大嫌い。
「ちーちゃん!」
「っ」
りょうちゃんと顔を合わすと気まずいので帰るまで屋上で時間を潰していたのに、りょうちゃんは私の鞄も持って追いかけてきてしまったらしい。息もあがっている。
走って、私を探してくれたのだ。そう思うと胸がしめつけられた。友好的に接してくれたりょうちゃんに私は手酷い仕打ちをした。
いくら彼女のことが嫌い過ぎて苦しいのだと言っても言い訳だ。初対面で可愛いだの好きだのとリップサービスをする彼女に対してあまりに私の態度は有り得ないレベルに酷かった。
屋上のベンチで落ち着いて考えた私は、反省して明日にはちゃんと謝ろうと決めていた。なのにどうして追いかけてくるんだ。まだ、心の準備ができていないのに。
「りょうちゃん…あの、その…」
「ごめんなさい」
「…え?」
「突然空気も読まず、無躾なことを言って、ごめんなさい。私、少しKYなところがあるから…。まだ、怒っている?」
ずるい。ただでさえ私が悪いのに、そんな風に言われたら…私は、
「私…こそ。ごめん。酷いこと、言った。ごめん」
謝るしかない。私が悪いのはわかってる。わかってるのに、私は…やっぱり彼女を直視できない。彼女を真っ直ぐに見て誠実に謝罪したいのに、彼女を見ると胸が熱くて苦しくて、できない。
「いえ、いいのよ。隣、いいかしら。少し話さない?」
「…ん」
私はそっと座る位置をズラした。りょうちゃんが隣に座る。半人分だけ空けた、お友達の距離感で座られた。
会ったばかり、とはいえフレンドリーな人なら特におかしくない、私に好意的な彼女ならなおさら、違和感のない距離感だ。
なのに、彼女が近寄ってきただけで私は緊張した。全身の筋肉が強張って心臓が高なり、体が震えて発汗まで始まった。
他の人相手ならこうはならないのに。自分で自分が腹立たしい。何の罪もない善人そうな彼女を意味もなく嫌う自分が、嫌だ。どうしてこうなってしまったんだろう。
「ねぇ、ちーちゃん」
「なに?」
「さっきはあなたを怒らせてしまったし、こんなことを言ってまたあなたの気分を害さないか不安なのだけど…」
「な、なに? 怒らないから言ってよ」
例え怒ったとして今度は絶対表に出さないと心に誓いながら、私は彼女の言葉を待った。りょうちゃんは少し言い淀んでから私を真っ直ぐに見た。
反射的に顔をそらしたくなったけど、逆に目を見開いてりょうちゃんを見つめることで堪えた。
「さっきの…あなたが好きと言ったのは本当よ。私はあなたと仲良くなりたいわ。あなたは、私をどう思っているの?」
「っ…」
どうして彼女が私に固執しているのかわからないけれど、りょうちゃんは私と友達になりたいらしい。
真摯にハッキリ言葉にしてそう言ってくれる彼女に、偽の笑顔やおためごかしでごまかすことはあまりに不誠実だ。
だから私も、怒らせたり嫌われることを覚悟して、正直な気持ちを伝えよう。
「りょうちゃん…私は、あなたが、嫌いなの」
「…え」
「もちろん、あなたが何をしたって訳じゃないよ。りょうちゃんは、素敵な人だと思う。でも…どうしてかわからないけど、初めてりょうちゃんを見た瞬間から、苦しくて鳥肌がたつくらい、あなたが嫌いなの」
「……苦しくて鳥肌がたつ、ね」
「ごめんなさい。どこがどう嫌いとは言えないんだけど…あなたを見るとイライラしたり息苦しくなったりして落ち着かなくて、生理的に駄目なの」
こうして改めて言葉にすると、やはり酷い。全く理論的じゃない。りょうちゃんに悪いところはないんだから、言い掛かりや八つ当たりみたいなものだ。
「…いくつか、聞いてもいいかしら」
「どうぞ」
「見るだけで苦しいとか…それって、世間一般的に、恋って言わないかしら?」
「…は…いや、何言ってんの?」
確かに私もあまりにりょうちゃんのことばかり考えたりして気になるのでその可能性を一度考えた。でも最初に会った時からだし、そもそも私たちは女同士なのだから、そんな訳がない。
「私たち、女同士じゃない。有り得ないわ」
「…そ、そうね。つまりちーちゃんは、最初に目が合った瞬間から私が嫌いなのね」
「…ごめん」
「謝らなくてもいいわ。それより、私のどこがどう嫌いか教えてもらっていい?」
「え」
き、聞く? そこを詳しく聞いてしまわれるのですか?
「だってほら、私のどこが嫌われやすいのかとか、聞いておけば今後の人生でも役に立つと思わない?」
前向き過ぎる。にこにこ笑顔で自分のどこが嫌いかなんて、普通聞けない。相変わらず彼女を前にするだけで気持ち悪いくらいの緊張がするけど、少し尊敬した。
「…そう、だね。どこ…というか、例えば今日、放課後まであなたと目も合わさなかったけど、あなたの姿が視界にあるだけで目についてうっとうしくて、あなたがニコニコ他の人と話してるとイライラして、だからって近づかれると嫌悪で身体が緊張して強張るし、変な汗もでるし…とにかくりょうちゃんが側にいると気持ち悪いの」
「……」
「あ、ごめん。気を悪くした…よね、てか、当たり前か。ごめんなさい。でも本物に、今もだけどりょうちゃんといると何だか苦しくて。真っ正面から顔を見ると気が遠くなるレベルでりょうちゃんが嫌いなの。…そういうことだから、友達になるのは諦めて。ごめんね」
「あ…いや、待って、結論を出すのはまだ早いわよ」
「え?」
まだこれでも足りないのか。りょうちゃんってもしかしてドM?
「今のを聞くに、あなた私の内面は何も知らないまま嫌いなんじゃないかしら?」
「まあ…」
嫌いだから関わりたくなくて、距離をおいていたし当然、りょうちゃんのことはよく知らない。
「じゃあこれから私の内面を知れば嫌いでなくなるかも知れないじゃない」
「それは…そうかも知れないけど、でもただでさえ苦しいのに」
「そんなに私が嫌いなら、友達にならなくても苦しいなら、いっそ友達になってお互いを知れば苦しくなくなるかも知れないわ。食わず嫌いはよくないわ。そうしましょう。しばらくは友達(仮)ということでいいかしら」
言いたいことはわかる。確かに、ただのクラスメートという以外に何の接点もない今もこんなにりょうちゃんが嫌いでいつも彼女のことを考えて苦しい。それなら多少無理矢理で我慢してでも一緒にいて、苦しみを緩和されるならその方がいい。
「でも…」
彼女の言うには穴がある。今の話は内面をちゃんと知れば今ほど嫌いにならないことが前提だ。でも、今こうして話をして少しだけど彼女のことを知って、すでに朝より苦しくなってる。
だからそんなの絶対無理。私が彼女を嫌いじゃなくなるなんて有り得ないって確信できる。
「駄目かしら。ねぇ、私にあなたと仲良しになるチャンスを頂戴な」
「っ…」
顔を寄せて、見つめられて、真っ正面から彼女の瞳を強制的に見せられた。
少し色素の薄い、茶色の目。綺麗な白目に浮かぶ黒目部分が真っ直ぐに私に向けられてる。
彼女の瞳はきらきらと輝いていて、つやつやしていて何だか触りたくなるような、でも触ることは許されないような、そんな神秘的な美しさを持っていた。
「……」
「っ…えっ、な、なに?」
「あっ…ごめっ、ごめんっ」
思わず触ろうとしてしまった。当たり前だけど眼球は触るものではないしそんなことをされたら痛くて堪らないだろう。彼女は目を閉じて私の指を防いだ。
指先が彼女の瞼に触れてから私ははっとして手を下ろした。
「えっと…返事はYes、ということでいいのかしら?」
「……うん、Yesで、お願いします」
私は彼女のお願いにNo、とは言えなかった。自分の行動に驚いたのもあるけれど、多分それがなくても私は頷いていただろう。
何故なら、彼女の瞳は美しかったから。触りたくなるほどの魔性の美しさを持った彼女の頼みを、私は断れない。今もそうだ。私は彼女に魅入ったまま、目が離せない。
彼女が恐ろしい。こんなにも、りょうちゃんは美しい人間だったのか。知らなかった。知ろうとしなかったし、それに、知りたくなかった。
緊張がピークを越えて、気を失いそうだ。恐ろしい。彼女が美しいということを知って、彼女が恐くなって、ますます彼女の前にいることが苦しくなって、ますます彼女が嫌いだと思った。
「そう、よかったわ。じゃあ、これからよろしくね」
「…うん。あの、お手柔らかにお願いします」
「もちろん。仲良くなれるよう頑張るわね」
「…と、とりあえず…今日は、そういうことで…解散、ということで…」
「あら、一緒に帰りましょうよ。家はどっち? バス通い?」
「バ、バスです」
「…どうして敬語を使うのかしら?」
「他意はありません」
ただ敬語を使ってあえて距離をつくることで嫌悪感を緩和しようとしてるだけだ。というか、そうしないと今すぐ逃げたくて仕方ない。
「……まあ、敬語でもいいわ。ただし慣れるまでにしてよ? そうじゃなきゃ、まるで私があなたに意地悪しているみたいじゃない」
「は…はい、頑張り、ます」
「ふふ」
笑われた。ううう。恥ずかしい。
「ほら、行きましょう」
微笑んだりょうちゃんが立ち上がりながら、私の腕をひいた。
「ひゃ」
「なぁに? ずいぶん可愛らしい声ね」
「う…」
服ごしに捕まれた肘の少し先。そこに意識が集中してしまって返事ができない。冬服の長袖で、熱なんて伝わるはずないのにどうしてか熱い。ストーブを近づけられたみたい。
痛くは全くないのに意識しすぎて強く圧迫されてるかのように感じる。触られた腕の筋肉が動かなくて制御が利かない。ぷるぷる震えてきた。
「震えてるわよ?」
「は…はだっ」
「肌?」
「はなじっ…」
「鼻血?」
「い、いぃい」
「…離すわよ」
「っはぁっ、はー」
手を離されて、忘れていた呼吸を再開する。危ない。危うく窒息するところだった。
「だ、大丈夫?」
「だい、じょ、ぶ…はー」
全然大丈夫じゃない。この人といたら私、絶対死ぬ。嫌いな人と一緒にいると死ぬとか私、どれだけメンタル弱いんだ。
「りょうちゃん、あのねぇ…」
「ごめんなさい。大丈夫だった? 私、あなたに触らないほうがいい?」
「…大丈夫、です」
だから、そんな目で覗き込むように見ないでよー。ああー。心臓が痛い。この人といると心臓がうるさくて堪らない。それに暑い。さっきから体温あがりっぱなしだし、すごい汗かいてる。ヤバい。
「そう? じゃあ、行きましょうか」
「っ」
手を握られて立たされた。一気にまた苦しさが増して吐き気までしてきた。
手を離さなきゃ。そうしないと、死んでしまう。
「はい、鞄」
「あ、ありがとう…」
「バスはどこで降りるの?」
「…ば、×、×です」
「ふむふむ。私のひとつ手前ね。じゃあ急ぎましょう」
「っ…」
手を、振り払えない。しなきゃいけないのに。
手を引かれるまま、屋上を後にする。力が入らない私の手をりょうちゃんは握っている。
「……」
さっきと違って直接私の皮膚に、りょうちゃんの温もりや力加減が伝わってくる。
熱くて否応なしに手に汗をかいてしまう。彼女は気づいているのか。気持ち悪がられてたらどうしよう。ていうか、握り返した方が、いいの? 嫌いさをなくすため、にはその方がいい、んだよね?
「……っあ」
手が動かない!
あああああやっぱ絶対無理無理無理ていうか最初からこの人を嫌いでなくなるとか無理ってわかってたよね!? 無理! 本当無理!
この感情絶対なくならないってなんか知らないけどわかるもん!! この人のこと絶対嫌い! もう無理! 気絶する!
「? どうかした?」
「どっ…どうもしませんっ」
この人嫌い! なんで手を離そうとした瞬間にこっち向くの!? その顔見ちゃったら離せないじゃない!
私は人に命令されるのが嫌いだ。でも人のお願いを聞くのは嫌いじゃない。私の意思に関係なく強制されるのは嫌だけど、お願いは聞いてあげるものだからまだいい。むしろ、基本的にお願いは断らない主義だ。
でもこの人のお願いは駄目だ。だって、見つめられると断れない。こんなの、命令と一緒だ。
嫌い。命令する人なんて嫌い。
どうして、嫌ってはっきり言えないんだろう。弱虫な自分も嫌いだ。全部、嫌い。
どうして、嫌だと思うんだろう。ただ手を繋ぐくらい、大したことないのに。こんなに意識して泣きそうになって、馬鹿みたいだ。
「っ、」
にぎ、握った。手、動いた。やった。
「ふふ」
「!」
私が勇気を振り絞ってやっとなのに、りょうちゃんは微笑んで簡単に、さらに強く握り返してきた。
負けた、と思った。敵わない。逆らえないという予感が、確信に変わって泣きそうになる。
りょうちゃんには、敵わない。
嫌いだ。この人絶対私の天敵だ。大っ嫌い。嫌いだから…逆らえないから……私はただ、黙って彼女の後をついて行くしかない。
ただ従うしかないなんて屈辱的ですらある。恥ずかしい。こんなに私を辱めるなんて最悪。
本当に、大嫌いだ。
○