食べるかどうか、赤いミニトマトを箸で啄きながら考える。
「お前は馬鹿の気持ちがわからないんだな」
「馬鹿だから赤点を取るワケじゃないだろ。勉強しないから馬鹿って言われるんだよ。お前も普通に勉強すれば赤点なんて取らねぇよ」
トマトを転がしながら答える。
正しく勉強をして、努力をして。それで赤点を取るのであれば、正しく馬鹿なのだろうが。
世の中には、その努力を諦める口実としてよくその言葉を使う事が多い。
「まぁ、そうなのかもしれねぇけど……。それより、お前トマト嫌いなの?」
「ん?まぁな……」
どのくらい嫌いか、といえば、俺の嫌いなものナンバーワンに上げていいくらいに嫌いだ。
噛んだ時の食感、汁の味、そして内部の見た目。全てにおいて俺はトマトが嫌いだ。
更に言えば、ブロッコリーもそんなに好きじゃない。まあ、こっちは食えないほどじゃないが。
「何だよ、弁当に嫌いなもの入れられるなんて。明日音ちゃんと喧嘩でもしたのか?」
昼休みも半ばを過ぎようとしている。他の皆はもうとっくに昼食を平らげ、各々の時間を過ごしている。
残っているのは食べるのが遅い奴らだけだ。給食ならまだしも、弁当で何かを残すかどうか迷っているのは俺だけだ。
「別に喧嘩はしちゃいないんだが……」
「だが、嫌いなものぶち込まれるんだろ?」
「まあ、最近な……」
料理研究部に顔を出すようになった頃からだろうか。明日音の弁当、というか料理全般に変化があった。
具体的には、味の好みを聞いてくるようになったこと。どんな味が好きか、どんな濃さがいいのか。どんな料理が好きか。
弁当も彩り鮮やかになり、美味しく食えるものは、美味しくなった。
だが、それと同時に、何故か俺の嫌いなものまで弁当に入ってくるようになった。これは、今までで初めてのことだった。
「なーんか料理研究部の先輩に、焚きつけられてるような気がしないでもないんだが」
事実はわからない。だが、少し明日音の様子が変わったのは確かだ。
「あれじゃねーの?なんか不満があるとかさ。何かを訴えかけようとしてるとか!」
「一回聞いてみたけど、『好き嫌いは良くないから』って普通に返されたぞ」
「春彦って、以外と好き嫌い多いのか?」
「まあ、少なくはないな」
トマトの他にも、嫌いなものを上げればキリがない。半分は食わず嫌いだったりもするが、別段栄養素で言えばほかの食材でカバーもできる。
この忌まわしき赤い球体も、一時期リコピンのダイエット要素が判明して品切れが頻発したが、俺には関係のない出来事だった。
「残せばいいじゃん。本気で嫌いなら無理に食わなくてもいいんじゃないか?」
「母親の弁当ならそれでも良かったんだけどな。明日音の弁当はな……」
かつて、まだ明日音の料理がそれほど上手ではなかった頃。
明らかに失敗した料理を残したら、明日音がほんのちょっとだけヘコんだような顔をした気がした。
俺も罪悪感が残り、それ以降、明日音の弁当を残したことは一切ない。
しかし、このミニトマト二つは強敵だ。勝てる気がしない。
「じゃ、俺が食ってやろうか?」
「……ま、それが無難か」
ほれ、とミニトマトを摘んで、裕翔の手に乗せてやる。
ちなみに言うが、トマトを材料にしたは嫌いだが、食えないほどじゃない。ケチャップやソースは何とか胃が受け付ける。
「ふふふ、春彦よ、愛がないな」
裕翔はニヤケ顔でミニトマトを二ついっぺんに口に入れる。
「食って胃が痙攣して、胃の中にあるその他諸々と一緒にリバースすることが愛だっていうのなら、愛なんて要らん」
「そこまで嫌いなんか……?トマト、結構美味いぞ?」
「好きな奴が好きなのは知ってるよ。だが、俺には無理だ」
世の中には、二種類の人間がいる。
それは、トマトが好きか、それとも嫌いかだ。
大多数は好きだと言うだろうが、その逆の勢力もそれなりの規模になるだろうと確信している。
「しかし、明日音ちゃんに何があったんだろうな?トマト嫌いなの知ってるんだろ?」
無論だ。俺の嫌いなものを明日音が知らないはずがない。中学の頃は、気を使っているといってもいいほどにそれらを避けてくれた。
明日音の変化は、実はこれだけに留まらない。
俺と居る時、またはあの騒がしい二人と居る時。明日音はよく笑うようになった。
今まではどちらかというと、喜んでいてもそれを感じさせることはなかったのだが、このところ顕著にそれが現れるようになっている。
それと同じで、不服そうな表情も増えた。
一言で言ってしまえば、感情が顔に出やすくなった、という感じだろうか。
「さあね。だけど、きっと悪いことじゃないさ」
実のところ、明日音は幼馴染という言葉に縛られているのではないか、と思うことがあった。
そして、それは俺もそうなのだ、と空になった弁当箱に蓋をしながら思う。