俺の悪友がやる気な理由Ⅱ
俺たちは一心不乱に駆け回る。ボールを追い、相手の進路を塞ぎ、相手の先を読み、シュートを撃つ。
「ハッ!」
息を吐くと同時に、裕翔が駆ける。
その速さは流石だ。姿勢も低く、ボールを奪いにくい。むしろ、裕翔自身がボールのよう。それでいて小回りも利くのだから厄介だ。その分スタミナも使うが、それは基礎訓練で十分に補っている。
抜かされて、シュートを打たれる。
これで四点差。
「どーよ?」
流石に俺も裕翔も長い言葉を吐く余裕はなくなりつつある。
「まだまだ」
体力は流石に劣っている。が、まだ喰らい付けるじゃあないか。そう脳に言い聞かせる。
まだ四点差。
ボールを受け取り、今度は俺が攻める。
何度かボールを交わして、裕翔の強みと、そして対策を見つけ出す。
裕翔に対して、俺はゆっくりと間合いを詰める。
油断はできない。異常なほどの反応速度はもはや反射といってもいい。
だが、裕翔には変化がない。
更にはっきりと言ってしまえば、裕翔はシュートの精度がそれほど高くない。
相手を抜いて、確実に得点する。それが裕翔の必勝法。
「――!」
緩急をつけろ。変化をつけろ。反射を惑わせろ。呼吸を悟られるな。酸素を供給しながら息を殺せ。
久々の無茶な要望に、脳はしかしきっちりと応える。
スリーポイントラインからのシュートは、きっちりとそこに収まる。
「やるねぇ」
これで一点差。裕翔は嬉しそうに笑った。
「まだまだ。もうちょっとすればブランクも埋まりそうだ」
俺たちの時間は続く。
そして、やがて当然のように俺に限界が来る。
「あー、やめやめ!!」
もう呼吸を整える力もない。ばたりと地面に倒れこむ。
空は夕日を映して赤く、月と星が輝き始めていた。
「これで十点差だな」
悠々とボールをゴールに入れ、裕翔が勝利を呟く。
当然の結末だったが、勝つことは難しかった。
そもそも、あのスピードで動いて、今まで持つ体力が驚異的だった。
裕翔のパフォーマンスは一向に衰えることがなく、常にフルスピード、フルパワー。
対する俺は、少しづつ劣化していく。
「むしろ十点差は俺の勝ちでもいいんじゃないか?」
「いやいや、勝負は勝負。俺の勝ち」
大人気ないやつだとも思ったが、こんなことを言い出す俺もまだ子供だな、と自分で思う。
久々に空っぽになった気分だった。吐く息が粗く、身体が酸素と水分と、休養を求めている。
何も考えることのできない頭に、夕空はやけに綺麗に映った。
「勝者の義務として、何か飲み物を買ってきてくれ」
「なんだそりゃ。普通逆だろ」
あれだけ動いたというのに、裕翔はまだ走ることができるようだ。姿は見えないが、軽快な足音が聞こえる。
「それに、ジュースはもう用意してくれてるみたいだぜ?」
「誰がだよ?」
ふと思い、俺が身体を起こす。
「はい、これ」
するといつの間にか明日音が二本のスポーツドリンクを持って其処にいた。
「ああ、悪いな……」
俺の視線に何かを感じたのか、明日音は少しだけ俺を見つめた。
「何?はい、これ佐々木くんの分」
明日音が裕翔にも同じペットボトルを渡す。
「お、サンキュー!」
景気よくそれを受け取り、一口飲む裕翔。
俺もそれに習い、一口。
口の中に伝わる味、身体に浸透する水分。運動後の水分というのは、全世界共通、いや、きっと全生物共通でその美味さを分かち合える。
「カァー、美味いッ!」
大袈裟でもないが、ストレートにそれを表現する裕翔。
「っていうか、明日音は何時から居た?」
「私?結構前から居たけど」
「え、そうなの?集中してて気付かなかったなぁ」
胡散臭い裕翔の言葉遣いと表情。これは絶対に気がついていて、敢えて試合を止めなかったのだ。
「お前……」
「何?どうしたの?」
明日音が不安げに俺を見る。
「いや、明日音が来るまで、って条件だったからな」
そうなんだ、と明日音はきょとんとした瞳で俺を見ていた。
「いいじゃん、遅かれ早かれ、お前の負けだったんだし」
確かに、スコアで俺が裕翔を一点でも上回ったことはない。のだが。
「バカ言え。それだったらもう少し余裕で終われたわ」
今の俺は、家に帰ることすら苦労しそうなほどバテていた。
「リハビリだよ、リハビリ」
なんのだよ、と小さく言葉にすると、バスケのだよ、と裕翔が答えた。
実は、今バスケ部は一年と二年、っつーか、三年が抜けて、色々揉めてんだよ」
なんとなくわかっていた。
恐らく、三年が実質、下級生のメニューを決めていたのだろう。それは一種の支配であり、上級生による独裁である。
「でもな、今の一年にも、二年にも、正直言って三年より上手い人は一杯いたわけよ。でも、今回の大会は皆補欠で、それであのザマなわけだ」
今の二年も、理不尽ながらもそれに耐え、そしてついに自分たちが支配層になる番が来た。
「言っちまうと、今のままの制度で練習するか、皆で話し合って一から決めるか、って感じだな。それを、今度試合で決めることになったんだ」
「へぇ、面白いじゃないか」
派閥争いである。
従来のままで、二年後に確実に甘い汁を吸いたい派と、実力主義的な派閥の闘争。
バスケの揉め事は、バスケで決める。
至極真っ当な解決方法であるように思える。
「だがな、俺らの革命軍は戦力的に乏しくてな……」
何事も一から始めるというのは大変なものだ。劣勢にあるのは仕方ないだろう。
「一年の大半も、二年に脅されて保守派に回っちまった。で、ちと助っ人を呼ぼうかと思ってな」
「……おい、まさか」
話の流れがきな臭くなってきた。
「そのまさか。協力してくんねえかなぁ!頼むよ!」
「試合に必要な人数がいない訳じゃないんだろ?それに、部外者の俺が試合に出ていいのかよ?」
「人数は足りてる。でも、全員が実力者な訳じゃないんだよ。俺は、今回の試合、絶対に勝ちたいんだ。だって、俺らまだ体力作りしかしてないんだぜ?」
裕翔曰く、一年はずっと体力作りを中心にさせられ、ボールに触れる練習はないのだという。ほぼ全員が中学でバスケ部であり、皆ある程度の技術はあるそうなのだが。
「体力は確かに大事だが、それは二年だって同じだろ。学年で練習内容が違うのは、俺は納得いかない」
「でも、部外者の俺が出ることは認められないんじゃないか?」
「大丈夫だって。あいつら、一年の顔なんて覚えちゃいないから。しれっと混ざってれば気付かれないって」
「スポーツマン的にどうなんだ?それは……」
「勝負は時に非情ってな。今回は勝ちに拘る」
裕翔は本気のようだ。
俺は疲れたように息を吐く。
どうするべきか。出てやってもいい気持ちはあるが、関わりたくない気持ちもある。
「……言っておくが、負けても俺を恨むなよ」
裕翔は、不敵な瞳で俺を見た。
「勿論。その方法でチームが強いってんならそれでいい。俺はもっとチームを強くするための手段を提示するだけだ」
なんだか、こいつはバスケットに関してだけは、やたらと賢く、頼もしく見える。
「わかったよ。協力してやる」
俺が言うと、裕翔は笑った。思えば、こいつが普通に笑うのは久々かもしれない。今更ながらにそう思う。
「悪いな。試合は一週間後。期末試験前の、部活がある最後の日だ」
「分かった。しかし、運動もたまにはいいもんだな」
ここまで身体を動かしたのは本当に久しぶりだ。自分の体が、もう動かないと悲鳴を上げ、同時に次こそは、と復讐の声を上げる。
次こそは、耐えてみせる。
内部からの恨みがましい声が、心地良かった。
「お?バスケ部入る気になったか?」
「たまには、って言ったろうが」
運動はいいのだが、今の裕翔たちのような派閥争いの中にいるのはごめんだ。
俺がバスケ部に在籍していたのなら、裕翔に付かずに、保守派の意見を支持したかもしれなかった。
「じゃ、俺は先帰るから。明日音ちゃん、後はよろしくー」
裕翔は、意気揚々とした足取りで帰っていく。思いついたようにバスケットボールを跳ねさせながら歩く後ろ姿は、いかにも馬鹿なバスケットマン。
「体力バカめ……」
俺はまだ立ち上がる気力もなく、その背中をただただ見続けるだけだった。
「大丈夫?もう少し休む?」
明日音が俺の様子を見て言葉をかける。見るからに限界なのだろう。
「ああ、まだ家に帰る体力さえ回復してねー」
嘘だ。
足は確かに悲鳴を上げているが、歩けないほどではない。
体力だって、家に帰るくらい程度はあるはずだ。
だが、俺は久々に空っぽの瞳でみる夕暮れを、もう少し味わっていたかった。
「バスケットしてる晴彦みるのも、久しぶりだね」
「一年ちょっとか。まだ腕は落ちてなかったろ?」
ふふ、と上機嫌に明日音は笑う。
「そうだね、落ちてるのは体力だけ」
「勉強ばっかもアレだし、ランニングでも始めるかな」
思えば、明日音とこうして夕日を見るのは久しぶりなのかもしれない。
何時も一緒にいるような気がするけれど、俺たちが二人でやれることには、やっぱり限りがあって。
「いいことだと思うよ。勉強ばかりじゃ、やっぱね」
そう言って俺の隣に並ぶ明日音は、いつもより優しく微笑んでいるような気がした。
「……明日音もやるか?」
俺が言うと、うう、と少し固まった後、明日音は苦笑いする。
「私はいいよ。ほら、運動音痴だし」
「それも少しは解消するかもしれないだろ?」
こんなに広い世界で、俺の隣に明日音がいる。そんな些細なことを、俺はとても大事なことのように思ったのだった。