プロローグ
カチャカチャ。
乾いた響き。
ゲームコントローラーの音。
―王子、お目覚めになってください!
―魔族が突然、人類の地へ侵攻を開始してきたのです!!
―王子はこれから魔王討伐の旅に出るようにと王様からの命令です。
―これは王族の血筋の定めなのです。
―では早速、旅の準備を行ってください!
「はぁ…」
今日はぼんやりゲームの画面を眺めている。
昨日は古本屋で立ち読み、一昨日はネットカフェでネットサーフィン。
その前は………思い出せない。
とりあえず暇を潰せればと思って中古で買った薄汚れた安物RPGは早速在り来たりな展開を見せてしまった。
なんだか萎えた気分になり、買ったゲームにさえ裏切られた気分になった。
ここは正直に睡魔の言いなりになったほうが、意識を保ち続けってゲームをし続けるより素晴らしいことに感じたので午後9時という時間帯にも関わらず素直に電気を消しそのままベッドに横たえた。
月明かりの照らす見飽きた天井の木目を視界に映すのを拒むように俺は強く瞼を閉じた。
「ん……?」
目を覚ましてみれば見知らぬ天井の木目が視界に映し出されているではないか。
見たこともないベッドの上に寝ている自分。
見たこともない棚に見覚えのない花瓶と桃色の花。
寝ている間に何があったのかなんて理解しようにも寝起きで思考が機能しない。
俺がベッドで身を起こしたのを見かねて、RPGに出てきそうな僧侶の服装の女性がこちらに歩みを進めて来る。
「あ、目が覚めましたか?」
聞き覚えのある言語。
どうやら言葉は日本語でOKなようだ。
なんて冗談を言ってる場合か。
いや、あながち冗談でもないのかもしれないのだが。
「警戒しなくても大丈夫ですよ。私は、ここタスク村の教会で僧侶をしているマリアと申します。御気軽に、マリアと御呼び下さい。」
「は、はぁ」
なるほど。凄く優しそうな人だ。
歳はまだ…20代前半といったところか。
「とりあえずあなたの名前は?」
なんだかRPGの世界に迷い込んだような感じだ。
ここが主人公の名前設定するシーンだったりー……なんて妄想してる場合じゃない。
「俺は………修一といいます」
「修一様…ですか。よろしくお願いします。でも、修一って言う名前は珍しいですね」
「あぁ…いや、よく言われますね確かに。それと、修一で良いですよ」
「かしこまりました」
言わねえよ。
ノリでよく言われるなんて言ってみたけど、修一という名前に珍しいとか言う人始めて見た……。
やっぱりここはどっかの外国なのか……?
なにはともあれ、RPGのゲームのようなそれらしい名前を名乗るのも悪くないかとは思ったのだがなんとなくそれもこの人を騙すような悪い気がして本名を名乗ってしまった。
このままRPGのような流れで行くとなれば、次に来る会話は俺が特別な存在であるとかそんな話が持ち上がるはずだが……。
「それで……修一。こんなことを聞くのもなんなのですが…」
「は、はい?」
「右腕のタトゥーは一体どこで、いつ入れたのですか?……」
タトゥー?いやいやそんな、現代社会において世間の反感を買うようなアウトローの象徴であるタトゥーをこの俺が?ましてや彫った覚えがないのに俺の腕にはあるはずが……。
「なっ…!?」
あった。しかもめっちゃかっけー。
綺麗な紫で翼みたいなのが彫られてる。下には番号が「998」とある。
一体どういう数字なのだろうかこれは。
「あなたは、ネクロマンサーなのですか…?」
「は?」
勝手に話を進められても困ってしまうんですが。
こっちは自分が今どこに居るかさえ分からずに居るって言うのにそんな間髪居れずに言われても…。
というかネクロマンサーってもしかして黒魔術っぽいアレか?
黒魔法とか使ったり、なんか呼んで予知とかしたりする怪しい奴か?
「ネクロマンサーを…ご存知ないのですか…?それは…ネクロマンサーの証であるはずなのですが…」
「…この…タトゥーが、ネクロマンサーの証…?」
「そうです。12年前に魔族によって滅ぼされたネクロマンサーにしか与えられなかったはずのものです」
戸惑う俺に対して彼女は追い込みを掛けるように言葉を並べる。
だが彼女の表情にもなぜか焦りにも似た何かが滲み出ていた。
「15年前に魔族が突如、人類の領土へ侵攻を開始して始まった戦争がきっかけでネクロマンサーは全て滅びました。…いや、実際は戦争とは名ばかりのモノだったんです。特に戦争初期の人類はは魔族に対する知識も情報も乏しく、そのうえ人類には魔族に対抗できる人間は限られていた為に魔族側のほぼ一方的な虐殺が横行するばかりでした。」
ここはそんな物騒な世界だったのか。
全年齢対象のRPGじゃ「虐殺」なんてワードは出てこないぞ。
これはRPGだなんだって言ってる場合じゃないかもしれない。
「でもそんな絶望的な中で、少しずつ人間は魔族に対しての知識を養い、そして魔族に対抗出来る力を持つ人たちで必死の抵抗を続け、3年間という時間を耐え凌いだのです。戦争初期の頃の様子から言えば、3年間持ちこたえたことでさえかなりの奇跡です。」
「…えーっと。その抵抗を続けた人間の一角がネクロマンサーだった、と?」
「ええ、その通りです。ネクロマンサーの方々は皆優秀で勇敢でした。彼らの強大な魔力によって人類は魔物を退けわずかな光を見出したのです。…とは言えその希望は本当にかすかな物でしかなかった。人類にその光が遮断されるようになるまでには大した時間を要さなかった。圧倒的数の前にはネクロマンサーと少数の人間だけでは太刀打ちが出来ませんでした。さらに戦いが続くにつれ、もともと少数民族だったネクロマンサーの数はみるみる減っていったのです。」
なるほど。
彼女がこの世界の史実を伝えるだけの為にここまで表情を歪ませているということを考えると彼女にきっと何かがあったんだろう。
ただ、それについての詳細を尋ねる勇気は俺にはないし、第一、この世界の事情と彼女に同情するより俺は自分の近況を探ることの方が先決である。
「…で、ネクロマンサーってのは一体何者なんだ?」
「魔族と人間のハーフの一族です。」
「なるほどな。だから魔力の扱いに長けてたってワケか。」
「御察しの通りです。しかしそれ故非力な人間に危険視され、あの戦争が始まる直前までは人間に虐げられていた存在だったのです」
「いやに皮肉な話だな。その疎まれてた存在が希望の光になっちまったなんて」
「…都合の良い話ですが…今ではネクロマンサーは人類の英雄とされています」
どこの世界であっても、いつの世であっても人間の薄汚さは健在らしい。
なんて世捨て人みたいな悟りを開いている場合ではない。
彼女も先程ほどとは打って変わって落ち着きを取り戻してはいるが今度はどこか寂しさを感じさせる表情に変わっていた。
マリアさんの表情ばかり伺っていても埒も開かないし、いい加減どうして俺がここに居るのかぐらいは尋ねねばなるまい。
「なぁ、マリアさん。そろそろ俺も質問していいかな?」
「はい。なんでしょう。」
「俺ってなんでここにいるんだ?」
「え、あぁ。この教会の入り口で倒れていたんですよ。あなたはこの世界の史実について何にも知らないようですけど…もしかして今までのことを何も覚えていないのですか?」
「ええ、一切何も」
さっきまでの表情が演技ではないかと疑えるほどポカーンと目を丸くして彼女はコチラを見つめている。
いや見つめているというよりかは眺めているといった感じである。
10秒ぐらいしてから首を激しく横に振って彼女は我を取り戻した。
「本気で言ってるのですか?」
「嘘ついても何の意味もありませんよ。」
「た…確かにそう、ですね…」
彼女もかなりお困りの様子。
厳密に言ってしまえば記憶喪失とは少し違うのだけれども
実際大して変わらないのでひとまずそういうことにしておいてもバチは当たらないであろう。
ピピピピピ!
目覚ましの音が耳の奥を劈く(つんざく)。
つい反射的に高い位置から思いっきり目覚ましに改心の一撃をぶつけてしまう。
「あー…?なんだもう朝か」
なんだか疲れが全然取れてる気がしない。
特段、疲れるようなことを昨日にした覚えもないのが正直ないのだがとりあえずまだ血の巡りの悪い体にムチを打って学校へ行く支度をさせる。
うーむ…いつもとはなんだか体の感覚が違う寝起きだ。
それに、いつもと違う夢を見ていたようなそんな気がする。
というか今まで別の世界に居たような気もする。
「なーんか変な夢だった気がするんだよなー」
そうブツブツ言いながら洗面台に向かう。
顔を洗っても原因不明のモヤモヤは拭いきれない。
鏡を見てもいつもと変わらない自分。
「やっぱりなんもねーよな」
頬をバチっと叩いてシャキっとしてみる。
少し強く叩きすぎて後悔した。
どうにかこうにか身支度を整え、一人で食卓につく。
朝食はいつもこうして一人で母が作り置きしておいてくれた朝食を食べる。
中学二年生のときから俺はパートで働く母親と2人暮らしだ。
親父は俺が中学二年生のときに、仕事帰りに飲酒運転の車と衝突して即死した。
なぜだか特に泣いた覚えもないし悲しさを感じた記憶もない。
母子家庭としての生活は特別に苦しいわけでもないし俺は不便さもあまり感じない。
ただ、母はいつも忙しそうであるのだが。
いや、こんなことを考えている時間は無いと思考を切り替えて時計を見る。
残念ながら俺も母を見習って忙しそうに動かねばならぬ時間帯である。
今日も今日とて作り置きされた朝食に手を付けるワケであります。
「母上殿。本日もお勤めご苦労様です」
いつからか素直じゃない自分の性格のお陰で「いただきます」というワードがこのように改変されてしまった。
でも個人的にはそんな言葉よりこっちの方が言いやすいんだ。
伝われば良いんだよ、言葉なんて。