普通の兄弟の仲が悪い理由Ⅱ
「女心ってのはよくわからんな。そう思わないか?」
「それ、私に言うことか?」
終業式が終わり、クラス代表で片付けをしていたときのことだ。
俺は茉莉に話しかける、
茉莉と風華との関係は相変わらずだ。良き明日音の友人というだけではなく、女友達という付き合い方に変わっているだけ。
「私も一応女だぞ?」
「いや、でも女心って、茉莉わかるか?」
「いや、さっぱりだな。明日音や風華が何考えてんのかなんて、私には想像もつかないな」
茉莉は相変わらず陽気なクラスの人気者。こういった行事の手伝いなんかも、嬉々としてやってくれる。
その笑顔は裏がなく、単純に親しみが持てる。女としての魅力を備えながら、女としての視線を集めない茉莉はかなり奇妙な人間の部類に入るだろう。
皆なんとなく、父親、または母親気分で接してしまうのだ。
「茉莉んとのは、兄弟たくさんいるんだっけ?」
「そうだな。弟が二人、妹が二人だ。毎日騒いでばっか」
二人並んでモップをかける。困ったように笑う茉莉は、しかし姉の顔をしていた。
「当然、兄弟で喧嘩なんかもするんだろ?」
「そりゃあするさ。日常茶飯事って奴?」
「それってさ、どうやって仲直りするもんだ?」
意外、と人はいうが、茉莉は兄弟で一番年上になる。知り合ってみれば、意外でもなんでもない。茉莉は見た目以上にしっかりしているし、世話焼きな面もある。
勉強ができないので世話を焼かれがちだ。が、それは家庭で甘えられない分、他の所で甘えているのかもしれない。
「そーだねー。多くは私が仲裁に入ったりとか?自然と仲直りするってのはあんまないんだよ。時間が経てば別だけど。仲が悪いってのはさ、伝染るんだよ。だから、て早く仲直りさせないと、いつまで経っても治らないからな」
「一日で仲直りってのは、中々ないよな?」
難しい顔をして、茉莉が唸る。
「ないねー。早くても三日か四日、少し間を開けないと冷静になれないしね」
「茉莉の場合も含めて?」
俺がからかうように言うと、茉莉は笑う。屈託ない笑顔は、相変わらず茉莉の魅力の一つだ。
「まあね。でもほら、私が折れないとさ。下の子たちも私を見習ってくるわけだしね」
「お姉ちゃんしてるじゃないか」
「やめろよ。何か恥ずかしいだろ」
そう言って茉莉が顔を染める。
それがなんだか面白くて、その後徹底的にからかっていたところ。
「何してんの?さっさと教室戻るわよ」
風華が怪訝な瞳で俺たちを見ていた。
「ほ、ほら、さっさと片付ける!」
つい『お姉ちゃん』な自分を見せ、さらに赤くなる茉莉。
「……浮気?」
「違うって。茉莉も成長してるんだなってこと」
「よくわからないけど、発言がオヤジ臭い」
「それは手厳しいことで……」
風華も相変わらずだ。
中間、期末と学年で一位の点数を叩き出し、我が学年で一の才女の立ち位置を確かにしている。
だがその反面、美術、音楽、更には字が汚いなど、特有の欠点を顕にさせ、当初あった刺はだいぶ本数が少なくなって、クラスにも馴染んでいる。
「で、なにか悩みでも?」
「一人っ子にはわからん悩みさ」
「何よ、あんたも一人っ子でしょ」
「だから茉莉に聞いてるんだろ?」
俺と茉莉はモップを片付ける。全生徒が勢ぞろいしていた体育館は、今はもぬけの殻だ。
「風華は両親と喧嘩とかしないだろ?」
小野風華は俺と同じ一人っ子だ。喧嘩をする相手は親くらいしかいない。印象的に、風華は喧嘩を避ける印象があった。
「まあしないけど。でも、母さんは兄弟喧嘩とか強いわよ」
「あのほんわかした、お母さんが!?」
茉莉さえ驚く。
風華の母さんは、信じられないほどマイペース。人畜無害という名を体現した、優しい人だ。
勉強会の他にも、五人で遊ぶ際には小野家をよく利用している。
「ええ。怒ってもあの調子だけど。家の母さんの世代は、それこそ無駄に兄弟とか多いのよね。だから、よく喧嘩みたいな話し声は聞こえるけど」
大人同士の喧嘩の声。それは子供にはあまりよろしくないのではないか、と思うのも束の間。
「でも、大抵が母さんに毒気抜かれて負けるわね。あれで長女だから、娘ながらに驚きよね」
「でも、風華はあの母さんに似ても似つかないよな」
茉莉の遠慮ない言葉。風華は顔色ひとつ変えない。事実ではある。この母と子は、似ていない。
「あれが遺伝したら問題でしょ。遺伝子も空気読んでまともになったのよ」
「確かに、親子でああだったら、親父さんが大変そうだな」
「事実、大変そうだけどね。ほら、戻るわよ」
そして、俺たちの夏休みは、その日の放課後からもう始まる。
「晴彦くん、これ、夏休み中の日程だから」
先程掃除した体育館が、男女バスケ部に早速汚されていく。軽やかな足取りが響く中、部長の嶋村和樹部長が、俺にプリントを渡す。
事細かな練習の日にち。考え抜かれた休日。見かけとは裏腹に、細かいことを好むらしい。
「部活、本気で寺籠もりなんですね」
「まあね。精神修行はすべての基礎だし。そういうところから始めようかなって」
俺は幽霊部員。参加してもいいし、しなくてもいい。興味があるかないかといえば、少しだけある。
「そう言えば、先輩って兄弟います?」
今日、終始明日音は上機嫌。そして俺の謎は深まるばかり。
何度目かの質問。嶋村先輩のことに、興味があったのもある。
「……いるけど?」
しかし、柔和な笑顔が固まった。それはどこか恐ろしく、俺を威圧しているようでもあった。
「先輩!これから――」
練習の指示を仰ぐために、後輩がやってくる。
「うん?」
しかし、その張り付いた笑顔に足を止める。
「……いつものメニューでやっておきます!」
「そう、よろしく」
その威圧感に部員が去っていく。何か地雷を踏んだような気がした。まだ生きているだけ、地雷よりマシだが。
「僕の、姉妹の話だっけ?」
「え、ええ……」
どうやら、姉妹がいるようだ。
「僕には姉一人と、妹が一人いるんだけど……」
先輩の笑った顔に、真面目な瞳がとても怖かった。
「彼女らはね、悪魔だよ。こっちが部活で疲れているの関係なし。やれ何を買ってこいだの、汗臭いだの、掃除しろだの、皿と風呂を洗えとか、言いたい放題。扱いも酷いもんだよ。家に安息の場所がある人は幸せだと心から思うね」
語調は本気だった。まるで女房に尻に敷かれている旦那のよう。
「合宿が一週間あるのって、まさか……」
「そうだよ。家になるべく帰りたくないから。僕がバスケ上手くなったのも、家に帰らずに練習してたから。まあ、その分嫌味も言われたけどね」
「そ、そうですか……。ちなみに喧嘩なんてのは」
「現在進行形で。早く大学に行って、一人暮らしをして、あの二人と縁を切るのが目標なんだ」
「が、頑張って下さい」
そう言うと、いつもどおりの嶋村先輩の笑顔が戻ってくる。
「ありがとう!全国大会に行けば、推薦も貰いやすくなるし。頑張るよ!」
どうやら先輩がバスケ部を改革したかったのには、根深い問題があるようだった。
そして、明日音と帰る帰り道。
頭痛はもうなくなっていて、少しの気だるさが残るのみだ。
日が長い七月は夕暮れが遠く、未だに山の向こうから日光がしつこく熱線を送ってくる。近くに木々はないはずなのに、車の鳴き声に紛れて蝉の声が聞こえた。
「料理研究部の合宿は、七月後半だって」
この合宿には、何故か俺も誘われている。俺の決断を待つような視線を感じる。
「んー、本当に俺が行ってもいいのか?」
「大丈夫。コテージのあるとこで、監視役で何人か先輩の親御さんも来るし。男手があったほうが助かるんだよ」
まあ、理屈はわかる。
「しかし、俺はその二泊三日で何をしろっていうんだ」
料理研究部の合宿など、何をするのか俺には見当もつかない。
「それは私だってわかんないよ。ずっと料理してる訳じゃないだろうから、何かしら考えてると思うんだけど」
それにほら、と明日音は続ける。
「綺麗な川もあるし。ほら、海はダメでもそれなら大丈夫でしょ?」
ここまで俺を積極的に誘う明日音は久しぶりだ。
「んー、まあ、良い思い出作りにはなるか」
多少思うことはある。が、男共と山で精神を鍛える一週間と、幼馴染と二泊三日の旅行。それを天秤にかけた時、たいていの男は後者に傾く。俺も例外ではない。
「じゃあ、決まりね!」
言葉を弾ませる、という風に、明日音は歩く足取りを跳ねさせる。本当に珍しい。小夜さんが来て、少し感情的になった、というか、感情的になれた、ということなのだろうか。心なしか、歩く距離はいつもより近い。
「しかし、酒はもう勘弁だな。大人になってからも飲む機会はなさそうだ」
言うと、明日音は足を止めた。
賛同してくると思っていた。明日音も酒が嫌いだと思っていたのだ。が。
「そ、そこまでしなくてもいいんじゃないかな」
思いの他、明日音は俺に諭してきた。
「まだ未成年だから弱いだけで、二十になったらもう少し強くなるって。恭子さんも慣れたらちょっとだけ飲めるようになったらしいし。れ、練習なら、ほら、私が付き合うから」
それはどこか必死さが伺えたが、なぜなのかは全くわからなかった。
「まあ、大学生になれば飲む機会も増えるだろうし、飲めるに越したことはないけど……」
とは言っても、母さんも缶酎ハイ二本が限界なわけで。その血筋の俺が特訓をしても、たかが知れているような気はした。
「ま、酒乱の一族の端くれと一緒にいるには、少し位の特訓が必要なのかもな」
「そ、そうっ、いう、こと……」
明日音の表情は、夏の暑さで解れたのか今日はよく変わる。それは見ていて楽しいものがある。
酒を飲めるまであと四年。それは長いようにも、短いような気もした。だが、相変わらず隣には明日音がいる映像が見えるのは変わらない。
「それにしても、暑くなってきたな」
ずいぶん前から気温は鰻上りで、夜には下がっていたのがそうでもなくなり。
虫や動物は、今が盛りだとでも言うかのように暴れまわる。
「夏休みなんだから、当然だよ」
炎天下のコンクリートを踏む俺たちの姿は、きっと去年とは少し違うように見えるのだろう。
触れるか触れないかの位置でぶらついているお互いの手が、そう告げていた。