カレーがどう作っても美味しい理由
紆余曲折、というのは余りに多すぎる犠牲を払い、バスは予定の地へと到着した。
時間は午後二時。
山奥でもないその場所は、少し歩けばスーパーや二十四時間のコンビニもあり、キャンプというには些か雰囲気に欠ける。アメリカなどでは本当の森や、山でキャンプをしているのをテレビや映画で見たことがある。
まあだいたい、その後に何者かに殺されてしまうのだけれど。
大抵の人間がキャンプにかこつけて飲んだりはしゃいだりしたいだけなのだから、日本ではこういう場所が好まれるのかもしれない。
「言っちゃなんだが、これも商売だからな」
パンフで顔を仰ぎながら、晴彦が言う。その紙には、大自然がなんとか、と書かれている。それがこの場所の売りのようだ。
しかし、やはりそれは所詮、『人が住むのに適した大自然』である。本物の大自然では、私たちなど淘汰されて然るべきだろう。
住みやすいように整然としたキャンプ場に、立派な二つのコテージ。近くには足を浸して涼むにはいい、人工的な小川が流れている。水道の代わりにもなるらしい。小さな魚が泳いでいる、澄んだ川だ。街中では見ることもできない。
「世知辛いこと言わない」
私がそう言って晴彦の脇腹をつねる。ぜい肉がほとんどない、たくましい身体付き。私の身体とは大違いだ。
「へいへい。じゃあ、俺はテント設営の手伝いでもしてるわ」
保護者団はコテージに自分たちの荷物を下ろしていく。男性と女性で決め事もある。まあ、大人なので揉めることはないだろう。女性が好きに決めていいと、男性の保護者の大半はテントを立てていた。
「私たちは料理をしに来たわけであって、テントを立てに来たわけではないしな。女らしさも料理の秘訣だ」
回復の兆しを見せた綾瀬副部長が言う。
「それは、なんかちょっと言い訳っぽくない?」
「実際、私のお父さんが張り切っちゃってるだけですからね。なまじちょっと齧ってる分、素人には任せられん、なんて言い出しちゃったんですよ」
玄人ぶりたいんですよね。と、中々に辛辣な評価をする春風部長だった。
「いいだろ、用意してくれるんだし。ほら、私たちは施設の人に説明を聞くよ」
一応、学業の一貫、ということで、正式に従業員の人が施設の説明をしてくれる。私たちも生徒らしく纏まって挨拶をする。
施設は、確かにそんなに広くはない。
駐車場を進めば従業員詰め所があり、従業員さんはここで働く。もちろん、ルームサービスなどはない。客数の管理と後片付け、清掃や自然管理などが仕事らしい。そこで受付をして、施設内に入る。
混浴の温泉があるため、盗撮や、歩いて森を突っ切り、不法に温泉に浸かりに来る人がいるのだそうだ。無論、この温泉はこの施設の一部であり、同じく貸切である。
外にある調理場は、炊飯器など勿論ない。私たちはその雑然とした調理場に戸惑いを隠せない。
調理場と言っても、石でできた広めの流しがあるだけだ。同時に四人は作業ができるだろう。
「これ、ご飯とかどうやって炊くの?」
当然の質問が飛び交う。
「これです!」
春風部長が、飯盒を見せる。
「薪は基本割られてますけど、希望すれば鉈をお貸しすることもできますよ」
そう話す女性従業員の方の腕は、私たちとは別次元の筋肉をしていた。
「いえ、薪でお願いします」
先輩が言うと、どこからともなく笑いが起きる。
「丸太だったら、晴彦くんの出番だね」
「唯一の男手だもんねぇ」
私をチラチラ見ながら、先輩がそう呟く。どうやら、バスで少し近づいてた場面を見られたらしい。
「はいはい!晴彦くんはゲストなんですから、そんなことさせません!それより、薪を使って調理するなんて初めてでしょう?皆さん、気をつけてくださいね」
「汚しても、掃除しますから気にしないでくださいね」
「ああは言って下さってるが、なるべく綺麗に使うように」
詰め所から見える、少し離れたところにキャンプ場が有る。ここは芝生になっていて、寝転んでも心地がいい。
さらに奥には、やや高い大地にコテージが二つ並び、その横に温泉へと続く上りの細道がある。
道は森、というか、山の奥へと続いているが、小さな灯りが夜には灯る。山道というわけでもなく、小さいが歩きやすく整備されている。二人ならんで歩くのが精一杯だ。
調理場は詰め所の裏手にある。トラブルが多いから近くにあるのだろう。小川はコテージとキャンプ場を隔てるように流れている。
「さあ、合宿の始まりです!」
飯盒を持って気合を入れる春風部長。
「私、合宿って奴を舐めてた。ごめん皆、私本気で行くから」
「私だって、あれを飲むのはゴメンだし。申し訳ないけど、勝たせてもらうよ」
当然のように殺気立つ部員たち。
「あ、あれ?みんなで楽しく、合宿は?」
あんなものを用意しておいて、楽しい合宿になると、部長は本当に思っているのだろうか。
「ほら、萌々果ちゃんも!」
そう言って綾瀬副部長に救いを求めるが。
「悪い春風……。私も、今回ばかりは本気で調理させてもらう」
副部長が甘えを捨てる。
「そ、そんな……。萌々果ちゃんが不良に……?」
口に手を当てて悲しみを現わにする部長。
くじ引きは、バスの中でなんとかこなした。くじを引くだけの作業なのに、半数の人間は苦しみに似た声を上げていた。私もその一人だ。
「いいじゃんいいじゃん。料理研究部の合宿っぽくなってきたね」
本格的なチームの対立に、あれを飲んでいない部員が士気を高める。無敗で生き残るつもりなのだろうが、そうはいかない。
「春風のチームを最低でも一回は最下位にするよ!コテージで優雅に寝るのは私らだ!」
副部長、彩瀬萌々果率いるAチーム。Aは彩瀬のAなのか。精鋭六人が勝鬨を上げる。
「むむむ……。私だって、普通の料理、いえ、美味しい料理を作れるんですから!負けませんよ!」
「そうそう、こっちは笑顔が最強のスパイスなんだからね!」
「それって、料理対決捨ててない……?」
戸惑いとやる気が混じる、五十嵐春風率いるBチーム。昔から愛嬌のあるチームは二番手を務めるのだとか。料理で勝負する気があるのかないのか。
「甘い甘い。こっちには毎朝弁当を作る主婦がいんだからね!?」
「そうそう、普通の高校生とは経験値が違うよ」
「え、ええぇ……?」
そして、何故か私率いるCチーム。
「ほら代表!なんか一言!」
同級生が私の背中を押す。
「えーと……。まあ、あれは飲みたくないので。手は抜きません」
よーし、よく言った!そう先輩が拍手をしてくれる。なんだか複雑な気分。
「よし、じゃあ早速作戦会議と準備を――」
寝床の準備を終えて、午後三時。早くも私たちは、本日の食事の準備をはじめようとする。
飯盒でお米を炊くのは初めてだし、余裕は確かに欲しい。ご飯が台無しなら敗北は必至だ。
「あ、それでですが、本日の夕飯『カレー』については、細かな条件があります」
急に春風部長が素に戻ったような口調になる。それに釣られて、副部長も副部長らしい顔つきに。
「カレーと言っても様々だ。ビーフ、チキン、ポーク。カツカレー、シーフードカレー、グリーンカレー、スープカレー。これらすべてを認める。しかし、カレーチャーハンなんかはダメだ」
「スープカレーなんか作れるかってーの」
笑いが起きる。私たちが作れるのは、ただの『カレー』だ。そのカレーの意味が、個人によって多種多様なのは認める。
私の家のカレーと、晴彦の家のカレー、そして、私が作るカレーの味は、似ているようで違うから。
「今回はですね、色んなスパイスを適当に選んだので部員の皆さんは使ってもいいし使わなくてもいい、のですよ」
「本格派が受けるか、家庭的なのが高評価なのかは、審査員のみぞ知ることだしな」
「まどろっこしいね。何が言いたいのさ?」
そう先輩が声を上げると、彩瀬副部長がにやりと笑う。
「調味料があるからと言って、後で『これをかけるのが正しい食べ方』というのは無しだ。スパイスなどは、全て前もって先にいれること」
「私はよくわかりませんが、ソースとかマヨネーズを入れる人もいるみたいです。そういうのは、最初からカレーにかけて出して下さい、ということです」
私は入れないが、通常そう言うものは個人の裁量でトッピングするものだ。
しかし、今回はその裁量すら私たちに一任されている。
「そう言うのも含めて、甘口か辛口か。スパイスを使うか否か。よく話し合って決めるといい」
「なーんか、本格的に勝負、って感じ?」
皆、どこか楽しそうだ。
いつもは何かを競うなんてことは無かった。失敗を笑い、いい意味で試行錯誤し、それを食べて経験にする。
今日はその発表会でもある。
「ちょっと、わくわくしてきたかも」
罰ゲームにあれを飲む、ということを抜きにすれば、その非現実感に心が踊るのは無理もない。
「食材はどこにあんの?」
「バスからお父さんたちが下ろしてくれます。いろいろありますが、肉や魚などの生ものはスーパーで買ってきて下さいね」
持ち込まれているものは、白米、野菜、果物、調味料や香辛料の類。それと飲み物である。
料理番組のように、高級食材はない。あえて挙げるなら、香辛料などがそれにあたるだろう。
「チームに一人担当する人を指定して、その人にお金を渡す。買い物は料理対決五戦全部、その予算内で収めること」
「料理は余さないように作ってもらえるといいですが、多すぎた場合は最後のバーベキューで食べるか、従業員さんのご飯になります」
作る料理の相談、決定。
それから買い物、下ごしらえ、調理。今回はカレー班と白米班に分かれることになるだろう。
「夕食は六時半。あと四時間の猶予がある」
それでは、と部長が前置きを述べる。
「料理研究部の料理対決、これよりスタートです!」
その高らかな宣言とともに、私たちの合宿が本格始動し始める。