歴史が変わったとき
昭和16年10月
対米開戦論者である東条英機首相は2つの不安を抱えていた。1つは、先月に軍令部総長の永野修身が心不全によって死去したことである。
そしてもう一つは、軍令部総長の後任がだれになるかであった。
東条首相
「後任も前任者のように会議中に居眠りばかりするような奴ならば、御上も躊躇なく決断を下せるから問題ないのだ。
そのためにも新任の軍令部総長が障害となってはならないが…」
しかし、東条の心配は的を射ていた。
最初に後任候補に挙げられた海兵31期及川古志郎大将は翌年に海軍大学校長就任が内定していたこともあって即辞退した。
また、同期の長谷川清大将も先日、台湾総督に命ぜられて赴任していた。こうなると、候補は海兵32期の嶋田繁太郎、吉田善吾、山本五十六、塩沢幸一らとなった。
ただし、嶋田繁太郎は海軍大臣に就任したばかりだし、吉田善吾は健康を害している。塩沢は陸上勤務ばかりで艦隊勤務には向かない。
残るのは、現連合艦隊司令長官で海上勤務と陸上勤務を経験し過去には航空本部技術部長でもあった山本五十六であり、元帥府も文句のつけようがなかった。
山本五十六といえば、三国同盟に反対し、暗殺計画まであった男である。東条としては山本が後任になることはどうしても阻止する必要があったが、首相といえども海軍の人事に口を出すことはできない。
そして、周知の予想どうり、新軍令部総長は山本五十六が就任した。
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