合宿が厳しい理由Ⅱ
「ではここで、我が料理研究部の合宿の対決ルールを説明しましょう!」
その一。
部員は三つのチームに分かれ、朝、昼、晩の三回料理対決をする。
「チーム分けは、クジでやります」
春風部長が小さな箱を持ち出す。手を入れて引くタイプのクジだ。無駄に可愛い装飾がある。
「チームの異動は認めない。一度決めたら合宿中はずっと同じチームだ。とはいえ、最後の昼食はみんなで楽しくバーベキューでもやろう、ってことになった」
用意した食材を余らせるのもなんだしな、と副部長は言う。
「今日の昼食は移動中に取りますから、料理対決は実質、今日の夕飯からの五回ですね」
「対決ったって、どうやって勝ち負け決めるのさ」
「料理勝負は、どのチームも同じものを作ってもらいます。今日の夕飯のメニューは『カレー』の予定です。それで、審査員が一番美味しいと思ったチームが勝ち。他の二チームは負けです」
「審査員は誰がやるの?」
「審査員は、保護者会の皆様全員と、飛び入り参加の高瀬晴彦くんにやってもらおうと思います」
おお、と晴彦に視線が注がれる。
「全票数十一票。同数になった場合はその二チームで再判定。これで勝負がつく」
「今日の夜は一発勝負ですが、明日は三回の結果でコテージに止まる権利を賭けることになりますね」
はい、とまた誰かが挙手をする。
「負けたら何かペナルティ?」
「いえ、寝る場所がコテージからテントになるだけです。それに、私の家にあるいいテントを選びましたので、あまりペナルティという感じではないと思います」
「不便な点とすれば、トイレくらいだな。外部のも清潔に保たれているが、一つしかない。外で泊まる人の方が多くなるから、早めに行っておくのがいいだろう」
テントも寝袋も、春風部長の家のものを貸してくれるようだ。
「お父さんが趣味で買って、お母さんに怒られたものなので、大事に使ってくださいね」
部長がそう言うと、笑いが巻き起こる。
「晴彦くんは何処に寝るの?」
私ではない、先輩の声がした。
「晴彦くんは男子なので、特別に一人用のテントを準備しました。早くに言って貰えたお陰で、その点もバッチリですよ!晴彦くんのお世話は明日音ちゃんに一任しますので、そのへんは責任もってくださいね」
部長の言い回しに、私は身が縮こまる思いだった。だが、晴彦は楽しそうに笑っていた。
「その他の時間は自由行動ですが、料理の下準備をするもよし、遊歩道を歩いて風景を楽しむもよし。温泉に入るのもよし、です」
温泉に関しては、保護者会の人たちも興味があるし、晴彦も使わなければならないので、私たちは指定された時間に入るように、とのことだ。
「一応、簡易的な脱衣場がある。猿が出る報告はあるが、まあ大丈夫だろう」
つまりは、他の時間は実質的に混浴――。
そんなからかいの視線が私に飛んでくる前に、春風部長が切り出す。
「でもですねぇ、やっぱり負けてペナルティ無し、っていうのは、どうかと思うんですよねぇ」
料理研究部一同が、固まる。
多少の勝負事はあれど、この程度なら楽しい合宿になる。そのはずだったのである。運動部のような厳しいものではなく、青春の一ページとして記憶に残る合宿に。
その幻想が今、皆の心の中から崩れ落ちた、
「というわけで、春風ドリンクEXです!」
勢いよく春風部長が出したペットボトル。
「……なにあれ、コンクリ?」
晴彦がそう言い放つ。
誰もが息を飲み込む程、凶悪な液体、らしきものが、ペットボトルに詰まっていた。
色は白。何かを濾したような不気味な白濁に、粒のような物体が蠢くように漂っている。
「今までは即席でしたけど、今回は少し試行錯誤する時間がありましたし、熟成させることもできました。更に、今回のはなんと、体にいいものを沢山使ったんですよ!」
「いつものようであれだが、今回も食えないものは使ってない。漢方とかに手を出していたのが少し不安だがな……」
気休めのようなその言葉は、もはやどんな効果もない。
試行錯誤。熟成。部長の口から出る、普通ならば料理を美味しくさせるための言葉は、真逆の意味になる。
「負けたチームは、これを――」
春風部長が得意げに説明している最中。
「……それさ、春風のチームが負けたら、春風も飲むんだよね?」
鶴の一声がした。
「……え?」
部長の表情が固まる。バス内がざわつく。
「そう言えば、春風がそれ食べたり、飲んだりしたことってないよね」
「確かに。なんか、『自分が食べると思うと加減しちゃうから』とかって、安全圏に居たり……」
「そもそも、今までのやつも春風だけがわかる目印とかがされてたのかも……」
「え?あの……」
春風部長が、当然の事実に固まる。イカサマをしていたわけではないだろうが、自分の作った『それ』を、自分が飲むという考えは、きっといつものようになかったのだろう。
「当然、春風も飲むぞ」
「ちょっ、萌々果ちゃん!?」
狼狽える部長。しかし、副部長のその一言で、この合宿は血も涙もない、美味いものを作った者だけが生き残る、戦場、いや、地獄と化した。
今まで幾多の地獄を乗り越えし、料理研究部部員が目を光らせる。
あれに何度殺されたことか。この世は正に生き地獄。苦しみ、嗚咽し、むせび泣き、次の夕食まで味が残る。
一度食ったら忘れえぬ、あの味。
恨み、晴らさでおくべきか。
「み、皆さん、何だか目が怖いですよ……?
この世に生者はただ一人。あの輩に、生死を彷徨う味、教えん。
「料理研究部第二回!大貧民頂上決戦ー!!」
イエーイ!と皆の声が揃う。
ちなみに、私も数回部長特製物質を食べたが、亡者になるほどではない。まだ、ではあるが。
「お、なんだ、ゲームか?」
「罰ゲーム付きのね……」
二十人でやるのは多いため、三チームに分けていつもやっている。予選で最後に残った貧民、大貧民が決勝進出。予選も決勝も、大貧民のみが罰ゲームである。都合のいいことに、チーム分けの道具は揃っている。
「むむ、いいでしょう!受けて立ちます!」
「私は遠慮したいんだが……」
やる気の春風部長とは違い、早々あれを飲む機会を避けたい綾瀬副部長。
「主催者同罪!強制連行!」
「わかったわかった……。じゃあ、チームわけしようか」
「なになにー?ゲームするなら私も混ぜてくれない?」
「姉さは保護者枠でしょ?」
小夜姉さんが、大人と話をするのが飽きたのか、こちらに混ざってくる。
「私だってまだ遊びたい盛の大学生だし?それに、妹の癖に生意気なこと言ってると、この写真ばら蒔いちゃうんだから」
姉さんがそうして携帯を取り出すと、直ぐに私の携帯にメールが届く。
届いたメールには、いつぞやの、晴彦が風邪をひいた時に、晴彦のお母さんに激写された、私と晴彦が一緒に寝ている写真が添付されていた。
「……混ざりたいなら、混ざれば」
これは、世の中に出してはいけないものだ。
「気になる気になる!明日音のお姉さん、どんな写真なんですか?」
先輩方が、姉さんに興味を示す。皮肉なことに、実の妹でなければ、あれはいい姉に見えるのだ。
「小夜でいいわよー。明日音と晴くんの、子どもの頃の写真よ」
わぁ、見たいみたい!と声が上がる。
「へぇ、俺もちょっと見たいな」
「ダメ」
「え?なんで?」
晴彦が変な声を上げる。私は素早く携帯を閉じる。
皆は勘違いしているのだ。子どもの頃、というニュアンスで、幼稚園とか小学校低学年だとか。そのくらいの写真を皆は思い描いているだろう。
しかし、子ども、というのは、姉さんからして、という意味であり、この写真が取られたのはたった二ヶ月前。
一緒のベッドで寝ている男女の生々しい写真。
こんなものを、世に出すわけにはいかないのだ。携帯の画像フォルダの、奥底に沈んでいなければならないものだ。
「そうねえ、明日音が最下位なら、公開ってのはどう?」
「よっしゃ、やる気出てきたー!」
気合を入れ直す先輩方とは正反対の方向で、私も気合が入る。
「姉さんが最下位なら、それ消してよね」
「いいわよ?最下位なら、ね」
「じゃあ、チーム分け始めますよー。まずAチームから!」
そうして、料理研究部の合宿第一幕。総勢二十二人。地獄の大貧民が始まる。