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契約の種  作者:
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第四話

──どうしよう


(私のせいだ…!)

私は体の力が抜けるまま、床に座り込んだ。

胸の中に、不安が広がる。 同時に右手の甲が熱くなって左手で強く包み込んだ。

少年に、何か声をかけようとした。

そうして始めて気がついたのだ。 少年の名前さえ、知らないことに。

私は呆然としていて、少年の元へ駆けつける気力さえなくなっていた。頭の中に渦巻く感情が、体を動かすことを邪魔していたのだ。

その時だった。窓の下から、声が聞こえたのは。

「…ってぇ〜…」

(……え?)

私はがばりと起きあがり、窓の下をのぞき込んだ。暗い夜の闇の中、ゆっくりと身を起こす影があった。

目にした途端、すでに足は走り出していた。ほとんど無意識の行動。 途中階段を踏み外しそうになったが、そんなことは気にならない。

──少年が消えるかもしれない。そう思った途端ひどく胸が痛んで呼吸が苦しくなった。

何故だろう。何故、なのだろう。あの名も知らぬ少年が私をあそこまで気に掛けるのは。私が、突き放しつつも少年が気になっているのは。

つい先日出会ったばかりだというのに、少年は『違う』と言う。私が忘れているだけなのだと、思い出せと。


玄関まで行くと靴を履くのももどかしくて裸足で外へでた。

庭の大きな木の下に、少年がいた。

見たところ怪我もないようで、肩をまわしている。

「いや〜驚いた。下が地面で良かったなあ」

「大丈夫!?」

私は少年の隣に座り込み、まず少年の体を確認した。勢い込んで尋ねた私の声は微妙に裏返っていた。

その慌てぶりに驚いたのか、少年は目を丸くしている。やんわりと、私の肩に手を置いた。

「落ち付けって、俺はなんともないから。落ちたところが地面だったから大丈夫だ」

その言葉に、様子に、ひどく安堵した。同時に目の淵が熱くなる。

私は少年を見た。少年は困ったように首を傾げてこちらを見ている。そして、私の肩に両手を置いたまま私の顔を下から覗き込んだ。

「泣くなよ。大丈夫だって。ほら、どこにも怪我なんかしてないだろ?」

「怪我、してるじゃない…ごまかしたって、だめよ」

私は泣き顔を見られた恥ずかしさに、ほとんどごまかすようにそう言った。確かに、少年は怪我をしていた。ほんの少し、すりむいただけだったが。

少年は指摘されて始めて気づいたらしい。自分の傷を見て、しかしすぐに呆れたように手を振った。

「こんなもん傷のうちにも入らねえよ。それに、俺の場合すぐに治るし…」

私はいきなり立ち上がった。少年は訝しげにこちらを見ている。

「家に入るわよ」

「どうぞ?」

私がそう言うと、少年からすぐに答えが返ってきた。違う、と小さな声で言う。

涙の痕をぐいと拭って、少年のほうを振り返った。

「あなたも来るの。怪我、手当するから」

少年は驚いた表情を見せていた。当たり前といえば当たり前だ。私は今まで少年と関わることを拒絶していたのだから。

「いいのか? 得体のしれないやつを入れて」

少年はにやりと笑った。

私は再び地面に腰をおろし、真っ直ぐに少年の緑の瞳を見た。互いに視線を合わせたまま、沈黙が訪れる。少年は、私が口を開くのを待っているようだった。

深く息を吸って、ゆっくりと言葉を口にした。

「あなたの、名前は?」

少年はそんなことを聞かれるとは思っていなかったのだろう。不思議なことに、今までで一番驚いた表情を浮かべていた。そんなに驚くようなことを聞いたつもりはない。

そうして何故か、少年はひどく優しげな微笑みを浮かべた。

「俺の名前はすい翡翠ひすいの翠だ」

少年はそう名乗った。そういえば、少年の目の色。どこか覚えがあると思ったら、翡翠色に似ているのだ。暗い中でも、どこか煌めいて見える、翡翠の瞳。

その名前は少年に──翠にとても良く似合っているような気がした。

「そっか。私の名前は四季。四つの季節の四季。じゃあ、翠君」

私は手を差し出した。少年はよく分かっていなかったが、とりあえず差し出された手を握り返してきた。いわゆる、握手というやつだ。

「はい、これで私達友達ね。もう得体の知れないやつじゃないわ」

そう言って、私は初めて少年に向かって笑顔を見せた。少年は驚いたように目を見張っている。 そして、嬉しそうにもみえる苦笑を返した。

「かなわないな、本当に」

立ち上がるのと同時に、握った手を引いた。つられたようにして、翠が立ち上がる。

そうしてようやく、私達は腰をあげたのだった。





「はい、終わったわ。本当に痛むところはない?」

「ああ、大丈夫だ」

少年──翠は私が手当をしている間、何故か始終笑顔だった。

何がそんなに楽しいのかと不審に思っていたのが、顔に出ていたかもしれない。

しかし、よく無事だったものだ。二階から落ちたのに、擦り傷だけですむとは。

「俺よりも、四季は大丈夫なのか?」

翠は何故か私のことを呼び捨てにしていた。絶対どこからどう見ても私の方が年上なのに、と思う。

「何が?」

翠は私の足を指さした。

「さっき、急いで俺のところに来てくれたみたいで、裸足のままだったろ。足とか、怪我してないか?」

そういうところは、しっかりと見られていたらしい。

翠は何故かにこにこと上機嫌に笑っている。

「俺のためにそこまで必死になってくれたってことは、思い出したのか?」

問われて、すぐに首を振った。翠はがっくりと肩を落として、落胆している。

そう簡単にはいかないかと、小さく呟くのが聞こえた。

「どうして、それにこだわるの?」

気づくと、問いかけていた。翠は、ゆっくりと顔をあげる。

──まただ。

また、あの表情だ。確かに少年なのに、大人びた青年のような顔。記憶のどこかでひっかかる表情。 真っ直ぐに見つめてくる瞳に真剣さが伝わってきて、思わず手に力が入った。

翠はふっ、と小さく息をついた。吐き出された息と共に体の力も抜けたように、翠は微かに微笑みを浮かべた。楽しさからの笑みではない。それは、どこか切なさを伴っているように見えた。

「俺にとって、すごく大事なことだから。一生かかってでも思い出して欲しい」

私は首を傾げた。

──それはこの少年にとってどれほどのものなのだろう。一生かかってもと言うほどの何かを、私は忘れているのだろうか。

それに、思い出してほしいのなら、もっとてっとりばやい方法があるではないか。

「翠君が私に直接言えばいいじゃない。そうすれば、私も思い出すかも知れないわ。そもそも、本当に私なの?思い出して欲しい相手は」

翠の顔が強ばった。また怒ったかと思ったが、少し違ったらしい。翠はふいと顔を背けた。

「…四季で間違いない。でも、俺から言うことは出来ないんだ。掟だから」

「…掟?」

「頼む。それ以上は聞かないでくれ」

翠の声があまりに真剣だったため、私はそれ以上つっこむことを断念した。本当はすぐにでも聞き出したかったけれど、口を固く閉じた翠はどうしたって口を割りそうになかった。

ぽつりと、翠は言った。

「あとさ…その…翠君て、やめないか? 俺も四季って呼んでるし、翠でいい」

どこか逡巡する様子を見せながら言った翠に目を向け、私は目を丸くした。

そして次の瞬間、吹き出した。

「っ…あははっ。うん、わかった。そうするわ」

いきなり笑い出した私に、翠は不機嫌そうな顔を向けた。

「…どうしていきなり笑うんだよ」

「や、気にしないで。ちょっとね」

少年が翠でいいと言ったとき、いつもの子供とは違って大人びている見える翠が年相応に見えたのだ。それがなんだか、おかしかった。

笑い続ける私を見て、翠が拗ねたような顔をする。 それがまた子供っぽくて、私はさらにお腹を抱えた。 しかし、それとは逆に翠は不機嫌さを増していく。

ついに立ち上がった。

「手当ありがとう。それじゃあ」

「え…あ、ちょっと待って!」

私は思わず翠の手を掴んでいた。引き留められるとは思わなかったのだろう。驚いた顔をして振り返った。

私は視線を泳がせながら、言葉を探した。きっとこの行動は、不可解に映っているのだろう。

「ええと…もうちょっと話していかない?」

翠は少し躊躇いを見せた後、私をじっと見てから、ゆっくりと元の場所に座った。内心、ほっと安堵の息をつく。 これで、今夜はとりあえず大丈夫だと思った。

翠は視線をはずすことも揺るがすこともなく、私を見ている。いつもより真剣で真っ直ぐにこちらを見る翡翠の瞳に、何かを見透されてしまいそうな気がした。

目を合わせていられずに、ふいと視線をはずす。

「…いつもなら」

翠が口を開き、私の心臓がどきりと跳ねた。

胸の中に、焦燥が生まれる。嫌な予感がした。声には出さずに、祈るように思う。

聞きたくない、言ってほしくない。どうか気づかないで。

「俺のことはすぐに追い返すのに、どうかしたのか? なんか…変だぞ」

──ああ、やっぱり。

この緑の瞳は、すべてを見透かせるに違いない。きっと、私のことも。

私は、ごまかすように立ち上がった。

「変とは失礼ね。紅茶でもいれるわ、飲める?」

急いでキッチンに行こうとした私に、後ろから声がかかった。

「逃げるのか?」

「なに言って…」

「理由、話してくれないなら帰るぞ」

痛いところを突かれた、と思った。

私はぎゅっと両手の拳を握った。 普段なら、ここで帰るのも好きにさせるだろう。 こんな時間に引きとめたりはしない。

だが今は──夜だ。この時間だからこそ、不安なのだ。

「どうする、帰ってもいいのか?」

言葉は厳しく言っているようだが、それに反して翠の声は優しかった。

私は、うつむいたままでなんだか泣きそうになった。 唇がふるえたまま、ようやく言葉を紡ぎ出す。

「…話すから、帰らないで」

私が強く目を閉じたとき、ふと微笑むような気配が感じられた。

「わかった」

翠の返事は短かったが、それで十分だった。

彼の声音は、ひどく優しさを含んだものだったから。




二年ぶりの更新です…。執筆途中のものがあったので、当時のものを少しだけ手直しして書きました。今の自分の書き方とは違う部分もあって何だか不思議な感じがしました。直したいところは多々ありますが、このときの自分が頑張って書いたものを載せるのもいいかなと思ったので、大部分はそのままです。

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