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私たちが恋人になる理由  作者: YOGOSI
一話目
7/159

私が彼を求める理由Ⅱ

「早川さん、ちょっと」


 帰ろうとしていた矢先に、春風部長に呼び止められる。


 その目は、彼女に似合わない真剣さを示していた。


「えっと、なんでしょうか?」


「早川さん、お料理楽しい?」


 唐突な質問。料理が好きか。私は答えられず、何も言えずにただ立っているだけだった。


 すると、やっぱり、と言って、部長は私の横に腰を下ろした。


「早川さん、一度も笑わなかったから。ちょっと気になって」


「その、表情が硬いのは、生まれつきで」


「どんな人でも、好きなことをやっているときは多かれ少なかれ笑ったりするものよ。もしかしたら、その彼氏が原因かしら」


「それも、ちょっと違うんです。彼氏、っていうか、幼馴染で」


「幼馴染!私と萌々果ちゃんみたいなものね!」


 部長は目を煌めかせて、両手を合わせて感動を示す。


「別に私と春風は幼馴染じゃないだろ。中学からの付き合いだし」


 後片付けを終えた彩瀬副部長が会話に参戦する。いけず、と部長は可愛らしく拗ねた。


「で?その幼馴染に弁当を強要されてるとか?そんなら私から喝を入れてやることもできるが――」


「いえ、別にそういうんじゃないですけど。何て言うか、好きとか、嫌いとかで、料理をしたことってなくて」


 春彦のお弁当は、私が勝手に作っているだけだ。


「早川さんは、その幼馴染さんが好きですか?」


 春風部長は、優しい口調で私に尋ねる。


「好きか嫌いか、と言えば……、好き、ですけど」


 私が言うと、あら、と部長が色めきたち、はあ、と副部長が疲れた顔をした。


「じゃあ、気付いてないだけなのですね」


「気付いてない?」


「ぶっちゃけて言うと、好きでもない男に弁当を作ったりはしない。たとえ幼馴染でもな」


「そうですよ。早川さんは、自分の好き、にまだ気付いてないんです。好きな人にお料理を出して、美味しいって言って貰える。これって、素敵なことだと思いません?」


 そう言えば。私は、春彦にそう言った言葉をかけて貰ったことがあるだろうか。


 言ってくれたことはないのかもしれないし、聞き流していたのかもしれない。


「好きな人がいない私が言うのもあれですけど。早川さんは、それに気付けば、もっとその幼馴染くんを好きになるし、もっと料理も好きになると思うの」


「春風の言うことは話半分にな。何分、夢から覚めないお姫様なもんで」


「何それ。ちょっと酷い。私だってちゃんど現実見てるもん!」


 春風部長は、頬を膨らませて副部長に抵抗する。途轍もない威力だ。


「そうすれば、自然と笑ってるものよ」


 そうして、春風部長の相談室は閉幕となった。


 家庭科室を出ると、副部長が鍵をかけ、じゃあね、と手を振って別れた。手を振る姿まで、部長は可愛らしかった。


「気付いていない、だけ」


 そうなのだろうか。そうなのかもしれない。


 何か、胸に疼くものがあった。


 確かめなければならないような気がした。この、胸にある意味不明な数列を、言葉にならない熱を。この気持ちを抱えたままでは、眠ることさえできないような気がした。


 教室への道のりが、やけに遠い。


 ここから昇降口を出て、バス停まで歩いて、バスに乗って、家について。


 それまで、私の身体はこの思いに耐え切れるだろうか。


 薄暗くなりつつある廊下を、私は早足で歩いた。


 今、私はどんな顔をしているのか。どんな顔で会いに行こうか、晴彦に。ああ、それも考えなければ。だが、答えを導き出す余裕がない。


 私が春風部長に答えた『好き』と、春風部長が言葉にした『好き』は、何かが決定的に違う。


 何が違うのか。どう違うのか、それを一秒、一刻も速く春彦に会う事で、理解できるような気がした。


 四組の教室の前を通りかかり、ふと中を覗く。


 その姿を、今の私が逃すはずがなかった。


「……春彦」


 春彦は、電気も付けない薄暗い教室の中で、本を読んでいた。


 その横顔は見慣れているようで、しかし見たことのない表情のような気がした。


 私の胸は、高鳴っていた。


 中学時代、私は常に待つ側だった。私はお弁当の箱を受け取るという名目で、春彦の部活が終わるのを待っていた。 


 それはどこか、事務的だった。晴彦のお弁当を作ることすら、自分の意思ではなかったのかもしれない。


 教室の扉に手をかける。もしかしたら、たまたま本を読みたくなっただけかもしれない。


 ありもしない可能性。本を読むにしても、学校に残っている必要はない。


 ドアを開ける音に呼応して、春彦がこちらを向く。私を確認すると、本をぱたりと閉じた。


「終わったのか?結構早いな」


「……待っててくれたの?」


 私は、ドアから春彦に近づけなかった。心臓の鼓動が強すぎて、進むことが出来ない。


「まあな。一人で帰るのも、なんだか味気ないしな」


 そうして笑った顔を見ると、心臓が収縮したような心地がした。


 春彦が、私を、待っててくれていたのだ。


 その事実は、私の心の一部分に、決定的な亀裂を入れた。


「さて、じゃあ帰るか」


 春彦は本を鞄に仕舞う。


「その本、借りてきたの?」


「ああ。風華が図書室にいた。適当にオススメを借りてきたんだ」


 そう言えば、風華は図書委員だった。進んで立候補したのを、担任の先生は驚いていた。


 しかし、風華、と呼び捨てにしたことが、私の胸に多少の落ち着きと、どす黒い何かを生んだ。彼女を呼び捨てで呼ぶのは、私のクラスでも私と茉莉だけだ。


「仲直りしたんだ」


 私が聞くと、春彦は私の気持ちを読めずに笑う。


「明日音が悪い男に騙されると思ったんだとさ」


 春彦は苦笑しながら、鞄を手にとった。私の視線など通じていないかのように。


 さ、行こうぜ。私の教室に寄り、鞄を取って、そして並ぶ、いつもの距離

感。


「部活、どうだった?」


「うん、みんないい人たちだった。来週はクッキー作るって」


「おお、お菓子は初めてだな。俺に分、取っといてくれる?」


「うん、それは大丈夫。一杯作って、皆に配るんだって」 


 いつもの距離に、いつもの会話。


 今までは、これで十分だった。だけど。


――足りない。これでは、満たされない。


 私の中の獣が吠える。


 もっと、春彦の近くに行きたい。体温を、匂いを感じたい。触れたい。触られたい。


 身体の芯が疼くような欲求に、ひたすら耐える。まるで中毒症状のよう。


「大丈夫か?熱でもあるのか?」


 私の異変に気づいたのだろう。春彦が私のおでこに手を当てる。


 それだけで、私の細胞が歓喜に震えるようだった。


「春彦じゃないんだし、大丈夫だよ」


 顔が赤くなっているのが分かる。きっと人生で初めてだ。


「確かに、風邪は俺のが多いけど……。気をつけろよ?」


 うん、と答えると、離れてしまう手のひら。


 満たされない。しかし、満たされていた昨日よりも、余りある充実感。


 なんなのだこれは。もしかしたら。もしかしたら。


 これが、『恋』か。


「ねえ、春彦。私のお弁当ってさ、どう?」


 私が聞くと、なんだ、今更だな、と彼は笑った。どうやら私は、三年間お弁当の評価を聞いたことがなかったらしい。


「いつも美味いよ。助かってる」


 サンキューな、と彼が私に笑いかけると、胸が暖かくなる。


 無駄なことは、一つも無かった。


 何年間だろう。私が気付いていなかったのは。中学から?それとも、もっと前から?


 心の中では、私が知らなかった何かがきちんと育っていたのだ。


 いつの間にか、バス停についていた。何を話したのかも覚えていないし、何も話さなかったのかもしれない。


「結構混んでんな」


 五時過ぎのバスは、主婦やサラリーマン、学生などで混み合ってしまう。

座ることなどままならない。電車よりはマシだが、人の波に押され、流される。


「もうちょい詰めれるか?」


「んー……」


 私たちの後続も多かった。人ごみは苦手だ。見知らぬ他人の服が密着するのは、気持ちのいいものじゃない。


 余りに食べ過ぎたバスの所為で、私には掴むべき場所が無かった。


 キョロキョロと周囲を見渡す私に気付いて、春彦が私の腕をつかみ、引き寄せる。


「腕でも掴んでろよ」


 とは言いつつも、もう既に私の顔は春彦の胸に埋められている。


 心臓の音が、高鳴る。顔を、上げられない。


 私たちは、これが普通だったのだろうか。呼吸をするたびに、満足感が肺に流れ込んでくる、


 こんな状況が長く続けば、どうなるか分かったものじゃない。精神に異常をきたすかもしれない。


 顔を動かせば、服の上からでも春彦の筋肉の感触がする。これは、不味い。何がまずいのかよく分からない位、まずい。思いながらも身体全体を春彦に押し付けて、言われた通りに控えめに晴彦の腕を掴んでいる。


 これまた、長いようで短い時間だった。会話はなかった。ただ、私は満たされた分、とても疲労していた。


「大丈夫か?人混み苦手だったしな。気分悪いならどこかで休むか?」


「ううん……、大丈夫」


 頬が赤いのは、きっとバレてはいないだろう。


 数年分一気に成長した心に、身体が戸惑っている。そんなちぐはぐな気分。


 こんなことをして、春彦はなんとも思わないのだろうか。


 バスから降りて息を整えがてら、そんな事を思う。


 降りてから、少し惜しかったと思う自分もいたりして、気持ちは一様に纏まらない。


 再び歩き出す先は、いつもと変わらないようで、少しだけ違う風景。


「……どうした?」


「えっ、何が?」


 春彦が私の顔を覗き込む。その視線を直視することは

今の心拍数では難しかった。


「いや、なんか……」


 そうしてわかる、立ち位置。私は春彦から半歩引いた場所を歩いている。いつもは真横にいて、腕が擦れるほど近いのに。


 今はその距離に、並べない。


「き、気にしないで。具合悪いとかじゃないから。ちょっと、次の部活に関して考え事してたから」


「そか。吹奏楽よりは楽しそうだな」


 晴彦はまるで我が事のように喜んでくれる。


 その笑顔が私の胸を猛烈に締め付ける。先ほどとは全く違う鼓動が私を襲う。


「吹奏楽も結構、楽しかったけどな」


 息を吐くのもやっとな感じで、この言葉を捻り出した。


「そうか?俺はあんまり乗り気じゃないように思えたけどな」


 中学時代は、部活動に参加しなければならない学校だった。


 吹奏楽を選んだのはなんとなくだ。フルートを担当した。練習はそこそこ楽しかった。しかし、私は大衆の前で何かを披露する、ということに余りに向いていないという事に気付いたのだった。


 達成感も何も得られなかった中学の吹奏楽は、ただ春彦を待つ時間にフルートを吹いていたのだと、今更ながらに思う。


 春彦の方が、私のことをよく見ている。それは、私を喜ばせ、そして次の言葉に困らせた。


「春彦は、なんで中学はバスケ部だったの?」


 彼は小学校まではサッカーを好んでいた。バスケットボールをしていた記憶は余りない。


「そりゃまあ、俺だってちょっとは女子にモテたかったからな。サッカーとか、野球は女子の部無かっただろ?」


「何それ。そんな理由?」


「まーな。実際、中学の時に付き合った女子は女バスの子だったしな」


 また、胸の痛みが私を襲う。


 さっきから、まるで拷問のように私の心臓は何かに苛まれる。これが数年、事実に気づかなかった罰とでも言うかのように。


「そ、そう……」


 もう終わったこと。しかし、確実に私の知らない春彦を、私以外の女子が見ていた期間があって。


 その事実が無性に、私の心臓へ針を刺すのだった。


 何かを聞こうか。そう迷っているうちに、いつの間にか二人の家の境に到着していた。


「部活のことあるんなら、今日は勉強やめとくか?」


「ううん。別に、大丈夫。中間もすぐ来るし、やろ」


 何故か私は必死だった。


「中間が直ぐって。まだ二週間以上あるぜ?」


「初めてのテストなんだから、気合入れないと」


「初っ端からそんな難しいのは出ないと思うけどね」


 今の状態で家に帰ったら、姉と母になんと言われるかわかったものではない。この熱を、せめて隠し通せる程度に冷ましてから行かなければ。 


 春彦の家は、いつもと同じように私を迎え入れてくれた。嗅ぎなれた畳の臭いに少しだけ、火照りが収まる。


 何時ものようにお茶を淹れて、お菓子を摘んで、居間へと。


 そして何時ものように、二人共勉強を始める。が。


 気になる。何が気になるのかわからないが、春彦を見てしまうのをやめられない。


「なんだ?わからないとことかあるのか?」


「えっ、ううん、大丈夫」


 わからないことなど山ほどあるが、少なくともこのテキストの内容じゃない。

「……春彦はさ。私以外の人と、その、キス、した?」


 言ってしまってから、口を塞ぐ。私は何を聞いているのだ。


 だが、取り繕う気にはならない。知りたい。知らなければならない。


 私以外が、春彦とそういうことを、そういう関係で、したのかを。


「中学の時か?いや、別にしなかったな。なーんか色々合わなくてさ」


 取り立てて大事なことではないように春彦は言うが、私には一大事だったのだ。


 シャープペンシルを持つ手は、さっきから一向に動いていない。


「そ、そっか」


 あからさまに明るく、安堵した声が出たことに自分の愚かさを感じる。


「キス位なら、男とでもやろうと思えばできるけどな、俺は」


 春彦はそう言って笑った。昔から、そういうことに抵抗がない男子だった。


『キスは明日音だけにしなさい』と、大昔に私の母が春彦に注意していた事

実を思い出した。


「じゃあ、私にもできる?」


「勿論」


 期待がなかった訳じゃない。でも、それは不意打ちだった。


 長方形のテーブル。斜め向かいに座る春彦の顔が、瞬時に大きくなって、

消える。


「――」


 言葉にできなかった。


 私の唇の、本当に真横。


 一センチでもずれてしまえば唇と唇が触れ合うような場所に、春彦の唇が優しく押し当てられた。


 それは、きっと一秒くらいの間。離れる瞬間に互いの鼻が擦れる。異常な

ほどに熱を持った頬が、名残惜しいと冷めていく。


「風邪引いた時の看病の、お礼のチューだな」


 春彦はどこか嬉しそうに笑っていた。


「そ、その話は、言わない、で」


 動転していた。どうしていいのか分からず、ただ心臓だけが相変わらず単純に喜んでいる。頬の筋肉が瞬時にして蕩けていくのを感じる。


「全く、もう。いきなりなんだから」


「悪い悪い。ま、キス位ならお安い御用、ってこと」


「軽薄な男は嫌われるよ?」


「勿論、誰にでも気安くするってことはねーよ。明日音は特別だ」


 ダメだ。もう、耐えられない。


「じゃ、私お茶お替り淹れてくるけど、いる?」


 おー、いるいる。のんびりとした声を聞きながら、私は素早く立ち上がり、台所へと。


 居間との境界線を引いたとき、私の足と腰は力を失って、ゆっくりと崩れ落ちた。


 頬を、手でなぞる。ここに、確かに、触れた。


 キス。


 それ自体は、きっと大昔に沢山してきたのだろう。しかし、それはノーカ

ウントだ。


「……ファースト、キス……?」


 だらしなくニヤける頬。きっとそれは、私がまだ誰にも見せたことのない顔。きっと自分でも見たことはない。


 嬉しい。


 今までは嬉しくもなんともなかった言葉が、胸に染みる。


 今までは辛くもなんともなかったことが、胸に痛い。


「これが、恋……?」


 何のこともない今日この日。私は、幼馴染に恋をしていたことに気づいたのかもしれなかった。

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