急接近が気にならない理由
寒さの増した十月の末。いつものように料理研究部は家庭科室に屯している。何かを作るときもあるけれど、何もないときはただ話をして終わり。次の大きなイベントはクリスマスと正月になるが、流石にそこまで部活動というのも味気ない。
私的にパーティを開く人もいるけれど、決して強制参加ではない。冬休みは流石に合宿もないので、料理の腕を磨くのは日々の研鑽ということになる。
「部としての大きなイベントは、あとはバレンタインデーかな」
二月十四日。女子が男子にチョコを配るという奇妙なイベントは、良くも悪くも学校という社会の中では重要なイベントの一つになっている。
「男子生徒全員分手作りとかでもする?」
「何人分作ればいいのよ……。それより一個百円で売ったほうが良くない?」
「それじゃあ有り難みがないんじゃないでしょうか?」
一年も二年も、一緒になって企画を考える。
無論学校行事ではないので、部活の時間にやることになる。二時間の間で出来
ることはそんなに多くはない。
まだ先のこと。更に言えば、チョコなど一から作るには手間がかかるし、結局市販のものを湯煎で溶かして形を作るだけ。
料理としては、面白みに欠ける。
私はそう思い、真面目に議論には加わらない。そもそも、井戸端会議のような今日の様子では何も決まりはしないことを、半年の経験から悟っていた。
「明日音ちゃん」
春風部長も部活の日には勿論来ている。文化祭のあの事件は一般には広まっていない。心の内はどうなのかわからないが、見た目ではいつもの春風部長のように思える。
「あの、晴彦くんの様子はどうでしょうか?」
どこかよそよそしい態度で聞いてくる。部長も部長なりに、変な責任を負わせてしまったことを後悔しているのかもしれない。
萌々香先輩も何事もなかったかのようにバレンタインの企画に応答している。
「萌々香ちゃんから有りましたけど、別に恋人になる云々はどうにでもなるんですからね?」
最悪警察呼びますし。春風先輩もどこか軽い口調でいう。
「一年で生徒会長立候補とか、結構話題になってるよねぇ」
生徒会長というのがあまり人気もないのか、立候補者は二人。
二年の浜松章先輩と一年二組小野風華の二人のみ。
長谷川美紅先輩と光陽先輩も立候補はしているが、それぞれ書記と副会長。
晴彦を含め三人が普通の委員として立候補していた。それで全員。
重複することもなく、結果的に争うのは生徒会長の二人だけという形になった。
あの腰巾着だった人はあと一人いたはずだったのだけれど、やはり元生徒会長のやり方に不信を抱いたのか、それとも元々そうだったのか。生徒会に立候補することはなかった。
「つっても、うちの生徒会長なんてやったとこで内申的にもさしてプラスじゃないしね」
他に人がいなければ自動的に決まる。どうやらうちの生徒会というのはその程度のもののようである。
「生徒会も美紅と光陽くんのおかげでちょっと見直されつつあるにはあるけど」
淡々と準備するだけではなく、何かを『楽しくやろう』という姿勢において、美紅先輩は周囲から絶大な信頼を寄せられているらしい。
「で、どうなの?その風華って子。勝てそうなの?」
「勝てるか勝てないかで言えば、多分勝てるとは思いますけど……」
「頭いいらしいしねぇ」
「カリスマって奴?」
春風部長の件もあってか、こっちに話題に参加する人も少なくない。
「じゃあ、二人で打ち合わせとかやってるの?浮気とか大丈夫かー?」
先輩方が私をニヤニヤと見るのだけれど。
「いえ、それは多分ないかと……」
私が言うと、先輩方は瞳を合わせる。
「おや、晴彦くんに近づく女子には鬼のように厳しかった明日音が珍しい」
「……私、そんなでした?」
呆れたような瞳を返すとしかし、皆真剣みのある顔で頷いていた。そうだっただろうか。まあ確かに、一時期晴彦が風華を好きになるかもしれないと思っていたときは確かにあった。
「明日音は晴彦くんのことに関してはわかりやすいからね」
どうやら露骨に心配そうな顔か、嫌そうな顔をしているらしい。自覚はない。
「まあ、それは置いておいて。なんというか二人共、とりあえずぶっつけ本番で行くって言ってました」
「ぶっつけ本番って……。まあ、選挙前のスピーチしかないか」
選挙とは言っても、別段何があるわけでもない。
そもそもイベントの多い二学期、学業が疎かになってはいけない。そのため、生徒会選挙というのは実質一日で終了する。
体育館で意気込みを語るスピーチがあり、その場で用紙に丸を書いて提出して終わり。教師が開封して翌日に発表される。新生徒会長は二学期終業式に挨拶をするのが初仕事である。
「全校生徒の前で話すのは、緊張するよね」
確かにそうだ。それに、普通であれば何回かは練習もするものだろう。しかし、二人はそういった練習や、打ち合わせなどもしないという。無論、選挙に関して他の活動もしない。
「あの二人、緊張感とかそういうの、あんまりないんですよね」
「確かに、晴彦くんは緊張しなさそう」
女子に囲まれていてものほほんとして、決して自分のペースを崩さない晴彦。風華も同じだ。そういう意味ではあの二人は似ている。根っこが同じなのだ。
「それはいいけど、あの菊池の奴が何かしてこないか不安よね」
「何かって?」
春風部長の瞳が揺れる。
「どうにかして票を操作しようとか思ってんじゃない?お金出してさ」
「流石にそこまでしますかねぇ」
春風先輩自身も、その考えには懐疑的だ。
「あの人はな」
そこで話を遮ったのは萌々香副部長。皆、いつの間にかこちらの話に耳を傾けていた。
「才能はあるが人望はなく、また人を見る目もない。あの二年の彼も、ただあの人を慕っているというだけで生徒会長になりたいわけではなかったらしい」
つまり、春風部長を手に入れたいがために、自分の子分を無理やり矢面にたたせたというわけだ。
「更に言えばあの人は自己評価だけが高く、自分の言うことが正しいのだと疑わない。だから、自分が推薦するのだから、当然票が入るものだと思っているよ」
他人がする自分への評価は気にしないのだろうか。私にはどうしてそこまで自分を押し出せるのかが理解できない。
「慢心してんの?じゃあ、楽勝じゃない?」
彼を支持する人がいない以上、浜松先輩を支持する人もいない。つまりはそういうこと。
「ところがまあ、そう簡単にはいかないだろうというのが私の見立てでもある」
これには春風先輩も瞳を丸くする。
「え?なんでですか?」
「小野風華が二年なら、圧勝だっただろう。しかし、いかに成績がいいとは言え、彼女はまだ一年で、それも女子。彼女をよく知らない二年、三年からすれば、やや応援し難いだろう」
「うちらは、春風の件を知ってるからこうなるけど、確かに何も知らなきゃ一年か、で終わりだよね」
春風部長が恋人になる云々の話は、表沙汰にはできない。なぜなら、大事件に発展する可能性もあるからだ。それこそ、陰湿ないじめの的にされる覚悟は必要だろう。
それがこのような勝負にかこつけての結果だと知れたら、そりゃあ酷いことになるだろう。
いざという時はそれを逆手に使おうともしているのだけれど、できるなら穏便に済ませたいというのは春風部長の意志であった。
「じゃあ現状だと、一年は小野風華よりで、二年、三年は浜松より、ってこと?」
「二年は半々だろうね。出る杭を好む人もいるし、何より浜松くんに魅力を感じていない人は多い。だが、そもそも生徒会長選挙に興味がある人間が少ないしな。スピーチも菊池先輩の添削が入っているだろうけれど、面白みのない舞台になるとは思う」
萌々香先輩の考えは非常に冷静。
小野風華だということで勝利を確信してはいたが、今まで図書室に篭っていた小野風華の凄さを知っている人間が、二組以外でどれほどいるのだろうか。
あの、『黒幕が黒幕ではない違和感』を説明できるのは小野風華に近しいひと握りの人だけだ。
「それでも、大丈夫だとは思います」
だが、それも私を揺るがすほどではない。
「おお、強気だね」
「風華も晴彦も、一年で一二を争う変わり者ですから」
理屈にはならないだろう。だって私でさえ理屈で信頼しているのではないから、当然のことだ。
私が言うと、皆一様に面白そうだと瞳を輝かせた。
「これは、スピーチでひと波乱あるかもよー?」
「大差をつけたら面白いよね」
「わかってはいますけど、ここまで私のことを蔑ろにされると少し寂しいですねー」
春風部長も事件をネタにして笑っていた。
当然だ。心を勝負に賭けた時点で、それはもう永遠に得られることはない。そのことを、あの人は知るべきなのだ。
手に入れる術を現実的な手法でしか知らないあの人は、そのことに気づかない限りこの先も目に見えないものを失っていくだろう。そう思う。
「それにしても、自分の彼氏を変わり者というかね、普通」
「いやでも、晴彦くんは実際変わってると思うけどなぁ、男子として」
そう発言したのは雨宮先輩である。
「どこがよ?」
「なんていうか、男の子、っていうより、女の子って感じ」
皆、その言葉の解釈に戸惑っている。晴彦は別段女顔でもないし、無論女装趣味は無い。
ただ、私はなんとなくだが、その言葉の意味を理解できていた。
「じゃあ、明日音ちゃんが男の子になんるんですか?」
春風部長の言葉に、雨宮先輩が私をじっと見る。
「明日音なんて今現在、うちで一番理想のお嫁さんに近いじゃん」
大人しく、従順で、家事全般をこなすだけである。難しくはない。
「勿論、直接的な意味じゃないよ。中身の一部がね、普通のカップルとは逆なんだよ、明日音と晴彦くんは」
雨宮先輩はかなり言葉を選んでそう言った。