早川家の仲がいい理由Ⅲ
高瀬家の庭の方が広いので、我が家の庭に移動する。広いといっても、自由に動き回れる程ではないのだけれど。
蝋燭を蝋で固定して、水を入れたバケツを用意して。
「ほらほら、しゃきしゃき働きなさいよー」
「やっぱりこういうのは男子の仕事よね」
なにげにうきうきしている主婦二人とは違い、小夜さんと明日音は完全に我に返ったのか表情は暗い。
早くもっと暗くなってくれ、とでも思っているような姿を、朧げな光がはっきりと映し出している。
明日音とは、まだ話していない。何を話すべきかも思いつかないし、俺が傍にいて解決するような問題でもない、と思ってしまっている自分がいる。
あの明日音の姿に怖気付いている、ということはないと信じたい。
「おお、懐かしい感覚ー」
母さんが両手に花火を持ってはしゃぐ。黄緑色の光と、火薬の匂い。巻き上がる煙。
鼻の奥に刺すような匂いは、子供の頃の記憶を呼び覚ます。記憶の奥底で、明日音と一緒にはしゃぐ俺が居た。
その明日音は、一人寂しく線香花火を持って、俺たちに背を向けていた。
何故か、小夜さんがその様子を気にしている。
「気になるかしら?」
奈美さんが静かに光を湛えて笑っていた。
「まあ、それなりには」
俺も適当な花火を選ぶ。なんとか七変化。点火すると赤い火花が散る。瞬時に顔を変える花火は、同じ表情をずっと見ていることはできない。
それぞれの輝きが、煙を伴って周囲を覆う。明日音も、小夜さんの姿も見えなくなる。
「晴彦くんは、私の家庭ってどう思う?」
奈美さんの花火が早くも消える。
「どうって……。仲のいい家族だと思いますけど」
そう答えると、奈美さんが小さく自嘲気味な笑い顔をする。そんな表情は初めて見た。
「あれ見てもそう言える?小夜と明日音は仲良く見える?」
「それは……」
俺が口ごもると、奈美さんが笑いながら別の花火に火をつけた。
「ちょっと意地悪だったか。でもね、これが我が家の形。皆私を介してしか繋がってないの」
自業自得なんだけどね、と紗奈さんは笑う。
「私はさあ、大学まで行って、結局子どもが出来て就職できなくて。だから、今修司さんが無茶な単身赴任も断れず引き受けて、今はずっと離れ離れ。そんなだからさ、子育てはちゃんとしようって思うじゃない。それでね、小夜と明日音をさ、目一杯可愛がろうって決めたの」
我が家に、こんなに綺麗な裏物語はあるのだろうか。そう思えるほど、奈美さんの顔は憂いを帯びていた。
「小夜は元から美形だった。だからさ、それをひたすら伸ばしてあげて。子供の頃から化粧教えて、肌も綺麗に整えて。そしたら、妙に背伸びして大人になっちゃってさ。同い年なんか子どもと一緒、みたいなマセガキになっちゃって」
育て方を間違ったわけではないだろう。あの美貌は、奈美さんが小夜さんを思ったからこそ。
「そんなだから年下とか小夜は興味なくてね。明日音にも興味なかったし、遊んであげたりもしなかった。明日音にはもうその時、晴彦くんいたしね。晴彦くんに優しくしてたのは、明日音の面倒見てくれるからだったんだよね」
そして、それがずっと続いて、今みたいな姉妹の出来上がりってわけ。
また奈美さんの花火が消える。俺の花火もとっくに消えていたが、新しい花火に火をつける気はしなかった。
母さんが一人はしゃいで、煙幕を作ってくれている。もしかしたら、それは母さんの気配りなのかもしれない。
「明日音は明日音で、小夜みたいなすごいとこはなかったけど、晴彦くんにべったりで。というか、男は晴彦くんしか興味なくて。お父さんのとこに行って、写メでも撮ってこなきゃ、明日音は実の父親の顔忘れちゃうんだから」
そう言えば、明日音が母さんが未だに父とラブラブな写真を見せてくると、明日音が愚痴っていたことがあった。
あれはそういう思惑があるのだと初めて知った。奈美さんが努力をして、家族を繋げているのだ。
「なんか、すいません……」
とにかく謝ると、奈美さんは笑ってくれる。
「いいのよ。小夜を貰うにしても、明日音を貰うにしても、晴彦くんはお父さんに頭下げに来なきゃいけないんだから」
意地悪そうな表情を奈美さんは見せた。
未来の俺はさぞかし苦悩するだろう。もしかしたら俺が聞いていい話ではなかったのかもしれない。
話を戻すわね、と奈美さんが続ける。
「小夜が誰かと付き合ったり別れたりしたのは、まあ十中八九、明日音と晴彦くんの所為。二人は小学校低学年からラブラブだったし。それに、小夜にも自分が美人だっていうプライドも、姉としてのプライドもあった。晴彦くん以上に、自分を思ってくれる人を探して、探して。そうしてるうちに、今の歳になって。晴彦くんもそのうちわかるけど、四歳の年の差なんてね、私たちからすれば無いのと一緒なのよ。小夜もそれに気づいたのね」
「だから、俺を、ってことですか?」
「さあね。でも、小夜も全く知らない人とすぐ付き合うなんて馬鹿じゃないし。それにほら、今だって何もしてこないでしょ?」
確かに。明日音が自滅している今、俺は一人である。奈美さんは、娘の恋路の邪魔はしないだろう。それが妹の幼馴染だとしても。
では、小夜さんは何故、あんなことをしたのか。
「……まさか、明日音と仲良くなりたい、とか?」
今、小夜さんが気にしているのは、俺より明日音。そして、先程の喧嘩も。
正解、と言いたげに、奈美さんは笑った。
「不器用な姉よねぇ。生まれてこの方、姉として何一つしてなくて。妹は妹で、姉を全く必要としてなくて。でも、姉妹だからこそ、女だからこそ分かり合えることって、少ないじゃない?」
「俺は出汁に使われたわけですか」
小夜さんと明日音の、話すきっかけに俺が使われたのだ。小夜さんが俺を好きだということはなく、ただ明日音と会話をするためのでまかせ。
「そうでもしないと、話も出来ないのよ。随分喧嘩腰だったけどね」
あれが、数年振りの姉妹の会話なのだ。
「それにしても、なんで今なんでしょうか?」
煙の向こうで、二人は何をしているのか。それを探りに行くのは、野暮な気がした。
「さあね。案外晴彦くんのことは本気かもしれないわよ?」
「冗談が過ぎますよ」
奈美さんの笑顔に付き合いながらも、俺は煙の向こうの姉妹を思う。
綺麗に開けた夜空は、会話にはもってこいの煌きを放っていた。
俺はなんとなく花火を手に取り、煙幕を張る作業に加わった。