二組の賢者が黒い理由
文化祭を控えた十月の半ば。
一年のクラスはそうでもないが、二年、三年のクラスは中々に忙しそうな装いを見せている。
放課後の準備や部活動の忙しなさは大会前のものとは違った緊張感に満ちているような気がした。
料理研究部でもそれは変わらず、放課後明日音は毎日のように部活に顔を出しに行く。
先に帰ることもあるが、大抵はバスケ部に参加したり、図書室で暇を潰す。
バスケ部はどうやら文化祭に出る気はないようだ。
『特にいい案も思いつかないし、考える労力も無駄だしね』
と嶋村先輩は小さく笑っていた。そもそも運動部は疲労も激しいし、練習は毎日やってこそということもあり、参加するにしても手軽なものだ。大会が終わり、一つの区切りとして部でリフレッシュのために参加する部活もある。
忙しいのは結構なことだと思うが、俺自身は何もないのんびりとした時間の方がわりかし好きだったりもする。何かに追われる時間というのは、やはりどこかピリピリとしがちだ。刺さるようとは言わないが、何かを強制、または同調させるようなクラスの空気が苦手なのだ。そしてそれは、二組の賢人、小野風華も同じだ。少なくとも、俺はそう思っている。
小野風華とは半年ほどの付き合いだが、彼女はクラスに、というより高校一年にしては無駄に大人びた思考のお陰で、クラスには馴染んでいない。それは俺にもわかる。
そもそも、馴染む気がないのだ。だが、彼女は賢いから、最低限必要とされる役割をこなす。
複数種目に出なければいけない競技会もでるし、授業だってサボらない。傍から見れば当然のことをこなし、輪を乱しはしないのだけれど、近くから見ると全く別の印象を受ける。
小野風華は、もっとやれる人間である。
勉強もともかく、もっと目立とうと思えば目立てるし、活躍しようと思えば活躍できる。だが、あえてそれをしない風華に、思うことがある人は少なくない。
それが明日音が不安に思う、二組に広がる不穏なものの正体。
『もっと真面目にやればいいのに』
同感だ。
『なんか、ちょっと付き合いづらい』
全くだ。
俺は明日音のように風華の立場を案じるつもりはないが、それなりに用事もあったこともあり、今日も放課後、図書室に赴く。
相変わらず図書室へとつづく道は生徒が通った熱さえ感じさせず、夏でも涼しいのに秋になった今では寒いくらいの空気がたちこめていた。
「うーむ……」
この重苦しい扉がいけないのではないかと思う。日に当たらない位置にあるし、無理やり明るい色にした扉が逆に恐ろしさを演じているようだ。
「普通に木目調でよかったよな」
扉の前で唸るようにそんなことを考えている放課後だった。変にファンキーな内装のせいで、今日も図書室は貸切状態だろう。勉強の効率がいいと言う人もいるが、それなら市の図書館に行ったほうが捗りそうなものだ。
「何扉の前でぶつくさ言ってるのよ。不審者だと思われたいの?」
風華が扉から顔を覗かせた。
小学生並みの体格には、扉を押すのも一苦労のように思えるが、実際はそんなこともない。ゆらりと風華の髪が揺れた。
風華が髪を伸ばしているのは、伸びない身長に対するアンチテーゼなのだという。
『このなりで短髪だったら本物と見分けつかないでしょ。間違えられるのもムカつくから伸ばしてるのよ』とのことだった。
確かに小学生にしては長すぎるのだ。小学校以来だと言っていたから、七、八年は切っていないだろう。
「悪い悪い。しかし、微妙な色だなと思ってさ」
図書室への門をくぐると、相変わらずの静けさと紙と埃の匂い。静か過ぎて静寂に匂いがあるならこんな香りがするのだろうなとさえ思う。
「まあ確かに、センスはないわね。でも、塗っちゃったものを木目に戻すのは不可能だし、そもそもそのお陰で人払いができるんだから私にとってはいいものよ」
風華が静かに扉を締めた。
この学校の図書室には漫画やライトノベルの類は置いていない。そのため、時間を潰すことにも使われない部屋と化しているが、決して利用者がいないわけではないのだ。読書好きは少なからず各学年にいるものだし、そこそこコアな作者の本が置いてあるのだ。意外に小説からドラマ化した作品は多いと知った。
「図書委員の本分は?」
「書物を整理して管理することよ。別に学生に本を読ませるのが目的じゃないわ」
「さいですか」
得意げに風華の瞳が読みかけ本に流れる。風華は静かに本を読むのが好きだ。静かでないところでは風華は決して本を読まない。耳が痛くなるほどの静寂のなかで本を読むのが好きなのだ。
風華は話しかけると本を読むのをやめる。そして会話が終わるとまた読み始める。決して読みながら人と会話をしない。これは本好きというより、彼女が礼儀正しいだけかもしれない。
「で?今日は何?また時間潰し?」
風華は貸出受付のテーブル奥の椅子に腰掛けた。見慣れたからか、中々に様になる絵だった。
風華に対して、回りくどい言い方は必要ないだろうし、別に回りくどい言い方をする話でもない。
「一緒に生徒会入らない?」
俺の短い問いに、風華は思った以上の硬直を見せた。椅子を引きずり、カウンター前に置く。これで風華と顔を突き合わせるような形に。
風華は背も小さいが顔も小さい。
美少女というよりは大人びた小学生というのが悲しいところだが、顔つきには小学生ならぬ深みがある。褒めているような台詞でも決して褒めていると捉えられないから、風華の容姿を表現するというのはなかなかに難しい。
対する風華は、『何言ってんだこいつ』という視線を隠しもせずに俺を眺めていた。そして、読みかけの本を手に持ち立ち上がる。
「何言ってんの?」
さらに明確に言葉にして、その本で軽く俺の頭を叩くと、本を脇に避けた。どうやら読書しに来たわけではないと悟られたらしい。
「いや、なんとなくではないけど、適任かなと思って」
事実、向いていると思う。図書委員とどちらが向いているといわれると甲乙つけがたいが、生徒会にも確かに風華は向いているのだ。
俺が本で打たれた頭頂部を気にしながら風華を上目に見る。机に座っていると流石に俺より上に顔がある。中々にない視点だ。
はぁ、と風華もため息をつき、カウンターに腰掛ける。
「大体なんであんたがそんなこと――」
そう言葉にして、風華はまじまじと俺の顔を見、そして何かに気がつく。
「明日音に何か言われたわね?」
「当たらずとも遠からず」
「全く、あのお節介娘は……」
風華がやれやれという顔をした。
「あのね、別に心配していただかなくても大丈夫だから。私は私でうまくやっていく自信があるし。晴彦に心配されることなんて一つもない」
「そう言うだろうとは思ってたけど」
「けど、何よ?」
風華の視線が厳しさを増す。
「俺一人で入るのも寂しいし」
俺の言葉に風華は珍しくがっくりと項垂れた。
「私を巻き込まないでくれる?」
「明日音に言われたってのは本当だけど、別に風華のことを心配してるわけじゃないんだよな」
心配はしていない。風華が何を好んでいるのかなど、俺は知る由もない。ただ、一年二組の違和感の原因のようなものの正体を、俺はなんとなく知っている。
「じゃあなんで生徒会なんかに?」
なんか、とは凄い言いようである。まるで自分がそこに相応しくないと決め付けているよう。
「いや、俺が入ろうかなと思って」
文化祭が終われば、生徒会選挙が行われる。生徒会長及び副会長はもちろん、全ての生徒会の人間をそこで選出する。一年間で生徒会に入る唯一のチャンス。
「で?なんで私がそれに付き合わなきゃいけないわけ?」
風華の目が詐欺師を睨むような目つきになる。訪問販売も潔く去りそうな眼力である。