普通の兄弟の仲が悪い理由
「あー……」
頭が痛い。風邪で寒気がするときのような衝撃的な痛みではない。内部から軽く疼くような痛みだ。
「んだよ、明日から夏休みだってのに。また風邪か?」
終業式。午前の授業を受け、午後に式をすれば、晴れて一学期は終わり。誰もが待ちわびる夏休み。
今日は学校中の誰もが。それこそ、教師さえも浮かれた心地で授業をしていた。
無論、生徒も集中力に欠け、教師もそれを仕方なしとして、適当に授業をしている。
「違うが、ちょっと頭が痛い」
昨日の件で、人生で初めて二日酔いというものを経験した。酒を飲んだわけではない。しかし、遺伝的に酒に弱いと分かっていても、匂いだけで酔うとは、自分が情けなかった。
「夏休みに体調崩すなんて勿体無いぞ。ああ、放課後にバスケ部のスケジュール表配られるからな。体育館に来いよ?」
最後の授業を前にした休み時間。八割の人間がもう夏休み中である。
「わかってる。けど、流石に合宿まではついていかないからな」
バスケ部は、一週間くらい山に篭るらしい。誇張ではなく、現実に山の奥にある寺で、精神修行をするらしい。
「全く、バスケ三昧かと思ったら山で坊主ごっこだ。気が滅入るぜ」
バスケ部部長は予想道理、嶋村先輩になった。何というか、先輩らしいストイックな合宿になりそうだ。
「お前にはぴったりだな。滝に打たれてこいよ」
「滝に負けないシュートを打つ練習とかねえかな?」
「お前はシュートに何を求めてんだよ」
机に寝かせていた頭を起こすと、鈍痛が襲う。深く息を吸い込み、吐き出すと少し柔らぐ。
「おいおい、大丈夫かよ」
「そのうち良くなる。それより、裕翔って兄弟いるよな?」
「お?おお、兄貴と妹の三兄弟だな」
裕翔の家は皆スポーツマン。兄は大学で野球をし、妹は中学でサッカーをしているらしい。
「兄弟で喧嘩ってするか?」
当然の質問に、裕翔も躊躇いなく話す。
「おお、やるやる。特に兄貴と妹は、野球中継とサッカー中継でしょっちゅう喧嘩してるぜ」
バスケの試合はあんまりやってないからな、と裕翔は笑う。どうやら以外にも、裕翔は兄弟喧嘩をしないほうらしい。
「その兄貴と妹は、翌日にはすぐ仲直り?」
「んなわけねーだろ。下手すりゃ一ヶ月は続くぜ?野球とサッカーってのは犬猿の仲なのかね。飯が不味くなるったらないぜ」
「その間、ずっと機嫌悪いのか?」
「当たり前だろ?喧嘩してんのに機嫌よかったら気味悪いぜ」
怪訝な表情を浮かべる裕翔に、だよな、と答えておく。
「晴彦は兄弟いないって言ってたよな。なんでそんなことを聞くんだ?」
「いや、したことないから、気になってな」
「兄弟なんていいことばっかじゃないぜ。まあ、皆でトレーニングとかすんのは楽しいけどな」
なんだかんだで、兄弟仲は良さそうだ。裕翔も満更でもないという顔をした。
最後の授業を告げる鐘の音と、相変わらずやる気のない教師の声がした。
昨日の最後の記憶は、小夜さんに抱きしめられているところで途絶えている。
起きたのは夜の十一時過ぎ。その頃には母さんも同様に二日酔いの頭痛に耐えていた。
「なに、あんたも飲んだの?」
「飲んでない、と思うんだけど……。記憶がない」
「奈美がいたんなら大丈夫だと思うけど。匂いで酔うなんて、昔の父さんみたい」
「今もさして変わんないだろ」
「今はビール一杯くらい飲めるわよ」
そうして鈍痛に疲れて寝て。起きれば、今までで一番最低な朝。
「休む?一日早い夏休みでもいいじゃない」
母さんは朝にはだいぶ回復しているようだった。流石に、たまの二連休を酒で潰す気はなかったようだ。
「いや、荷物もあるし。顔出すとこもあるから」
頭は痛いが、学校に行けないほどではなかった。
「お早うございます」
明日音が来た。
「そう言えば、昨日小夜さんと喧嘩したんだよな……」
どんな言葉をかけていいのか迷う内、明日音はリビングに上がってくる。
「おはよう、晴彦」
「おはよう……」
明日音の様子は、いつもと変わらなかった。
「はい、これお弁当」
「ああ、サンキュー」
「具合悪いの?学校休む?」
明日音が俺の様子を見て、そう呟く。
その様子は、いつもと変わりない。
「行くってさ。明日音ちゃん、見ててやって。ちょっとふらつくから」
学校へ向かう通学路。
たまに来る鈍痛と、気だるさを払拭するように足を動かす。
横を歩く明日音はいつもどおり。いや、それどころかいつも以上に機嫌が良かった。
明日音が小さく鼻歌を歌う時は、俺が知る限りではかなり機嫌がいい。
何かいいことがあったのだろうか。
いや、そんなはずはない。だって、昨日小夜さんと言い合いの喧嘩をしたばかりだ。
家に帰ってから仲直りしたというのだろうか。いや、それにしては上機嫌すぎるような気がした。
十中八九、小夜さんと何かあったのだろうが、それを尋ねると期限を損ねるような印象しかない。昨日の明日音の声は、今までに聞いたことがないほど怒りを含んでいた。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
機嫌がいいなら、それに越したことはない。そう思い、何があったのかは聞かないでおいた。