幼馴染に近づけない理由Ⅱ
「明日音はいかないのか?」
「なんか、入りづらくて」
無理に笑うが、やはりまだ上手に笑顔は作れない。風が髪を優しく撫でていく。
「あー、まあ、なんといったらいいのかわからないが……。そんなに気にするものではないと思うぞ」
「……はい?」
珍しく、話の展開の読めない言葉を、綾瀬副部長は言う。
「春風も別に、幼馴染くんを奪い取ってやろう、なんて考えはないと思うんだ」
多分な、と自信なさげに付け加えたのが少しだけ気になった。
「そもそもだ。今回の件は、明日音にも責任があるぞ。料理対決にかまけて、幼
馴染くんの世話をしていないだろう。自分で言いだしたのだから、責任はきちんと取らないとダメだ」
「は、はぁ……。すいません」
訳も分からないまま、謝っていた。確かに、自分で連れて行きたいと言ったのに対し、確かに晴彦には何もしていない。
「愛やら恋やら、と言った話は、まあ私には縁のないことなのだが……。明日音はもう少し、積極的になったほうがいいんじゃないか?」
「積極的、ですか」
「そうだ。幼馴染くんが、自分のものだと、もっとはっきり主張したほうがいいんじゃないかと思うんだ」
「主張、ですか……」
綾瀬副部長が何を言いたいのか、今ひとつピンと来ない。
そんな表情をしていると、副部長も疲れたのか、息を吐く。
「まあ、なんだ……。春風が何かしたようだが、明日音と幼馴染くんの関係を妨げることはしない、と思う。謝りはしないが、本気になりそうなら止めておくから」
「……もしかして、心配してくれてるんですか?」
私がそう口にすると、意を汲んで貰えていなかったことに気づき、彩瀬先輩は肩を落とす。
「してるさ。後輩の彼氏を私の友人が奪ったなんて知ったら、毎日胃痛に悩まされる」
「何て言うか、副部長って苦労性ですよね……」
「生憎、そういう性質でな……。それにしても、春風が幼馴染くんに接近したことを心配してたんじゃないのか?」
「ああ、そういう……」
やっと合点がいった。
副部長は、私が落ち込んでいると思っているのだ。晴彦が、私以外の女の人、それも、皆がうらやむような美人と親しくなったのだから。
「まあ、確かに気になることではあります。春風部長は可愛いし、突拍子もないことを時偶やるし。恋敵になるんなら、間違いなく強敵になるでしょうね」
「……何だ、春風が幼馴染くんのことを好きにならないと思っているような口ぶりじゃないか」
先輩の言葉を、私は笑って否定することが、今はできる。
「そうは言いませんけど。でも、ほら、私って平凡じゃないですか。顔も普通だし、春風部長みたいに可愛くはないし、彩瀬先輩みたいにスタイルも良くない。姉さんのように陽気な付き合いやすさもない」
事実である。言い返せずに、先輩は口をつぐむ。
「私は、晴彦のことを知っているようで、未だに全くわかりません。なんで晴彦が告白もしていないのに、私のそばに居てくれるのか。もっと可愛い子だっているし、その子に好かれていないわけでもない。ですから、春風部長や、姉さんみたいな容姿が良い人たちに晴彦が囲まれていると、劣等感というか。そんなものを感じてしまうんですよ」
これは本当にどうしようもないことだ。自分より優れた何かを持った人間が傍にいて、劣等感を抱かないというのなら、それは立派なことだと思う。
「でも、だからといって、私が晴彦に『部長と口を聞くな』という権利はないですし」
少し前の自分はそうだったのだと我が身を振り返る。
高校に入学した当初は、可愛い女子は全て敵と同等だった。茉莉や風華も、無論それに含まれる。
「それに、何ていうんですかね。言葉にはしづらいんですけど。晴彦には、大勢の女子の中から、私を選んでほしい。そんなこと、最近を思うんです」
私が欲しいのは二人だけの世界で、二人でいることではなく。
皆がいるこの世界で、二人でいることだから。
「ですから、別に春風部長が晴彦と仲良くなった、とか、そういうのでもううじうじするのは辞めたつもり、なんですけど。でも、まだ、簡単には割り切れないところがある、ということです」
私が今の状態をある程度頑張って説明すると、彩瀬先輩は感嘆の息を吐いた。
「何というか、まるで小説のような複雑な心境だな」
「そうなんです。落ち込んでいるのは確かかもしれませんが」
私が微笑むと、先輩も小さく笑って返した。
「胃の調子を無視してまで気遣ってやったというのに、とんだ無駄骨だったというわけか」
「いえ、そんなことは。春風部長に対する抑止力が先輩だということを教えてもらいました」
「やめてくれ。本気で胃が痛くなりそうだ。そもそも、私に色恋沙汰の相談なんて無理無茶無謀なんだぞ?そこを骨を折ってやったのだから、少しは労わってくれよ」
先輩はそう安堵の息を吐くと、またベンチに横になる。
「先輩は恋とかしないんですか?」
彩瀬先輩の恋事情を知る者は、部員でさえいない。
「恋はしないね。お見合いはするけど。恋心とかいうような、胸の高鳴りを感じたことはない」
私は、近くの一人用の椅子に腰を下ろす。背もたれのない、切り株のような低い椅子だ。
「お見合い、ですか」
話がいきなり、事務的なものに変わったような気がした。まるで、仕事の愚痴を話すオフィスレディ。
「私の親が無駄に社長なんかやってるせいでね。私の『お付き合い』というのは、どうやら『結婚』と同義らしくてね」
失敗をさせまいとする親の良心なのかどうかは知らないが、余計なお世話だ、と先輩は零した。
「なんというか、素直に恋ができる明日音や皆が、少し羨ましい、とたまに思うよ」
「できる、できない、という話ではないんだと思いますよ」
私は意図して、晴彦に恋をしたわけではない。今までもそうだし、このどうしようのない切なさも、別に私が感じたいと思っているわけでもない。
「恋に落ちる、とよく言うじゃないですか。それですよ。彩瀬先輩は、穴に落ちないように気をつけているから落ちない。いつか、唐突に、不意に、後から気づくものなんです」
落ちるのは一瞬。それに気づくか気づかないかだけの話。私も随分長い間、落とし穴の中にいることに気づかなかった。
「そっちの話題に関しては、明日音の方が先輩ということか」
「どうでしょうか?片思い歴が無駄に長いだけとも言えます」
「そう笑顔で言えるのも、そうそうないことだと思うけどな」
いつの間にか、心に吹く風は優しさを取り戻していた。
「そう言えば、先輩の恋話を聞くのは初めてですね」
いつだって、綾瀬副部長は私たちを見守る立場にあった。しかし、先輩だって私たちと変わらないということを、今更ながらに認識した。
「やめてくれ。苦手なんだ。私だけだろ、週末にお見合いの予定が入るなんて。そんなこと、皆に言えたもんじゃない」
「なら、私だけでも。いいじゃないですか、お見合いとか」
「全然良くないぞ。着物着せられて、適当に化粧させられて。親同伴の中、適当な質疑応答。詰まらないどころか、時間の無駄だ」
「気になる相手は、今までいなかったんですか?」
「あんな場所で、相手方の何がわかると言うんだ……。そりゃあ、確かに見た目が良い奴はいたが、それが本当の姿だとは限らんわけだろ?」
「それはそうですけど……。でも、見た目だけで判断できるものではないでしょう?」
それもそうだが……、と綾瀬先輩は口を窄ませる。
「問題なのは、先輩のお見合いに対する嫌悪感なのだと思いますよ?」
お見合いだというだけで、普通ではないと考えてしまう先輩の考えが、その先を無くしているのだ。
まあ、この歳でお見合いというのが普通とは言わないけれど。
「そんなものなのだろうか……」
「どんな物事であれ、出会いは平等なものなのだと思います。春風部長が晴彦に出会うのも、遅かれ早かれ、あることだったと思いますし」
そこまで言うと、完全に毒は抜けたのか。綾瀬先輩が空を見上げて笑う。
「しかし、本当に明日音は大人な考えをするんだな」
「ですから、大人な私に相談してみません?何かお力になれるかも」
「……気分は持ち直したようだが、川には行かなくていいのか?」
「ああいうところでは、スタイルのいい人が目に付きますから。綾瀬先輩が川に行かないように見張ることにします」
合宿の楽しみ方も、またそれぞれ。
私と綾瀬先輩は笑いながら、その美しい光景の先を見つめていた。