陸上競技会が盛り上がる理由Ⅲ
『早食いと思われがちですけど、パンの美味しさは五段階に調整してあるので、実質運ですね。一年生でも勝てるチャンスなので、頑張ってくださいね』
春風先輩が言葉を言い終えると、出走者たちが一致団結して気合の雄叫びを上げた。
『おー、威勢がいいですねー。私は死んでも遠慮ですけど』
『参加者は全員男子ですけど、女子の皆さんも参加してもいいんですよ?』
光陽先輩が言うと、周囲の女子全員が首を横に振った。
『さあ、では行きましょう!尾崎先生の出番かもしれませんよ!』
養護の先生も苦笑している。
『アレルギーでもない限りそういう心配は無用です!安心して食べてくださいね!』
春風先輩がそう締めくくって、その競技がスタートする。初の競技、皆の注目が集まる。
明日音も気になっているようだ。
「五段階って言ってたけど、どんなの作ったんだ?」
うーん、と明日音は考え込む。
「私は普通に美味しいの担当だったからわからないけど、『すごく臭い奴』と、『凄く不味い奴』は傑作だって先輩たちは言ってたよ」
ちょっと可笑しくて、小さく笑ってしまう。
なに?と聞きたそうな明日音の頭を軽く撫でる。
「明日音は悪巫山戯に向いてないからな。ハズレ作る班から外されたか」
む、と図星を突かれてふてくされた表情も、どこか嬉しそうに見える。
スタートの合図とともに、五人が一斉に走り出す。
「じゃあ、今度頑張って春風先輩風のお弁当にしてあげる」
その笑顔がなんだか本気でやりそうな気配がした。
「いや、悪い、普通のでお願いします……」
俺が謝罪をする、というより、俺はなにか謝るようなことを言っただろうか。
「ほら、晴彦、凄いよ!」
明日音が楽しそうにグラウンドを指す。
『おぉー、これは!?どうした?皆机に近づきません!』
選手たちは皆机から一定の距離を保って、顔の手前で手を振っている。
くっさ!マジでやばい!そんな叫び声が遠く聞こえる。
『あれは何を使ったんですか?』
光陽先輩が春風先輩に尋ねる。
『シュールストレミングです』
ざわっ、と観客席が波打った。
シュールストレミングとは、世界一臭いと言われるニシンの缶詰のことだ。
『大変だったんですよぉ、缶を開けるのに山奥まで行ったんですから。開けたのは私のお父さんですけど』
笑い声が木霊する。春風先輩のお父さんも散々だ。
「作業中も凄い匂いだったよ……」
明日音が思い出して鳥肌を立てていた。
「味はいいらしいから、後は気合だな」
『ほら、早く行って食べなさいよ!時間かけすぎ!』
その後も地獄絵図は続いた。
一人が席についてパンを齧る。ガッツポーズ。
『おお、当たりでしょうか!?』
『美味しい普通のパンも一つだけ有りますから、安心してくださいね』
ハズレのほうが圧倒的に多いのに、安心も何もないだろう。
『リタイアしてもリアクションが面白ければ実質得点になるんだから、さっさと食べてリアクションしてくださいねー』
競技者からすれば、解説席は本物の悪魔に見えただろう。
「一番不味いのってのは何が入ってるんだ?」
そうして、一人の男が机に座りパンを齧った瞬間だった。
まるで毒物を飲まされたかのように苦しみの表情を上げ、パンを机に戻す。ここが現実で、自分がちゃんと地面に立っているのかどうかをしっかりと脳で認識したあと、垂直に手を挙げた。
『あ、リタイア?リタイアです!いや、いいリアクションでした!皆さん拍手を!』
よくわからない拍手とともに、選手が退場する。
『あれが恐らくハズレですね』
春風部長が満足気に言う。
『料理研究会に逆らうとああなる、というわけですか』
息を呑む、というような表現で言う。中々に芸達者な人だ。
『いや、それは怖すぎだろ……』
『ふ、普通の料理を作るのがメインですから!今回は頼まれただけですから!』
春風部長の必死な姿が、料理研究部の真実を表しているようだった。
「確かに、みんな料理は上手くなってるんだけど……。その反動なのかなぁ?定期的に不味いものを作るんだよね」
明日音が不穏当な言葉を発言する。
料理研究部部員は、料理スキルとともに、必要のない料理スキルまで上がっているのだ。
『ちなみにあれには何が?』
光陽先輩が、春風先輩に尋ねる。
『色々です』
とびっきりのスマイルともに、先輩はそう答えた。
『……さあ次!次のチャレンジャー行ってみましょう!』
女の恐ろしさ、ここに極まれり。そんな感じで、解説は次の生贄を走らせる。
観客席は大盛り上りだ。
「これ、陸上競技会だよな?」
俺が明日音に聞くと、明日音も楽しそうに笑う。
「そうだね。楽しい」
どうやら、こんな感じでいいらしい。俺もその時、どこか張っていた肩の力が抜けるような気がした。
周囲を見渡せば、皆そんな感じで笑っていた。
『さて、早いものでお昼時です。昼食タイム』
『敷地内ならどこで誰と食べても構いません。アタックをかけたい男子は頑張って下さい』
『私たちもつかの間の休憩――?』
そこに颯爽と現れるのはマスクをした綾瀬副部長。手には幾つかのパン。
『え?何?あっ、クッサ!?なにこれ!クッサ!』
流れるノイズ。爆笑の渦。
『えー、料理研究部から生徒会にお裾分けです』
あの大人しい、良識のある綾瀬先輩がこんなことをするとは思っていなかったのか、二年の席から賞賛の指笛や歓声が起こる。
『これ、ハズレのやつと臭い奴です。お一つどうぞ』
これは断れない。
観客からの圧力と、お祭りゆえのその場のノリが、長谷川美紅先輩と町田光陽先輩の逃げ場を崩していく。
『あんた、どっち食うの?』
『……臭い奴』
『逃げんなよ!男だったら不味い方いけよ!』
『うるせーな!臭い女になるよりマシだろ!』
昼食の間も、観客を楽しませるコントは続く。
「生徒会も大変だな……」
「私は絶対に入らないわね」
「そうか?風華は生徒会長とか似合いそうだけどな」
いつもの五人から、裕翔を除く四人で飯を囲む。
裕翔は佐絵さんを探しに言った。アクティブな奴である。まあ、大学のことを聞きたいだとか、名目は作りやすい。
「でも凄いよね。さすが生徒会っていうのかな」
「いや、あれは生徒会云々じゃないと思うけどな」
秋晴れの青空の下、生徒たちの笑い声が絶え間なく上がる。
大人にも自然にも、何を馬鹿なことをしているんだ、と笑われるかもしれない。けれど、これが今の俺たちの有り様なのだ。
それだけは、確かなことだった。
『あ、マズ、痛い!!ごめん、これ無理!マジ無理!!』
解説なのか芸人なのか。それは定かではないけれど。
『あ、こっちは意外と旨いかも。臭いけど』
この二人は、将来大物になるかもしれない、ような気がした。