好き。
「ねぇ」
「はい?」
振り向いた彼女、その目を見た瞬間、私は雷に打たれた。もちろん比喩表現だけれど、実際にそうなんじゃないかというくらい衝撃的だった。
名前も知らない彼女はピカピカと光り輝いていて神様みたいに見えた。
つまり、わかりやすく言えば、私は恋に落ちたのだ。一目惚れ、なんて信じてはいなかった。だけど今はもう一目惚れ以外は恋でないとさえ思える。
それほどに彼女が好きだった。心臓が常に爆発しているみたいにうるさくて、彼女の眩しさに目眩がして、彼女と対面しているという緊張で手足が震える。
「…な、なんですか?」
彼女は顔を真っ赤にしながら視線をそらしてそう言った。
確信する。彼女も今、私に恋に落ちたに違いない。
「私、転校してきたのだけど」
声が裏返らないように慎重に、彼女に好印象を与えるように微笑みながら答える。ちらりと彼女が手をやる靴箱を見ると『武川』とあった。彼女の名前だ。
「武川さん、職員室がどこか教えてくれないかしら」
珍しくもない、以前にも口にしたことのある名字だったのに、武川、と発音するだけで私の体は熱くなる。
彼女の名前を呼ぶのはまるで彼女に触れる行為と同じようにさえ感じられた。
「え…あ…職員室なら、あっちから出て、左に行けばあります。そ、それじゃあ…」
「あ…」
私が興奮し感動に身を委ねていると彼女は靴をはきかえるとあっさりと私の前から立ち去ってしまった。
あれだけ赤い顔で動揺を隠さない様子だ、彼女も私を好きなのは私の自惚れや思い込みではないだろう。なのにどうしてつれないのか。
「……ああ」
少し考えて、すぐに分かった。きっと彼女は照れているのだ。恐らく恋に不慣れなのだろう。私もまたこれほど、いっそ死にそうなほど強烈な恋愛感情は初めてだ。彼女は戸惑っているのだ。
なんて、可愛らしいのだろう。
「武川さん…か」
口の中で転がすようにもう一度名前を口にした。それだけでドキドキは再加速して苦しいほどで、幸せな気持ちになる。
一緒のクラスになれれば、嬉しいのだけど。
○
同じクラスだった。教室に入り見回して彼女を見つけた瞬間叫びだしそうだったけれど、口の端を吊り上げるだけで我慢する。
私と目があった武川さんははっとしたように露骨に私から視線を顔ごとそらし、頬杖をついて窓の外を見た。
そんな態度、普通なら嫌われてると思っても仕方ないかもしれないけれど、目が合った途端に真っ赤になった彼女の表情はいかにも恋する乙女としかいいようのないもので、私は破顔する。
ニヤケそうだ。というか、ニヤケる。なんて可愛らしい。
「青井涼子です」
自己紹介をしながら思いっきり武川さんを凝視する。ちらちらとこちらを見てくるのでその度に微笑んでみせた。というか見られる度にニヤケずにはいられないのだが。
私の態度を新たなクラスメートたちは訝しんでいるが、そんなことはどうでもいい。転校において友人が出来るかの不安は実はあったのだが、もう一人も友達ができなくても構わないから、とにかく武川さんと親しくなりたい! ひいては恋人になりたい!
席は私の名字が『あ』からで目が悪いからという理由で一番前に用意されていた。ガッデム。彼女は一番後ろの端なので教室において最も距離がある。
前から思うのだけど、視力がよくないからと言って席を前にする必要はない。何故なら視力が悪ければ悪いほど眼鏡やコンタクトの視力矯正必須なのだから、結果として裸眼で視力1.0より眼鏡をかけて1.5の私の方がよっぽどよく物が見えるというものだ。だから一番後ろにして欲しい。
と、密かに先生に伝えたのだけど何故か冷汗をかきながら先生は私をスルーした。
「むう」
不満だ。まあ仕方ない。ここから私は彼女へアピールして行こう。
○
声をかけようと近寄る段階で避けられた。逃げられた。距離をとられた。
顔を真っ赤にして眉を逆立てて口をつぐむ姿はまるで怒っているみたいに見えるけど、視線をそらして、それでもこちらを見てくる。
私が近寄ろうとも、距離があるまま余所を見ていようと、彼女は私をちらちらチラリズムに合わせて私を見ている。
どう見ても私に気がある。とても気持ちいい。彼女の視線を感じるだけで達してしまいそうだ。性的な意味で。
私が転入し、すぐに中間試験だった。それは聞いていたし前の学校の成績もあるので免除してもいいと言われていたけれど、テストのレベルを見るためだが受けると言っておいてよかった。
ここで私がよい点数をとれば彼女は私に惚れ直すだろう。うんうん。
というわけで、私は生まれて初めて一夜漬けまでした結果、一番だった。前の学校の方が進んでいたとは言え、最高が6位だった私は個人的にも1位は嬉しいし、何より彼女へのパフォーマンスとして最高だ。
「ちーちゃん」
隣の席の友人に相槌をうちながら武川さんに話かける坂之上さんの様子を伺う。
武川さんに逃げられた私を見て声をかけてくれた彼女だけど、どうやら私に味方してくれるらしい。武川さんの一番の友達らしい彼女を少し妬んでいたがそんな過去はもはやないも同然。いまや私の親友だ。
テストも終わり、家のごたごたも落ち着いた。遠回しな魅力アピールが済んだ今、私がすべきは直接接触によるアピールだ。
…駄目だ。武川さんに関して考えていると接触という単語だけで興奮してくる。相手も私が好きとはいえ最初から下心満載で引かせることはない。落ち着け、私。
武川さんが教室を出た。
「ごめんなさい。そろそろ…」
「武川さんだね、頑張ってね」
驚いた。まさか知られているとは。……というか、よく見れば回りの視線が生暖かい。武川さんしか目に入ってなかったがどうやらそうとうわかりやすかったらしい。
「ありがとう、じゃあまた、明日」
気恥ずかしく思いつつ、私は坂之上さんに言われた通り武川さんと同じ部活に所属すべく彼女の後を追いかけた。
「武川さん」
「…なぁに? 青井さん?」
声をかけると振り向いた武川さんは私を見た瞬間に顔を赤くし、上擦った声をあげた。
声をかけただけでこんなにも動揺するほど彼女は私が好きなのだ。さすがに少し照れるけれど、私も彼女の声が聞けただけで嬉しくなるくらいには彼女が大好きなのでどっこいだろう。
「武川さん、文芸部なんでしょう? 私、入部しようと思うんだけど」
「え…な、なんで?」
「坂之上さんに頼まれたから。あなたもそうだって聞いたけれど?」
用意していた言葉を口にするだけなのに緊張した。武川さん、と家で何度も言葉にしたのに全く効果はなかった。喉がかわく。
「何か、入りたい部活はなかったの?」
嫌そうに言う武川さんに少し笑ってしまう。彼女は私への好意を隠しているつもりだろうか。あまりに逆効果だ。彼女の態度では私のことが大好きか、はたまた嫌いかにしか見えない。とてもじゃないけど平静を装えていない。
素直な子なのだなぁ。素敵だ。性格の曲がってる私にはますます魅力的だ。
「特にないわ。だから坂之上さんの話は渡りに船というわけ。何をしてもいいというお話だしね」
「そう、なんだ。じゃあ…案内するからついてきて」
「ええ」
横に並んで歩き出す。隣に彼女がいる。それだけで息があがりそうなのを堪える。
「武川さん、下の名前は智佳子さん、よね」
「そ、そうだけど?」
智佳子さんと呼んでもいいか、と計画していたけどやめることにする。だって今、確認のための問い掛けに口にしただけで心臓が爆発した。
今からこんな調子では死んでしまう。私は路線変更をしてあだ名で呼ぶことにした。急いては事をし損じるとも言う。一足飛びに行くことはない。
「じゃあ私はりょうちゃんって呼ぶね」
りょうちゃん、ですって?
呼ばれた瞬間鼻血が出そうだったのは気合いでカバーする。
「ええ。仲良くしましょう」
「うん、そうだね。よろしく」
りょうちゃん? りょうちゃん!! なにそれ! そんな呼び方されたの初めて!! いい!! まるで恋人みたいじゃない!!
『ちーちゃん』は他の子にも呼ばれてるけど私のその呼び方は彼女だけだ。もう決めた。私は生涯彼女にだけあだ名を許す。
「ここが部室よ。ようこそ、文芸部へ。形だけだけど、部長として歓迎するわ」
「ありがとう。これからお願いするわね」
ニヤニヤしてると部室に着いた。
小さいけれど二人で過ごすには十分だ。むしろ距離をとらずにすむからよし。
「そこに座って」
入って席につくとコーヒーをいれてくれた。
「ありがとう」
武川…もといちーちゃんは私の向かいだ。もちろんそうなるように座ったけれど。クッションがあるので彼女の席はすぐにわかった。
「りょうちゃんは本好きなの?」
「ええ。人並みには。ちーちゃんは好きなのよね。本棚は殆どあなたのだって聞いたわよ」
「うん、まあ…気になるのがあるなら、好きに読んでいいから」
ちーちゃんから話し掛けられたことに興奮していると、ちーちゃんは読みかけの小説を鞄から出して読みだした。いきなりくつろぎだすとは、私に気をつかわせないためね。
「好きなことをしていいのよね?」
「う、うん。私はだいたい本を読んでるけど、寝ててもいいし。好きにしていいんだよ」
「そう。じゃあ私は絵を描くわね」
「え…絵?」
「面白くないわよ」
「は……ぎゃ、ギャグじゃないっ。じゃなくて、絵を描くのが好きなら美術部に行けばいいじゃない」
「美術部も見てきたけど、凄く和気藹々とした雰囲気だったわ。描いているのも漫画絵ばかりだし…好みじゃないのよ。こっちで好き勝手に描いている方が気楽でいいわ」
本当は美術部なんて見て来ていないけれど前の学校がそうだったからそう言った。前は漫画を書いてる子ばかりの中で一人風景画とか書いていたから、今回も最初はそのつもりだったけど、彼女と出会ったからには全く別だ。彼女の裸婦画とか描きたい気分だ。人物は描いたことないけど。
と、この言い方だとまるで漫画を侮辱してるように聞こえなかったかしら。私、漫画は描かないけど読むのは超好きなのだけど。漫画絵は下手くそだからあまり好みではなくて私は浮くのだと言いたかったのだけど。ああ、もちろん好きと言っても武川さんよりは下だけど。
「そう…じゃあ、まあ、頑張って」
「ありがと」
スケッチブックを取り出して、鉛筆をいくつか並べてとりあえず武川さんを、と言いたいけどこの距離ではどうやっても見ては気づかれる。仕方ないから昔からよく描くペットの猫を描き出す。
ちらちらとこっちを見ているのが気配でわかる。彼女との距離は1メートル強。互いに足を伸ばせばぶつかる距離だ。見なくても何をしているかくらい手にとるようにわかる。
もっと見て、と言いたいくらいだ。ちーちゃんのせいで私の新たな性癖が開花しそうだった。とりあえず気づいていませんよーとアピールするために絵を描き進める。
「っ」
突撃、ちーちゃんが立ち上がって窓を開けた。どうかしたのだろうか。顔をあげるとさっきよりさらに赤い横顔が見えた。林檎みたいで愛くるしい。
「どうかしたの?」
「ちょっと…空気の入れ換えを。開けたままでも大丈夫?」
「今日は暖かいから大丈夫よ」
「そう」
私がまたスケッチブックに顔を落とすとまたちーちゃんは席についた。顔をあげるとちーちゃんは本を睨みつけるように見ていた。
思い切って正面から見つめる。
伏せられた睫毛が長く影を落とし、ふっくらほっぺの愛らしい彼女を大人びて見せる。くるくるとした、坂之上さんいわく天パの柔らかそうな髪が風にかすかに揺れている。
いいなぁ、風。彼女に触れて。あ! 凄いことに気づいた。風といわず空気なら彼女に触れるどころか全身じゃない! しかもちーちゃんは呼吸して肺に吸い込まれるし最高じゃない! ああ、今凄く空気になりたい。こんな風に思うのは初めて。ちーちゃん、罪な人。また新たな境地にたどり着いてしまった。
「っ…な、なに?」
と、見とれているとちーちゃんが顔をあげて驚いて引いていた。物理的にもひかれてしまった。早くフォローしなくては!
「いいえ、ただ…ちーちゃんはやっぱりとても可愛らしい人だな、と思って」
「なっ」
「初めて会った時から、私、あなたのこと好きよ」
「…っ…」
と、勢いで告白してしまった。せめて放課後にいうべきだったのに。
「っ…ばっ…馬鹿じゃないのっ」
ちーちゃんは勢いよく部屋を飛び出してしまった。勢いよすぎて椅子は倒れてクッションも落ちた。
「…失敗したわね」
片付けながらため息をつく。
彼女のことが好きすぎて、自制がきかなくなっている。あんなムードも何もない告白、怒られても仕方ない。
しかし、馬鹿じゃないの、か。中々キツイ言葉だ。もしかして彼女はツンデレなのだろうか。
『べ、別にりょうちゃんのこと好きなんかじゃないんだからね!』
うーん、ありだ。想像の中で勝手にロングヘアのツインテールにしたが、いい。今のボブも可愛いけど。ちょっとたれ目がちなのに強気キャラというのもいい。
ちーちゃんになら罵られてもいい。他の人なら迷わずグーパンするところだけど、ちーちゃんが言うなら靴を舐めてもいい。…ちーちゃんの靴か。やっぱり、どうせなら素足の方がいいかしら。
命令した癖にくすぐったくて感じて真っ赤になったちーちゃんの小さな足を固定して……いけないいけない。下心は隠すのだった。
「さて」
とりあえず二人分の鞄を持って部屋には鍵をかけた。そろそろ迎えに行こう。
え? 鞄を持つのは何故かって? もちろん、入れ違いで帰られたら困るからよ。
○