文化祭で予定がない理由Ⅲ
「あれ、美紅じゃない。何しにきたの?」
長谷川美紅先輩を近くで見たのは初めてだ。
威勢のいいポニーテールに元気を表現したような顔のパーツ。きょろきょろと動く大きな眼。明日音と違い、同じ表情を一秒たりとも保たないように、表情は豊かだ。背はあまり高くないのか、俺より少し下だ。
印象とすれば、気さくで面白い人、だろうか。それは競技会での印象もある気がする。
「ってーか、何この男子。ここって男子禁制じゃないの?」
美紅先輩は容赦なく侵入し、炊飯器を開け、白米の匂いを嗅いだ。
「晴彦くんは特別枠なの。後輩の彼氏さんよ」
「あー、あの料理うまい子の」
へー、ふーん、と先輩は俺を興味深そうに眺めた。それを雨宮先輩が嗜める。
「で、美紅は何しに来たの?」
美紅先輩はどかりと椅子に腰掛け、洗い終わった皿に勝手にご飯を装い始めた。雨宮先輩はそれを見て、もう、と呟いた。
どうやら見た目通り自由奔放な人のようだ。
「いやまあ、ちょこっと気にかかることがあってねー」
先輩は甘口のカレーを要求し、紅生姜を多めに持った。細い体の割には大食漢である。
「気にかかること?先輩は生徒会ですよね。その関係ですか?」
俺が尋ねると、美紅先輩は首を振る。
「まあでも、それ関連ではあるかな」
お、おいしーじゃん。
美紅先輩は口いっぱいにカレーを頬張って言った。行儀は決して良くないが、どこか憎めない人である。
「いやね、この文化祭で今季の生徒会長は終わりなわけでしょ?絶対、この文化祭中に会いに来ると思うわけよ。それの処理をねー」
やれやれ、と美紅先輩はカレーを食べる。いい食べっぷりである。
「生徒会長が?」
その名を聞き、人を嫌うことがなさそうな雨宮先輩さえ顔を顰める。
「えーっと確か、あの男の人ですよね」
俺が尋ねると、美紅先輩はびしりとスプーンを俺に突きつけた。
「菊池昴。成績優秀、親は大企業、顔はまあムカツクけど整ってる、ムカつく野郎よ」
「ボロクソですね」
俺が小さく笑っても、二人はぴくりとも笑わない。
「いやいや、これが誇張じゃないのよ。二年の時にはもう春風に目をつけてさ、その言い分がこれよ。『彼女は僕にこそ相応しい』とか。何様だってーの!」
「……そんな人いるんですか?」
「実際にいるのよ!家が金持ちだからって自分が偉いみたいな振る舞いをする奴が!私もビックリだわー」
つーか、それならこんな公立じゃなくて私立へ行けって話よね。美紅先輩はその合間にカレーを平らげていた。
「春風はずっと断ってるけどね」
ずっと、ということは、俺が来てからも多少の悶着はあったのだろう。学校の世界はやはり狭い
「女なら誰だって嫌よあんな奴」
友達も金と権力で連れてるみたいなものよ。美紅先輩が本気で嫌そうな顔をした。そしてすぐさま、そっか、君は一年か、と今さらのように頷く。そしていたずらめいた瞳をにわかに浮かべ、俺に詰め寄った。
「今の一年は知らないだろうけど、二年と三年の間には確執があってね。去年は学校全体がピリピリしてたのだよ」
楽しそうに美紅先輩は言う。
「その確執の原因の一人が何を楽しそうに……。私みたいな普通の生徒が一番の被害者なんだからね」
雨宮先輩が困ったように笑った。美紅先輩も申し訳ないと顔を作り笑った。
「一時期は酷かったのよ。一年の教室の前に二年生がたむろして教室の外に出れないとか」
俺には想像がつかない。俺の周囲はいつだって平穏そのものだったから。
「ほら、今の二年ってさ、私含め変わり者っていうか、目立つ人多いじゃない?」
五十嵐春風、綾瀬萌々香。長谷川美紅に嶋村先輩もそうだ。
俺の思考を読んだかのように、雨宮先輩が、特に女子ね、と付け加えた。
「そうそう。春風にしては一年で既に校内一の美少女の立ち位置だったし、萌々香っちも財閥の娘だし」
「美紅と光陽くんは先の生徒会長のお気に入りで一年の時から生徒会入りだしね」
「あの時も揉めた揉めた。こちとら去年の陸上競技会で成果出さないといけなかったら滅茶苦茶必死だったわー」
「詰まるところね、去年の三年生の特別扱いが過ぎたのよね」
雨宮先輩がため息をつく。
「そりゃあ、今の三年生は面白くないでしょうよ」
今の三年は特段目立つことのない、バスケ部で言えばすべてを世襲のままにして美味しい汁を吸う人間たちである。それが悪いとは言わないが、革新的で目立つ現二年との折り合いはやはり悪かったのだろう。
「いやさ、面白くないのはわからないでもないけど、ここ普通の高校だから。ずば抜けた進学校でもなければ、治安の悪いバカ高でもない。こんな普通の学校だからこそこんな珍しいことが起こるっていうのに」
「そりゃあまあ、美紅からしたらわりかし面白いでしょうけど……」
高校生活というのは良くも悪くも三年間しかない。下級生がいきなりしゃしゃり出てくるのは、やはり面白くないのかもしれない。
「そんなわけで、三年女子と二年女子の中は今も最悪。男子も釣られるように仲が悪くなって。今でこそ忘れられた問題みたいになってるけど、まだ根を張ってるんだなこれが」
料理研究部に三年生がいない理由は、もしかしたらそこにあるのかもしれなかった。
「陸上競技会もさ、私が率先して馬鹿やってるけど、あれもかなり気ぃ使ってるのよ?」
苦労をしているとアピールする美紅先輩に、自業自得でしょ、と雨宮先輩は笑った。
「菊池先輩は騒動には無関係だったけど、春風に言い寄ってたから実質火薬庫だったのよね」
「『僕なら気にしない』とか、『僕と付き合えば収まる』だとか言ってたらしいわよ」
現生徒会長、菊池昴。
どんな人物は覚えていないが、入学式で何か喋っていたきがする。そこまで嫌な人だという印象はなかったが、雨宮先輩と美紅先輩の話を聞くと、どうもまともな人物ではなさそうだ。
「春風だけならまだしも、萌々香にも色目使うしね」
雨宮先輩がため息混じりに言う。
「萌々香のは家柄がいいからでしょ。いい顔しておいて損はないとでも思ってるんじゃない?」
「なんというか、タフな人ですね……」
彼はきっと、今ここにいないのだ。彼があるのは、ほぼ確定的な輝かしい未来のレールに乗るその時だろう。今も、そのために動いている。そんな気がした。
「タフ?あまみー、この子大丈夫?」
美紅先輩が心配そうな瞳で俺を見た。
「大丈夫もなにも。まあ、ちょっと考え方は人と違うかな」
雨宮先輩も俺を擁護する気はなさそうだった。
「俺は美紅先輩や雨宮先輩に、そんなことを裏で言われてるなんて知ったらかなり凹みますから」
俺がそう言うと、美紅先輩は一瞬の間を置いて爆笑した。
「いやー、君タラシの才能あるわ!」
「それだけは同意しておこうかな」
やはり雨宮先輩が俺を擁護してくれる気配はなかった。俺は何を言っても笑われそうだったので、諦めて鍋をかき混ぜ続けた。
「でもま、彼の言うことも一理あるよ。確かに、大半の女子から嫌われても、春風を手に入れようとする姿勢は凄い」
「手に入れることはないと思うけどね」
「そこまで嫌なんですか?家が大企業なら玉の輿じゃないですか」
春風先輩の家柄は確か、普通の一般家庭だったはず。話だけ聞けば悪くない事案のようにも思える。
俺が言うと、美紅先輩は首を横に振った。
「いま学生の私たちがお金に釣られてどうすんのよ。現実見始めるにはまだ早いでしょ」
一理ある、と思う。