私と姉が疎遠な理由
「消えたい……」
私は一人、屈みこんで線香花火に火をつける。
花火は好きかどうかと言われれば、まあ嫌いじゃない。私の世界には、そんな『嫌いじゃない』ものが一杯ある。
線香花火は僅かな輝きを放って、やがて地に落ちる。
この落ちる一瞬、落ちたあとの暗闇。線香花火の真価とは、花火の遊び方そのものにある。
皆で騒ぐわけじゃなく、ひっそりと、穏やかに咲いて、そして散る。
そして願わくば、私もこの花火のように散ってしまいたい。そう思わずにはいられない。
夕食の喧嘩を、晴彦に見られた。見られた、というより、晴彦の前でやっていた。
私が姉さんに酷い言葉を容赦なく吐いているのを、晴彦に見られたのだ。
「幻滅したかな……」
あんな私がいるなんて、私でさえ知らなかった。
あの激情。恨み辛み、心のどす黒さ。相手を侮蔑するための感情。優越感。保守的思想。独占欲。
晴彦を奪われたら、私は、ああなるのだ。
あんな私を晴彦が好きになるはずがない。
それもこれも、皆姉さんの所為――。
「うう……!」
首を振って、そのどす黒い心を追い払う。だが、それは知らぬ間に私の心の奥底まで入り込んでいる。
「何唸ってんのよ」
姉さんが私の傍にしゃがみこんできた。手にはなぜかねずみ花火と蛇花火を持っている。
もう、言い合いをする気力はなかった。てっきり晴彦のところに行くのだと思っていた。
「……姉さんの所為でしょ」
「何が私の所為よ。さっきも散々、『晴彦は私の』だとか、『晴彦は私の手料理が好き』だとか惚気けてた癖に」
「……私、そんなこと言ってた?」
線香花火が地に落ちる。
「言ってた」
何を言葉にしたのか、実のところよく覚えてはいない。あんなに悪口を口にしたは人生で初めてだ。
「……花火の煙って吸い過ぎると記憶が飛んだりしない?」
姉さんが線香花火に火を付ける。
「酒で記憶飛んだ経験ないからわからないけど。死ぬ一歩手前まで行けば飛ぶんじゃない?」
オススメはしないけど、と言う間に、姉さんの線香花火がすぐ地に落ちる。まるで姉さんを映し出すのを拒否するように。
「線香花火って嫌い。地味だし、動けないのが苦痛だし、面白くない」
そう言いつつも、もう一度線香花火に火を付ける。
「私は姉さんが嫌い。私より頭が良くて、私より綺麗で。いつも違う男の人を侍らせて、態度も大きくて」
先程のような悪口とは、少し違う言葉。今は冷静に、瞳を見ずにも冷静に口にできる。悪意は、たぶん、ない。
「私より断然男子に人気があるのに、私が唯一持ってるものも奪おうとするところも」
私の線香花火が落ちる。もう一本、線香花火を取る。
姉さんと私の動きは、ただそれだけ。煙から逃げるように、私たちは小さくなる。
「私は明日音が嫌いだった。子どもの頃からずっと晴くんと一緒で。私が彼氏と送りたかった学校生活を苦もなく過ごしてさ」
私がどんなに苦労して彼氏ゲットしてたかとか、知らないでしょ。
そう、姉さんは言った。
「苦労なんかしてないでしょ。男の方から寄ってくるんだし」
「してるわよ、苦労。化粧だってそうだし、実際会うときは猫被るし。努力してないのは明日音でしょ。化粧なんかしなくても、晴彦くんと一緒に居れるくせに」
返す言葉が、花火の音でかき消される。
確かについ先日まで。私は、晴彦と一緒にいる為の努力を全くしていなかった。
一緒にいるのが当たり前で、それがずっと続くのだろうと思っていた。そうではないと気づいたのは、つい最近のことだ。
「でもさぁ、ようやく、あんたも努力し始めたんだなって。部屋には化粧品、女性向けの雑誌、クローゼットには新しい洋服。勝負下着っぽい奴とか」
「……勝手に開けたの?」
姉さんは悪びれず、舌を出した。
「まあ、いいけど」
怒る気にもなれなかった。
「胸のサイズはまだまだ私のほうが勝ってるね」
「……そのうち育つからいい」
「晴くんに揉んでもらうの?」
下世話な話も、どうやら得意になっているようだ。
「その、晴くん、っていうの止めない?」
「年上っぽくていいでしょ?」
「なんかちょっと、イラッとする」
「じゃあ、やめなーい」
その口調に、私が先に吹き出す。何というか、姉らしい。
それを見て、姉さんも笑う。
二人の線香花火は、もうとっくに輝きを失っていた。
「ほら、花火」
姉さんが次の線香花火を渡してくれる。それを受け取る。頼りない紐は、引っ張れば容易く切れそうだ。
「何か、姉さんの話ししてよ。私の近況は知ってるんでしょ」
私は、姉さんの話を知らない。母さんから聞く姉さんの話は、いつも同じで耳に残らない。
「そうねえ、じゃあ、高校時代に二股かけられた話から」
「姉さんを二股?凄い男子だね」
「これが最低だと思わないでね。一杯あるんだから」
噎せそうになる火薬の臭いの中、私と姉さんは、本当に言葉通り。生まれて初めて笑いあった。