早川家の仲がいい理由Ⅱ
「晴くん何食べる?」
小夜さんが慣れた手つきで小皿を取り、俺の分を取り分けてくれる。流石、大人の女性というところか。
「男の子だから一杯食べるよね」
取り敢えずサラダから、と小夜さんは小皿にサラダを取り分ける。
「あ――」
と、俺が声を出す前に、明日音が凛とした声を出す。
「晴彦はトマト嫌いだから」
空気が凍えた。
奈美さんはお構いなしに穏やかな笑顔を浮かべ、母さんは笑いを必死で堪えている。
生贄どころか、俺は見世物だ。殺されることなく、ただ生かされる。
「そっかぁ。じゃあ、私が食べてあげるね」
大人の余裕を見せつけて小夜さんがサラダを取り分けてくれた。が、その笑顔が少し怖い。
「ありがとうございます……」
「トマトは体にいいけど、確かに好き嫌い多いもんね」
「はぁ、そうですね」
綺麗に盛られたサラダは、素材の味がしっかりとしてとても美味しかったのだが、気分は最後の晩餐に近かった。
「あら、奈美さん、これ美味しいわね」
「不味いなんて言わせないわよー?」
母二人は楽しそうである。
「晴くんは何が好きなの?」
お見合いのテンプレートのような質問。
「私の手料理全般」
明日音の言葉に、両端から、おお、という驚嘆の声が上がる。
引き攣る小夜さんの横で、明日音が怖い表情でひたすらに食を進めていた。
俺の顔が引き攣る。
「あらー、私の手料理でごめんねー」
と、奈美さんが笑う。い、いえ、と返すのが精一杯だった。
「姉さんは手料理どころか掃除もまともにできないもんね。結婚とか、まだ早いんじゃない?」
「私だってやろうと思えばそれくらいできるわよ?他に色々やることがあるからやらないだけ」
「へぇ?男の人を漁るのに忙しいんだ」
「ちょっと、そういう言い方なくない?」
こうして話している二人の何が恐ろしいかというと、二人は決して視線を合わせないのだ。
小夜さんが優しげな瞳で、明日音が冷めた目で俺を見ながら会話をしている。
明日音が誰かを侮辱するような事を言うのは、きっと初めてだと思う。
普段怒らない奴が怒ると怖いと良く言うが、まさにそれだ。
「漁ってる割には、長く続かないよね。男の人じゃなくて、姉さんに問題あるんじゃない?」
「はい、晴くん、あーん」
明日音を完全に無視して、からあげを俺に差し出す小夜さん。
しかし、その箸が俺に届くことはなく。
乾いた音と共に、唐揚げが宙を舞い、音を立てて俺の傍に飛んできていた。
明日音が、手でそれを払ったのだ。唐揚げの衣がとても美味しそうに弾けた。
それと同時に、小夜さんの中の何かも弾けた。
「邪魔しないでくれる!?」
小夜さんが明日音の方を向く。明日音も俺に見せたことのない牙を剥き出しにする。
「邪魔してるのは姉さんでしょ!?何よ、こんな手の込んだことしちゃって!」
「別にいいじゃない、手が込んでたって!あんたまだ晴くんと付き合ってるわけじゃないんでしょ!?じゃあ何しようが私の自由じゃない!」
小夜さんが立ち上がり、明日音を見下す。
明日音が机を叩き、呼応するように立ち上がる。唐揚げが揺れた。
「確かにまだそういうことはしてないけど、晴彦は私のだから!姉さんにはあげないもん!」
「はあー?何勝手に言ってるの?付き合ってもないのに私のものなんて、束縛激しすぎなんですけど。そんな女、将来性ないね。お嫁さんより先にストーカーにでもなるんじゃない?」
「姉さんは結婚できるかどうかも怪しいけどね。それかバツイチ?あ、イチじゃ足りないか」
眼前で繰り広げられる、笑顔の決戦。
正直恐ろしいが、それを言葉に差すことはもっと恐ろしい。
さらに言い合いを続ける二人。その発言は過激さを増し、普段なら決して言わないような言葉も、悪態も、小夜さんに釣られるかのように明日音の口から出ていく。
幻滅した、などということはないが、やはり明日音も言わないだけで、色々なことを思い、考えているのだということを再認識した気分だった。
しかし、何というか、である。
俺の目の前で俺の話をされるというのは、なんとも落ち着かないような――。
「……ん?」
俺は二人を眺めるようにしてみる。
俺のことを話しているのに、二人は決して俺の方を向かない。俺を意識している、という風でもないのだ。
「はい、勿体無い。どうぞ」
奈美さんが俺の取り皿へ、先程小夜さんが落とした唐揚げをいれてくれる。
「あ、ありがとうございます。あ、あの……」
「二人のことでしょ。いいわよ、放っておきましょ」
「しかし、晴彦がこんなにモテるとはねぇ」
母さんは遠慮なく料理を口にしながらそう言う。
「別にそんなんじゃないって」
「よく言うじゃない、余裕のある男はモテるってさ。晴彦くんは下手したら大人より余裕あるからね」
「それは明日音ちゃんのお陰でしょ」
「もういいから。それより、二人止めなくていいんですか?」
俺がひっそりと奈美さんに聞くと、笑顔のまま頷かれた。
「いーのいーの。ささ、食べましょ。腕を振るったのよ?」
やがて二人の言い合いは奈美さんの鶴の声で終わった。が、奈美さんは止めるタイミングを見計らっていたのか、その時にはもう二人も正気に返る寸前であった。
何かしら奈美さんに考えがあるような気はするが、それがなにかはわからない。奈美さんのポーカーフェイスは、小夜さんの無邪気な表情や、明日音の無表情に勝る。親子なのだな、と思う。
二人とも、むすりと口を結ばせて、料理を食べていた。不思議と、気まずさはなかった。奈美さんと母さんがいる手前、といったところだろうか。
食後のデザートは、見た目も綺麗なオレンジゼリーだった。これは手作りではなく、母さんが今日買いに行ってきたものだという。
「大人にもご褒美は必要だものね」
奈美さんが笑ってそれを用意してくれる。
確かに美味しかったが、相変わらず二人の様子は犬と猿。どっちが猿かという話題でまた燃料を投下しそうだったので、下手な言葉はかけれなかった。
「そうそう、花火も買ってきたんだ。夏と言ったらこれでしょ!」
母さんが袋一杯の花火を出す。
「いいわねぇ!久々にやりましょうか!」
ノリノリの奈美さん。二人の権力者には逆らえず、全員参加で花火大会に。