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私たちが恋人になる理由  作者: YOGOSI
八話目
113/159

たまに一人になりたくなる理由Ⅲ



「そんなことないもん」



 明日音が機嫌を損ねたというように頬をふくらませ、歩みを進める。



 あまり使わないが、『もん』という語尾は明日音の機嫌が相当悪いことを意味する。相当、と言っても、程度は正直軽いのだと思う。明日音を本気で怒らせたことはまだない。これからもない。そう願う。



「なんだよ?どうした?」



 俺はそこまで明日音の機嫌を損ねることを言ったつもりはなかったのだけれど。



「いいもん。早く帰ってご飯にしよ」



 いつもゆっくりな歩調が、心なしか早る。それはどこか、現実から遠ざかりたいという欲求のように見えた。



 現実はどうあれ、である。



 好きな相手とするべき話ではなかったのかもしれない。正論はいつも正しいけれど、人間には情状酌量というものがあって。正論が正義であり、そして正義がいつも正しいとは限らないのだから。



 義のために成すことが正しいのであって、正しいことが義であるわけではないのだな、と、こんな時に変なことを思う。



 風華もそれをわかっているからこそ、必要のないときは口を出さないのだろう。



 二組の中で賢者は目立たない。何が正しいのか彼女にはわかるのだけど、それを成す義が風華にはない。つまり、それを進言する理由がない。頼られるまで何も言わない。ある意味では孤独だ。俺と似ているのかもしれない。茉莉や明日音がいなければ、風華は、俺はどんな存在だったのだろうか。



「色々知ってる、ってのも大変だよな」



 幸い、今のところイジメなどの現象はうちの学年にはない。



 風華もきっと、自分が自分でありながら、皆が上手く暮らしていけるように、あれはあれで気を使って生きているのかもしれなかった。そしてそれは俺も同じなのかもしれない。



 そして今俺のやるべきことは、明日音の機嫌を治すことなのだが。



 これには色々方法があるけれど、どれも効果的なものばかり。しかし、そもそも明日音の機嫌が悪くなることが滅多に無いのでこれはこれで少し新鮮な気持ちだったりもする。だが、夕食に苦手なものを出されるのは御免なので、それを楽しめる時間は少ない。



「待ってくれよ、明日音」



 追いかけても、それを横目に確認するだけ。しかしやはり、確認するところが明日音らしい。



「夕飯どうしようかなー」



 あからさまに不穏な言葉。明日音にそんな気はさらさらないが、ここで引っ込みがつかなくなると誰も得しない。つまりは、明日音の逃げ場を作ってあげるのが俺の役目であり、実はそれほど不機嫌ではない明日音の願望でもあるのだ。



 ちらちらとこちらを伺っているのが可愛らしい。



 まるで自分が不機嫌だという様子に、自分で少しバツが悪いと感じているような素振りである。



「夕飯を人質にするのは余りに卑怯だと思います先生」



 俺が言うと、明日音が反論する。



「夕飯を作るのは私なので、人質にするのも私の自由なんですー」



 以前まではなかった芝居がかった会話も、料理研究部の部員のお陰ですこしだけできるようになった。



「これでなんとか人質を開放してくれませんかね?」



 スーパーの袋と学校指定のカバンを左手に持ち、右手で明日音の左手を掴む。



 暖かい肌の感触が指に触れる。



 明日音はどこか楽しそうに俺を見上げた。



「まあ、考えてあげなくもない、です」



 照れているのか、無理矢理につん、と視線を逸らすが、まんざらでもなさそうだ。



「別に俺はここでキスしても一向に構わないんだが?」



 人の往来が激しく、手をつなぐ程度ならまだしも、キスをすれば確実に誰かに目撃されるだろう。



「う、そ、それはいいです」



 なるほど、と思う。



「ここでキスされたくなければ夕飯を美味しくつくることだな」



 ふっふっふ、と悪役のような笑い声をすると、明日音が狼狽える。



「わかったよー、ちゃんと作るから」



 今度こそ顔を真っ赤にした明日音が根を上げる。



「もー、ちょっと卑怯じゃない?」



 しかしそれでも、明日音の抗議の視線はやまない。



「むしろそんなに恥ずかしいかね、キス。そこまで目立つもんでもないし、挨拶程度の軽いやつならべつに――」



「日本ではやらないんです!普通は恥ずかしいんです!」



 明日音にそう強く抗議される。確かに、俺も率先してやろうとは思ってはいないけれど。



「晴彦、挨拶で誰かにキスとかしてないよね?」



 不審そうな瞳で明日音が俺を見る。



「今のところ明日音さん専用ですよ」



 俺が言うと、そ、それならいいけど、と恥ずかしがる。実に可愛いし、楽しい。



 自分の貞操観念が若干おかしいことは理解している。不思議に思うことはあるけれど、やはり違うのは自分なのだと思うから、行動にはしない。



「あ、でも小夜さんに一回奪われましたね」



 思い出したように言うと、明日音も苦渋の顔つきに変わる。



「それはノーカウント。犬に噛まれたようなものだから」



 どうやら明日音にとって姉は野良犬らしい。実際、野良犬というのは怖い。奴らは逃げるどころか向かってくる。野生というのは、人間にしても、動物にしても恐ろしいものだ。


「さいですか」


「姉さんも恋人作る努力をすればいいのにね。好きだっていう人にホイホイついていくからそうなるのよ」




 俺も確かに、人生何事も努力なのだと思う。



 報われる報われないのはなしではなく、誰もが小さな努力をする。



 家に帰るのに電車賃を払い、足を動かす。



 身体を動かすためにご飯を食べ、それを買うお金のために働く。



 努力しても報われないものもあるけれど、努力なしに人は何も得ることはできない。食べることも、生きることも、歩くことも努力なのだ。



 気にも止めないような小さな小さな努力を、俺たちは、いや、俺たちの身体は生きるためにこなしている。



 そして俺は、明日音と一緒にいる努力をする。報われるだとか、そういう問題ではない。努力なしに、二人ではいられないのだ。右手の感触が、それを伝えているような気がした。



「俺は明日音がトマトを買うたびに不安になるぞ?明日音が俺を殺そうとしてるんじゃないかってな」


「私もこれでも、晴彦のトマト嫌いを直そうと努力してるんだけど。まだ嫌いだよね。これは一層の努力が必要かな」



「……実は俺、リコピンアレルギーなんだ」



 明日音にトマト嫌いを克服する事をやめさせる努力は、いつか報われるのだろうか。

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